前編 「ちいさくて黒くて気持ちいい」
魔物のちいさくて黒くて気持ちいい「大好きな仲間」
いちばんはじめに見たのはなんだろう? もうずうっと前のことだから覚えてない。
まだちいさかったぼくは、起きたり眠ったり、いつもうとうとぼんやりしていた。
次にはっきり見たのは白い人間の男だった。
その白い人間は、ほかの人間にぼくを見せる時は、笑顔でやさしく自慢するくせに、ぼくとふたりだけになると、ちょっとしたことですぐにぼくをぶった。
そいつはやたらと偉そうで、ぼくのことを下等なけだものだと、いつもばかにしていた。
ばかなのは人間のほうだ。
なにかもごもご言わないと力も使えない、頭の悪い生き物だ。
生きるために必要のない、へんな力ばかり使ってよろこんでいる。
ちいさいうちは白い人間が怖かったけど、あるときちょっとおどかしたら、反対にぼくを怖がるようになった。
白い人間の、狭くてそうぞうしい家にいるのも嫌だったから、ずっとふてくされてたら、今度は違う白い人間がやってきて、そいつがぼくを森に連れてった。
森はいいにおいがして気持ちいい。
新しいほうの白い人間は、ぼくが森を自由にかけまわるのを楽しそうに見ていたけど、しばらくしたら、いじわるなほうの白い人間が、ぼくをくさりでつないでしまった。
ぼくがいやがって暴れると、いじわるな人間がなにかもごもご言った。
そのとたんに、なんだか熱いものがからだじゅうを走ったような気がして、そのあまりの痛さにぼくはその場で悲鳴をあげた。
いたいいたいきもちわるい。
なんでこんなことをするんだ、ぼくはなにも悪いことをしていないのに。ぼくは頭にきてそいつに飛びかかろうとした。
またからだ全部が痛くなってぼくはその場に倒れてしまった。
ぼくが走るのを楽しそうに見ていた白い人間も、ぼくがこんなに苦しんでいるのに助けてくれない。
嫌だ。人間は、白い人間はぼくにひどいことばかりする。ぼくをしばりつける。いたいくるしいきもちわるい。
嫌いだ大嫌いだ。
その白い人間が『魔導士』という生き物だと、ぼくはそのときはじめて知った。
ぼくは魔導士が、人間が嫌いになった。
森で最初に会った時、なんだか変な匂いがした。
この世界のものとは違う匂いだった。
それにちっともぼくを怖がらないし、なんだかいっぱい話しかけてくる。
あいさつしたら、なで回され口の中まで見られてしまった。
ちいさくて黒くて変な人間。
あの痛くて気持ち悪いくさりをはずしてもらって、からだを洗ってもらって気持ちよくなって、なでられてもっと気持ちよくなった。
うれしくてたのしくなって、いいなと思っていたら、急に森に帰れといわれてしまった。
ちいさくて黒くて、気持ちいい人間がいうから森に入ったけど、そこはぼくの家じゃない。
どうすればいいのかわからなくなって、うろうろしてたら森の外が騒がしくなった。
こっそりのぞくと、人間がたくさん集まってわいわい騒ぎだした。たくさんの人間の中にあのちいさい人間もいて、ちいさい人間はもっとちいさい人間と遊んでいる。
ぼくも遊んで欲しかったけど、知らない人間がいっぱいでそばに行けなかった。
ずっとずっと夜になって星が出て、外にはだれもいなくなって、それでも森からこっそり見てたら、ちいさい人間は大きくて黒いやつと何か話をしていた。ぼくと目が合ったはずなのに、何か言ったけどそのまま小屋に入ってしまった。
そしたらつぎの日、ちいさくて黒くて気持ちいい人間を、大きくて黒いやつと明るい髪のやつが連れて行ってしまった。
森のほかの生き物は、大きなぼくが怖くて、そばにはなかなか近よってこない。
しいんとした森にひとりでいるとさみしくなって、あの小さくて黒くて気持ちいい人間にもう一度会いたくて、覚えていた匂いと気配を頼りに会いにいった。
着いた途端に大きな声で叫ばれて、武器を持った人間の男たちに追い回されて、怖くて怖くて身体中の毛を逆立てていたら、あのちいさくて黒い人間が、大きな怖い人間たちをかき分けてやってきた。
会えて嬉しかったのに、また森に帰れと言われた。
あそこはぼくの家じゃないのに。
せっかく会いにきたのに、帰れと言われてふてくされて座り込んでいたら、大きな黒い人間がぼくを使い魔にすると言いだした。
使い魔になるとずっと一緒にいて、いうことをきかなくちゃいけなくなる。あんな大きくて黒いやつより、ぼくはこの、ちいさくて黒くて気持ちいい人間の方がずっといいと思った。
でもこのちいさい人間は力がなくて、ぼくと契約できないという。
力ならぼくが持ってる。
ぼくが力を使えばいい。
でもそのためには、このちいさい人間の血がいる。
怒られるのは怖かったけど、思い切って咬んだ。
咬んだのに血が出たのに、ちいさい人間はぼくが怖がって咬んだと思ったみたいで声をかけてきた。
「大丈夫、怖くないよ」
うん。やっぱりこのちいさくて黒い人間は気持ちいい。
そうしてぼくはぼくの力でちいさい人間と契約した。
そのときはじめて名前をもらった。
「ザカリ」
ちいさくて黒くて気持ちいいシズルは、優しくぼくをそう呼ぶ。
たくさん話をして、ずっと一緒にいるために弱い人間に擬態することも覚えた。
でも人間の言葉は難しい。
「ザカリ、シズルイッショ」
ぼくはシズルと同じかたちになったよ。
これからはいつでもどこでも一緒にいるよ。
使い魔だからいうこともきいてあげる。守ってあげる。
でも。
「・・・服を着なさいっていつも言ってるでしょう」
そして今日もまた怒られた。
魔物は服なんかいらないのに。
でも服を着てると、どこへでもついていけるから、長い時間ずっと一緒にいられるし、そのままのかたちだと絶対に許してくれないのに、服を着てると人型でくっついても怒られない。シズルは抱えると、ちいさくて腕の中にすっぽり入ってちょうどいい。
甘い星のお菓子の匂いもする。
使い魔だからちゃんということをきいて、ぼくはいやだけど服を着る。
服を着てシズルに見せると手招きされる。
ちいさいシズルが届くように頭を下げると、最初に会った時とおんなじ、ちいさくてでもすごく気持ちのいい手がぼくの頭をなでる。
なでられると、こころがほかほかして気持ちいい。
ぼくはちいさくて黒くて気持ちいい、シズルが大好きだ。
面白い。
シズルはしゃがみこんで、木陰の芝生の上で、顰めっ面をしたりにやにやしたりと、百面相をしながらぐうすか昼寝をしているザカリの顔を覗き込んだ。
ザカリは最近ますます人間っぽくなっている。
ザカリは辺境のフロトポロスの、これまた端っこにあるエイシカという寒村にある、アウレーの森で保護された、綺麗な銀色の毛並みの、鮮やかな緋衣草のような緋色の目をした魔狼だ。
狼、といってもそこは魔物なので獅子ほどの大きさがある。だけどまだ成獣ではないらしい。それは普段の言動からも充分推測できることではあった。
魔物にも色々種類があるらしい。
もとは動物で、何かのきっかけで魔物に変じてしまったもの。生まれた時から既に魔物だったもの。
この世界の人間ではないシズルには、その辺りの詳しいことはまだ謎だが、魔導士の中には魔物を研究しているものもいるようだから、この世界の人にとってもその生態は謎が多いのかもしれない。
そんな魔物の中で、ザカリはどうやら後者のようだった。
生まれながらに魔物なザカリは食事を必要とせず、この世界に満ちる『魔素』を糧としているらしい。
しかし、使い魔となった後はシズルの真似をして食べ物を強請るようになり、最近では邸の料理人のガストロが気を利かせて、皆と同じようにザカリの分も食事を用意してくれるようになった。
当初魔狼姿のザカリを恐れていた邸の人々も、人型になるとすらりとした青年姿になるザカリが少し背を丸め、いつも雛鳥のようにシズルの後を追うのを見て次第にその恐怖感も薄れていき、今では彼に声をかけてくるものも多い。
ザカリは今も人型で、背中まである銀の蓬髪、端正な顔立ちの美青年の姿だ。眠っているので今は見えないが、魔狼の時と同じ綺麗な緋色の瞳をしている。
これで中身がアレだから、某名探偵の真逆な状態になっていて『見た目は大人、中身は子供』だ。
そのフレーズを思い出すたび、その某名探偵のテーマソングが頭の中で流れ出し、シズルは思わず口ずさみそうになるのを我慢しなければならなかった。
今も。
そんなザカリの隣では、彼が自他共に認める友達の『イイマドウシ』テッセラが、本を掛け布団にこれまた気持ちよさそうに眠っている。
テッセラはこの魔法の国に数多く存在する魔導士の中で、たった十人にしか与えられない名前を持つ、『番号持ち』と呼ばれるエリートの四番目だ。『番号持ち』になると、生まれながらの本来の名前を捨て、その番号が新しい名前になるという、なんともわかりやすいが名付け親泣かせの仕組みでもある。
しかしこの世界で魔導士、特に『番号持ち』というのは、貴族にとってはこれ以上ない権威付けとなるらしく、子爵家長男だったというテッセラも、弟が生まれた途端、その強い魔力に期待をかけられ、まだほんの子供の頃に親元から離されて魔導士になるべく育てられたという。『番号持ち』の最年少記録更新で、生家は大喜びだったそうだ。
だがやはり幼少期の体験から、テッセラには何か思うところがあるのだろう、魔導士となってからは生家とは没交渉のようだ。
出会った当初は子供特有の残酷さも持っていたが、その後の紆余曲折を経て『イイマドウシ』となり、今はめでたく(笑)このフロトポロス邸で居候をしている。
というか、今でもまだほんのガキンチョだけど、とシズルはザカリと同じようにぐうぐう寝ているテッセラを観察する。
うん、ふたりともとても幸せそうだ。がしかし。
こういうのを見ると、無性に額に『肉』と描きたくなるのは、もはや日本人の業のようなものだと思う。
ちょうどいい具合にシズルは、異世界文字翻訳を書き連ねている、お手製の簡易辞書に書き込むための質の悪い、使うと手が黒くなる異世界印の素敵な鉛筆を持っている。
にやりと、ちいさくて黒い『魔物』がふたりにそっと覆い被さった。




