表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「静かな毒」  ──笑顔の裏に、何がある?  作者: ひまわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/11

やさしさの輪郭

「エース家電お客様相談センター、橋田でございます」


朝イチの電話から、奈々子はお決まりの怒鳴り声に応対していた。今日は洗濯機の音がうるさい件。説明書がわかりにくい。保証書が見つからない。


(もう、保証書が勝手に歩いて逃げたってことにしようかな…)


なんて、心の中でくだらない冗談を浮かべながらも、口調は明るく丁寧に。


「申し訳ございません。担当の者より折り返しご連絡させていただきますね」


ふぅ、と息をついた瞬間、背後から声が飛ぶ。


「奈々ちゃん、今の相手…声大きかったね。大丈夫?」


田町恵美。45歳、勤続10年。ほんわかしていて、人に気を使いすぎるくらい優しい先輩。


「うん、もう慣れっこです。恵美さんの優しさ、しみます〜」


「いやいや、奈々ちゃんの方がすごいって…あ、ちょっとお茶もらってくるね」



そう言って給湯室へ向かう恵美。そのあとを追うように、森下真美がふらりと立ち上がる。


給湯室の静けさの中、湯気とともに、森下の声がぽつりと漏れた。


「…この前ね、橋田さんに“ちゃんと仕事してください”ってきつく言われちゃって…」


「えっ、奈々ちゃんに?そんな、奈々ちゃんが…?」


恵美の手が止まる。


「ううん、私が悪いのよ。確認不足だったし、メモも取ってなかったし…でもなんか、最近ピリピリしてるっていうか…橋田さん、ちょっと変わったよね」


「……」


「いや、ほんと私なんかのせいで空気悪くなってたらごめんね。私、昔からどこでも浮いちゃうタイプだから…」


自分を下げて、自分を責めて、最後に小さく「でも…」を添える。その“でも”の中に、誰かへの否定がそっと混ざっている。


「森下さん、そんなことないですよ。頑張ってるの、ちゃんと見てますから」


恵美の声には迷いがない。そう、信じてしまうのだ。


森下の語り口は、決して強くはない。むしろ、にじむように、じんわりと胸に沁みてくる。


給湯室を出るとき、森下は恵美に小さく笑って言った。


「ありがとうね。恵美さんみたいな人がいてくれて、救われるよ。…あ、こんなこと、ここだけの話だからね?」


“ここだけの話”――その言葉に、恵美は自然と口をつぐむ。


でも、心の中には、さっきの一言が静かに残っていた。


橋田奈々子のことを、ほんの少しだけ「怖いかも」と思ってしまった、その感情と一緒に。




午後、電話対応がひと段落した頃。奈々子がコール記録を整理していると、隣から声がかかった。


「奈々ちゃんって、ほんと仕事できるよねえ。返答も早いし、敬語もきれいだし…私、毎回メモ見ながらあたふたしちゃって…」


森下が、ため息まじりに言う。


「いえいえ、そんな…私もよく噛んでますし、記録も間違えることありますよ」


そう言いながらも、奈々子はやっぱり褒められると少し照れてしまう。


森下は、そのまま自分のメモ帳をめくった。ごちゃごちゃと走り書きされた内容。日付の抜け、名前の間違い、内容がかすれて読みづらい。


「この間も、同じ人に二回電話しちゃって…“さっきも話しましたけど?”って怒られて…あぁもう私って、ほんとダメだなあ」


奈々子が何か言おうとしたとき、少し離れたデスクから田町恵美がふわっとやってきた。


「森下さん、大丈夫ですか?さっきの電話、長かったですよね」


「うん…でも、やっぱりうまくできなかったみたいで。お客様、ちょっと不機嫌になっちゃって…」


「そんなの誰にでもありますよ。私なんて、まだ夢で電話鳴ってますから」


ふふ、と恵美が笑うと、森下もつられて笑った。


「ありがとね…ほんと恵美さん、優しいよね。だからここまでやってこられたのかも」


「森下さんこそですよ。みんな森下さんのこと、頼りにしてるし…」


奈々子は、ふとその言葉に違和感を覚えた。


(頼りにしてる…?)


もちろん、面と向かって否定するほどのことじゃない。ただ、森下の仕事ぶりは、決して“安心して任せられる”というものではない。


でも、今この場でそれを言えば、空気が濁る気がした。


だから、奈々子は黙って笑うしかなかった。


「私なんてほんと、ここにいていいのか分かんなくなるとき、あるんだよね…」


森下は、あくまで“自分が一番つらい人”のような顔で、そうつぶやいた。


そしてまた、その一言に、恵美はそっと手を差し伸べるように言った。


「森下さんがいるから、助かってる人、いっぱいいると思いますよ」


その言葉に、森下は何も言わず、小さくうなずいた。


奈々子は、その様子を横目に見ながら――なぜか、ほんの少しだけ、胸の奥がざわついていた。

ほんの小さな一言。

誰かを責めるわけでもなく、自分を少し下げて、ふと漏れる“気遣い”のような言葉。

でもそれは、じわじわと相手の輪郭をゆがめてしまう。

“やさしさ”が、いつのまにか、見え方を変えていく――そんな始まり。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ