*02*
「アイル」
彼は私を見るとその目元をふわりとほころばせた。
「カナンさん」
私も彼の名を呼んだ。
ゲームにおける役どころで言うと、彼は私の弓スキルの師匠だ。
人間嫌いのエルフで、最初はいやいやながらも村長の指示で私に弓の基礎を教えてくれる。最初はもう本当に事務的会話しかできない、友好度を上げるのが無理じゃないかなっていうキャラだった。
きれいなきれいなエルフなのに、常に眉間に縦しわが刻まれているような、ずっと険しい目つきをしている人。
でも今は友好度を最大値まで上げている状態なので、穏やかに会話をしてくれる。
「これを。今年の初物だ」
彼はそういうと私に籠いっぱいのフルーツをくれた。
これは!!
「アーフの実! しかもこんな立派なものをありがとうございます」
私は差し出された籠の中身に目が輝いた。
このゲームで一番食べてみたかったといっても過言ではない果物だ。
これは妖精の森で実をつける、ブドウのような形状の、一粒一粒の実はプルーンのようにしっかりした大きさのある果物だ。
ブドウ大好き、プルーンも大好きな私としてはとても味が気になっていた。
それに妖精の森はまやかしの霧が立ち込めているので、慣れないうちに足を踏み込むと大変な目にあってしまう少し危険な森でもあった。ちなみに彼は妖精の森の近くに住まいを構えているので、彼にとっては庭のような場所ではあるけれども。
「喜んでもらえてよかった」
彼はくすりと微笑んだ。
その目元がすでに色っぽい。
ゲーム開始直後の虫けらのように人を見る目じゃなくて、本当に良かった。
その時台所から薬缶が湯が沸いたと笛を鳴らした。
「あ。今からお茶を飲もうと思っていたんです。カナンさんもよかったら一緒にいかがですか?」
私が問うと彼は頬をほころばせた。
「ご相伴にあずかってもいいの?」
「もちろん。どうぞ中に」
私は彼を中に招いた。
居間のソファに彼を招く。
「お茶を用意してきますので、座ってて」
私はそういってオープンキッチンに向かった。薬缶の加熱を止めて、ティーポットにお湯を注ぐ。
茶葉を蒸らしている間にトレイにティーソーサとカップを二人分並べて、茶菓子のスコーンの量も増やした。
冷蔵保管庫の中からクリームとジャムを取り出し小皿に入れる。
大きなトレイで運んでいくと、彼が物珍しそうにきょろきょろしていたけれど私を見てまたふわりと笑った。
「ごめん、レディの部屋を不躾に見たりして」
「いえいえ。何か珍しいものはありましたか?」
お茶を並べながら私が問うと彼はくすりと笑った。
「いや。君がここに流れてきたときは、小さな使い古されたテントだったはずなのにこんな立派な家が建ったんだから、すごいなぁと感心してたんだよ」
彼は懐かしそうに目を細める。
私は肩をすくめた。
「この地の皆さんの協力と教えのおかげです」
これは本当だ。
だって、ゲームを始めたときの私は何のスキルがない状態だった。この地の人たちが私のアバターにスキルやレシピを与えてくれたから少しずつ成長できた。
「君の勤勉さもあってのことだよ」
彼はニコリと微笑む。
私がお茶を進めると彼はさっそく温めなおしたスコーンに手を伸ばした。
スコーンにジャムをのせ口に入れて、彼は眼を見張った。
「美味しい!」
率直な感想に私は嬉しくなった。
「お口にあって何よりです」
私も腹割れスコーンを半分に割って、クリームとジャムをのせ口に運んだ。
あちらの世界でもスコーンが好きで何度も作ったけれど、これは本当に美味しかった。
ただしスコーンなので口の中の水分は程よく奪われるのだが。
そこに紅茶を含むのはとても幸せだ。
「こんなティータイムを君と過ごせるなんて、嬉しいな」
カナンさんがはにかむように呟いて紅茶を飲む。
とてもとても幸せそうで、私の胸がくすぐったくなった。
「それは私のセリフですよ」
私はフフッと笑った。
いや、カナンさんとの友好度を上げるのはとても大変だった。一番難易度が高かった。
贈り物やイベントなど他の人に有効な手段がことごとく通用しないのだ。
ひたすら実力を高め、ストイックに誠実に彼に行動を示すのみ。
……彼の相棒の狼獣のフィンのほうがよっぽど先に私に懐いてくれた。
いや、うん。先にフィンの好感度を上げないとどうやら彼の友好度は上がらないのだけども。
狼より難しいってどういうこと。
そのフィンの好感度を上げるのも難しかったんだけども。
エルフであるカナンさんもフィンも森の番人だ。だから森を害するものを遠ざけ、森を守らなければならない。
それでも彼と仲良くなりたかった。
なぜなら私はカナンさんがとても好きだ。
ゲームの序盤で彼は言ったのだ。
それは弓のスキルアップのときだ。とても難しいクリア条件を突き付けられた。序盤最大の難所でもある。そこで終わるプレイヤーもいると攻略ページにも書いていた。
私も何度もくじけかけた。
そのときだ。
「好きなように気楽にすればいい。俺は去る者を追いはしない」
ただのゲームのセリフだ。
なのに私は彼が寂しそうに見えて、絶対クリアしようと心に決めて頑張って乗り越えた。
どうにか条件をクリアした後に彼の腰に響くような素晴らしいバリトンボイスで、「よくがんばったな」初めて見せてくれた笑顔に胸がはじけた。
ああ、この人のこと好きだな。そう思った。
でもやはり彼との友好度を上げるのはよいしょがいった。
……あと実はこのゲームは恋愛要素も発生する。攻略対象者は絞られるけれども。
男女問わずパートナーを選ぶことができ、結婚して、なんと子を設けることもできてしまう。
同性パートナーでも必要なアイテムさえ用意できれば子ができてしまう摩訶不思議設定だ。
私は村人全員の友好度が最大値なので、告白に必要なアイテムさえ渡してしまえば恋人モードに突入できる状態だった。でも今まで私は誰とも恋愛モードには入っていない。
まぁリアルの仕事が忙しくてそこまでの甘さを楽しむ余裕がなかったとも言える。
……もし恋愛モードになるならカナンさんがいいと思っているけれど、彼の場合はシビアで下手すると別離という道もあって、そうなるのが怖くて告白なんてできなかった。
いや、他の攻略対象者の攻略ページとか見てるとすごくちょろそうに見えるのに、この人だけやたらとハードルが高いんだって。
そんなわけで、きっと彼に振られたら二度とこのゲームを立ち上げることもできない、そう思った私は誰とも恋人関係にならないままやりこみ要素を楽しんでいる。
一応嫌われてはいないとは思う。
友好度が最大値になると、攻略対象者からはそれっぽい言葉が端々ににじんだセリフを投げかけられるし。
しかし今一歩踏み出せないのは、ゲームの中で彼らはプレイヤーのアバターが流れてくる前から生活を営んでいて、それぞれの思考を持って動いていた設定があるので、村人の中で恋人関係だったり、誰かに対し恋心を抱いていたりしているのが垣間見えるから。
そういうのを新参者がかき乱すの、いやだと思ったんだよね。
カナンさんもそう。
今の彼はフリーだけど、プレイヤーが流れてくる前まで薬師の師匠であるエイラさんと付き合っていたという話が人づてに聞ける。
今はもうきれいさっぱり別れてさばさばしているけれど、二人の会話は何となく慣れ親しんだものがにじむときがあって、二人のイベントがあったりすると胸が苦しくなることもあった。
ちゃんと二人とも思いあってたんだな、もしかしたら何かのきっかけでまた再燃したりするのかな、そう思うと怖くてカナンさんに想いを伝えることができない。
カナンさんに紅茶のおかわりを注いで、私も自分の手に包んだカップの紅茶の香りを楽しんでいると
「―――明日の夜……」
カナンさんの手が私の頭に伸びてきた。
ゆっくりと長くてきれいな指で私の髪を梳きながら
「明日の夜、流星群があるんだ」
彼が私の目を見ながら言った。「ともに見ないか?」
エルフは星見にも長けているという。
うれしいお誘いだ。
私は頷いた。
でも同時に不安もよぎる。
明日、目が覚めても私はこの世界にいるだろうか?
確証がない今、不安でもあるけれど彼と過ごす時間のチャンスは逃したくない。
恋愛モードに突入する勇気はないけれど、彼のそばにいたい。
「暗い時間に君を外歩きさせたくない。夕方暗くなる前にはうちにおいで。夕飯も一緒に食べよう」
彼はとろけるような甘い笑顔で私に言った。
……なんか恋愛モードじゃないはずなのに、すごく甘い気がするのは気のせいですか?
「もらうばかりは悪いので、私も何か料理をお持ちしますね。何か食べたいものってありますか?」
私が問うと彼はくすりと笑った。
「君の作ってくれるものであればどんなものでも歓迎だよ」
彼は私にハグをして頭に一つキスをすると、もう帰るね、と席を立った。
私は保存棚からジャムの便を一つ取り出し、彼に渡す。
「さっきのスコーンにつけたジャムです。よかったら食べてください」
私が言うと彼は破顔して「ありがとう」そう嬉しそうに帰っていった。