偽りの夜
ハンスの胸に抱かれていると、二人の男女が部屋に入ってきた。
一人は壮年の男性で、一人は異様に可愛らしい女性だった。
「あらぁ、その子は……」
女性が片方の眉を上げて近づいてくる。ハンスは抱きしめていた手をゆるめ、自分を庇うように前に立った。
「母上……」
「ねぇ、ハンス。その子、赤毛のお姫様でしょ? 狂王の血を引くものを庇ってどういうつもり?」
女性が顔をしかめる。
「彼女は我々と同じく赤の王に抑圧された方です。それなのに……彼女は赤毛であることを悔いて私に首を差し出してきたのです! 彼女に罪はありません! これ以上、彼女を追い詰めることは言わないでください!」
己の正義をふりかざすハンスに女性は顔をひきつらせた。
「そのぐらいにしておきなさい」
「あなた……」
壮年の男性が女性の肩に手をおく。あなた、ということはこの人はハンスの父親か。
「シルフェリア姫ですね」
壮年の男性は腰を屈めて自分と目線を合わせてきた。
「私の名前はブラントと言います。妻のオンディーヌの言葉を許してやってください」
この男がリーダーだろうか。殺意が心に満ちて黒い力がぞわぞわ巡る気がしたが、シルフェリアは儚げな顔を取り繕う。
「いいえ。オンディーヌ様の怒りも当然ですわ」
弱々しくいうと、ハンスが心配そうに自分の手をとる。
「父上。姫をここに置くことを許してください」
ブラントの瞳が厳しいものに変わる。ハンスは負けじと見返した。
「いいよ」
ブラントは穏やかな声を出して離れていった。不満げなオンディーヌの隣にたつ。
「あなた……」
「大丈夫だよ。君の力があれば、我々は無敵だ。それにあんなに男の顔をしたハンスを私は見たことがないからね」
軽快に笑ったブラントに、ハンスは嫌そうな顔をする。
「さぁ、気を取り直して宴を始めよう。我々の完全勝利だ。美酒に酔いしれようじゃないか」
ブラントの一言に、緊迫していた周りの顔がゆるむ。
ざわめきが戻り、飲めや歌えやの無礼講が始まった。
「俺は自由になった!」
「ざまぁみろ、赤の王! 地獄の悪鬼に食われて魂ごと滅びてしまえ!」
エールを頭から浴びながら男たちが騒ぎだす。濡れた男はシャツを脱ぎ捨て、笑いながら殴りあいまで始めた。
あまりのお祭り騒ぎに言葉を失っていると、盛大な笑い声が聞こえた。
「わっはっはっは! 本当にオンディーヌ様の〝透明の波〟は奇跡の力ですな」
酔っ払った老騎士がオンディーヌに話しかけていた。
「まぁね。わたしの力があれば人の子なんて一捻りよ」
「さすが、精霊様ですな」
彼女は人ならざるものだったのか。秘密を知りたくなり、隣にいたハンスにおずおずと尋ねる。
「オンディーヌ様はすごい方なのですね……」
ハンスは頬をかいて笑う。
「母は元々、水界に住む水の精霊だったのですよ。父に一目惚れして、地上にきたそうです」
「そうだったの……ですね。あの……透明の波と、聞こえたのですが」
「あぁ。あれは呪いの一種ですよ」
あっけらかんと言われて、シルフェリアは薄く口を開く。
「透明の波に触れたものは、眠ると死ぬ呪いにかかるのです。正確には、意識して呼吸をしなければならないのです」
首をかしげると、ハンスは優しく微笑む。
「我々は寝ているとき、無意識に呼吸をしていますね? だけど、透明の波に触れた者は意識しないと呼吸ができなくなります。眠ると意識は途切れるので、無呼吸症候群に陥って死に至ります」
「そう……なのですか……」
返事をするのがやっとだった。眠れることが許されず戦ったあの人の苦しみが心に流れ、うまく呼吸ができない。
「赤の王とて人です。眠らずにいられないでしょう。サラマンダーの鎧に打ち勝つ方法は他にありませんでした」
シルフェリアは奥歯を噛み締めた。笑顔を張り付けて、再び問いかける。
「それではオンディーヌ様に敵うものはいないですわね。精霊なら人より寿命が長いでしょうし……」
「そうですね……あぁ、でも……」
ハンスが苦笑いをする。
「母は恋の制約が多いんです。母は父に出会う前に人の男に騙されましてね。水界の王に叱られたそうです。それから、恋した相手が浮気をすると、相手を殺さなければならなかったり、水の近くで罵られると水界に戻らないといけないそうですよ」
ハンスは肩をすくめて前を見る。視線の先を追うと、オンディーヌがブラントに抱きつきキスをしていた。ブラントは照れながらも彼女の腰に手を回す。あまりにも奔放な彼女の行動に開いた口が塞がらない。
「あの通り。二人は恥ずかしいくらい愛し合っているので、心配ないと思いますが」
ハンスが黙ると、辺りは異様な空気が漂いだす。二人に煽られて男たちが女を囲いだしていた。あまりの光景に目をそらす。
(……まるでケダモノだわ……)
厳粛に育てられた自分には理解しがたい行動だ。吐き気がしそうで、指先が震えて氷のように冷たくなった。
「姫……顔色がすぐれないようですが……」
心配そうな顔をされたが、彼の指先から耳を塞ぎたくなる情熱が流れてくる。おかしくて笑いだしそうだ。
(そう……わたくしの婚約者も家族も殺しておいて、あなたはわたくしと家族になりたいの……)
失くしたものを補填しようとでもいうのか。人は遊具のように代わりのきくものではないのに。
ハンスの青い瞳を見つめる。眩しいほどまっすぐで、己の正義に燃えた瞳だ。あの人の悲しみを称えた瞳とは違う色。
(シルフェリアは死んだ。わたくしは魔女……)
焦がれた視線を送ると、彼は首をふる。
「……っ。姫。いけません。このような場所で……」
「なら、どこでなら?」
ハンスの喉仏が大きく上下に動いた。
身を引きちぎられそうな嫌悪感はあったが、のまれまいと背筋を伸ばす。
沈黙の後、ハンスは自分の手をとり、ぐいぐいと引っ張った。掴まれた手が痛い。そのまま部屋を後にした。
──バタン!
別室の扉を開くと、ハンスは部屋の前で立ち止まった。欲と恐れが入り交じった青い瞳で射ぬかれる。
「姫……部屋に入ったら本当にご覚悟を。今宵、私はあなたを妻にします」
覚悟を突きつけられ、心が揺れてしまった。死んだはずのシルフェリアが泣き叫んでいる。
(大丈夫よ……)
慰めるように心で呟いて、震える指先を彼に差し出した。
──バタン。
彼に抱きすくめられ扉が閉まる。薄明かりの部屋でみるハンスの青い瞳は仄暗くなっていた。
「……ずっと、あなたが欲しかった……」
突然の告白にシルフェリアは目を見開く。彼は自分の髪の毛を何度も手ですくって、自嘲の笑みをもらす。
「あなたは月に一度だけ、王城から民衆に向けて手を振っていましたね。その時に、私もあなたに手を振っていたのですよ? あなたから見たら私など民衆の一人で、存在など気づきもしなかったでしょうけど」
それは幸せだったときの話だ。権力の象徴を配下に見せるため、赤の王子と揃って民衆に顔をみせた。
あの人の隣にいることが誇らしくて、満たされた気持ちで手をふった。
幸せでとろけた顔をしていたと思う。それを目の前の男は見ていた。
(お兄様への気持ちをこの人は知っていた……?)
ハンスが自分のドレスの紐を解いていく。シルフェリアは薄く口を開いたまま動けずにいた。
ドレスが足に絡まりながら滑り落ちたとき、ようやく理解した。
(この人は最初からわたくしを……欲して……)
だから、赤の王子は執拗に剣を刺されていたのか。
ぞわりと冷たいものが背筋を這い上がった。ハンスは目を細め、自分の頬に手を添える。反射的に顔をそらす。顎をとらえられ、無理やり目が合う。
「──ご覚悟を……と、私は言いました」
選んだのはあなた──と、責めるように唇を奪われた。知らない、慣れたくない感触がした。
初な体は、血塗られた手によって開かれた。
ハンスは女性の扱いに慣れていた。流れそうになるが、心だけは奪わせまいと枕に顔を押し付けて声を殺した。
彼の侵入を許すのもすべてはあの人のため。彼には種馬になってもらうだけだ。
カミサマは言った。
『──魂ってものは、巡るものなんだよ。一度、天に昇っても再び地に落ちてくる。落ちてくる条件がね、同じ容姿──体が見つかったらなんだ』
カミサマは指を上に向けた後、再び下に向けた。
『君がここで死ねば赤毛の一族は絶える。だけど、君が生き残り子を成せば、赤毛の一族は続くだろう。君の愛しい人が再び地におりる条件が作り上げられるよ』
にたりとカミサマは笑う。
『君の愛しい人の器ができたら、赤の液体を飲ませるんだ。これは、君との思い出がつまった赤の王子の記憶。飲ませれば、君を思い出す。
ボクらの言葉を使うなら、前世の記憶を思い出すってことなんだ。
まぁ、記憶を与えたら、ちょっと混乱すると思うけど……大丈夫だよ。くくっ。元はひとつの魂だったんだ。前世と今の人格は、問題なくひとつにまとまるよ』
カミサマは悪魔のように笑った。
『理屈は理解しなくていい。大事なのは君がどうしたいかだ。ねぇ、彼に────でしょ? なら、迷う必要ないんじゃない?』
「────────……!」
口から呼べないあの人の名前がでる。女の声で被せて、ハンスから隠した。
欲しいのは、種だけ。
その種が芽吹いて、あの人の体を作る日を夢見ている。
誰に理解されなくてもいい。
自分はヒトを捨てた。
狂った魔女なのだ。
「ぐっ……がっ…………」
夜遅くシルフェリアはバルコニーに駆け込み、嘔吐していた。
好きでもない男に体を暴かれた気持ち悪さが吐き気となっていた。
いくら大丈夫だと気を張っていても、心が追いつかない。胃を空にすると、口元を乱暴にぬぐった。こんな野蛮なしぐさ、前の自分ならしなかった。
(わたくしは魔女になってやるのよ……)
心の中で泣いている小さなシルフェリアから目をそらして、ハンスが眠る部屋に戻った。




