117 赤い灯火と水浸し
「暗いね」
七層の扉の先は照明の量が少なく、僅かな灯りがポツリと光源の周囲だけを照らし出していた。ゴーグルの『闇視』のおかげで見通すことに問題ないが、闇に紛れる魔物に対して精密射撃をしようとした場合などに困るのだった。
「足元濡れてるねー。ボク早くこの迷宮は終わりにしたいよ」
「何層まであったっけ?」
「十九層なの。まだ半分も来てないの」
「まだそんなのかー………」
「ん。まずは十層。そしたら転移で外に出れる」
ラウリーは無理やりにでもやる気を出させるつもりでルシアナの口に行動食を押し込んだのだが、ラウリー好みの激甘のお菓子であったために文句ばかりが吐き出された。
「ね、何かいる」
ラウリーが示した先には魔物の反応があるのだが、一見すると照明の魔石の光が赤く揺らめいている様子しか判らなかった。
正体が分からず双眼鏡を覗き込み子細に観察を行えば、光源は一つというわけでは無く、固まる様に複数の灯りが集まっていた。
「何だろ? なんか変な感じ」
「ん。照明の魔石ならあんなに一杯散らばってることは無い筈」
「あれ自体が魔物ってことは?」
「とりあえず魔法でも撃ってみる?」
「なら、射撃の準備もしておくの」
そして光源に向けてラウリーが『雷球』を放つと、着弾直前に光源が動き出したのだった。
「「「な!?」」」
パシュッ! カンッ! パシュッ!
『雷球』の光に照らし出されたのは、一匹の大きな緋爪蝙蝠で、体長一メートル程の細身の体に翼を広げた大きさは五メートル程ありそうだった。
続けて放たれた銃弾も、ひらりと躱して近付いて来る。
「蝙蝠だ!」
「ん! 拘束されし風の澱みよ………」
魔法を使おうとしたリアーネよりも早く接近して来た緋爪蝙蝠は赤く光る爪から炎の礫が放たれた。
「んにゃーっ!」
リアーネが思わず魔法を中断する程に沢山の炎の礫が迫って来たため、転がる様にして慌てて炎を躱すのだった。
「リーネっ!」
「っせーーいっ!」
振り返って近づこうとするラウリーよりも早く、レアーナの振り上げた棍の先端が緋爪蝙蝠を捉えるのが早く、その一撃で体勢を崩すことができたおかげでルシアナとロレットの射撃が中り、落とすことができたのだ。
「まだ、仕留めきって、ない、ねっ! トォーッ!」
走り込んで来たラウリーが短剣を振り落として、ようやく止めを刺したのだった。
「リーネ大丈夫?」
「ん。びっくりしたけど、何ともない」
耳を倒して心配そうにするラウリーに、転がった時に着いた砂を払いながらリアーナは答えた。
「ラーリ、さっきみたいな灯りを見つけたら教えてね」
「蝙蝠なんだし、正体が判ってたら対処も簡単だろうからね!」
「変な照明は蝙蝠だったの。覚えたから次からはもう大丈夫なの」
それから何度か緋爪蝙蝠を見つけたが、リアーネが遠くから『静寂』で包み込み射撃だけで仕留めて行くのだった。
そうして薄暗いまま八層への階段にたどり着いた。
「ずっと暗かったね」
「ん。蝙蝠ばっかりだった」
「他に何かいたっけ?」
「うちらの通ったとこにはいなかったねー」
「他のとこ廻れば別の魔物が居たかもしれないの」
八層に降り立ち扉を開けて少し進むと、ピチャリピチャリと足音を立てるため足元が濡れていることに気が付いた。
避けようもなくそのまま通路を進んで行けば、魔物が出て来るより先に変化に気付くのだった。
「むーー、深くなってきてないかな? リーネ、こっちでよかったの?」
「ん。こっちの方が近いのは確かだけど、失敗だったかも」
リアーネの選んだ最短経路は水浸しになっており、もう一つあった遠回りの経路の方が良かったのではないかと皆が思い浮かべたが、どちらにしても確証の無いこととしてどうすれば良いかと相談をする。
「えっと、やっぱりまずいの?」
「ん。音を立てるし、走るのに邪魔。後は滑りそう」
「それだけじゃ無いの!『雷光』とか使ったら自分まで痺れるかもしれないの!」
「あーっ! そっか。え? そうなの?」
「ルーナー……解ったのか解って無いのかどっちよー?」
理解していなさそうなルシアナの様子に皆は呆れるばかりであるが、通路の前方に見えて来た明るい広間の様子に立ち止まることになる。
見るからに水没していそうな広間には、スコップの様な幅の広い角を生やした水泥鹿が七頭佇んでいた。腹から下は水面に隠れて見ることはできず、見えている部分だけで高さが一メートルはありそうだった。
水面の揺らぎやゴーグルの示す反応から、他にも魔物が居ることは間違いないだろう。
「リーネ、このままじゃ進めない」
「ん。移動はリーネがするからこのまま進もう。その代わり攻撃はみんなに任せる。自由な風現れよ、力強き風は我が身を共に空へ運べ………『浮揚』」
「任されたよ!」
「この状況なら戦槌の方か良いかな」
「リーネの分まで銃撃するの!」
リアーネが魔法を操作して水面から三メートル近く浮き上がり広間へと侵入をしていく。
水泥鹿が水面に頭を沈めて何をしているのかと思えば水草を食べている様だった。
音もなく広間の中心まで来た時に、一頭の水泥鹿が沈めていた頭を持ち上げた拍子に五人と目が合い、ポツリポツリとしていた雫の垂れる音が聞こえなくなった後、思い出したように警戒の鳴き声を上げたのだ。
「わぁ、気付かれた! えっと、リーネ」
「ん。『雷球』お願い」
「わかった!」
「「「天を奔る猛き輝きよ、衝撃をもって弾けよ………『雷球』!」」」
リアーネの指示にラウリー、ルシアナ、ロレットの『雷球』三つが適度に離れて水に落ちた。
ババババババババリッ!!
水面に接触した『雷球』は弾ける様に雷を周囲にまき散らし、三つが干渉する様に広範囲を覆い尽くした。それによって水泥鹿も姿の見えない魔物も全てが影響を受け、ピクリピクリと痙攣していた。
「ん。お見事」
「さてと、止め射して行かないとね、リーネ」
そっと近付けられてから剣鉈で止めを刺して、二人掛かりで持ち上げてはロレットが『脱血』『浄化』と魔法を掛けて回収していく。
姿の見えなかった魔物もプカリと浮き上がり、水鼠であったことが判ったのだった。
「魔石が何個か沈んでるねー。どうする?」
「とりあえず、網で試してみれば良いんじゃないかな」
丸々素材として残った魔物以外は全て水没していたために網を差し込んでみても泥ばかりが引き上げられて、なかなか回収するには至らず水がすっかり濁ってしまっていた。
「むぅー………全然取れない。どうする?」
「あぁーー、いいんじゃない?」
「仕方ないの」
「だねー、時間ばっかり掛かって魔石何個かだもんねー」
「ん。じゃあ進むね」
リアーネの魔法によって浮かび上がったまま広間を越えて、通路を進み次の広間が見えてきた頃にようやく水浸しの一帯を抜けることができた様だった。
その後は水溜まりなども見かけることはあったが、先程の様な広間全体が水没しているようなことも無く、七層の様に薄暗い中で水蟻や泥蜥蜴などを狩っていった。
そうして九層への階段にたどり着き、扉の先の確認と野営の準備を始めるのだった。
読んでいただけた方が楽しいひと時を過ごすことができれば幸いです。