⑪FULL FORCE
〝帝是・闇血帝是・遭怖蔽弁〟
カウントダウン的なDO―KYOを聞き届けると、シロはSOTOBAのタイピンを「I」から「O」、「O」から「D」の目盛りへ一気に跳ね上げた。
〝怨幽阿魔阿苦終〟
〝出痛怒秘遺屠〟
二連続のDO―KYOをきっかけにして、走馬燈に蓄積されていた光が流動路に溢れ出ていく。目を開けているのも困難なほどの輝きが全身に行き渡ると、逆光でも浴びたようにシロの輪郭が途切れ途切れになった。特に流動路が背面にしかない足は、膝からつま先まで闇に呑まれている。
〝P・E・R・I・O・D〟
一つずつ読み上げる電子音声に合わせて、タイピンの目盛りに記された六文字が瞬く。最上段の「D」に行き着いた途端、白一色だった光は赤、橙、黄色、緑、青、紫を交えたローテに変化し、上から下へ下から上へと忙しく駆け巡り始めた。
〝秘離悪怒 伍拾参弐 烈痛業〟
SOTOBAが終わりを告げた瞬間、タニアの視界からシロが消える。入れ替わりに桜色の閃光が走り、コガネムシの懐に飛び込んだ。
「トォ!」
新体操選手のようにバク転し、シロはコガネムシの顎を蹴り上げる。流動路の光を使い、流麗な円を描いた一撃は、岩壁のような巨体を高々と打ち上げた。
間髪入れず足首の蕾から圧縮空気を噴射し、シロは鋭く地面を蹴る。瞬間、先端を桜色に輝かせる白煙が打ち上がり、空中のコガネムシを追う。圧縮空気の後押しを受けたシロは、瞬く間にただ浮遊するだけのコガネムシを追い抜いた。
尚もシロは天空へと突き進み、逃げ馬のようにコガネムシを突き放していく。程なく満月のど真ん中に辿り着くと、流動路の光によって描かれた縦線が、シームレスだった天球を真っ二つに断った。
強面の骸骨に恐れをなしたのか、薄雲のように漂っていた砂煙が月の側から離れていく。
輪郭の暈けていた満月がくっきりとした円を披露し、朧気に霞んでいた夜空が晴れ渡る。インディゴブルーのキャンパスに無数の星々が浮かび上がると、透明な光が大地を射貫いた。
「何だ、何だ、お前は何なんだあっ!?」
大空に嗄れた悲鳴を轟かせ、コガネムシは髑髏の仮面を凝視する。視線を追うように右の前脚が飛び出し、上空のシロにかぎ爪が詰め寄る。
瞬時に首を傾げ、シロは顔面に迫り来るかぎ爪を躱す。瞬間、右脚の陰から左の前脚。硬い甲殻を残したかぎ爪が眉間を突き飛ばし、シロの後頭部が背中に着く。血飛沫のように火花が噴き上がり、直下の倉庫に赤い雨が降り注ぐ。
ガネェ!
この機を逃すまいと思ったのか、コガネムシは慌ただしく右の前脚を振り下ろす。髑髏の仮面に食い込んだかぎ爪は、シロの脳天から顎までを一文字に切り裂いた。
ぎちぎち……!
錆びた糸鋸を引いたような音が鳴り、こまごまと亀裂を走らせた直線がシロの顔面を縦断する。足首から噴き出す白煙が大きく身体を揺さ振ると、左右に断たれた仮面がシロの背中を転がり落ちた。
素顔のシロが視界に入り、窮屈な空間に押し込められていた金髪が大きく広がる。途端、汗ばんだ額から細く血が垂れ、涙のようにシロの頬を伝った。
怯むことなく目元を拭ったシロは、下方のコガネムシと睨み合っていた顔を、頭上の天の川に向けていく。山吹色の髪が一身に光を浴びると、月の君臨する空に太陽と見紛う輝きが浮かび上がった。
寝食を共にした二ヶ月間、徹底的に星を避けていたシロが一度も見せてくれなかった光――。
だが初対面ではない。
そう、タニアは前にも一度、燦然と世界を照らす輝きを見たことがある。
そんな、まさか、あり得ない……。
ありったけの否定を使い果たすタニアを尻目に、約束を交わした瞬間が脳裏に甦る。記憶の中から目の前に溢れ出た金髪は、止める間もなく上空のシロに歩み寄っていった。
かたや空の果てよりもずっと遠い場所にある薔薇の芳香。
かたやブン殴るのが日課だったラーメンと定食の匂い。
白と黒ほども開きがある二つの色は、鏡像と実像のように重なった。
「あ……ああ……!」
上空の金髪から降り注ぐ光が、記憶の中の〈荊姫〉さまに掛かっていた霧を晴らしていく。一一年間探り続けたのっぺらぼうの正体は、この二ヶ月間、いつも隣にあった笑顔だった。
「何で、何でこんなとこにいるの……!?」
理解不能な状況が全身を震わせ、タニアの腰から力を奪う。堪らずタニアはバイクの裏に座り込み、息の乱れた口を両手で覆った。
「ハッ!」
月を背負ったシロが金髪を振り乱し、高々と右足を振り上げる。再び下方のコガネムシを睨め付けると、シロは左右の腕を水平に伸ばした。
普段通り、六時の方向を指す左足、
綱渡りのように伸ばした両腕、
そして頭の上に突き出た右足――。
眩い満月によって浮き彫りになった逆光は、十字架に他ならない。前に立たれたのが気に入らないのか、四六億年間、餅搗きに勤しむウサギが、憎々しげにシロを睨んでいる。
今にも振り下ろされそうな杵を余所に、首輪の走馬燈が回転を速めていく。比例して輝きが強まると、缶コーヒー大の円筒から二股に分かれた光が溢れ出した。
シロの延髄から伸びる布状の光が、しなやかにはためき、月面を撫でる。感心するやら呆れるやら、タニアは思わず苦笑いを漏らしてしまった。
命懸けの戦いにまで趣味を持ち込むとは、あの人はどれだけ特撮を愛しているのだろう。
二股に分かれ、はためく?
ヒーローのマフラーそのものじゃないか。
「……おやすみなさい」
神妙に目を閉じ、シロは高々と掲げていた右足を振り下ろす。
垂直に伸びていた腿が一気に倒れ、ふくらはぎが進路上の空気を断つ。つま先の描く残像が滑らかに弧を描くと、鉄槌と化したかかとがコガネムシの脳天に沈み込んだ。
釣り鐘まがいの重低音が木霊し、かかとを落とされた頭がコガネムシの胴体にめり込む。ぐぇ! と断末魔にしては短い声が漏れ、ブラシ状の口から細かい泡が吹き出す。
コガネムシの眼球が白く濁るのを見届けると、シロは背中の蕾から圧縮空気を噴き出した。シロの背中から空に白煙が伸び、乱暴にブローされた金髪がホウキのように逆立つ。同時に白黒のコートが激しく捲れ上がり、シロの上半身を包み隠した。
ロケットとは逆向きに噴射した推力は、空中の二人を墜落への一方通行に叩き込んだ。
脳天にかかとをめり込ませたコガネムシが、ほぼ垂直に夜空を切り分けていく。空に向け、圧縮空気を噴き出すシロが、巨体の裂いた空気を白く埋め立てていく。白煙と絡まり合い、地表へと突っ込む落下物――事情を知らなければ、隕石にしか見えないだろう。
刻一刻と嵐に等しい風切り音が迫り、月の真ん前から伸びた白煙が倉庫の真上に肉薄する。赤銅色の残像と化した巨体が、桜色の光線にしか見えない骸骨が、梁と梁の間をすり抜け、室内に飛び込む。反射的にタニアはメーちゃんを抱え込み、バイクの裏に伏せた。
白煙が地表に達した瞬間、地球が眩暈を起こしたような地鳴り。
世界中が激しく跳ね回り、ゴルフ場のバンカーを砂場に思わせる規模のクレーターが広がる。夥しい量の砂塵が満月を突き上げると、超局地的な黄砂が空を覆った。
一帯に闇が降り、クレーターの中央に桜色の光が浮かび上がる。目の前の砂煙を億劫そうに薙ぎ払い、全身に影を蓄えた骸骨は両手を合わせた。
シロの背後から消しカスの霧が舞い、爆炎がそそり立つ。真っ黒なキノコ雲が膨れ上がると、突風が黄砂を吹き飛ばした。




