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みやびと私

宮崎牛の配信は、大成功だった。


「大成功」と言っても、同接は三十二人で、登録者が一晩で五人増えた程度だ。でも、観光協会の黒木(くろき)さんが「いい反応でしたね」と電話をくれた。それが桐谷(きりたに) (りん)にとっては大成功だった。


配信後の振り返りを事務所で済ませた翌日、凛は白石(しらいし) (かえで)と二人で宮崎市内のカフェにいた。


月に一度くらい、凛と楓は二人で出かける。事務所の外で話すと、仕事モードから少しだけ外れた会話ができる。湊がいない場所での女同士の空気がある。瀬川(せがわ) (みなと)は「行ってらっしゃい」と送り出すだけで、何を話しているかは知らない。


カフェは駅前の小さな店で、ランチタイムを過ぎた午後二時。客はまばらだった。凛はアイスコーヒー、楓はカフェオレ。缶コーヒーのときと同じ組み合わせだ。


「宮崎牛、美味しかったなあ」


楓がまだ言っている。配信から二日経っても余韻が消えないらしい。


「楓のリアクション最高だったよ。みやびのキャラ完全に崩壊してた」


「だって——ほんとに美味しかったんですもん。口に入れた瞬間に溶けたんですよ? あれは無理です。みやびでいられるわけがない」


「リスナーもそこがいちばんウケてたね。『みやび様が溶けた』ってXで何人もポストしてた」


楓がカフェオレをストローで吸いながら笑った。頬がまだほんのり赤い。宮崎牛の話をしているだけで嬉しそうだ。


「次の特産品配信、十一月は何になるんですか」


「黒木さんと相談中。候補は日向夏のジャムか、宮崎地鶏の炭火焼き」


「炭火焼きがいいです。食べたい」


「楓、食べることばっかりだね」


「だって宮崎の食べ物美味しいんですもん」


凛が笑った。楓が宮崎の食べ物を自分の言葉で語っている。東京から来た楓が、この街で根を下ろし始めている。


会話が途切れた。カフェのBGMが小さく流れている。ジャズだった。楓がストローをくるくる回しながら、窓の外を見た。駅前のロータリーに路線バスが停まっている。


「ねえ、凛さん」


「ん?」


「最近、ちょっと不思議なことがあって」


楓の声のトーンが変わった。明るさが一段下がって、内側に向いた声になる。凛はアイスコーヒーのグラスから手を離して、楓を見た。


「配信してるとき——みやびが、私の知らない顔をすることがあるんです」


「知らない顔?」


「トラッキングって、私の表情を読み取ってみやびを動かすんですよね。だから、私が笑えばみやびも笑うし、私が驚けばみやびも驚く。そういうものだって思ってた」


「うん」


「でも、たまに——私は笑ってるのに、みやびの目が笑ってない。配信のモニターで見えるんです。あ、今、みやびは私と違う顔してるなって」


凛は黙って聞いていた。表情バグの話は五月から何度も出ている。でも、楓がこういう言い方をするのは初めてだった。


「怖い——ってわけじゃないんです。最初は怖かった。自分の嘘が見抜かれてるみたいで。でも、九月の配信のとき——」


「ポジティブなやつ? みやびがめちゃくちゃ楽しそうに笑ってた配信」


「そう。あのとき、私は確かに楽しかった。でも、みやびは私以上に楽しそうだった。私が気づいてない感情を、みやびが先に表情にしてた」


楓がカフェオレのグラスを両手で包んだ。凛と同じ仕草だと、楓は気づいていない。


「みやびは——私の一部なのかもしれない」


凛は何も言わなかった。


「私が隠してるものを映す鏡みたいな。嘘を映さないんじゃなくて——私の中にある本当のものを、みやびが出してくれてる。そういう気がするんです」


楓の声は静かだった。カフェのジャズが隙間を埋めている。


「……こんなこと言ったら、おかしいですよね」


「おかしくないよ」


凛がアイスコーヒーを一口飲んだ。


「楓がみやびを大事にしてるのは知ってる。で、みやびも——楓のことを大事にしてるのかもね。アバターだけど」


「アバターに感情はないですよ」


「そうかな。湊が作ったモデルだよ? あの子の精度、普通じゃないからね」


凛はそう言って、少し笑った。


「湊さんには——この話、してないです」


「したほうがいいんじゃない?」


「でも、技術的には異常なしって毎回言ってるじゃないですか。私の気のせいだって思われそうで」


「湊はそういうことは言わないよ。データがあれば真面目に調べてくれる」


楓が視線を落とした。ストローの先をくるくる回している。


「もう少し——自分の中で整理してからにします」


「わかった。楓のペースでいいよ」


凛はそれ以上踏み込まなかった。


「ところで、ハロウィン衣装の差分、花よみさんからもう上がったんだよね」


「はい! 湊さんが今モデリングしてるって。蝙蝠のアクセサリーが揺れるらしいですよ」


「目のハイライトが赤くなるギミックもあるんでしょ。怖いよね」


「怖い! でもお狐仲間は絶対喜ぶ」


楓の声が明るさを取り戻した。みやびの話をするとき、楓は自然と目が輝く。それが「みやびは私の一部」という言葉と繋がっていることに、楓自身はまだ気づいていない。


凛はカフェの会計を済ませて、楓と一緒に店を出た。十月の宮崎はまだ半袖でもいける日がある。駅前の通りは秋の午後の柔らかい光に包まれていて、銀杏の木が少しだけ色づき始めていた。


「凛さん」


「なに」


「今日の話、ありがとうございました」


「あたし何もしてないよ。楓が話してくれただけ」


「聞いてくれる人がいるだけで、全然違うんです」


楓が笑った。今度は、空元気ではない笑顔だった。


凛は「いいんじゃない」と軽く返して、駅前のロータリーに向かった。凛は車、楓はバスで帰る。


バスを待つ楓の背中を見ながら、凛はスマホを取り出した。湊にメッセージを打つ。


「楓とカフェ行ってきた。楓、みやびのこと色々考えてるみたい。湊のデータ、いつか楓に話してあげたほうがいいかもね」


送信して、車のドアを開けた。返信はすぐに来た。


「わかりました。もう少し整理してからにします」


凛は画面を見て、小さく笑った。二人とも同じことを言っている。

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