どーでもいい知識その① お米のもみ殻には石英が含まれている
今回はタクラマカン砂漠の地理を語っています。
地球の構成物質についても言及しています。
「え!? 砂で金属が削れるの!?」
部屋中にタニアのすっとんきょうな声が響き、参考書に占拠された机を震わせる。
「はい、『サンドブラスト』って言います。高速で砂を噴射して、対象物の表面を研磨する技法ですね。サビや汚れを落としたりとか、模様を付けたりとか、幅広い用途に使われてます。ガラスに吹き付けると、そこだけ磨りガラスになっちゃうんですよ」
シロは材料工学の教本を閉じ、目を丸くするタニアを微笑ましそうに眺める。
夕飯時には強張り気味だった表情も、大分ほぐれてきただろうか。とは言え、夕暮れの町に置いてきたメーヴンは、まだまだシロの顔に翳りを残している。
「サンドブラストみたいに羽根車や圧縮空気で撃ち出した粒子を使って、素材を削り取る加工法を『ショットブラスト』って言います。研磨剤としてはガラスのビーズや鋼球なんかが知られてますけど、高速で吹き付けられる粒子なら大体何でも使えます」
「ふにゃふにゃの水でも、マッハ幾つとかで吹き付ければ鉄板を切れちゃうもんね」
「水を水分子の集合体と定義するなら、ウォーターカッターもショットブラストの一種と言っていいのかも知れませんね」
砂で金属が削れる――。
考えてみれば、そんなに驚く話でもないかも知れない。
高速の水流で素材を切断するウォーターカッターのみならず、速度が力を発揮する場面は幾つもある。通行人をよろめかせる突風も、正体は加速した空気だ。YoTubeでも発泡スチロールの銃弾を超スピードで発射し、コンクリを砕く動画を見たことがある。
「砂を使う場合は珪砂――石英を主成分にする砂を使うのが一般的です。石英はとっても硬い鉱物で、引っ掻けば鋼鉄にも傷を付けられるんですよ」
教本を脇に挟むと、シロは右手でお茶碗を、左手でハシを作った。
「あまり知られてませんけど、お米のモミ殻って大量に石英が含まれてるんです。そのせいでモミを取る機械の羽根車がすぐ摩耗しちゃうんです。高速で石英を回転させてる状態って、乱暴に言えばショットブラストと一緒ですから。反面、モミにはお米を保護する役目があって、取らないほうが長期保存出来ます」
口を真四角に開くと共に、タニアは思わず拍手しそうになった。
金属加工の話をしていたかと思えば、いつの間にか家庭科の豆知識を語っている――シロの知識量には驚嘆と賞賛を禁じ得ない。この間も噛み合わせの話から、哺乳類の祖先が爬虫類だと言う講義に発展した。
「石英が使われるのには、量も関係してます。石英の主成分であるケイ素は、地球の地殻を構成する元素の中で二番目に多いんです。一番多い酸素が48㌫なのに対して、ケイ素は約28㌫を占めてます。早い話、どこにでもある。硬さで言うならダイヤモンドが最適なんですけど、何せ埋蔵量やコストの問題がありますから」
「いちいち〈詐術〉で『実体化』させてたら、〈発言力〉が保たないもんね。第一、『本当はない』ものなんて、ちょっと叩いただけで消えちゃうし」
「無理とは言い切れないんですけど、普及にはもう少し時間が掛かるかも知れませんね」
どこか含みのある口調で言い、シロはマグカップのライフガードで喉を潤す。
「にしても、タニアさんが驚くなんて意外でした。この辺りじゃ砂の混じった風で船の塗装が剥げちゃうのとか、常識じゃありません? タクラマカン砂漠には『ヤルダン』もありますよね?」
〈ロプノール〉周辺には、東西約一五〇㌔に渡ってはげ山が立ち並んでいる。幼い頃のタニアが「ラクダさんのコブ」と形容したそれは、高いもので全長二〇㍍にも達すると言う。
勿論、ゲネス級のラクダが地面に埋まっているわけではない。
はげ山の正体は、砂塵に削り取られてしまった岩だ。長い歳月、天山山脈から吹き付ける強風を浴び続けた結果、周囲の柔らかい地層を削り取られてしまったのだと言う。長い時間を掛け、自然が作り上げた突起は、ウイグル語で「ヤルダン」――「風で出来た凹凸」と呼ばれる。
天山山脈はタクラマカン砂漠の北に聳える大山脈で、中国の西端辺りから中央アジアまでを堂々と貫いている。全長は南北約三〇〇㌔、東西に至っては約二五〇〇㌔にも及び、日本の北端から本土南端まで(約二〇〇〇㌔)より長い。最高峰は中央アジアにあるポベーダ山で、標高七四三九㍍と呂風湯の壁に描かれた高峰の二倍近い高さを誇る。
「丁度『実体化』の話も出ましたし、〈詐術〉関係のおさらいをしましょうか」
材料工学の教本を本棚に戻すと、シロは代わりに「マンガで解る〈詐術〉」を取った。
シロがふと机と睨み合うタニアの背後で足を止めたのは、共に暮らすようになってから一週間くらい経った頃だったろうか。以来、夕飯後の自習には、優秀な家庭教師が付き添うようになった。
普段は余計な口を挟まずに、参考書と格闘するタニアを見守っているだけだが、出来の悪い生徒が頭から煙を上げ始めると、それとなくヒントを出してくれる。
ペンの動きが鈍い日は雑学の時間。参考書の内容に関連する豆知識で、タニアが興味を抱くように導いてくれる。独りで机に向かっていた頃より能率が上がったのは勿論だが、それ以上に楽しく勉強出来るようになった。
「はいタニアさん、〈詐術〉って何ですか?」
教育テレビのお姉さんっぽく抑揚を付け、シロはタニアに問い掛ける。
「〈黄金律〉を騙して、望む現象を引き起こす技術」
真面目に答えるのもバカらしかったタニアは、せんべいをバリバリしながら言い放つ。
掛け算の解き方に等しい問題を、小五の自分に訊く?
地元の県庁所在地に小一時間悩む生徒とは言え、甘く見すぎだ。
「〈黄金律〉ってのは世界のゲームマスター。あらゆる現象に物理法則通りの結果を算出して、この宇宙を存続させてる」
不当な評価を覆すべく、タニアは次に訊かれるだろう質問に答える。
「はい、よく出来ました」
大袈裟に手を叩き、シロは補足を始める。
「素粒子から太陽まで、森羅万象は〈黄金律〉のジャッジ通りに動いてます。こうして私の声がタニアさんに届くのも、〈黄金律〉が鼓膜とか蝸牛殻の構造を踏まえた上で、『聞こえる』って判定を下してるからです」
森羅万象を司る――なんて聞くと、人間の妄想した「カミサマ」のように思える。その実、〈黄金律〉は結果を算出するだけの「計算機」に過ぎない。世界を執り仕切っているのは純然たる事実だが、脈絡のない奇跡を起こし、森羅万象を意のままにする力はない。
結果を算出するためには、第三者に行動を起こしてもらう必要がある。
例えば誰かが落とした皿に、「割れる」と言う結論を下すことは出来る。しかし自分から皿を落とし、「割る」ことは出来ない。
マッチ+擦る=火。
ウィスキー÷水=酔う。
――と言った具合に、結果の算出は一切の主観、恩情なく、数学的に行われる。当然だが、計算機に信賞必罰の精神があるわけもない。
〈黄金律〉を拝んだからと言って、試験の合格率が上がったりすることはない。逆に人間がどれほど堕落しようが、大洪水で世界を洗い流すこともない。まあ、一方的な倫理観で大量虐殺をやらかさない辺りは、十字架を根城にする奴より人格者と言える。




