3.因縁の家族
ケイトリンがベッドを降りて、家族の食堂で晩餐に出たのは、デビュタントから10日たった日だった。
そろそろ社交シーズンが始まるため、両親たちは帰宅が遅くなる日が多くなる。その前に一度、きちんとした形で顔を見せなさい、と侍従を通じて連絡が来た。
久しぶりに来た晩餐用のドレスの襟ぐりが開いたことに、ケイトリンは眉を顰めた。
ケイトリンは首にも目立つ痣があった。
ケイトリンはぐい、と立襟を伸ばしたが、どうしても下がって来て痣が見える。
本当は変えてしまいたかったが、何度もドレスを出してもらうのも申し訳なくて、ため息をついた。
首の痣は一番目立つため、ケイトリンはいつも立襟がついた服で隠すようしていた。
デビュタントのドレスも、白のレースで首まで覆ったため、華やかなネックレスなどはつけられなかった。
クラウディアと呼ばれた、エリオットに選ばれた女の子のような大人のようなドレスを一度は着てみたかった。
だが、一生無理だ。
ケイトリンは胸に痛みを感じ、胸を押さえた。
ご心配をお掛けして申し訳ありません。とケイトリンは両親と兄に謝った。
兄は眉を顰めて、ケイトリンをにらんだ。
デビュタントの付き添いとしてついていったのは兄だった。エスコートは慣習に則り、婚約者のエリオットがしてくれた。
ロベルトはエリオットの兄、第一王子のクライスと同じ年。王朝より古い歴史を持つアーロン家は、宮中伯と呼ばれ、昔から王家と親しく何度か王家から降嫁されたり、また、王家の妃に選ばれている縁戚の関係だった。
そういうこともあって、ロベルトとケイトリンの兄弟は、今の王子たちの遊び相手として、幼い頃から城に通い、同じ教育を受けた。
「せっかくのデビュタントだというのに、体調も整えられなかったのか。殿下の前で大恥だ。」
ロベルトが言うと、散々だったわね、と母は苦笑した。
ロベルトも婚約者として考えていた女性を誘いエスコートしていたが、ケイトリンの惨状に早めに帰宅するしかなかった。
ケイトリン以上に舞踏会を楽しみにしていた様子のロベルトを、母は同情した。
「ロベルトの言う通りだ。アーロンの娘ともあろうものが、大事な式典を汚すなど。しっかりしなさい。お前はデビューしたんだ。今から最低でも、王家主催の夜会にはエリオット殿下と出なければいけないんだぞ。」
父親の言葉にケイトリンは眉を寄せて、俯いた。
そうか、と胸が重くなる。
社交界にデビューしたのだから、貴族令嬢の義務として参加しなければいけない式典は数多くある。
その最たるものが新年に行われる、王家主催の夜会。王朝の始まりを祝う夜会だから、宮中伯のアーロン家の出席は義務。
その次は春の日の祭り。
女神信仰のこの国が、一番大切にする春を祝う祭礼の後に行われる夜会だった。
そのほかにも王族がそれぞれ開く夜会も、縁戚のものとして出席する。
それぞれに仕事を持つ父と母に代わり、最近では兄も夜会に出席していた。
社交界にデビューしたと言うことはその義務の一端を担うということ。
「顔を上げなさい、ケイトリン。」
ロベルトが言った。ケイトリンはしぶしぶ顔を上げる。
「その表情も改めろ。もう子供じゃないんだ。今から社交を担うものがそんなふうに不満を顔に出してはいけない。お前は今まで淑女教育を受けてきただろう。お父様たちが、金も時間もかけて育ててくれたんだ。感謝して、令嬢らしく振る舞え。」
この人は私を殺した人。
ケイトリンは言いようのない嫌悪を感じて、体が震えた。
突然思い出したあの前世の一つで、ケイトリンは実兄に斬り殺された。
森の中。月も出てこない夜。
先を急ぐ馬車と馬たち。
引きずり出された体が、地面に投げ出され、顔を石にぶつけた。フードを被ったあの時の実兄の目は怒りで煌々と燃えていた。彼が怒鳴った。
ここまで育ててもらいながら、何という体たらく。お前ごときが王族の嫁になれるなど、誰のおかげだと思っているんだ!それを王子を拒むとは。
お前一人で落ち潰れればいいものを、我が一族まで道連れにするとは。
もっと早くにお前を殺しておけばよかった。
その言葉を思い出し、ケイトリンの背筋から登ってくるものがあって、背中が焼けるように痛んだ。
ケイトリンはもう一度、俯いた。
いや。
今は思い出さないで。
また、怒られる。怒鳴られる。
傷つけられる。
「聞いているのか!ケイトリン!」
ロベルトが大声で怒鳴り、ケイトリンは肩を竦めた。
「顔を上げろ。何回も言わせるな!お前は王族の婚約者なんだぞ!いずれ王族の一員となるというのに、そんな態度ではふさわしくない。お前がそんなだから、エリオット殿下は歌姫に惹かれてしまった。バランスを取るためにわざわざお前が選ばれたのだ、分かっているはずだろう!」
ケイトリンが婚約者に選ばれたのは、半年前。
その半年前に第一王子の婚約が決まった。相手は北辺境伯の親戚に当たる歌姫、リュシーネ。
リュシーネはすぐに歌姫を引き、今は王宮にて一年後に王族に嫁ぐための教育を受けている。
女神信仰の総本山、中央神殿の世話役を担う王妃としては申し分なかったが、神殿との一体化を避けるため、王族では様々な制約を設けている。
その一つが、第二王子エリオットとケイトリンの婚約だった。
兄のクライスが歌姫を娶ることになったため、エリオットは歌姫以外の女性を妃と迎えること、と王族の中では決められた。
その相手として、ケイトリンが選ばれたのだ。
ロベルト、落ち着きなさい。と母が制した。
「だが、ロベルトの言う通りだ。殿下は舞踏会で二回も歌姫とダンスをしたらしいじゃないか。婚約者のお前とは一度しかしていないというのに。お前がいなかったから、ラストダンスはその歌姫と踊ったとか。公表されているとはいえ、お前との婚約はそれほど広まっていない。あれではあの歌姫が婚約者だと思われても仕方ない。」
父親がため息をついた。
「お前が寝込んでいる間も、一度、あ の歌姫と夜会に出られたそうだぞ。まだ若いとはいえ、あの、やんちゃなエリオット王子だ。このまま既成事実にして、婚約の解消など言い出したら、王家も我が家も体面が傷つく。」
あの王子ならやりかねない、とロベルトも鼻を鳴らした。
幼い頃から一緒に過ごした仲間。
年下なのに、クライスやロベルトに食ってかかり張り合う勝気な性格だ。
もともと、大人の言うことを素直に聞かないとわかっていたから、敢えて婚約者を立てられたのだ。
「しっかりしなさい。ケイトリン。まだ我が家から抗議するほどではないが、派手にやるようではこちらも黙っておくわけにはいかなくなる。エリオット殿下からの見舞いには礼状は出したのか?」
ケイトリンは頷いた。
エリオットからは見舞いの花束が贈られていた。見舞いというには大きな派手な花束だった。
「それならこちらに招待されている夜会に、エスコートをお願いしなさい。とにかく放っておくのは良くない。お前の婚約者だ。何とかしなさい。」
はい、お父様。とケイトリンは小さな声で答えた。
何とかなんて、できるはずがない。
ケイトリンはため息をついた。
エリオットが自分に興味がないことぐらいわかっている。
エリオットとは物心つく前からお互いを知っているが、親しいとは言えない。
この前の舞踏会で、彼は運命に出会ったのだ。これから先は自分は邪魔者でしかない。
ケイトリンはこめかみを抑えた。
頭が痛い。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
侍女のモリーが声をかけてくれた。
モリーは元歌姫。
3年ほど務め、婚約とともに歌姫を引いた。結婚して、2年前からケイトリンの侍女をしながらフルートと声楽を教えてくれている。
数年後には王都から外れた伯爵領の領主夫人となるため、宮中伯の屋敷で侍女をしながら、この国の歴史を勉強している。
ケイトリンの生家、アーロン伯爵家は、現王朝よりも古くの歴史があり、前王朝の時からこの国の柱になっている。
そのため、古来の遺産を多く持ち、そのほとんどが古文書だった。
現在、アーロン家は古文書と、この国の基本となる法治の専門家として国王に侍り、国王と辺境伯が芯となり開かれる議会で、大事な提言を行う役割を果たす。
この屋敷に努めるものたちも、それなりの教育を受けるため、モリーのように領の継嗣となるものを預かり、教育していた。
屋敷で働く半分のものが、モリーのような立場。
金銭による雇用だと出費が増えるので、教育を授け合うことを条件として迎え入れていた。
おかげでロベルトもケイトリンも、幼い頃から高度な教育を施されていた。
アーロン家の子女として、歴史をはじめとする基礎教養、古文書の取り扱いと解読。
国王直轄地域の唯一の隣接する外国で多く使われるザド語の習得。
淑女教育としてマナーやダンス、刺繍と、女神信仰の国の教養として、ピアノ、フルート、声楽がケイトリンに当てられた教育だった。
ロベルトは今は、王宮で官僚の見習い職を配されているので、それほど多くはないが、馬術などは今でも教師がついていた。
それに加えて、王宮での親交を兼ねた勉強会。茶会。
ケイトリンの家は多忙を極めた。
デビューを済ませたので、ケイトリンは家名を背負って、社交にでなければいけなくなったのだ。
これ以上、無理。
ただでさえ、お勉強も間に合わないのに。
ケイトリンは頭を抱えて、蹲った。
「お嬢様!」
モリーが助け起こしてくれた。
「今日はもう、おやすみください。病み上がりなのです。無理をなさってはいけません。」
はい。とケイトリンはうなづいた。
化粧を落として顔を洗った。
肌荒れが進み、吹き出物が増えていた。ここ数日の体調不良で前からあった吹き出物は悪化して赤黒くなっている。
この顔。あの時と同じ。
二回目の生。ケイトリンは美しくなかった。最初の生から顔立ちはあまり変わらないが、最初の生ではそれなりに美しいともてはやされたのに、二回目では眉を顰められた。その時の世界は、鼻梁が高く、はっきりした目鼻立ちが美人とされた。
今の世界と似ている。
この世界では、ケイトリンは美人の部類に入らない。基準とされるものが違うのだ。
そして、この醜い肌荒れ。
頭が痛い。ケイトリンは悄然と俯いた。