第72話 いかなくちゃ 私が始めた賭けだ
目の前には、一匹のコウモリがふわふわと浮かんでいた。黒曜石のような小さな瞳で、こちらをじっと見つめている。確か、エムエルの使い魔で「キュッキュッー」と鳴くだけの奴だった気がするが。
「実は前からしゃべれたんだけどさ。身の安全のためには、喋れない使い魔のフリをしていた方が都合が良かったんだよ」
「そうだったんですか。じゃあ、気が付かないだけで、かれこれ一緒にいたんですね」
オリタナさんは、オレが転生した直後、気が付けばコウモリの姿になっていたらしい。魔王のパワハラからも解放されたし、のんびりするかと、しばらくは世界を優雅に飛び回って観光を楽しんでいたが、やっぱりエムエルのことが気になって、結局魔界に帰還。ちゃっかり、エムエルの使い魔になって現在に至るということだ。
「でね。コウモリも悪くないのさ。女子って、ペットにはやたらとスキンシップとってくるだろ? だから、毎晩、あのバインバインな胸にムギュッとされて、至福の眠りにつくわけさ!」
「はぁ。それは結構なことで」
鼻の下を伸ばして、目を充血させるオリタナさん。エッチなコウモリとは、なかなかレアだな。
「それで聞いていたかと思うんですが、見てのとおり、オレ死んじゃったみたいです。お返しする体も失ってしまって、何とお詫びしたらいいか……」
「いいよ、いいよ! どのみち、元の姿に戻るつもりなんてなかったからね」
「えっ⁉」
オレは目を丸くする。少し離れた場所で様子を伺っていたフロラが、そっと歩み寄ってきた。
「あの、オリタナさん。肉体のことは私が何とかします。この度は、ゴッドエラーのせいでご不便をおかけしてしまい――」
「イヤイヤイヤ! 滅相も無い! 今、タナトスに戻ったら、地獄ですよ、マジで!!」
「まぁ、言わんとすることは分かりますが……」
2人で納得しているように頷き合っているが、オレにはてんで話が見えないぞ。
「良く分かんないけど、エムエルもオリタナさんが元に戻ったら喜びますよ」
「案外、そうとは限らないんだなコレが。ていうか、他の問題が大き過ぎるんだよ!」
「他の問題?」
「まーまー、お兄さん。百聞は一見に如かずよ。現場のライブ映像見てみましょう」
ステラはそう言うと、またひょいひょいと虚空に絵筆を走らせる。そこに映し出されたのは、住み慣れたタナトス城のリビング。お馴染みの愉快な仲間達が会話する様子が映し出されているが、ちっとも愉快な雰囲気ではない。むしろ、一触即発、全員殺気立っていた。
「エムエル!! 適当なこと言ってると承知しないよ!」
メグミーヌが悲鳴に近い怒号を上げる。彼女の指先は、白くなるほど強くエムエルの胸ぐらを掴み、その双眸は怒りと動揺の狭間で揺れていた。
「こんな笑えない冗談、言う訳ないでしょ!! 何度も、何度も探っているわ。でも、タナトスの魔力が、どこにも……欠片も感じられないのよ!」
メグミーヌに乱暴に揺さぶられながらも、エムエルは真っ直ぐに彼女を睨み返す。その目には、今にも溢れそうな涙がにじんでいた。
「そ、そんな! 社長……」
震える声をこぼしたエミリールは、壊れた首振り人形のように、オロオロと2人の様子を見守るばかり。彼女の腕には、オレ愛用の鹿マスクが抱かれていた。そうか、主を失って、鹿マスクだけが転移晶で城へ帰還したんだな。
「大体、メグミーヌがスイーツバイキングの出店計画でタナトスの話を聞いてあげないから、こんなことになったのよ!」
「グッ! そういうあなただって、パティシエとして腕を振るうのが小さい頃の夢だったって、最近はキッチンにこもりっきりだったじゃない!」
ガルルッと狂犬の如く睨み合うメグミーヌVSエムエル。今にもノーガードで殴り合いそうな2人に、エミリールがポツリと呟いた。
「やめて……。社長がいない時にいがみ合うなんて、悲しいだけです……」
メグミーヌとエミリールはその言葉にハッとすると、肩を落としてうつむいた。重苦しい沈黙だけがその場の空気を支配する。
一連の様子を傍観していたオレは、いたたまれない気持ちになった。いつも、こいつらとおバカな会話を呑気に続けられていたのは、全員揃ってのことだったんだ。オレ1人欠けただけで、こんな殺伐とした空気に満ちてしまうなんて。
沈痛な面持ちを浮かべて下を向く3人に、サナエちゃんとデンキチさんが力強く声を掛けた。
「1000倍返しだべ! きっと、タナちゃんは魔王の卑劣な罠に嵌ったんだべさ。ひょっとしたら、魔力探知ができない牢獄に捕らえられて、無事かもしれないべ」
「チョウキョリロケットダンデ、ハジョウコウゲキスルジュンビハデキテイルゾ」
――すみません。卑劣な罠に嵌めようとしたのは、むしろオレです。恥ずかしながら、見事に返り討ちに合いましたけど。それとデンキチさん、どうせ、オレの残念ロケットのデータで、長距離ロケット弾製造したんでしょ。それ、違う国に飛んでいく未来が見えるので、使わない方がいいんじゃないかな。
しかし、2人の無責任な希望的観測が冷えきった心に火を点けたのか、メグミーヌは覚醒したように勢いよく顔を上げた。と思ったら、いきなり自分の頬を思いっきり、ぶん殴る。やめろよ! 勢いでズラが吹っ飛んだら大惨事だぞ。
そんなオレの心配も露知らず、赤く腫れ上がった頬を晒したメグミーヌの瞳には、狂気じみた闘志が灯っていた。
「そうよ! 私は何を日和ってたのよ、このうすらトンチキ! まだダーリンが死んだと決まったわけじゃない! 魔王を締め上げて、必ずこの手で救い出す!!」
「魔王様にはセクハラの恨みはあれど、さしたる恩はなし。もし、タナトスに手を出していたなら、絶対に許すわけにはいかない!!」
「エムエル。足手まといにならないでよ」
「誰にものを言ってるのよ!」
エムエルは、自らの覚悟を示すように、背中の白い翼を雄々しく広げた。それを見たメグミーヌはニヤリと微笑を浮かべると、彼女と固い握手を交わす。その瞬間、エミリールが両の拳を突き上げて絶叫した。
「戦じゃ、戦ー! 弔い合戦じゃー!!!!」
「ウォー!!!!」
鬨の声を上げる、タナトスファミリーの面々。
……あの、弔い合戦って、オレが死んだこと前提になっていますけど。いや事実、死んでるから正解っちゃあ、正解なんだけど、そもそも開戦の理由が事実誤認だから――って、もう、ややこしいな! とにかく、こいつら止めないと。
「ヤバいヤバい! これ、ほっといたら戦争になりますよ。オリタナさん、早く元に戻ってください!」
「ムリムリムリ! エムエルはともかく、他のバーサーカーどもの手綱を握るなんて無理ー!!」
「あぁ、それはまぁ――」
確かに、このクセ強メンバーをオリタナさんに押し付けるのはバツゲームだよな。それなら、コウモリのままで、エムエルにヨシヨシされてた方がよっぽど幸せと思うのも無理はない。かといって、このまま放置すれば、せっかく平和に目覚めた魔王に、愉快な仲間達が総攻撃を仕掛ける羽目になる。ちょっと怖いもの見たさな好奇心も沸くけど、多分世界が割れことになるだろう。思いっきり物理で。とはいえ、死んじゃったオレに出来ることなんて……。どうにもならないもどかしさを抱えて悩むオレに、フロラが静かに語り掛けた。
「あの、タナトスさんさえ良ければ、1つ方法があるのですが……」
「どっちのタナトスさんか分かりませんが、聞きましょう」
オレはフロラに話の続きを促した。彼女は胸の前で指を組むと、一拍置いてこう告げた。
「ニュータナトスさんに再転生の権利を放棄してもらう代償に、この世界で復活してもらうのです」
「うん! それでいこう!! めでたし、めでたし!」
「ちょちょっ! オリタナさん、勝手に話決めないでください!」
オレは慌てて、話を遮る。オリタナさん、自分が関係ないと分かったら、判断が早いな。鱗滝さんもびっくりだ。オレはフロラに確認する。
「えーと、そうなると、この世界でずーっと悪魔?」
「当面はそうなりますね。善行ポイントはいったん消化されますから。でも、振り出しに戻るだけです。またコツコツ善行積めば、いつか、再転生のチャンスは巡ってきますよ」
むぅ、素敵な再転生は次回に持ち越しか。とはいえ、選択の余地は無さそうだ。マッチポンプとはいえ、ある意味世界を救えるのは、現状オレしかいないみたいだからな。
「――フロラ様。復活をお願いします」
「いいんですね」
「身から出た錆ですからね。大人なんで、自分のケツくらいは自分で拭きます。それに、この世界もなかなか楽しいですから。フロラ様もいますしね」
「もう! タナトスさんったら!」
フロラらが右手を上下に振りながら、ほっぺを赤くして照れる。この尊い笑顔を見られただけで、この選択に間違いはないと思えた。
やがて、フロラはニヤけ顔を真顔に戻すと、瞳を閉じる。祈りを捧げるように両手を組んだ彼女から、眩い黄金色のオーラが立ち上がり、みるみる光度を上げてゆく。ついには、目が開けていられなくなるほど輝きを増して、文字通り光の女神と化したフロラは、破顔一笑してこう言った。
「私も、タナトスさんがこの世界に残ってくれて嬉しいです! では、また会いましょう。いってらしゃい!!」
視界が完全に光の海へと溶け、愛らしい女神の輪郭も白い輝きの中に消えていく。
背中を優しく押されるような温もりを感じながら、オレは再び、意識を失った。




