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カミサマの力

(この人は何を言っているのだろう……)


 怪しい少年にシルフェリアは黙った。少年は放心した自分に向かって手をふる。


「大丈夫? 意識ある? ちょっと突拍子もなかったかな?」


 クスクス笑いながら、少年は赤い液体が入ったフラスコと、黒い液体が入ったフラスコをぽんっと手のひらに出した。まるで奇術でも見ているようだ。彼の手のひらの上で二つのフラスコが、ふよふよ浮いている。


「この二つは……そうだなぁ。君たちの言葉を借りるなら〝賢者の石〟かな?」


 賢者の石、と聞いてシルフェリアは目を見張った。


 それは〝願いを叶える夢の霊薬〟といわれているものだ。科学と魔術の理念をまじりあわせ、古代から錬金術師たちが作ろうとしていたもの。


 賢者の石を使うと、不老不死になったり、空を飛べるようになったりするらしいが、実物を見たことはない。


 この国でもその存在は伝説の中しかなかった。


 初代赤の王の妻が錬金術師で、巨大ヒトカゲに対抗するために瀕死の状態でも飲めば回復する万病薬(エリキサ)を作ったという逸話があるが、それが賢者の石ではないかといわれている。


(でも……賢者の石の色は赤だったはず)


 鞭が怖くて必死で学んだ錬金術のことを思い出す。黒色は未完成の色だったはず。ということは、片方は違うのだろうか。そう思っていると、少年は見透かしたように説明をする。


「君が分かるように言っただけ。まぁ、こっちの赤の方がそれっぽい色をしているよね。でも、どっちも賢者の石だよ。用途が違うんだ。黒いのは、君に力を与えるもの。これを飲めば君にとって都合がよいことがどんどん起こるよ。例えばね──」


 少年はシルフェリアにこっそり耳打ちする。びくっと体が大きく跳ねた。


「ね。そうなったら君は最高に幸せになれるよ。一人、取り残されることはない」


 それは自分にとって甘美な言葉だった。

 短く息をして全身に空気を送り込む。麻痺していた感覚は元に戻って赤い瞳が光を取り戻していく。


 しかし、そんなことが本当に叶うのだろうか。亡くなった赤の王子を記憶ごと復活させるなど──

 訝しげな視線を送ると、少年は口の端を持ち上げた。


「僕を疑うの? ま、そうだよね。ははは。じゃあ、自己紹介をしようか」


 少年は、芝居がかったしぐさで話し出した。


「僕はカミサマ。君たちが信仰する全知全能の神ではないよ。簡単にいうと、異世界から来た者だ」


 異世界? そんなものが存在するのだろうか。

 自分が知る世界は、人が住む地上の世界と、神と使徒が住む天上の世界の二つだ。

 人の世界は、試練が続く苦難の世界。苦行に耐えたものほど、魂は神に近づき天上の世界で幸せに暮らせるという。


(異世界って、天上とは違う世界なの?)


 カミサマと言った少年は、疑問を見透かして話し出す。


「そうだね。君たちの価値観では世界は二つに分かれている。でもね。人ならざるもの──精霊や、巨大ヒトカゲがこの地に降り立つように。理解を越えた生き物が産み出される異界が存在するんだよ」


 納得したようなできないような。理解が追いつかない。


「ま、そんなことはどうでもいいよ。要は君次第だ」


 黒い瞳が自分の瞳を覗き込む。


「ここで死んで悲劇の姫になるか、それとも願いを叶える魔女になるか」

「ま、じょ……」

「そうだよ。人ならざる者になるから、魔女だね。ははっ。魔女になって、復讐してやるといい。君の愛するものを踏みにじった連中に死と腐敗を与えてやれ」


 カミサマの話は荒唐無稽だが、自分の何かを突き動かした。


 あの人を失い、ハンナを失い、描いた幸せも、希望も、秘めた悦楽も根こそぎ奪われ、狂うしかなかった。


 墜ちるならどこまでも。

 ここは冥界の入り口だ。



 無数の剣が刺さった背中に視線を流す。相手は彼を深く恨んでいたのだろう。そうでなければ、これほど執拗に剣が刺さるわけがない。


 剣の隙間から、固まった血と褐色が見える。


 シルフェリアはその肌に唇を寄せる。舌先の敏感なところが、彼の肌を記憶するように動いた。


(これがわたくしとお兄様の初夜……)


 純潔は彼に。

 自分は彼の妻になって死んだ。


 シルフェリアは顔をあげ、赤い瞳を業火のように輝かせた。カミサマはにたりと笑う。


「──いいね。じゃあ、始めようか」


 カミサマは赤い液体の使い方を説明して、次に黒い液体が入ったフラスコを渡す。


 底が丸いフラスコを両手で受けとり中を覗くと、黒いイキモノが(うごめ)いていた。にっ、と口があらわれイキモノが笑う。


 これが全身をはい巡るのだろうか。怖い……と、思ったのは一瞬で、シルフェリアは黒いイキモノを一気に喉に流し込んだ。


 苦いものにむせそうになりながら飲みきったが、吐き気がきて口を両手でおさえる。


 出すまいと足掻くシルフェリアに、カミサマがパチパチと両手を叩く。


「おめでとう。これで君は人ではなくなった」


 カミサマは腰を折って、シルフェリアに囁く。


「君の願いは叶えられるよ。叶うまで死ねない体にしたからね」


 カミサマは次に赤い液体が入ったフラスコをシルフェリアの心臓の辺りに深く沈めた。黒い渦を描きながら、フラスコが体に飲み込まれていく。痛みはなかった。


 呆気にとられていると、カミサマの体が空気にとけ、声だけが残った。


「ほら、奴がくるよ。願いの為にいくといい」


 顔をあげると誰かがきた。恐らく青の騎士たちだろう。その中の一人が自分を見て、足を止める。


 次の瞬間、男は屍の山をかけ上がってきた。倒れる寸前で彼が体を支える。見上げると、兜の覗き穴から困惑した青い瞳が見えた。


『赤毛の姫……? 姫は死んだと報告があったが……やはり生きていたのか……?』


 不意に彼の考えていることが、頭に流れてきた。まるで彼視点の物語を読んでいるような奇妙な感覚。


(これは……賢者の石の力なのかしら……?)


 不思議に思っている間に男はシルフェリアを抱きかかえて、その場を立ち上がる。彼の胸に頭を預けると、血の嫌な匂いがした。血が、知らない記憶を教えてくれる。


(……そう。あなたがお兄様を殺したの……)


 心が彼の死と腐敗を願うきもちで満ちていく。


 彼は足を負傷しているのか引きずりながら歩いていた。


 傷が教えてくれる。

 その傷はあの人がつけたもの。最後の最後まで赤の王子は足掻き、彼の足を離さなかった。


 死んでも離さなかった。


 復讐の業火に身を焼きながら、心臓の辺りに手を置く。


 どくんと、心臓が答えるように脈打った。




 ***


 シルフェリアが連れてこられたのは、〝青の騎士〟が集まる館だった。


 男はシルフェリアを近くのソファに座らせると館の者に自分を看るようにいう。近づいてきた医者は憎々しげに自分を見たが、手当てをしてくれた。


「この手のひらの傷は痕が残るでしょう……」


 医師に淡々と告げられ、手に巻かれた布を見る。衛生的とはいえないぼろ布だった。


(傷が残るのならいいわ……無力さを忘れずにすむ)


 あの人に刺さった剣を抜こうとした時にできた傷。やるせなさがこみ上げていると、忙しない足音が聞こえた。


「ハンス様! 赤毛の姫を連れてきたとはまことですか!!」


 白い長い髭をたくわえた老騎士だった。ハンスと呼ばれた男は兜を脱いで、片手に持つ。素顔を晒した彼は精悍な面立ちの青年だった。意志の強そうな青い瞳に、濃紺の髪。赤毛、赤い瞳のシルフェリアと並ぶと対照的な色だ。


 ハンスは老騎士に向きあって、低く硬質な声を出した。


「……この方は赤の王宮に囚われていた姫だ……」


 シルフェリアは首をかしげる。確かに自分は姫ではあるが、囚われていたというのは違う気がする。


 困惑して黙ったままでいると、ハンスは同情的な眼差しを向けてきた。


「赤の王子と結婚し、赤目の子を産むように虐げられた姫だ。おかわいそうに……」


 場が静まり返る。

 憎々しげに自分を見ていた周りの視線が憐憫に変わる。


 手のひらを返した視線が気持ちが悪い。吐き気がする。

 何を知って、何をもって、自分をそんな目でみるのか。


 怒りがふつふつと沸き上がってきたが、ぐっと耐えた。


(そっちがその気なら、利用するまでよ……)


 シルフェリアは両手を胸の前で組んで首をふった。


「……いいえ。いいえ。わたくしは罪深き赤の一族でございます。女の身とはいえ、王を諌められなかった罪は大きいでしょう。どうか、その剣で打ち首にしてくださいませ」


 頭を差し出すと、ハンスが目の前で膝をつく。


「そんなことはできません。狂王は赤毛ではない子供は切り捨てたと聞きます。あなたもさぞかし怖い思いをされたのではないでしょうか」


 ハンスの言葉は心を素通りした。


(この人は可哀想な姫を助ける勇敢な騎士のつもりなのかしら……)


 笑える話だ。

 見えないところで唇をひきつらせていると、彼が自分の手を両手でくるみこんだ。


「姫……あなたは赤の王の恐怖に震えていただけです。そんなあなたを誰が責められましょうか」


 彼の青い瞳が底知れない深い輝きを放ち出す。


 ──この人を守らなければ。私の全てをかけて守りたい。


 流れ込んでくる情愛に反吐がでる。彼は自分に一目惚れでもしたのか。


 肌が(あわ)立ったが、シルフェリアは首をふる。


「お優しい青の騎士様……その言葉だけで充分ですわ……さぁ、その剣を抜いて赤の一族に終焉を」


 思いとは裏腹に勝手に雫が頬を伝う。

 彼が帯刀していた剣に触れようとすると、手を捻りあげられた。


「姫!」

「離して! あなた方は赤の滅びを望んだ! ならば、わたくしも地獄の底に落としなさい!」


 半狂乱で叫ぶと、逞しい体で包み込まれた。知らない男の体温が悔しくて涙が次々と流れる。


 シルフェリアはあの人と一緒に死んだはずなのに……なぜ、涙が流れるのだろう。


 きっと。自分はまだ魔女になりきれていない。


 だから、涙なんて流れるのだ。


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