星は煌めく、闇巫女は呪わない
2019/12/01 漢字表記など微修正したです。チマチマきりがないっつか。
2019/06/01 漢字表記など微修正したです。
■■■ 星は煌めく、闇巫女は呪わない ■■■
雨上がりの朝。夜の間は酷い土砂降りだったが、明け方には雲も取れて清々しい陽気に恵まれた。優しい南風は濡れた草木の匂いに溢れていて、胸いっぱいに吸い込むたび、全身に生命の喜びが満ちるよう。これで靴が泥だらけにならなければご機嫌なのにとミーシャは思った。
「あーあ、今日お休みだったら良かったのに。」
「あの大雨の後ではね。川の増水が大変な事になってなくて良かった。─ジェズもびっくりしたでしょう?」
「大雨の経験はありますが、川があんなに濁ってザブザブしてるのは初めて見ました。少し怖かったです。」
「果樹園から出た泥水が一斉に流れ込むの。これから雨の季節、見回り大変だけど頑張ってね。」
汽車を降りたメリーベル一行は学生らの流れに乗ってダウジングロッドの街並みを歩いている。学園プラチナプラタナスへ登校中である。赤レンガで舗装されたメインストリートは水捌けが良く、泥の着いた靴で歩くと汚れが残る。泥汚れを着けて歩く者は田舎者と馬鹿にされるため、往来の人々は遍く汚れを避けて行くのが常である。どちらかと言えば田舎者のメリーベル姉妹は、汽車へ乗る前に靴の汚れを拭き取っており、地面の泥は避けて歩くようにしている。
一方で汚れに無頓着な使用人は、汚れを見付けた主たちに腕を引かれるようにして歩いていた。ああうんと引かれている内、いつの間にか彼は汚れの発生源の目前まで迫っていた。大きな弦楽器を収めていそうな肩掛けバッグを背にした男子生徒が、身を引き摺るようにして歩を進め、移動の痕跡をベタベタ残している。何だこいつとジェズは追い越し際に横目で相手の顔を覗き見た。
見なきゃ良かった。
「★げっ×!」
「──────よおぉ、ブラック・ドゥー…」
学園に通うもう一人のヴィリジアン、ギギシ・カカシだった。いの音に開いた口からギザギザの歯を剥いてみせるが今日は凄みに欠けている。表から見た彼は顔中と言わず腕から指先までもが包帯まみれで、生気も乏しかったのだ。
「だから、僕はドゥーじゃないって何度言わせるっ。それに何だそのぐるぐるは?まるでミイラじゃないか、」
「↑うるせえっ、それを言うんじゃ★×?っっ~~~いっテテテテ…」
「肌がただれたのか。何だか知らないけど、暫くおとなしくしてた方がいい。」
「チッ×。───そうそう、そう言やお前、呪いの石を探してるんだって?」
「★?!」
何故こいつが知っている、うっかり顔に出てしまうジェズは根が正直過ぎる。
それを見てギギシは愉快になった。実は先のジェズの発言を根に持っていた。
「『持ち主を不幸にする石をブラック・ドゥーが探してる』、市じゃ自分の売りモンがそれなのかで持ち切りだぜ?何する気だ?」
「ブラック・ドゥー??何だそれは?」
「「~~~~~~」」
二人の会話を傍で見ているメリーベル姉妹は気が気でない。ギギシは入学初日の屋上事件の犯人である。箝口令が布かれたため事件の当事者以外に知られてはいないが、彼は日常的に他の生徒らと諍いを起こすため、学園内では厄介な人物として広く知られていた。
そんな不良を相手に我が家の善良な使用人が慣れた感じで会話をしている。良からぬ関係を周囲に疑われたりはしないか、ミーシャは堪らずジェズの腕を引いた。
「ちょっとジェズっ、いいからもう行くよ!」
「★お嬢様?!」
二人の後ろ姿を見詰めながらリュアラも続く。不良とのすれ違い様に相手から声を掛けられ、彼女は驚いた様子もなく三歩ほど進んでから立ち止まった。さらさらと揺れるレモン色の後ろ髪の向こうから横顔が覗く。コバルトブルーの瞳が静かにギギシを見据えていた。
「何でしょう?」
「ブラック・ドゥーを飼い馴らしてどうするつもりだ?」
「私共の使用人はそのような者ではありません。人違いです。」
立ち去ろうとするリュアラの背中をギギシの言葉が追い掛ける。
「←俺様は見たんだぜえ?ブラック・ドゥーの『夜魔の爪』を着けたあいつが、魔法警察を蹴散らしたその現場をなあっ!」
「────────────
──────
────────────────────────人違いです。」
リュアラは登校中の生徒らの視線を撥ね付けるように努めて毅然とその場を立ち去った。取り残されたギギシはケケケと下卑た空笑いを上げてから、大儀そうに再び歩き始める。
やがて校門をくぐり中庭の通りを進む内、ギギシは何かの気配を察知して辺りを見回した。当たりがつくと一応人目を気にしながらすぐ脇の茂みを掻き分け木立の陰に入って行く。
「★いっテテテテ×!~~~……何だお前か、」
「ご挨拶だねえ。お休み中はリフレッシュ出来たかい?」
「ぅうるせえよっ。」
木陰の下には、大きな幹の一つへ片足立ちで寄り掛かり両手をポケットに突っ込む雨合羽が居た。洞の荒事師でギギシの同輩、食人である。相変わらずフードに隠れてご面相は窺えない。後ろの幹へ立てたもう片足の白い腿に木の葉の隙間から射し込む僅かな日の光が揺らいでいる。
「売り物を警察から守るにしたって、わざわざ棺桶の中のミイラに添い寝したとはねぇ。どうだい、死んだ男の抱き心地は?」
「×最ーーー悪だぜ。作りたてのホヤホヤだったからな、ミイラに使われた薬が強烈でこっちの皮膚がヤられちまった。
~仕方ねえだろうがっ、こっちは奴らが見えないのに奴らはこっちが見えるんだぜ?どうにか気取られず至近距離まで近付かなきゃ攻撃出来ねえだろっ!」
「それでミイラ売りがミイラかい。あの霧魔騒動が繰り鉤の仕業だったとはねえ。」
あの食人がくすくすと娘らしい笑いをこぼす。爆弾なら意外にも思っただろうがギギシは違う。食人はかなり以前から素の姿でギギシの生活圏内に現れており、彼は彼女の素顔をよく知っているのだ。
号外の霧魔の正体は売り物を警察から守るため苦肉の策に出た繰り鉤だった訳だが、彼はそのせいで一週間ばかり身動きすら辛い程のダメージを負い、未だに包帯まみれから抜け出せない。今は自分をミイラに例えられるのがどうにも気に入らず、ギギシは食人に嫌な顔をさせてやりたかった。
「ケッ。───で?本家の霧魔騒動はどーしたよ?」
「何?」
「知ってるぜえ?売り物の女子供を殺しまくった霧魔の正体……あの『模型屋』だったんだってなあ。粛清の密命を受けたお・ま・えが、殺しを二度も防げなかったとはね~ぇ。」
「~~だったら何だってんだいっ!?」
「爆弾の手まで借りたんだって?それでまんまと逃げられてペナルティー食らったらな~あ、そりゃあそんなシケた面にもなるわな、」
「ふん、~男のクセに耳聡いんだよっ。~~~──────」
魔法警察も血眼になって捜している連続猟奇殺人事件の犯人、洞の狂った殺し屋「模型屋」の凶行を防げなかった食人は、洞の上層部から粛清の任を解かれてしまったのだ。更にペナルティーとして損失した売り物の売上総額全ての上納を課せられ、近ごろ彼女の腹の虫は悪い場所に居る事が多かった。
言ってやったぜザマーミロ。フードの下に食人の嫌がる顔を想像してギギシは気を良くしたが、続いて発せられた彼女の声に妙な気分を味わう。何が起きたか分からなかった。
「??ぁあ?──何だって?よく聞こえねえ、」
「だからさ、その…耳のいいお前なら知ってるかな、と思って…さ、」
「だから×、何だって?よく聞こえねえっつの、」
「~だあかあら、噂!『ブラック・ドゥーが霧魔を捜してる』って……あれ、ホントかい?」
「あー、それな。噂があるのはマジだが」
「!」
「霧魔なんて居る訳ねーだろ、アホくさ。」
バッサリ。生まれ育ちが本邦の彼でも霧魔は恐ろしい存在でない。彼にとって霧魔などは、恐れるシルキッシュを嘲笑う格好の材料でしかなかった。唖然とする食人をお構いなしにギギシは素で呆れる。
「呪いの石を探してる、ってのが何処かで霧魔に挿げ変わっただけだろ。真に受けてんじゃねーよ。」
「でもさ」
「~うるせえな、だったらその噂がマジなら何だってんだよ?ブラック・ドゥーが霧魔とツルんでシルキッシュを殺して回るってか??怖えのかよ?」
「違う!そうじゃなくて、……ブラック・ドゥーが、霧魔をっ………退治………」
「──何でドゥーがそんな事すんだ?意味解からんわ。おまえ失敗続きで頭イカれたんじゃねーのか?」
「~うるさいねっ、実際そんな話があるのさ!」
「ぁあ?」
「メリーベルの娘の話だと『使用人が霧魔を撃退した』って……」
食人はポケットから抜き出した両手で白い片膝を持ち上げたり緩めたり、やたら子供臭い仕草を見せる。ギギシはギザギザの歯をへの字に剥いた。返された発言内容もさることながら、彼にとって話し相手の今の姿はすこぶる気色が悪い。
しかし彼はポジティブな話題を見出せる前向きな心構えも持ち合わせていた。食人の発言はギギシの提唱する「ジェズ=ブラック・ドゥー説」を肯定したとも捉えられる。彼は少しだけ気を良くした。
「何だ何だ、お前も漸く判ったか。あの酒蔵の使用人、アイツがブラック・ドゥーだと、俺様の言う事が本当だと判るように…そうかそうか。
───ぁあ?何お前?アイツが霧魔ー…っつか、
『アイツが模型屋を仕留めようとしている』とでも言いてえのか?!」
「噂が本当なら…そう言う事にならないか、って。」
今朝の食人の用件はこれが本題か。二度に渡る失敗と金銭ペナルティーが相当ショックだったのか、彼女にギギシは毛の先程だが憐憫の情のような何かをもよおす。
しかし、もよおされた当人の方はもっと別の事が堪えていた。娘ばかり狙う殺人鬼を仕留められなかった事は本より、疎ましく思っている人身売買が相変わらずでどうしようもない事、そして一番のダメージは頼りにしていた助っ人の爆弾から掌を返された事だった。
そんな彼女をギギシは苛む。
「あのな、メリーベルの与太話がマジだとしてもお前の言う通りにはならねえぞ。」
「★?っ何だい、何でだい?!」
「アイツが霧魔を撃退──いいぜ、そう言う事にしようじゃねえか。なら訊くが、アイツは何故そんな事をしたんだ?」
「~~霧魔に襲われたんだろっ?」
「だろうな。お陰であの嬢ちゃん達が助かった──違うか?」
「…そんな話だよ。」
「霧の日に嬢ちゃん達がよく判らねえモンに襲われた、だからアイツはよく判らねえモンを返り討ちにしてやったんだよ。」
「───」
「判らねえか?手前んとこのご主人様が襲われたから『襲撃者が来たから』撃退したまでなんだ。被害も危険も無いならアイツは動かねえ、その必要が無え。」
薄情な解答が癇に障った食人は寄り掛かっていた樹の幹から跳ね起きる。脚の辺りの雨合羽を両手で握り締めた。
「!でも霧魔は」
「霧の化け物なんざこの世に居ねえっ。せいぜい正体は俺様だったり模型屋なんだ。
でもよ、『噂の』霧魔は正真正銘、霧の化け物なんだぜ?確かに猟奇殺人犯を指しちゃいるが、あくまでそれは霧の化け物だ。
──ブラック・ドゥーと模型屋を直に繋げてるのはお前だけなんだよっ、」
「←繰り鉤!」
「!らしくねえな。手前が仕留め損ねた模型屋を別の奴が殺ってくれねーか、って言うお前の未練が馬鹿げた事を考えさせてんだ。──お疲れだぜ、」
「~~~~~~、」
口惜しげに身体を震わせる。今日の食人はいつもの化け物染みた空気が全く無い。いつもの傍若無人がただの我侭になっている、子供のそれである。ギギシは彼女の心労をうつされたような気分になって胸の底から溜め息を吐き出した。朝の新鮮な空気に満ちている樹木の下に居るはずだが、まるでスッキリしない。
話は仕舞いだ。彼は難儀して大きな荷物を背負い直し、踵を返した。
「妙な気を起こすんじゃねーぞ、──忠告したからな、俺様。」
「フン!!」
茂みから抜け出して自分の校舎へのろのろと歩き出す。学生服を雨露に濡らしてしまったが、気に掛ける事も億劫だ。他の生徒らに遅れて暫く歩いていると、後ろの方から文字通り生木を裂く音がして何かの倒れる大きな音が轟いた。立ち止まる頭の上を喧しいさえずり声と共に小鳥の群れが飛び去って行く。食人の八つ当たりに違いない、ギギシはもう一度溜め息を吐き出して歩を進めた。
更に、噂を聞いて悶々としている者は他にも居たりする。
噂の張本人ではなくその主、ミーシャである。授業も程よく上の空。片手で頬杖をつき、もう片手の鉛筆がノートの端に輪を描いていた。
(ブラック←、ブラック→、ブラック←・ドゥー→…~また?まだ?まだ出て来るのドゥーが。
ただの噂ならどうでもいいんだけど、ジェズが家来のあの娘達に探させている呪いの石…呪珠って言う宝石を「ブラック・ドゥーが」探してるって言うのが…何だろ、何か引っ掛かる。)
「──────」
「…お嬢様、」
「──────」
「お嬢様、お嬢様っ、」
「…っ何ジェズ、」
「ぇと、あの…ぇえと、」
「あんたねぇ、だからそうやってモゴモゴするんじゃないのっ。あんな噂なんて気にしない、確りしなさいよっ。」
「そうドゥドゥータン3世は言い放った───」
「?え、どドゥーたん3世?何それ今度は誰?」
「教科書41ページの3行目、」
「教科書??───………★はっ!×」
ジェズへ向いているミーシャの背後、只ならぬ気配に恐る恐る振り向くと、前髪を七三にキッチリ分けているホームベースのような顔をした黒縁眼鏡の中年男性がすぐ隣に立ちはだかっていた。国語の教師である。古文の読み上げ指名をガン無視する生徒を眼下に、茶色いスーツが震えている。外れ馬券の束にしか見えない手元のそれは握り潰された教科書だった。
「噂が何だって?んー??ミーシャ・メリーベル~ぅん?」
「★え?先生、あの噂のこと知ってるんですか?!」
ミーシャは速攻で廊下へ立たされる。小学校以来、流石にバケツ持ちは免れた。
付き人のジェズも隣で一緒に立っている。
「…どうしたんですか、お嬢様、」
「どうも何も。あんた…気にしてないの?あいつの言ってた噂、」
「噂?あの男の言ってた、あれですか?あはは、ブラック・ドゥー…僕の姐が、呪いの石なんて探す訳ないです。僕は気にしてないですよ。」
(僕が酒蔵で学んでいる間、僕が暗礁密林に仇なす者かどうかの審判を姐御様は待つと言ってくれた。だから、ブラック・ドゥーはこの国に居ない。噂はただの噂だ。)
当人は一切意に掛けていない様子。先程モゴモゴしていたのは噂のせいではなかったのか、ミーシャは安心し掛けるが、呪いの石の正体を思い出して困惑する。
「でもさ、もしかしたら、ドゥーが可愛い義理の弟のため本当に石を探してるのかも知れないよ?」
「え?」
「☆★っ!……×、」
「お嬢様?」
「~~んふ?#んーふふふふふ☆、」
ミーシャは慌てて口を噤む。赤味の差す頬袋に閉じ込めた秘密の情報をにやけた顔してごくんと飲み込んだ。いっけなーい、てへ、声として発せられていないがジェズにはそう知覚された。ミーシャお嬢様が見せる初めての奇態にジェズは「ぇえ」と息を漏らす。
ミーシャはミーシャで心臓がバクバク。視線を横へ泳がせる。
(危ない危ない、危うく呪いの石の事をジェズの宝石と言ってしまう所だった~×。あたしがジェズとあの娘達のやりとりを盗み見してたのがバレちゃうぅうぅ……)
ドギマギしている所へジェズが顔を覗き込んで来た。
深緑の瞳に疑惑の色が滲んでいる。
気付いたミーシャは身体が少し跳ねてしまった。
「★っ……、何?」
「……お嬢様、」
「~何…っ何よう?×」
「さっき慌てて飲み込んだもの…」
「★×!?」
「あれは───何ですか?」
気が付くとジェズが正面から迫って来ていた。背中の壁に追い詰められる格好、壁ドン一歩手前の状態。二人の背は概ね同じだが、隠し事のため怖気づいているミーシャは身が退けて、ジェズから少し見下ろされるくらい縮こまっていた。何これ何か怖い、焦る内にも彼はじわじわ間を詰めて来る。視線を逸らせない、瞬く事も出来ない。自分の全てが暴かれてしまいそうな危機感に何故か奇妙な期待が混ざり込み、意味不明の彼女は酷く狼狽する。
自分の顔に彼の影が落ちるほど二人の距離が狭まった。ミーシャは持ち前の恐怖症を起こしそうになったが、ジェズに両肩を掴まれてパニックの質が変わってしまう。
(#近い近い近い近い近い!あれ?ちょっと待って?!何々何この体勢#?あれあれ??何かおかしいよ、おかしいおかしい!?えっ?何で☆、どうして?いやそーじゃなくて!何とか誤魔化さなきゃ何とかしなきゃ!?!?)
「っ#~~~~~~」
「お嬢様、
─────────
─────────────────────気持ち悪いんですか?」
「~~~~……──は?」
「え?いや、さっき戻した物を飲み下したようだったので。ひょっとしてお身体の具合が良くないのかなって、」
「×××###っ~~~~~~
↑もう!そんな物飲み込むか!あたしは全然平気!大丈夫!それより顔!→近いんだってば!!あんたドサクサに紛れてまたあたしにキスしようとしたでしょ!!」
「★えっ?僕はそんな」
「お黙り!!あービックリしたっ#!ホント油断も隙もあったもんじゃないんだから!」
「ぇええ?そんなあ×、酷いですお嬢様、僕は本当に」
「ドゥドゥータン3世だった。」
「だから、僕はドゥーじゃないって何度………」
教室のドアの隙間から七三分けの黒縁眼鏡がはみ出ている。振り向けば反対側のドアからはクラスメートらの首が伸び、廊下の二人を見て含み笑いをしていた。隠し事の詰問をドサチュー容疑の追求で煙に巻こうとしたミーシャの誤魔化しがお騒がせしたようだ。
実際は詰問にあらず、奇行を心配されただけの事なれど彼女は一先ず胸を撫で下ろす。この後、使用人共ども職員室でお説教をご馳走になるため安心している場合でもないのだが。
一方、噂を聞いて内心面白がっている者も居たりする。
花弁を模した上品な水色の小皿に盛られた枇杷。天辺の一つを有難味もなく掴み取ると、器用に皮を剥いてヘタを摘む指先ごと口の中へ滑らせる。そこからヘタと種を出す所作はぶっきらぼう、プラプラ大学校舎の保険医ジュウモンジだ。彼は保健室の床に敷かれた畳のちゃぶ台の前で旬の味覚を満喫している。
その対面には彼と同じく枇杷を口にするものの、大して満喫できぬ者が緩慢な動作で眉をしかめている。ナース服に割烹着を着込んだ助手のトキミである。双方とも無愛想な表情に変わりないが、両者の間には明らかな温度差が窺える。トキミは枇杷など目もくれず目前の黒い男に粘り気のある視線を塗りたくっていた。
「………………………………………………………………」
「何だ?」
「プププーっ。」
ひょい、むきむき、つるパク、むしゃむしゃ、ぺ。
ひょい、むきむき、つるパク、むしゃむしゃ、ぺ。
「↑プースカッ!」
「何だ、何が不満だ、」
「随分と興に乗っておいでのようで、」
「そろそろ一波乱が来る。仕方あるまい。」
「そこは判りますですそこはいいですだからっ。
─お館様、絶ぇえええっっ対に首を突っ込まれるおつもりでしょう?」
「安心しろ、何もしない。」
白々しい回答にトキミは眉間へ皺を寄せ顎がしゃくれる。稀に見る酷い顔だった。
「種は食えないだろう、」
「↑飲み込んだ訳じゃありません×!
あの子達を放っておくと言う選択肢は無いんですか?悪戯に干渉しては、あの子達の抱える問題を深刻にしかねませんよっ?」
「程度はさておき始めから深刻ではあるだろう。それに、完全に第三者では彼らの問題を長期化させる。」
「別にいいじゃないですか。あの子達が時間を掛けて取り組んで行けば良いだけの事です、それがあの子達の人生なのですから。」
「それで幕を閉じたとしても、」
「それも人生でしょう。
──────お館様はそんな事態になるとお考えなのですか?」
私見に保険医との相違を感じ、トキミは少し落ち着こうと正座をし直す。淡い橙色の山を平らげたジュウモンジは胡坐の脚を組み直し湯飲みに手をつけた。
「ジェズを初めて看た時の事を覚えてるだろう、」
「?えぇ。」
「あれは霧魔を相手に闘い、メリーベルを庇って負傷した。奴隷商人に連れられて来た事もそうだが、逃げ出した矢先あんな目に遭うなど滅多な事では無いだろう。」
「そんな連続事件が茶飯事では世も末です。」
「そんな世も末の星の下に生を受けたのだ。本来なら生まれ出でて直ぐ生命を落とすはずの宿命にあったはず。それがあのように長らえている、不思議でならん。」
「数奇な運命の持ち主はこれまでも見て来ました。その中で彼が抜きん出て特異かと言われれば、私は違うと思います。」
「そうか。─そうだな、そう思うだろう。」
飲み干した湯飲みをちゃぶ台に置くとジュウモンジは膝をついて立ち上がり、両手をポケットへ突っ込んで窓の外を眺める。
「私は傍観者だ。
しかしここにはその私も含めて、あのような世も末の星人を観ている別の何かが居るようだ。」
「──お館様も合わせて彼を───洞が…でしょうか?
────!もしかして教会が着目してると言う事ですか?!」
「うむ。──まあ、確かにそれも有るかも知れんな。」
教会とは本邦の立法・行政・司法の全てを取り仕切る最高機関である。魔法警察を通り越し、そんな輩にまでお館様と変わり者の少年が注目されていればそれは大変だとトキミは腕を組む。
彼女の怪訝な顔を見てジュウモンジは鼻から軽く息をついた。彼女の解は的外れでもないのだが、ジュウモンジの期待に気持ち良く合致するものではなかったからだ。彼は目を瞑りトキミへ向き直る。
「賭けをしないか、」
晴天の霹靂。
しかし、それである事の認識に時間を要した。
「は?」
「ブラック・ドゥーの噂の顛末について、賭けをしようじゃないか。」
「★?何を言い出すんですか急に?!飲み込んだ枇杷の種が変な所に入ってしまわれたのですか?!」
「飲み込むものか×。」
「…どう言うおつもりで?」
「此度の件、私はジェズが自前の鍵を一つ使うと踏んでいる。」
「彼が自身の秘密の一部を曝け出すと言う事ですか、」
「それが何かは判らんのだ。しかしそれには恐らく『生命の危険を招く』だろう。他の鍵が闇の中へ葬り去られるとも限らん、私はそれが惜しい。」
「──その通りになればお館様の勝ち、お館様が彼の生を長らえさせる事に目を瞑れ。
そう仰るのですね?」
「そうだ。」
「反対に、彼には何も起こらず噂はうやむや『そう言えばそんな事もあったっけ』となれば私の勝ち。──私の得られる景品は何があるのでしょうか?」
「トキミの言う事を何でも私が聴くと言うのはどうだ、」
「……」
何それ微妙、トキミの目は口ほどにモノを言う。この真っ黒が口八丁手八丁の小賢しい真似などしないと重々承知しているものの、言葉がいまいち信用ならない胡散臭い。そして彼が面倒事へ酔狂にも手を出した結果、失敗もままある事を知っていた。日ごろ不満に思っている彼の生活態度を改めさせる好機に出来るやも知れぬ。そうだけど、
「まぁ、彼が瀕死の重体でお館様の下に運ばれて来たなら医療行為を施す事に文句はありません、それはお分かりでしょう。─賭けは成立しませんね、」
「ほう。」
黒いマンの反応を見たトキミの眉がぴくりと動く。彼の表情筋は微動だにしないが興の乗り加減にも変化は無い。こちらの返答は想定内、心の中でほくそ笑んでいる、そう彼女は確信した。弄ばれている感じがどうにも癪に触る。一泡食わせてやりたい気分になるが、それこそこの墨男の思う壺とも思う。
そして気付いた。賭けは既に始まっている事を。
「~なるほど、そう言う事ですか。良いでしょう、その賭けお受けします。」
「成立だな。」
黒ズミ仏頂ヅラーが後光よろしく上機嫌を放射させつつ自席へ戻り行く。
さながら凱旋の様相、トキミはあの乗り気がどうにもこうにも面白くない。
「お館様、」
「何だ、」
「この賭けは私の勝ちです。」
「時の運だ。どうなるかはその時になってみなければ判らんぞ。」
「そうお思いでしょう。でも判っているのです、私の勝ちなのです。」
「そうかも知れん。しかしどうかな、」
「判りきった私の勝ちなので、もう景品が欲しいのです。」
「どう言う事だ、」
「賭けの前受けです。」
「何?」
賭けの前受け。ユウキ・ジュウモンジは珍かに惑う。
「…前受けが成り立つとしよう。それで賭けに負けたらどうする?」
「私が勝つのですよ?─まあいいです、負けが成り立つとしましょう。その時は潔く景品をお返しします。」
「返せるものと返せぬものがあろう、」
「無くなってしまうモノなら代わりのモノをご用意します。」
「───」
「まぁ、私の勝ちは確定なので本当なら賭けにもならないのに、こぉおんなお願いは少し狡いかも知れませんけ・ど。お館様があくまで賭けであり勝つ自信ありと仰るなら、私のお願いなどささやかなものと思いますが、この条件では…お嫌ですか?」
「……」
我ながら迂闊な事を口走ったやも知れぬ。賭けを仕掛けたはずが上乗せで賭け返された、助手の挑発にジュウモンジは不穏な空気を感じ取る。
「…良かろう。」
「☆流石はお館様、お懐の深さは底無し沼♪。」
「それで、前受けしたいと言う景品は何だ?」
「さっきも申し上げましたが、彼が瀕死の重体でお館様の下に運ばれて来たなら、医療行為を施す事は、私にとって異を唱えたり阻止したいと思うものではありません。それこそ『多少の手心』があったとしても一切ケチなどつけたりしません。」
「?うむ。」
「その上で私が欲しい景品は、
──────
──『彼がこの保健室に運ばれたら』と言う条件です。」
「……」
トキミは見逃さない、底無し沼の左しか見せていない眉が微かに痙攣した。浮ついた後光もすっかり形を潜めている。してやったり、涼しげな顔をしてみせながら込み上げる笑いを鼻から逃がす。暗黒御大はおもむろに咳払いなどし始めた。
「その景品は返せぬものだろう。」
「条件を返上しましょう。その後はどうぞお好きになさって構いません。…とは言え、返される事などお気にされずとも良いのですよ?私の勝ちなのだもの。
それでもこれは成立する賭けだと仰るのですよね?」
「いいのか、そんなモノが景品で。私が何でも聴くと言っているのだぞ?」
「私のような者の言葉など、聴いて頂けるだけでもう充分なのです。」
「ほう、面白いじゃないか。」
「それは何より。」
「「───」」
「フ、」
「ふっ、」
「フフフ、」
「ふふふ、」
「フフフフフフフフ、」
「うふふふうふうふ、」
黒白の間に不気味な作り笑いが交わされる。一見どろどろしているようだが、二人にとっては今日のような雨上がりの陽気の如く、清々しい日常的なやりとりなのだ。奇妙な取り合わせである。
兎にも角にも、闇巫女の影響力は事程左様であった。
☆☆☆
「ふふっ♪、──うふふうふうふ@、」
「お嬢様、お気を確かにっ。
──ロウバルさん、どうしましょう?×」
「と、言われましてもねぇ↓。」
リュアラの訪問販売は、開始した先々週から引き続き順調に難航している。未だ新規契約は取れていない。かくなる上はと医薬品の配達員、客先訪問のエキスパート「ポンさん」ことポンザ・ロウバルに便乗して酒類の売り込みを試みるものの、尽く失敗を積み重ねている。
テーブルターニングの倉庫街に近い整体医院の裏路地で、打ち震えるリュアラにポンさんは恐る恐る声を掛けた。
「あのう、お嬢さん?やっぱり…私がですね、薬と一緒にですね、酒をお客さんへ勧めた方がいいのか~な?と、私は思ってまして、」
「うふふうふっ@、~~~何で?」
「え?」
「ビッチ?★ビッチってどう言う事ですか??」
「えっ?──ぁあ、そう言う事ですか。えーと『ビッチ』って言うのは、水商売の」
「↑↑そーゆー事じゃなくてっ!言葉の意味くらい私だって知ってます!理解できないのは、一体私の何処にそれを思わせる要素があるのか?!と言う事です!!」
「×いやあ。だから予め言ったじゃないですか、ここの先生はちょっと大柄で」
「大概と言います!柄が悪いなんてものじゃありませんっ!何ですか?!人を見るなり腰付きがエロだの誘っているだのと!」
「そう言う店を渡り歩いているって自慢話は聞」
「ああそうですかっ、なるほど。単純に、あの先生は世の女性をそう言う見方しか出来ないって事なんですねっ。」
「そう言う店で客室乗務員の恰好をしてもらうのがマイブームだそうで、」
「………は?」
「マイブーム。」
「マイブーム?」
今度のポンさんの回答はリュアラに意味が通じない。
「ソニック」
「マイブーム。」
「どう言う事です?」
「えーと、お嬢さんの容姿…ルックスと言いますか……と、着ているその服が、あの先生の最近のお好みの組み合わせだったんですよ……そのお店での。」
「───、」
「で、私がお嬢さんを携えて現れた恰好に刺激を………性…的に?受けて『非常に解かってるじゃないか君』とお褒めの」
「★↑はぁぁぁぁぁああああああっ!?」
「×それでお嬢さん?やっぱり契約はしな」
「←←しーなーいーでーすっ!~人をビッチ呼ばわりした挙句、『次回に君一人で来訪したなら、契約を前向きに考えよう♂』ですって?!お酒じゃなくて私が目当てなのは明白じゃないですか!!お酒を売るために身体を売るなんておかしいでしょう!↑そうでしょう?↑」
「で、ですからお嬢さん?やっぱり私が薬と一緒に酒をお客さんへ勧めてみ」
「★それは待って!私にやらせてっ!!」
酒類の訪問販売は酒蔵メリーベル次期当主の新たな試み。販売実績さえ伸びれば充分に功を成したと言えるが、リュアラは自分自身を表立たせる事に固執する。それは商売敵メディスン・ビバレッジの次期当主有力候補、デコマヨことマイユネーツェ・メディスンの企画成功の眩い光景がリュアラの心を捉えて離さないからだった。
埒が明かないとポンさんは肩を落とす。
「はぁ↓、そうですか。」
「すみませんロウバルさん×。こうなるとお嬢様、言う事を聴いてもらえないもので。」
「君も大変だねぇ…」
「×えぇまぁ。僕はもう慣れてますし。」
「ジェズ!」
「★わあ、はい!」
「貴方は私のこの姿を見てどう思うかしら?」
「素敵だと思います。」
「☆──そう、どんな風に素敵なの?」
「…引き締まってるんですが、ちゃんとっ、柔らかい雰囲気もあって、その…」
「どの辺りが?」
「……く、首の襟周りとか、腰周りとか?……胸元とか……お、お尻とかー………」
リュアラがジェズを見詰める。
主の意図が読めぬ使用人は視線の照射にひたすら耐え続ける。
(なんかマズい→。僕、なんかダメなこと言ったかな?『いやらしい目で見ないで!』って怒られるのかなあ?×)
「…ぁぁああと、あぁあぁああれですよ?ぼぼぼ僕いやらしい目で見てる訳じゃないんです!決っっしてお嬢様目当てでお嬢様を見てる訳じゃなくてですね!えとえと」
「──────、」
リュアラの笑顔を見てジェズは安堵の息をつくが、差し出された右手に頬を触れられると総毛を逆立てた。優しく撫でられているのは間違いないが、その掌は驚くほど冷たく、それでいて接触面はチリチリと肌を焼くような刺激を帯びていたのだ。
彼は気付かない。余計な一言が全てを台無しにした事を。
「××お嬢様、」
「貴方には少し…『お勉強』が必要のようですね───」
「!!★×★×」
「ポンさん~。私達は今日の所これで切り上げて、倉庫へ立ち入り、そして時間を惜しみなく、それから状態の確認と適切な『処置』をしてから……酒蔵へ戻ります。配達のお仕事を引き続きお願いします。」
「えっ?──あぁ、→そうですか。分かりました。」
「★×!★×!!」
ジェズは言葉を発せられぬままポンさんへ涙目で救いを請う。
声無き哀願を向けられる彼は、制帽を目深に被り組み合わせた両手へ額づいた。
(精霊よ、彼の者に憐れみを…)
(×ロぉおおおバルさーんっ!?)
(願わくば、魂の安らぎを…)
(←なにゆえ?!なにゆえお祈るの?!)
(私がしてあげられるのは、これくらいだねぇ…)
(★×いいいいいやあああハあハああああああっ↑↑!!)
魂の安らぎだけは精霊に申請してもらえた憐れな者が、憐れにする者に誘われるかの如く強制連行、そして訪問販売専用車の運転席へ閉じ込められた。自らの運転でドナドナと言う新しいスタイルに、一人残されたポンさんは彼らの車が走り去る様を見ながら感傷に浸る。
「平和とは───誰かの犠牲の上に成り立ってるんだなぁ…」
ポンさんの中ではさらっと終わった事になっているが、生々しい今のジェズは倉庫街にあるメリーベルが契約する倉庫へ車を着ける。冥府の河で船頭を強いられる亡者の気分だこれは、でもそれってもう死んでるよね、絶望にジェズの顔から血の気が失せた。
彼は専用の小型サービスワゴンと共に車を降ろされる。何食わぬ顔のリュアラは鼻歌まじりに車のドアを施錠すると、近在の管理人のもとから倉庫の鍵を預かって来た。それがジェズに手渡される。
「扉を開けてもらえるかしら。」
「ぇ………あ→、」
「さあ、貴方の手で開けるの。」
「あの×…そのっ」
「いいのです、誤ちは正せば良いのです。この扉はその一歩…」
「は×…っはわああああ!」
「私が教えてあげます←。」
リュアラはやおらジェズの背中に回り込み胸元へ両腕を這わせる。
その手で鷲掴むように爪を立てると彼のすぐ耳元へ囁いた。
「『貴方の肉体に』…『貴方の魂魄に』……」
「★@あばばばばばばば→←→←!?」
「おいっ、」
「!何奴っ!?」
不意に声を掛けられリュアラが身を翻す。一体何処の手練れか。
振り返った先にはローブを身に纏う怪しげな男が立っていた。
「その車は何だ?何を積んでいる?」
「こちらの質問が先です、どちら様ですか?」
「…ガノエミーの者だ。」
リュアラは企画部長である叔父の話を思い出す。男はここより西側を縄張りとしているヤクザ「ガノエミー一家」の人間だった。荷物をむりやり検められる上、開梱まで強要する迷惑な連中らしいが、自分達の持ち合わせに手の込んだ梱包の品物はないため、リュウラはとりあえず無害と判断する事にした。
無返答に少し苛立った様子の男は言葉を荒げる。
「~こっちの質問だ、車の積荷は何だ?」
「お酒です。」
「見せろ。」
「いいでしょう。─ジェズ、」
「はい、お嬢様。」
手渡された車の鍵はすんなり受け取る。特に臆する事もなく指示通り動くジェズを見た男の表情が少し変わった。訪問販売専用車の寂しい荷台から持ち出された酒瓶の箱詰めを見ると妙な顔付きになる。
「酒蔵メリーベル…」
もうお気はお済みでしょうと言った体でリュアラがジェズの横に並んだ。
「はい、当酒蔵の訪問販売サービスでございます。ご贈答でしょうか?内使いでいらっしゃいますか?定期宅配のご利用も請け賜っております。」
「…あんたひょっとして、メリーベルん所の嬢さんか?」
「お見知りおきいただきまして光栄に存じます。」
恭しく礼をする。ヤクザになどと、と言う意識が全く無い訳ではない。しかし売り物を買ってくれるのなら立派な客であり、決してぞんざいには出来ない。リュアラの出した回答は「通り一辺倒」、酒類の製造・販売の関係者らへ自らが紹介された当時と同じ応対だった。
彼女の言葉を傍らで聞くジェズも当時の事を思い出す。
それは半年前、酒蔵メリーベルの次期後継者が紹介された懇親会の開催日。
彼らが初めて出会ったのはその夜の事である。
ローブのヤクザはリュアラとジェズを見定めるように代わる代わる見入る。一頻り見終えたのか、無精髭の残る顎を片手で摩りながら落ち着いた声で申し出た。
「ウチで商売してみねえか?」
「──と、仰いますのは?」
「ウチのお頭ならその訪問サービスとやらを気に入るかも知れねえ。」
「───、」
「商売する気があるなら会わせてやってもいい。」
「──────」
リュアラの出した回答は「通り一辺倒」。商談に乗ってくれると言うのだ、全く契約を取り付けられていない今の状況下にあって、この好機を逃す手などあり得ない。相手がヤクザだろうとこうなったら意地である。彼女は男の案内でガノエミー一家の屋敷へ赴く事にした。
車で移動する事30分、目的地は倉庫群から少し離れた小規模なビル街の中に在った。建屋は昔話の魔法使いが集団生活を営んでいそうな古臭い物件だが、随所に入念な手入れがされているようで、近代的な建造物に囲まれていながら淘汰される事無く厳かに存在を誇示していた。
樫の木で出来た大きな扉の片方だけを男が開く。重々しい挙動だが蝶番から軋む音はさほどしない。通された薄暗いロビーへ射し込む白々とした日光が閉じる扉に遮られると、まるで時代を遡ったかのような錯覚に囚われる。ランプの灯りに照らし出される古い意匠の数々、自分達が過去の遺物として記憶している物がここでは現物として今尚息づいているのだ。
リュアラは思う。この屋敷の敷地内は新興国トランプではない。
(旧国帝政【タロット】、かつて呼ばれた魔性の国が今もここに…)
男の指図でメリーベルの二人は暫くロビーに待たされるが、替わって現れたメイドに屋敷の中を案内された。小柄な少女で濃紺のショートボブは巻き癖が強く、水揚げされた海草のような前髪に隠れて目元はよく見えない。聞き取り易い声だが口調は陰気で、何処か大人びた所作にリュアラは不安を掻き立てられた。
屋内の空気からしてそうだ、古臭いくせに生活感があり、それでいて人気が全く感じられない。強烈な違和感。
(随分と歩くのね。そんなに大きなお屋敷には見えなかったけど、かなり広さがあるように感じる。それにここ、さっきも通ったような──階段も下りたり上ったり、何階に居るのかも分からない。大昔の貴族のお屋敷によくある仕掛けか何かかしら…)
「…あのぅ、家主様は一体どちらに?」
「ご主人様は突き当たりのお部屋です。」
長い回廊の中程、大きな時計の置かれた所でリュアラの問いにメイドが答えた。立ち止まったまま掌を前方へかざす。
「どうぞお先へ、」
「は?」
「ご案内できるのはここまで。先へはお客様方だけでどうぞ。」
「…そうですか、ご案内ありがとうございます。──行きましょう。ジェズ、」
時計の鐘が午後4時を告げようとしていた。
「はい、お嬢様。」
ボーーーオオォンンン…
二人が歩き出す。
ボーーーオオォンンン…
メイドの口が三日月のように裂ける。
ボーーーオオォンンン…
リュアラは何かに心の臓を貫かれる。
ボ
凄まじい轟音が屋敷全体を揺るがす。
「★★!?」
何が起きたか分からない。爆風のような衝撃に翻弄されリュアラは姿勢を崩し、その場へ手を付いた。生きた心地のしないまま胸の動悸を片手で抑え顔を上げると、まるで巨大な球体が衝突したかの如く凹む回廊の壁面にメイドの額が埋まっている。その後ろを血管の浮き出た五指が未だ絶大な圧を以って押え付けていた。
それは眉間に険しい皺を寄せるジェズの伸ばす左腕。何が起きたか分からない。
「…っジェズ??」
「痴れ者め、貴様のソレは民草に向けて良いものではないっ。~~そんなモノを我が君に差し向けるなど愚かも愚か!この狼藉、万死に値するっ!」
「コロしてやる………コロしてやる……コロしてやる…コロしてやるっ…」
「疾く答えよ、娘。何が目的だ、」
「~コロしてやるっっ~コロして…コロしてっコロしてコロしてゴロじでっっ」
「答える気が無いならそれも構わぬ。このまますり下ろし顔の皮も肉も削ぎ落してやる←。」
「×?お止めなさいジェズっ!!」
「ぉおーーーーーい、待っとくれーーーぃ。」
向こうから男の野太い声が飛んで来た。リュアラは咄嗟に振り向こうとしたが、身体を強引に引き起こされ頭ごと何かに拘束される。その身体を力強く抱き留めていたのはジェズだった。目と鼻の先の彼の顔にリュアラは驚くが、その表情が切迫している事に気付き平静を取り戻す。
「ジェズ?」
「お静かにお嬢様っ。←後ろから男が近付いて来ています、僕がいいと言うまで決して後ろを見ないで下さい。」
「?一体何が」
「いいからっ。男を絶対に見ないで、絶対にです!」
「──わかりました。わかったから…お放しなさい、」
「お願いです。絶対ですよ、」
ジェズはリュアラをすぐ隣へ立つよう導いた。息も絶え絶えに駆けて来る男へ背を向ける格好で二人並ぶ。姿勢を正した目線の先、大きな時計の近くで壁の破片にまみれ蹲るメイドの姿が視界に入り、リュアラは改めて動揺した。腕や脚に滲む血、大きく凹んだ壁、何をどうしたらこうなるのか全く理解できない。
二人より後方4m程の場所で男が立ち止まった。相当慌てていたのか、乱れた息を苦しそうに整えている。二人から見えないその男は、恰幅の良い身体を赤シャツ黒ネクタイに白スーツで着飾り、首の無い頭は異様に白い肌の丸坊主、大きな鷲鼻に丸いサングラスを掛けていた。歳は60半ばと言った所、その身に相応しくない運動をすれば息も切れよう。
「ふうぅ↓………
いやあ済まなかった。あの子に『殺気』を向けるよう指図したのは、儂なんだ。悪いが君達を試させてもらったのだよ。こちらに敵意は無い、許してくれ。」
「試す?一体何を」
「←いけませんお嬢様!!」
「★☆あっン!?」
思わず振り返ろうとしたリュアラをジェズが制す。彼の有無を言わさぬ荒々しい扱いにリュアラは変な声が漏れてしまった。掴まれる肩が握り潰されそうなほど痛い。彼が何故こんな乱暴をするのか判らないリュアラは、幾ばくかの恐怖と余りの痛さに声が湿る。
「…ジェズ、っ痛い××」
「~絶対に見ないでと言いましたっ、」
「××分かったから、分かったから放して…」
「分かりました。→───男、何者だ?何の目的でこんな事をする?」
「儂はこの屋敷の主【ジェラルド・ガノエミー】。代々この辺りの土地を取り仕切っとる者だ。」
メイドの危機に馳せ参じたのはヤクザの頭領だった。おかしな具合である。
困惑するリュアラにジェズは耳打ちした。
「あの男『邪視』です。」
「…邪視?」
「視線の合った者の生きる精根を根こそぎ枯らしてしまう眼力の持ち主です。あの眼を見たらおしまいなんです、死んでしまうんですっ。」
「?…貴方は一体何を言ってるの??」
「☆フあーっはっはっはっは!既に気取られてしまったか。あの噂は本当だったのだなあ☆、こりゃ間違いないっ♪!
流石は暗礁密林の魔物『闇巫女ブラック・ドゥー』よ!!」
「★?……我はドゥーにあらず。」
「フあはは、なあにトボけんでもいい。カタギが邪視など知るまいし、ましてや察せるはずは無かろうが。
儂はなあ…待っとったのだよ、君を。君達を。」
「どういう事だ、何を知っている?」
「そうだ儂は、知っている。君達が───ブラック・ドゥーがかつて霧魔を滅ぼした事を。」
「!」
衣擦れの音、邪視の男ジェラルドが身に付ける物を直している。酒樽のような腹周りの皮ベルトを両手でたくし上げ、ネクタイの結び目などを整えた。
「君達に頼みがあるのだ──────
───
──────今一度、『霧魔を闇へ』葬り去ってはくれまいか。」
☆☆☆
また夜の帳が降りて来た、そろそろ頃合いである。
再開発区画へ程近い、都の所有する緑豊かな公園には展示施設がいくつか点在している。こんな時刻にもなると人影は疎らになって来るのだが、そんな状況でも施設の職員によって霧避けの篝火が焚かれ始める。一部に夜通し人の居る施設もあるためだが、明かりを避けて草叢に潜むザクレアとユーディーはその光景を見て不思議に思っていた。
「──実は火を点けたいだけなんじゃないか?」
「溜まってんじゃない?欲求不満が。『万能文化わキュークツだ~@』」
「文明国家が笑わせてくれる。」
「!来たよザクレア、」
お出でなすった、二人に緊張が走る。セパレートの普段着の胸元や脚の付け根周りの裾を無意識の内に指でなぞり直した。
ジェズの家臣「ナスカ」であるザクレアとユーディーは或る二人組みを尾行している。
聞いた所によると二人組みは「宝石商の使い」で、どうやら呪いの石の行方を嗅ぎ回っているらしい。話を聞き付けたザクレアとユーディーが使いを追ってここへ辿り着いたのは一昨日の事、彼女らは近代的ながらも旧国の風情を醸し出す一際大きい施設のすぐ傍に潜伏中である。
そしてその敷地内へ使いの二人組が通用門から入って行った。
一人はヴィリジアンの成人女性。背格好はザクレアよりも高く、黒のスーツをタイトスカートとハイヒールでキメている。光沢の乏しいグレーの髪を後頭部で細長い尻尾のように結い、刃のような前髪の隙間から葡萄色の瞳が鋭い眼光を放っていた。端正な鼻立ち、青白色のクチベニが彩る唇、近付くだけで切れてしまいそうな雰囲気がユーディーは何だか鼻に付く。
もう一人はシルキッシュの青年で、ジェズよりは背が高く痩せ型。飾り気の無い白シャツ、赤銅色のズボンに運動靴と冴えない学生のような恰好をしている。黒い髪はモジャモジャで柔和な幼顔だが、瓶の底のような眼鏡に隠れる群青色のくすんだ瞳からは苦労が透けて見える。相方が並ぶとやっぱり見劣りする所だけならザクレアはご愛嬌と思わなくもなかった。
「ここで見たのはこれで二回目。しかし、」
「あの感じだともっと来てる。──アタリだね。」
「【キーニング国立美術館】、殿下の呪珠はここにあるっ。問題は、」
「あいつらより先にどうやって呪珠を手にするか…」
「「~~~あーダメだ×。もー頭イタい×。」」
「食べるか?」
「いただき。」
暗い草叢の中、ザクレアが腰巾着から取り出した二つの小さな包みの一つをすぐ隣のユーディーへ手渡す。二人揃って包み紙を広げ、現れたキャンディーを口の中へ放った。包み紙を六つ折りにして腰のポケットへ差し入れる、挙動は全く同じ。右の頬に含んだキャンディーを左の頬へ転がすタイミングも全く同じ。味の好みも同じで、二人の最近のお気に入りはコーヒーキャンディー。口いっぱいに広がる香ばしいほろ苦さと優しい甘味に暫し和む。
((#えへへぇえ…))
「って緩んでる場合か×。やっぱり泥棒に入ろう、」
「だから×、あんなデカい建物の何処に呪珠があるかなんて外から判らないじゃん。せめて中を下見できれば良かったんだけどね~。」
「~あの受付といい警備の男といいっ、こちらの話をまるで取り合わないわ、客として入場しようものなら服装制限がどうのとうるさいわ、思い出しただけでも腹が立つ!」
「見下されるのはいつもの事だけどね。でもあのお偉いさん、えーと……館長…だっけ?あの人だけは親切丁寧に説明してくれたよね、『嘆かわしいが外国に対する顔と言う意味が』ーとか何とか。」
「フン、所詮は脆灰よ。~と言えど『国立』だ、中の護りはそれなりに厳重のはず。無策で飛び込めば失敗するだけだろう。」
塀や柵を越えて建屋に潜入するだけなら出来るのに、ザクレアは歯軋りでキャンディーを噛み砕く。
「ここは地道に、夜中に館内の下調べをしてから奪還だ。品を並べて見せるだけのここなら呪珠を加工したりしないから台無しにされる心配もない。」
「悠長してられないでしょ、どーすんのあの二人組み×。あいつら正攻法で呪珠を手に入れるつもりみたいだけど、オタオタしてたら先を越されちゃうよ?」
「×分かってる。一昨日はたまたま奴らの近くで成果が無かった事を盗み聞き出来たからいいけど、奴らの交渉が巧く行けば今夜にも呪珠を奪われかねないっ×。
──阻止するための選択肢は二つ、呪珠を手に入れられる前にあいつらを襲うか、呪珠を手に入れたあいつらを襲うか…」
「襲う一択×。男の方なら何とかなりそうだけど、あの女!~あいつ絶対ヤバいって!」
「女一人に私たち二人掛かりなら」
「×だからー、私自信ないって言ってんじゃん。」
「↑悔しくないのか?」
「悔しいけどさ~×。結局戻って来る訳よ、問題がーぁ。」
「~~~、」
戻って来る問題。それは例の二人組みが呪いの石を求めるそもそもの事情である。
「持ち主が不幸になる石…そんな噂を自分達で流しといてナンだけどさ、不幸になるんだよ?フツーの奴が欲しがる訳ないじゃん。」
「…こないだの石工みたいに、ブラック・ドゥーが探してるって噂の方を真に受けた宝石商がドゥーに売り飛ばそうと」
「居るかそんな奴っ×。暗礁密林の私らからして闇巫女がこの世の者だなんてこれっぽっちも思ってないのに、この国の連中が伝説上の人間相手にそんな気を起こすかっつーのっ。
…もうさ、現実的に考えたらさ───確定しちゃってるんじゃん…」
ユーディーの萎れた声を聞いてザクレアは顔を掌で覆う。
考えたくない難問に腹を括りかねている。
「呪いの石…殿下の呪珠、用のある者と言えば第二王子しか居ないっ。あの二人組みは彼の息が掛かった奴らだろう。ブラック・ドゥーの噂を流したのも恐らく奴らだ。」
「男の方はさておき、女は臣下でしょ多分。あの筋肉野郎、キレ者好きだもん。見た目からもうぴったりじゃん、あの女。」
「私達が現れる事は想定済みに違いない……近くに彼が控えてないとも限らない。」
「お手上げ~。もう私ら指を咥えて見てるしか出来ないよ、」
「←ユーディー!!」
「←じゃあどーする!死にに行く!?」
光源らしい光源のないほぼ闇の中で二人睨み合う。互いの意見をぶつけ合った格好だが、全ては互いに自らの中で葛藤し切った内容であり、互いの気持ちも全く同じだった。
解かっている。最良の選択などやってみなければ判らない。ならば、
「いいかユーディー、呪珠が第二王子へ渡る前に奴らの動きはどのみち封じなくちゃならないんだ。
二人で女に仕掛けるよ、私が先攻する。」
「×ザクレア!?」
「お前は寸前で男を人質にするんだ。そいつを盾に後攻しろ。あの女を墜とすために今私たちの出来る事はこれくらいしかない。─最悪の場合、お前は離脱しろ。」
「★っ!」
「そして明日来られる殿下に助力を請うんだ。奴らは私が足止めする。」
「↑足止めになるか!!そんなのザクレアがバッドエンド確定になるだけじゃん!~~
………………」
「──何だ、どうした?」
「そっか。」
「え?」
「今思い付いた。明日なら殿下に助けてもらえる訳じゃない?」
「ぅ……まぁ、そうだ。」
「奴らが外に出て来るまで時間が無い←、」
「★おい、ユーディーっ?!」
ザクレアに肩を止められるユーディー。彼女は美術館の周辺を凝視してからザクレアへ向き直った。草叢へ漏れ入る僅かな明かりがユーディーの肌を照らし星のように揺らめく、その様を見たザクレアもユーディーと同じ考えに至った。
「──そうか、その手があったか。確かに時間が無いな、」
「行くよっ!!」
「「Kouyuib ma okmuinn oe cmhoo yuitmeon mniin aesmoubz...」」
目を閉じた二人が奇妙な言葉を発する。
「「Uaawya at kaaashhu iroedrou rf uiaayk, auks at sohni nyeotuu kk oauyn...」」
呪言の唱。虹族の王家に連なる者らが受継ぐ秘術、顕現の儀式。
「「Aighai ks ionmuiot jeizh ai rkeagtoa tto aw moitna ukoupm ni oyhauis, nu no ir iodw ei te ek suyo.」」
詠唱の終わり。二人の褐色の身体に白い六芒星の尾を引く紋様が巡る。
立ち上がり前を見開く瞳に湛える妖しい光、全て二人同じ。
「「【煌闇精ノヤドリ】っ!────」」
それは凶兆のほうき星、そして希望のながれ星。
暗緑の星霜より六芒に輝く双星が魔性の国へ舞い降りる。