東浩紀(2001)『動物化するポストモダン』、講談社現代新書
『3.キャラクターを学ぶ。』その一。
前の章では基本のプロットにふれて、それで結局、分からない事が増えたのでした。一歩ずつ進むしかないですなあ……とりあえず、あれです。小説をこのように定義したことを覚えてらっしゃるでしょうか。
『登場人物がいて、なんらかの出来事がある。それが文章で綴られる』
物語で大事なのは一に登場人物、二に出来事。そしてそれが文章で表される。そう書きました。登場人物が出来事に先立ちます。
自分の好みで先に『出来事』の方を扱いましたが、でも実際には、登場人物がいないと物語がはじまりませんね。
そして登場人物が魅力的なら、『基本プロット』なんてなくても物語は魅力的になります。
例えば……
後々の章(たぶん五章。たぶん……)で、『アニメの物語を四つに分類する』ってのを試すつもりです。
タイトル通り、アニメの物語を大まかに四つに分けます。その章だけは自論展開に走るので、興味のある方はいないと思います。でも書くんですが。
それで、アニメ物語私的類型四天王の一角。それがいわゆる『サザエさん方式』あるいは『日常系』って呼ばれるアニメ。
このアニメは、プロット至上主義者からすれば物語として不合格です。
劇場版でもない限り日常を揺るがす大事件はない。キャラクターの成長もあんまり描かれない。時間の流れは無いかゆっくりか。使い古された世界観の中で予定調和の生活を続けることに意義が見出される。
そして大事なのは、現実にはそんな物語も受け入れられている。ずぅっっっと売れ続けている。
サザエさんドラえもんちびまる子ちゃんクレヨンしんちゃん忍たま乱太郎おじゃる丸(おじゃる丸もうやってないんでしたっけ?)のような子供向け国民的アニメだけじゃなく、らきすたけいおん銀玉日常回あと最近はなんだ。わからん。とにかくそんなオタク向け作品があります。
大きな事件のない物語も愛され続けている。
それも子どもにだけではなく、それなりにいい年の青少年や大人にも。特にオタク気質のある人に。
なぜか。
オタクはキャラクター愛が強いのです。
オタクはキャラ萌えします。キャラクターで妄想するしファンアートとか描きます。
オタクはキャラクターと原作ストーリーをちょっとだけ切り離して、原作にないストーリーを与えたりします(二次創作)。それは多くの場合、キャラクター間の関係性つまりはカップリングという形で現れます。
こんなことを日常的にするのはオタクくらいです。
オタクに向けて小説を書く際はキャラクターがだいじ。そして『なろう』なんかを積極的に読むのは……ってなんでもないです。
『ラノベも文学もキャラクター小説である』って言ったのは、批評家の大塚英志さん……というかこんな話の流れ、自分は最近読みましたよ。まさになろうで。
こちらで↓
なまこ教授の世界観構築概論
1講:世界観の重要度
https://ncode.syosetu.com/n1545fz/2/
へいへいなんだかかぶってるー!しかも自分は後追い下位互換!
……いや、かぶるのはたぶんここまでですが。
とにかく。
魅力的なキャラクターってのはだいじみたいです。
じゃあどーやって魅力的なキャラクターは生み出されるのか。
……聞きたいのはこっちの方です。こちとら初心者作家ですからね。どなたかご存知ないですかね!その技法!
『キャラクター小説のつくりかた』なんて上から目線のエッセイ、自分には書けるはずもないです。
代わりにここでは、
『プロもアマも、大な入り小なりこーやってキャラクターを構想しているはずだ』
っていうようなことを書いていきます。自論展開はできるだけ避けます。できるだけ。それはこのエッセイ全体に言えることです。初心者作家の自論なんて誰も聞きたくはないですからね。
このエッセイでは、テーマに合った『名著』と呼ばれる本から必要な部分を要約してちょっと自分がコメントしてみる、ってやり方でいきます。そのうち例外も出てきますが。
ここで取り上げるのは、東浩紀さんの『動物化するポストモダン』という本。出版は2001年。二十年近く前。
自分が真面目にアニメを見ていた頃、7、8年くらい前まで、この本はアニメ批評界では超名著扱いでした。あちこちで引用されてました。
最近のアニメオタクさんはどんな本を読んでらっしゃるのでしょうか……(謎)。
そんなわけで、さいしんのぎろん、とはいえないですが、この本に書かれていることが現在まったく通用しないなんてことはありません。それに自分が普段読む本に比べれば、この本はかなり新しい部類です。
自分のほうでもこっちの分野での知識のアップデートはまったくしていないのですが、この章では『動物化するポストモダン』の第二章『データベース的動物』からアイデアをお借りしてキャラクターの作られ方を勉強していきます。自分が。
……今回はただの長い導入部でした。ないようなんてないよう。
いちおう、予告として?結論を先に書くとですね、だいたい以下のようなかんじです。
◇◇◇◇
タネ本によれば、
キャラクターとは既に存在する萌え要素の組み合わせです。
アホ毛猫耳メイド服「にょ」語尾目からビーム、賢者勇者スライム貴族令嬢、孤独属性元気属性、不治の病に同性愛、といった『萌え要素』を作家さんが採用することで『それっぽい』キャラクターが誕生、量産されます。
……これが大雑把な本の内容です。たぶん多くの方はそうやってキャラクターを作ってらっしゃるのでは。
でもじっさい、それだけだと『それっぽいキャラ』止まり。
自分の小説にそれっぽいキャラを登場させたとしますね。一応読まれはしますが、『あーこのキャラ、あの有名キャラに似てるよね』と思われます。
自分の小説の感想欄にもそのように書かれたことがあります。へへ。自分は気にしてません。むしろ脳内変換してくださってちょーありがたい。
(でも、気に入らない作家さまもいらっしゃるかもしれない。自分もこの前感想として書いてしまいました。気に障っていたらすいません)
では鑑賞者からオリジナルと映るキャラクターとはなんなのか。
ニセモノとホンモノの『オーラ』またの名を『アウラ』の違いはどこから来るのか。
ちょっとだけ私見を述べさせていただくことになるのですが、そこでだいじな点は二つ。
一つ目は作家さんの技術です。技術ならがんばればきっと学べる。
そしてもう一つは……
笑わないで聞いてほしいのですが……
『笑っちまうかもしれないけど、多分それは愛だ』
つまり愛です。キャラクターとその属性への愛です。
『笑っちまうかもしれないけど、多分それは愛だ』
作者:村崎羯諦
https://ncode.syosetu.com/n4688fo/
まごうことなき名作。勝手に引用しました。怒られたらやめます。




