第三十六話 ねねちゃんは可愛がられたい
これは、固本や冬輝らが生まれた、真界で起きた出来事。
大きな屋敷の奥で、二人の子供が出会う話――
真界では、子供はもっとも神様に寵愛される存在と見なされている。
子供の体は霊流の濃度が高い上に、龍淵との繋がりも深い。そのため、両親から受け継いだ二つの力を同時に引き出し、使いこなせる子もいる。
力の種類にちなんで名をつける習慣がある真界では、そういう子供は特別に、初名で呼ばれる。とと、もも、りりなど、単音でできた初名は、力の引き出しを邪魔しないからだ。
ねねは、初名を持つ特別な子供の一人で、今日も大人に手を引かれてお出かけだ。
「ねえ、お爺ちゃん。今日はどこ行くの?」
「お爺ちゃんの、お兄ちゃんのお家だ」
「お爺ちゃんにお兄ちゃんがいるの!? 会うの、楽しみ! ねね、おつとめ頑張るね! ちゃんとお役に立つね!」
ぱっと顔を輝かせた幼子に、祖父は穏やかに微笑み返す。
「今日はおつとめじゃなくて、ねねにお友だちを紹介するよ」
「お友だち⁉ やった‼️」
「お爺ちゃんは、お家に入れないから、ねねちゃん一人で入るんだよ」
「うん!」
「行儀よくしてるんだよ」
「うん‼」
「一つだけ、絶対に守らなければならないことがある、それは――」
見たこともない広い庭が付いた邸に入り、ねねは歓声を上げた。
緑に覆われた竹垣が交差し、迷路のような道の角を曲がるたびに新しい草花が見つかる。
楽しくて子犬のように飛び跳ねていたねねは、うっかり飛び石を踏み外し、転んでしまった。
痛いけど、やっぱり楽しいから、ねねは尻もちをついたままけらけら笑い出した。
「何やってるの?」
ねねに声をかけてくれたのは、赤に金の刺繍が施された、煌びやかな服を身にまとった女の子だった。服はきれいなのに、顔色はとても暗い。
ねねはにぱっと顔をほころばせ、大きな声であいさつをした。
「こんにちは!」
「……」
少しだけお姉さんに見える女の子は、呆れたようにねねの手を引っ張って立ち上がらせた。
「あなた、どこの子」
「ねねはね、お爺ちゃんの家の子だよ! お姉ちゃんの名前は?」
女の子はねねの手や頬についた埃をはたきながら答えた。
「……らら」
「ららちゃん!」
ねねはその腕にすがり付き、期待に満ちた目で見上げた。「一緒に遊ぼ!」
その無邪気な笑顔につられたように、ららもぎこちなく口の端を上げた。
それからねねは毎日のようにららの家に遊びに行った。
かくれんぼが下手でいつも体の半分しか隠せないし、かけっこで負けてもけらけら笑う。そんな無邪気で笑い上戸なねねを、ららは大好きになった。
そして何よりも、ねねの長くてすべすべの髪や、ぷにぷにの丸い頬がとにかく可愛い。
「妹ができたみたいで嬉しいわ」
遊び疲れて腕の中で休むねねの髪を撫でるのは、ららの楽しみの一つになっていた。
「ほんと? ねねのこと、好き?」
抱きしめ返してくれる小さな子は、顔を上げてららの目を覗き見た。
柔らかい髪。大きな瞳。桃色の頬。無条件で寄せてくれる信頼に、心がほっとする。
ららはそのぷっくりした顔をつんとつついた。
「うん、可愛いねねちゃん、大好き」
ららはねねを可愛がった。
お人形のような可愛い服を着せ、高価でキラキラの髪飾りで飾り立てた。
純粋なねねには、きれいなものしか似合わない。だから、ずっときれいなものだけ見せたかった。
その日、かくれんぼでいつまでもららが探しに来ないから、ねねは隠れ場所から出て彼女を探した。
ららは縁側の近くに倒れていた。
ねねの泣き声で駆け付けた大人たちは、ららを寝かせ、ねねは彼女が目覚めるまでそばにいた。ららが目を開くと、その手に縋って泣きながら謝った。
「ねねと遊んだせいで……ごめんなさい! ごめんなさい!」
「ねねちゃんのせいじゃないよ。ここ最近、ずっと体が変だったの……驚かせてごめんね」
おなかが痛くて、ららは思わず身を丸め、それでも笑みを浮かべた。可愛いねねには、きれいな笑顔しか見せたくない。「泣かないで、可愛い顔が台無しだわ」
ららが泣かないでと言うなら、涙を我慢する。でも、やっぱりららが心配だった。
「お医者さんが、大丈夫だって……ららが、大人になっただけだって……大人になると、血が出るの? ららちゃん、血が出て、痛くない?」
ららはようやく、自分の身に起きたことを理解した。
「なんで……なんでこの体は、勝手に大人になるの……大人になんか、なりたくない……!」
布団の中に頭を引っ込めるららを見て、ねねは恐る恐る聞いた。
「ららちゃん、眠い……? ねね、よく眠れるお歌、知ってるよ」
自分より二回り大きいららの手を温められるよう、小さな両の手のひらで包み、ねねは歌い出す。
星は空に 咲く花
頭の上で きらきら
猫の子は ねんねした
カラスの子は ねんねした
窓辺で光るは 花びら
夢の中まで きらきら
歌に灯されたかのように、ねねの指先に淡い光が浮かび、旋律と共にららの霊紋に溶け込んでいく。
痛みも、気持ち悪さも、すっと軽くなる。
ららは小さな手の感触に安心し、いつの間にか眠りに落ちた。
「これはすごい……脈拍、霊流、ともに安定している。薬の投与なしでここまでできるとは……やはり生まれ持った子供は、祝福された存在ですね」
医者の言葉はよく分からない。ねねはこわごわと聞いた。
「ららちゃん、よくなる……?」
「大丈夫、君の声がちゃんと効いてる。ららのそばにいて、たくさん歌ってあげなさい」
ねねは強く頷いた。
「ららちゃんがよくなるなら、ねね頑張る、いっぱい歌うっ」
~~~~~
「ららちゃん、遊ぼう」
今日もねねは、ららの元へやってきて、その首に腕を回した。
ずしっとした重みに、ららの足元がふらつく。
「……ねねちゃん、また背が伸びたね」
出会った時胸元にも届かなかったねねの頭は、今や自分と同じ高さにある。
「そう?」
ねねは撫でてくれるららの手にすり寄り、嬉しそうに目を細めた。「ららちゃんは? 背、伸びないの?」
髪を撫でる手が一瞬止まる。
「……学校で教わってない? 背がちっちゃいほうがすごいのよ」
「うん、先生言ってた。体が小さいほど霊流の密度が高く、より強い力を発揮できるって。でもみんな、いつか大人になるから、力が弱まっても使えるように技術を磨くしかないって」
「背が伸びないなら、ずっと強いままでいられるわ。すごいでしょ」
ららは得意げに腕を組んで見せた。「……ねねちゃんも、ずっと小さくてかわいいねねちゃんでいてくれればいいのに」
「……ねね、もう可愛くない?」
「そんなこと、言ってないわ。ちゃんとかわいい」
「ららちゃん、一緒に外へ出よう!」
「私は……外に、出たくない」
「なんで? 楽しいよ! ねねのお気に入りの場所、案内してあげる」
呑気に手を引いてくるねねの手を、ららは反射的に避けた。
「行かない! 私はここにいる‼」
大声を出したせいか、頭痛に襲われる。心臓も、肺も、胃も、つられて痛む。
「ららちゃん大丈夫⁉」
「ちょっとくらっとしただけ。……それより、歌ってよ。ねねちゃんの声、好き」
「うん」
星は空に 咲く花
頭の上で きらきら
猫の子は ねんねした
カラスの子は ねんねした
窓辺で光るは 花びら
夢の中まで きらきら
気づけばねねは、ららの身長を追い越した。
白く丸みを帯びていた手足に、筋と骨の線がだんだん浮き出てきた。
体が大きくなるにつれ、体内を駆け巡る霊流の流れが、途切れたりするようになった。今まで使ってきた術が使えなくなったり、今まで操れた霊流が操れなくなった。
これじゃあ、ららちゃんの役に立てなくなっちゃう。
お爺ちゃんの言いつけを、守れなくなっちゃう――
【一つだけ、絶対に守らなければならないことがある、それは――
ねねが男の子だってこと、絶対にお嬢様に知られてはいけないよ】
どんなに必死に勉強しても、成長は止められない。
やがて霊枢を通って流れ込む二種類の力が食い合い始め、ねねはついに片方の力を失ってしまった。
それは真人の誰もが通る、神の子から人の子に生まれ変わる道だった。
声変わりが始まり、ららを癒す歌が歌えなくなったねねは、彼女が住む邸への出入りを禁止された。
学校で友だちはいっぱいできた。でも一番最初のお友だちは、ららだった。
ららに会いたい。ららに頭を撫でられたい。ららに可愛がられたい。ららが眠れない時、歌を歌ってあげたい――
ねねは人目を忍んで邸に入った。
かくれんぼでよく潜っていた植込みは、実は腰の高さしかないことに驚き、迷路のようだった竹垣の道も、すぐに通り抜けられた。
赤い衣を羽織った小さな人影だけは昔と変わらず、ねねは迷わずに駆け寄っていく。
「ららちゃん!」
声にびっくりして振り返ったららの顔は、驚愕に歪んだ。
「……だれ⁉」
「ねねだよ。やっとららちゃんの顔が見れた、嬉しい!」
「――違う」
ららは一歩後ずさり、焦点の合わない目を大きく見開かせている。
「ねねちゃんは、可愛くて小さくて声がキレイな女の子。こんな低くて野蛮な声じゃない。あんたなんか知らない……!」
「ららちゃん……?」
昔のようにららの手を取ろうとしたら、強い力で振り払われた。
「いや! 男はいや! 助けて、母様!!!」
悲痛な叫びが邸に響き渡った。
勝手な侵入を叱られ、ねねは当主から接近禁止令の理由を教えられた。
ららは昔辛い目に遭って体の成長が止まり、男を怖がるようになってしまった。どこの名医も、彼女を治すことはできなかった。
ねねの歌には体を癒す力があると聞いた当主は、最後の頼みの綱に縋る思いで、二人を引き合わせた。
「ねねなら、彼女の体、あるいは心を癒せるかもしれないと期待したが、見込み違いだった。ならせめて、彼女には近づかず、そっとしておいてくれ」
その晩、激しい雨が降り続けた。
邸の出入りを禁じられたねねは、閉ざされた正門の前から離れず、地面に突っ伏したまま謝罪を繰り返した。
治してあげられなくてごめんなさい。
声が低くなってごめんなさい。
男でごめんなさい。
ららちゃんを傷つけて、ごめんなさい――
~~~~~
「お嬢様、あの子、まだ邸の外にいます。凌雲事変が終息したばかりで、弱った子供が一人でいると狙われかねませんよ」
朝餉を運ぶ年老いた女中がしわがれた声で報告した。
「あの子って、どの子。男の知り合いなんていないわ」
ららがぽつりと返す。
「いい加減になさい、体の成長が止まったからと言って、心まで子供のままでどうするおつもりですっ」
赤子のころからららを見守ってきた女中は、音を立てて朝餉を置いた。
「いつまで過去を引きずるおつもりですっ。何年もあなた様のおそばにいてくれたいい子ですよ!」
ららは唇を歪めた。
「でも……私に嘘をついた」
「自分のお姿をごらんなさい! 冬眠状態がいつまでも解かれないのは、ご自分に嘘をつき続けたためではありませんか。ご自分の嘘を許しても、人の嘘は許せないのですか。
……お辛いでしょうが、いつかはご自分の足で歩き出さなければならないのですよ」
一晩中雨に打たれ、ねねの意識がもうろうとしていた。
許してもらえるまで、ずっとここにいよう。それは、愚かな自分への罰でもあった。
突然誰かに持ち上げられ、つんとした匂いの布で口と鼻を塞がれた。もともとだるかった手足から、一気に力が抜けていく。
人さらいだ――
(初名を失ったぼくでも、攫ってくれるんだ……)
少しだけ価値を認められたようで、ねねはちょっと嬉しくなった。
「ねねちゃんに、手を出すな‼」
聞き慣れた声が、ねねの意識を引き戻す。
小さな人影が声と共に壁を飛び降り、人さらいの前に立ちはだかる。
「ガキがっ、邪魔するな」
人さらいはねねを肩に担いだまま、薬の塗られた布でららの口を塞ごうとした。
「男なんか……怖くない‼」
高密度の霊流を拳に込め、手当たり次第に叩き込む。
一撃で肋骨が折れる音。
二撃で尺骨が折れる音。
三撃で頬骨が折れる音。
「もういいよ……ららちゃん、泣かないで……」
解放されたねねが力を振り絞ってららの腕にしがみつくと、彼女は大きく震え上がった。
「ららちゃん……」
「もう、ららちゃんって呼ばないで。……いつまでも子供のままじゃいられないわ」
振り払いはしなかったけど、ららはねねの腕を取り、ゆっくりと引き離す。
血まみれの手で口元を拭うと、唇は紅を差したように鮮やかになる。
彼女は宣言する。
「私は蛮詩衣良、蛮家を継ぐ女よ。今まで世話をかけた、礼を言う。あなたも、ちゃんと家名を背負って生きなさい、冬輝詩音」
※真界六大家
火の一族 煌家
水の一族 源家
雷の一族 判家
結界の一族 固本家
獣人の一族 蛮家
治癒の一族 栄家




