黒ワイン
2019/12/01 漢字表記など微修正したです。何か後から気になって来るんだなあ。
2019/06/01 漢字表記など微修正したです。
闇。燭台の僅かな明かりが書類の散乱する机上を照らす、それは天井の高い広大な書斎のほんの一部分にしか過ぎない。その心許ない光が及ぶ圏内には随分と背もたれの高い椅子が置かれており、そこへ男の影が静かに座り込んだ。スーツを着ていると思しき影は長身で、髪型は荒波の如く乱れており、古典に出て来そうな放蕩者の音楽家を思わせる。顎の尖った小奇麗な顔立ちをしていた。
影は落ち着いた様子だったが、俄かに乾いた咳をして浅くため息をつく。やや低めで気難しい感じの何処かうらぶれた声。
「──やれやれ、とんだ目に遭ったものだよ。僕の長年追い求めて来た『ステキな構想』が漸く完成を見ようと言う大事な時に……あれやこれやと騒々しい事この上ない、煩わしいにも程がある。
とは言え、障害が有れば有るほど恋焦がれる気持ちは強くなると言うモノ、こんな演出も嫌いじゃあない、↓…嫌いじゃないよ。」
両肘を机上に立て、伸ばした両手の指を交差に組む。唇が渇いたのか上と下と交互に口中へ引き入れた。笑みの形に開いた口はまるでヘビのよう。
「あの『番の翡翠』を欲しがるとは、拗れた物好きも居たものだ。あれは恐らく、地中深く埋もれた太古の生物の骨格が長い年月を経て宝石成分に置換した物。その学術的価値、神秘性を彼らが見抜いてるとは到底思えないね。値段など付けられんよ、浅ましい行為に及んでいると何故気が付かない、だから商人は嫌いなんだ。
まぁ、手放す気は微塵も無いからどうでもいい事だが。」
影は天を仰ぎ両手を頬に宛てる。恍惚とした声で歌うように喋り出した。
「何せ僕あ、色の中じゃあ緑がとってもとってもとーーーっても好きなんだよ#。
古い古い言伝え、緑の色はいわく付き。
緑色は「中心」の色。指し示す方角は東西南北どれでもない、虹の中でも真ん中だ。
緑色は「不要」の色。草木の葉っぱがそう見える、それは他の色を全て吸い取るから。
緑色は「嫉妬」の色。比べたがりの嫉妬深い化け物は、決まってそんな色の眼をしてる。
緑色は「妖精」の色。その色の服を着ていると、妖精が好んで攫いに来てしまう。
緑の色はいわく付き。」
耽溺している所で酷く咳き込んだ。ポケットから取り出したハンカチで口を覆い、症状が落ち着くまで暫く堪える。嚥下して喉を鳴らすと、諸手で高らかに空を抱え全身を震わせた。役者のような振る舞いだった。
「↑ハハハハハっ!やらないよぉお??僕が手に入れたのは偶然じゃあない、こうなる宿命だったのさあ!
…僕あ…僕あね、あの石がとっても好きなんだっ。あの石はもうステキな構想の一部分なんだよお!絶対必要の不可欠な要素なんだよお☆!ハッハーーーーっ!!
────↓───↓↓──さ~ぁ、今さ今なのさ~。後は瑞々しい果実を集めるだけ、それに必要な物は取り揃えてある!あぁ~はあぁ#待ち遠しい、僕あ高揚が抑えられないよっ↑ほおおおおおおっ!!」
熱に中てられたように独り言を重ねる度、影の頭がぎこちなく震えながら横へ傾斜して行く。直角まで折れると突如肩を脱力させ、擦れた声で呟いた。
「───占い─────────当たって、欲しいなぁ…」
蝋が尽きる。影が影でなくなる。闇。
■■■ 黒ワイン ■■■
横切る大きな影を前にミーシャは車の助手席の窓を開け、身を乗り出して人差し指を突き付けた。
「~ぁああああもおおおっ×!人が急いでるって時に船なんか通すなーーーっ!」
「怒鳴っても早くなりゃせんぞ、」
「↑きいいいいっっ!!」
よく晴れた日曜の早朝、ミーシャを乗せたジュゼッペの運転する買い出しの車は、テーブルターニングの目前で屹立する架け橋に足止めを食らわされていた。橋の退いた運河を大型船舶が航行中である。本邦へ寄港する船の殆どは海岸沿いに停泊するが、内陸の湖まで向かう船も稀にあった。この船を追い掛けて行けば、閘門の水位操作により船舶が遡上して行く光景を目の当たりにする事が出来る。因みに、本邦で呼称されるエスカレーターとは、港湾運営機構の管理するこの閘門式運河を指す言葉だ。
(~この胸騒ぎ───あたしが何とかしないとっ。)
これは女の勘、ミーシャは嘯く。一刻の猶予もならぬ何とかせねばならない彼女の問題とは「姉と使用人の内情」である。訪問販売から帰って来た昨夜の二人は様子がおかしかった。単純に「未だ新規契約が取れず気落ちしている」と言うような空気では断じてない。
(昨日二人が玄関に入って来た時、疲れ切ったお姉様の肩をジェズが持っていた──)
リュアラが肩のジェズの手へ掌を重ね二人は暫し見詰め合う。悲哀がありながら妙に潤っていると言うか、艶のある視線や唇と言うか顔顔、醸し出す雰囲気と言うか小宇宙的フォースフィールドと言うか何と言うか云々かんぬん。インターセプトを突貫してみれば応答はいつも通りで話の内容はおかしくない変じゃない。
だから怪しい。それが怪しい。
苦虫を噛み潰すと味は口中においてこんな風に広がる、今のミーシャが正にそんな顔をしていた。
(だいったい、そのあと人が寝静まった夜中にお姉様は自室を出てった。よーやく戻って来たかと思ったら何あの仕草?髪の横をたくし上げて後ろへさら~り靡かせてさあっ、何?何なの?!部屋入る前にそのアクション必要??~~
──きっとジェズが絡んでいる、あたしの勘がそう告げているっ。非番の今日、二人して朝っぱらから訪問販売に出掛けたのが何よりの証拠!)
昨夜の玄関、何気ない会話を交わしたのち姉は妹とすれ違う。その直後、妹の世紀末的劇画調の括目が去り行く姉の背を虎視眈々とサスペンスしていた。それから妹による夜を徹したストーキングは今なお継続中、この隠しスキルは板に付いた感じさえある。
彼女の覗き見は高等部入学初日に遭遇した屋上事件の偶然から始まった訳だが、今となっては前回の買い出しに引き続き自発的かつ積極的に行動している。自分がナントカなど最早こじつけで、ストーカー気質が自らの性癖として成熟しつつある事を彼女は自覚しない。思い至った所で事実を認めようとはしないし、省みる気すら起こさないだろう。
そんなミーシャを長老マルチーズが円らな瞳で真横に垣間見る。雲行きの怪しさに呆れつつ視線を前へ戻すと、顔の部分で唯一白髪より露出する鼻を吐息雑じりに鳴らした。架け橋が下りるまでまだ間がある、ジュゼッペは手元でコーンパイプにハッカなどを仕込み始める。
そもそも彼は今日の非番を、遅れ気味である新築バンガローの基礎工事に充てようと早朝から作業に取り掛かっていた。しかし、丘の麓から漫画のような土煙を上げて突っ走って来た現当主の愛娘に拉致され、こうして車の運転係をやらされている次第だ。
「なあミーシャ、」
「なあに小父さん、」
「今日のお目当ては何だね?」
「大丈夫、女の勘って大体当たってるから。そう思うでしょ?」
「そうさのう…───」
暫くの沈黙、ちょっと何を言っているのか解からない。通り過ぎる船影を上の空で眺めながらジュゼッペはコーンパイプを上下に揺らせる。娘らの買い物を付合うくらい彼にとって吝かな事ではないのだが、何だか段々と吝かになって来た今日この頃である。
そんな追従を知らずの内に振り切っていた姉と使用人は倉庫街へ訪れていた。
扉を閉めた倉庫のガレージは格子越しの僅かな窓明かりしかない。そこに停めた訪問販売専用車の薄暗い荷台の中、リュアラは着替えをしながら昨夕の出来事を思い返す。ここより西方を縄張りとするヤクザ「ガノエミー一家」の頭領ジェラルドの言葉が頭の中から離れない。
(呪いの力「闇の法」を繰るブラック・ドゥーを囲っている。メリーベルが「裏仕事」に手を拡げたものと思っていた───)
「囲うだなんて。──裏の仕事…」
頭領は清々しく大笑した。
『ブラック・ドゥーを擁す酒蔵メリーベルが闇稼業に野心。』
裏社会では有名な話だと言う。
事実無根である。彼の言葉は尽く衝撃的だった。霧魔をジェズが撃退した事はミーシャも知る所だが、ジェラルドら裏社会の住人はミーシャも知らぬ「その先の出来事」まで知っていたのだ。リュアラは寒気を覚え、俯き両肩を抱く。下着姿になったからと思い付いたがそれは言い訳。
当時メリーベル姉妹を付け狙っていた霧魔「殺人事件の犯人」は、
褐色肌の少年の右腕が生す黒曜石で鎧った悪魔のような鉤爪により絶命した。
ジェズワユト・ウ・ナパンティ、彼は「人を殺めている。」
唯一知る酒蔵メリーベルの次期当主はそんな彼を迎え入れた。
(「人の命を奪った」のではない、ジェズは「人の魂を霧魔から救った」の。
心の中で巣食った霧魔にあの人は苦しめられていた。ジェズはあの人をその苦しみから解き放ったの。)
頑なに自らへ言い聞かせる。一部を除き間違いはない。そして除かれた一部、彼が人の命を奪ったのは紛れもない事実である。それが彼女を苛む、頑なにさせる。平穏な日常に忘れていられるものの、無意識の内に救われる大義名分を求めていたのだ。
その光明を彼女はこの機に見出だす。「霧魔の殺戮を止めて欲しい」、頭領の注文をリュアラは酒蔵メリーベルとして引き受けた。商取引として正式に受諾したのだ。不安で胸が押し潰されそうになる。しかし得られるものは大きい。
小箱に腰掛け、ヒールと白いストッキングを脱ぎ出す。
(犯人を懲罰すれば条件成立、必ずしも生命を奪う必要はない。──人殺しの罪滅ぼしと言う訳にはならない、だけど殺人犯を警察に突き出せられれば社会へ貢献する事にもなる。)
勧善懲悪。それが自らの安心、心のけじめに繋がると考えた。
(それに、成功すれば定期購入を契約してくれる上、知り合い関係者に契約の口を利いてもらえる。どれだけしてもらえるかは判らない。でも、何より仕事の成功は彼らにとって話題性抜群、宣伝効果は測り知れないっ。)
脚に黒いストッキングをたくし上げ、黒いヒールに履き替える。纏った黒いドレスへ腕を通した所で上半身の緊張感に気付いた。
(あら?これを最後に着たのはいつだったかしら、結構キツいかも。)
「ジェズ、後ろをとめてくれる?」
「?はい、」
外で控えていたジェズはいつもの事のように荷台の中へ足を踏み入れてしまう。そこには後ろ髪を胸元へ回し、透き通るような項を顕にした黒衣のリュアラが背中をぱっくり開けて待っていた。まだ着替え終わってない、可能性を微塵も考えてなかった彼は跳ね上がる。
「★×お嬢様っ!ちょっとあの←→、僕これはちょっと×、」
「いいから。構わないからとめて、」
「♯僕が構うんですっ。」
「私は構わないと言ったの、早くなさい。」
「~~っ♯。」
顔を背けながらも横目に手元を盗み見て、お嬢様の背中のファスナーをゆっくり上げて行く。終点へ近付くに連れファスナーを上げる手に力が必要となって来た。締め上げられている当人が時おり妙な吐息を漏らすので、上げている方は気が気でない。
「はぁ↓…♯お嬢様、苦しくありませんか?」
「……そうね、かなり前にあつらえた物だから。よく見ると丈も短いし、単純にサイズが…合わなくなったみたい。でも今はこれでいいわ、ありがとう。さて、問題は髪の毛ね。」
刺繍の施された大きな黒い布を両腕で広げる。布は平たい袋状になっており、彼女は胸の前に纏めたレモン色の豊かな髪を袋の中へ納めて行く。全て納めた布を頭巾の要領で被ると、頭から背中にかけて修道女のような風貌になった。更にそこへ黒い帽子を重ねる。
荷台を降りてガレージ内に置いた持ち込みのスタンドミラーの前で自らの姿を確認。正面から右に左に、全身黒尽くめ、これで良し。
喪服である。ストーカー騒ぎの際に訪れた自称公人の喪服の女性客に着想を得ていた。
「こんな所かしら。」
「流石ですお嬢様☆。これならベールを捲ってもお嬢様だとはなかなか分かりません。」
「次は貴方ね。──これを、」
「はい、では着替えて来ます。」
「ここで着替えなさい。」
「え?でもお嬢様の前で」
「初めて着る物でしょう、着方によって見え方も変わって来るし。私が見るから。」
「はい↓。」
制服を脱ぎ出す。制帽、上着まではいいとして、蝶ネクタイに手を付けた所でお嬢様と目が合い、ジェズの心拍数が上がった。帽子を脱いだ彼女が優しい視線でまじまじと見詰めているのだ。
異性に見られながら服を脱ぐのは落ち着かない。相手はよりによってのお嬢様、その上あの眼差しである。素っ裸になる訳ではないので羞恥する事もないのだが、自分の何かがお嬢様を悦ばせているような気がして何処か怖い。パンツ一丁に至るとお嬢様がその目を微かに細めたように見えた。気のせいかな、さっさと着替えてしまおう。
「──どうでしょう?」
「いいんじゃないかしら。」
あっさり感想、着替えた後はあまり興味が無いご様子。ジェズが自らの姿を確かめるべく鏡の前に立ってみると、煤けたボロ布に疚しい身を隠遁する怪しさ満載の妖術師の如き不審者が現れた。これが僕、愕然として被っていた布を頭から剥ぎ取る。
ボロ布の下にカーキグリーンの厚手生地を着込み、小物を入れておける小さなポケットの複数連なった革製のベルトが両肩からたすきに掛かる。手首から肘までにかけてサラシを巻き付け、革製の指ぬき手袋、足には革製のブーツを着用。一見した者が余程の近眼か乱視でない限り、今のジェズを一般人などと判別はしないだろう。
「~んーーーなんだろう↓、少なくとも戦士の装束ではないですね。」
「私達がしようとしている事は、平和な日常生活からかけ離れている。私達は人目についてはいけない、だから身に着ける物は本来の姿を包み隠しさえ出来ればそれでいいのです。」
リュアラは姿勢を改めた。
「それでは、私の考案した酒蔵メリーベルの『新しいサービス』に関する説明を始めます。こんな所まで来たのは私達以外の人に間違っても聞かれてはいけないからです。
この業務は次期当主である私、リュアラ・メリーベルと貴方、ジェズワユト・ウ・ナパンティの二人だけが従事するものとし、『他の者には一切口外してはなりません。』鉄則よ。」
「はい。」
「当サービスに際しては今着ている『専用の衣装を着用して行動する』ものとします。…私は新しい喪服を仕立てないといけないけど。──そして私達の呼称ですが、」
「はい、」
「私は貴方を『僕』と呼びます。貴方は私を単純に『主』と呼びなさい。普段の言葉使いにならないよう注意して。」
「肝に銘じます。」
「注文は全て私が請け負い、全てその場で貴方に指示します。任せきりにして貴方を一人で行動させません。これは貴方の遂行能力を疑うものではなく、意思決定を私が担い貴方の処理効率を上げるためです。」
実は口にしていないもう一つの理由がある。彼女は活躍するジェズに同行し、自らも新サービスの舞台役者として認知されたいと言う強い願望を持っていたのだ。人目についてはいけないと言う方針に真っ向から矛盾するが、カクテル・キャンペーンを成功させたデコマヨことマイユネーツェ・メディスンの煌びやかな姿に対するライバル意識はリュアラの心中に依然として燻っている。その産物が新サービス専用の喪服姿である。
「そしてこのサービスはお客様のご要望に応じ、非合法の偵察行動・武力行使など大よそ反社会的と呼ばれる行為を秘密裏に遂行する、いわゆる『裏仕事』と言うものに当たります。臨むに当たって貴方にも私にも生命の危険の及ぶ可能性が考えられます───
貴方は言ったわね、自分にはやり遂げる力があると。」
「間違いありません。」
返答に隙が無い。彼は片膝を着き頭を垂れた。
「お嬢様はその力を使役する事が出来ます。なんなりと。」
「#────────覚悟を決めました。私は、…貴方を信じます。」
「仰せのままに。」
「頭を上げなさい。早速打ち合わせよ、」
リュアラに促されジェズは立ち上がる。ガレージ奥の事務卓の席へそれぞれ腰掛けた。
他の誰にも知られてはいけない、酒蔵メリーベルの裏仕事の始まりである。
今回の客は人を害する事も厭わぬヤクザであり、自身は邪視などと言う理解不能の必殺技を持ち合わせる実力者である。そんな輩が霧魔こと連続猟奇殺人犯の撃退を、何故ブラック・ドゥーもといジェズに依頼するのか。明かされた彼らの事情はジェズの腑に未だ落ちきっていない。
「邪視…──あのお客様の言葉は信じて良いものでしょうか?いまいち解かりません。」
「殺人犯に憎しみを抱いている…それだけは本当だと思うの。」
身寄りの無い孤児を引き取り、メイドとして、そして暗殺者としての技術知識を叩き込み、金持ちの好事家相手に破格の値段で売却する。それが今のガノエミー一家の主な生業であり、頭領の生き甲斐でもあるとの事だった。リュアラは帽子を机上に置き言葉を続ける。
「私達を案内してくれたメイド…あの子も訓練された商品であり、いずれ売られて行く身なのでしょう?でも私は、頭領からあの子に対する愛情を感じたし、あの子から頭領への信頼する気持ちも感じられた。──あの子達を売り渡す事を『嫁入り』とも言っていたし、嫁いだ娘が猟奇殺人の餌食になったなら、犯人が憎くなるのは当然の事じゃないかしら……」
寂しそうに視線を落とす。お嬢様はお優しいなどと察した気になっているジェズだが、彼女の表情の変化は決して頭領らに対する同情がさせたものではない。事態の深刻さが理解できない自分を残念に思っての反応だった。
本件は連続猟奇殺人事件とは別に、人身売買が未だ罷り通る社会の闇の問題が根底にある。その事実に意外なほど鈍感な自分を彼女は改めて情けなく思うのだ。
因みに、ジェズに凄まじい一撃を食らわされた陰気な殺気メイドは、足元も覚束ないままジェズに「いつか殺してやる」などと復讐を宣言していた。頭領から窘められてもその意志に変わりはなかったようだ。
ジェズの目付きが切り替わる。
「それでどうしましょう、霧魔を見付け出さない事には何も出来ません。」
「地域社会に影響力を持つガノエミー一家が総出で叶わないのだもの、難問ね。
『霧魔は売買される人間を狙う』。彼らが往来の積荷の中身を検めていたのは、人身売買の現場を押さえ霧魔を迎え討つため。だけど積荷に売り物の人間は今まで見付けられておらず、未だ霧魔にも辿り着けない。だから霧魔撃退の実績があり某か覚えのあるであろう貴方に興味が湧いた───そう言っていたわね、」
どうやらこの辺りで、噂のブラック・ドゥーの探し物が呪いの石から霧魔にすげ変わったらしい。
「以前の霧魔はお嬢様たちを狙っていましたから迎え討つ事が出来ました。でも今回は違います。」
「身内で人身売買を自演しても霧魔は現れなかったと言う事であれば、本当に霧魔は人身売買の情報を事前に知って行動しているのかも。『洞から得られた情報』と言うのも疎かには出来ないかも知れないわ。」
ガノエミー一家は洞に関わる人間とも交流があるらしく、猟奇殺人犯の手掛かりをそこに頼っていた。但し、犯人の正体が洞の殺し屋「模型屋」である事までは知らされていない。また、洞の手掛ける人身売買については虚偽が伝えられていた。模型屋は厄介だが、ガノエミー一家に商売を邪魔されても洞は都合が悪い。
「洞の連中は怪しい。しかし、付合いのある地域の実力者に情報を流している事を踏まえると信憑性はあります。自演ではなくて本当に人を買えば霧魔が誘い出せたりしないでしょうか、」
「人買いなどと軽々しく口にするものではありません。あの頭領も忌避していた事柄、──彼の望みではないのでしょう。」
人買いをすればその陰で売り物とされる人間が正に物の如く力づくで調達される。それを是とするなら一家はわざわざ身内で自作自演などしない。必殺技持ちのヤクザの頭領を善人とはとても言えないが、徹頭徹尾の邪悪な人物と言う訳でもなさそうだ。歳を経てあの頭のように人が丸くでもなったのだろうか、リュアラとジェズには判らない。
リュアラは双眸を閉じ一呼吸して気持ちを切り替える。
「やはり、あの方法しか無いようね。」
「!───あの方法…策があると?」
「あるわ。」
あの方法の解説のためにジェズは再び着替えさせられた。それもリュアラの手によって。
そしてスタンドミラーの前で彼は戦慄く。着替えさせた当人は彼の隣でホクホクしていた。
「☆意外ね、似合ってるわジェズ!」
「~~おぢょおさまぁぁあああっ、#この恰好ってえぇ……↑」
「もう着なくなった私の服よ。」
「♯ぇ……───じゃなくて!×何で僕がこんな恰好を?!」
「霧魔の被害者には他の事件で行方不明になっている人も居る。探すのが難しいのであれば、誘き寄せるまでよ!」
「?おびき寄せるって、僕が??この恰好でどうしろと×?」
「孤独で無防備な放浪少女を装い、霧の中を彷徨って霧魔を誘い出してもらいます。どうして私ではなく貴方がするのかと言えば、霧の怖い私はそんな中に少しも居たくないからです。」
「×××。」
ですよねー、ごもっともなお言葉にジェズの思考が停止する。彼にもシルキッシュの霧恐怖症は解らぬが、只でさえ凶悪犯罪の温床である危険な霧の中へお嬢様を留めおく事などさせられるはずが無い。しかし、それで自分が女装を強いられる事は御免被りたいと思うのも本音だ。
着せられた服はフリルのついた桃色のワンピースで、それにつばの広い白帽とヒールを合わせている。傍目なら少女で押し通せなくもないが、決定的に丈が短く男成分がはみ出ている。当人である事が知人に発覚しようものなら爆笑の末に引き付けを起こしてしまいかねない。腰の落ちた彼はガニ股になり額を片手で覆った。
「↓↓誘い出すにしてもですよ?今日みたいなこんな晴れ模様じゃ、霧魔なんて出て来るはずが無いです×。」
「女性に良からぬ感心を持ち白昼堂々襲い掛かろうとする不届き者は、霧魔はでなくて色欲魔ね。お天気占いだと今日のテーブルターニングは朝から濃霧のはずだけど、この陽気では靄すら望めそうにない。とりあえず着替えて通常業務に戻りましょう、訪問販売の契約を取り付けなきゃいけない状況に変わりはないのだから。──本当はお休みなのに、ごめんなさいね。」
「いえ、そんな。
───お嬢様はメリーベルとメディスンとの宿命に何が何でも立ち向かおうとされています。そのお役に立てるなら、僕は嬉しいんです。」
「ジェズ……」
暫し見詰め合う。リュアラはジェズの抱える事情をミーシャほど知らないが、彼が人種差別の対象に甘んじないと言う点で「宿命に抗う」と言う事は二人の共通項になっている。そこから互いに通じるものを感じているのだ。そんな中、女装している事を思い出したジェズがバツの悪そうな顔を見せると二人は吹き出した。彼は身に着ける衣装を脱ぎ出す。
「ははは☆───…そうだ。お嬢様、」
「何?」
「サービス、新サービス…。これって何か他に分かり易い呼び方ってないでしょうか?」
「ぅうん…。新しいサービスではあるけど、仕事の括りで言えば訪問販売になるかしら。」
「え?訪問販売は酒蔵の普通の仕事じゃないですか。でも新サービスは」
「昨日お客様が言ってたでしょう、」
「え?」
リュアラは手許の帽子を被り直した。蒼い視線が帽子のつばとベールの向こうに遮られる。
「『霧魔に送り届けて欲しい。呪いの黒ワインを、』と………
秘密の新しいサービスは、ご贈答の【黒ワイン】と呼ぶ事にします。」
☆☆☆
ウィルは激昂する。
「↑↑ブラック・ドゥー!貴様は僕★ンがっ!?×」
顔面に衝撃を受け彼は尻餅を着いた。慌てふためき辺りを見回すと、背にした建物の壁にもたれ掛かる制服姿のアンが居た。しかめっ面で組む腕からは畳んだ新聞紙が生えている。彼は居眠りを彼女に突っ込まれた事を理解し、立ち上がって体裁を整えた。彼らは日の光に乏しい建物同士の僅かな狭間に潜伏中である。
「…すまないアン、気が緩んでいた。」
「立ち寝だなんて器用ね。疲れてるのは分かるけど、それは私だって同じだからね?確りしてよ、」
「×面目ない。」
「はぁ↓。随分うなされてたみたいだけど…こないだの霧魔って半年も前の事じゃない、また夢に見たの?」
「ぁあぁ、うん。──そうなんだ。僕には忘れられないよ…」
「霧魔はまた現れた。今回これで決着がつけば、その悪夢からも解放されるね、」
「さぁて。今回の連続猟奇殺人犯がこの前の霧魔と同一かは判らない、僕は違うと思ってる。でも、決着が叶えば踏ん切りは着くかもな。」
彼らの話している霧魔とは、メリーベル姉妹を狙いジェズに撃退された霧魔の事である。この霧魔は世間的に「居なくなった」とされており、正体が人間である事実を警察は把握できていない。絶命した殺人犯の遺体は「霧魔の最後の犠牲者」として処理されてそれっきり、洞やガノエミー一家など裏社会の住人らは真実を把握しているのにお粗末なものである。
しかしウィルにとってその事件は霧魔と言うよりブラック・ドゥーだった。当時の成り行き上、彼は霧魔とドゥーを混同している。ドゥーと交戦したのは国家組織において唯一ウィルだけ、彼の許容圏内に思い違いを正せる者は存在しない。
それはさておき、
「警部はまだ出て来られないのか?」
「美術館に入ったっきりよ。新聞記者は粗方出払った。後は警察と消防の関係者がちらほら居るくらいで、他に人影は見当たらない。」
「『国立美術館で火事。』──ボヤだったし、原因は霧避けの篝火ってだけ。警部は目的も教えてくれず僕達に見張りをさせるなんて、どういうつもりだろう?」
魔法警察ことフー・セクションの実習生ウィルとアンは、昨夜ボヤ騒ぎがあったキーニング国立美術館の周辺建物へ身を隠し、近付く人物の見張りをしている。美術館の敷地には立ち入り禁止のロープが張り巡らされ、閉ざされた門には後ろ手を組んだ警官達が立ちはだかっていた。館内には国宝級の品も収蔵されているため厳重な警戒も解かるが、ボヤ程度に魔法警察まで出張る理由は実習生らには判らない。
「私、思った事があって、」
「あぁ。」
「このボヤ騒ぎも実は連続猟奇殺人事件に関わってるんじゃない?だけど警部もちゃんとした…って言うか、根拠の明確な情報は持ってないんじゃないかな?」
「え?手掛かりも無しにこんな所へ?」
「手掛かりはきっと教えてくれたの、『私達の知らない誰か』が。」
「それはまぁ。誰かなんて僕達は知らないね、」
「情報が妙に早いと思うんだ。国立美術館で火事が起きたのは昨日の夜、それを各社朝刊が揃って載せてるなんて…不自然に感じる。情報の発信源があると思う。」
「情報源か、あまり気にした事なかったな。でも情報操作はフー・セクションのお家芸だろう、」
「ボヤ騒ぎもウチの工作だったりして×。」
「ありえる所が怖いよ、だとしても意図は全く読めないが。」
「──そう言えば、私達が携わる直前に起きた事件。実は反撃して来る相手が洞の回し者だって既に特定出来てて、フー・セクションは予め狙撃対象にしてたみたいだったね。」
「馬鹿力の『食人』に戦争屋の『爆弾』の二人だね、確かに。しかし、そこまで情報が分かっているなら何で犯行を防げなかったんだろう??」
「?」
「?」
違和感、何か変だ。頭の中に霧が掛かったような感覚、片手で自分にやれやれするアンを見てウィルも同じ事を考えた。しかし直ぐに想いが甦る。事件の犠牲になった者達の仇を必ず取ってやると。
義憤に力む内、ウィルは視界の一部に変化を捉えた。
「!?──アン、向こう!」
「視てる。行きましょうっ、」
離れの木々の下に妙な動きを見せる三つの人影を見付けた二人は持ち場から駆け出した。どうやら二対一でひと悶着しているようだ。
「職業柄、護身用として必要なのです。」「──、」
「どう見ても凶器だな。」
「もし、何かありましたか?」
「!フー・セクション、それも実習生?君達みたいなのが何故こんな所に居る?」
「?失礼ですが、貴方は…」
営業マン風の几帳面そうなその男は懐から黒くて無機質な手帳をかざした。覗き込んだ二人は俄かに目を丸くするが直ぐに気を取り直す。凶器と思しき小刀のような金物を抱えている営業マンの片腕は、爪を隠し切れない能ある鷹と言った印象が拭えていない。妙に合点が行った。
「公安の方でしたか──。僕らは借り出されてここ周辺の警邏に当たっていたのですが、何かあったのですか?」
「こちらも借り出されだ。立ち入り禁止の美術館を遠巻きに覗き込む不審人物が居たので、職質していた処だ。」
「心外です。手前共はしがない商売人ですよ?」「──。」
営業マンに扮する公安の警官が職務質問していた相手は、スーツのヴィリジアンの女性と学生風のシルキッシュの青年だった。昨夕に国立美術館へ訪れていた例の二人組なのだが、その事をこの場に居る公僕らは知らない。
「まあいい。──身分を証明する物は?」
「証明書の類いはありませんが、名刺なら持ち合わせております。」
「───貴金属加工卸売業ジュエリー・オレンジロード、執行役員兼営業主任【ビアリス・レズリ・メズリ】…」
ヴィリジアンの分際でミドルネームか、傍で聞くウィルはそう思った。暗礁密林では定かでないが、本邦や周辺国においてミドルネーム持ちは上流階級に所縁がある事を示している。蔑む気は無いものの、いけ好かない感じは否めないのが正直なところ。職質している公安も同じ考えだろうなどと勝手に思う。
「この国で商売は長いのか?」
「取引自体は昨年からあるのですが、トランプでの商いは今月からでして。─奥様への贈り物に如何でしょうか?お好みをお教えいただければお奨」
「生憎だ、今は独り身でな。商売っ気を出すな。」
「これは失礼しました。ご機会の際はどうぞご贔屓に。」
「~で、そっちは?」
商魂逞しいビアリス主任の横で心許なく立っていた青年は、警官の問いに対し何か言いたげな表情で名刺を差し出す。
「───、」
「───技術補佐ヒュゲルギア・ケンプフェルト…北方の名だな。主観だが、あまり技術者には見えないな。」
「×、──。」
「?何だ、はっきり答えろ、」
「待て【ヒュギイ】。──申し訳ありません、」
「~今度は何だ?」
「彼は唖なのです、ご容赦下さい。」
「……何だあの手付きは、何の真似だ?」
「言葉を手の形に置き換えた『手話』と呼ばれる会話方法です。ブラスバンドにおいて考案された方式で、意思疎通に重宝しております。」
残念ながら本邦における障害者への関心は低く理解も未熟で、彼のような発話障害者は差別の対象と見做される事がしばしばだった。手話が解かるどころか、そのような方法が存在する事すら一般的な知識ではない。それはここに居る警官も例外でなく、二人組は蛮緑と聾唖の軽んじて然るべき対象と判ぜられてしまった。
「フン。身元は確かのようだが、宝石商如きが護身用に武器を隠し持つとは物騒な話だ。詳しい事情は最寄りの署で聞く、同行願おう。拒否ならテロ等準備罪で尋問室だ。」
「それは困ります。実は訳ありの商談がありまして、急いでいるのです。」
「怪しくないと分かれば時間を取らせる事にはならんさ、問題ない。」
「お待ちを。手前共は国立美術館の館長様とブラック・ドゥーの石に」
「★←っブラック・ドゥーう!?」
「×~何だ君は急にっ。こいつらは本職に任せて君ら実習生は持ち場に戻れ、」
「ちょ、ちょっと待って下さい!話をもう少し!
──君、今ブラック・ドゥーと言ったね?どんな話だい?!」
宿敵の名に興奮するウィルの後ろでアンは主任が密かにほくそ笑むのを見た気がした。このヴィリジアンは危険、そんな予感があった。
ビアリスがここだけの話と念を押し、語り始める。
「ブラック・ドゥーが呪いの石を探していると言う噂は御存知ですか?」
「呪いの石?霧魔ではなくて??」
「都市伝説としてその名を耳にした事はありますが、そうではなくて呪いの石です。
手前共は半信半疑だったのですが、どうもその石は実在するようで、今はキーニング国立美術館で保管されているらしいのです。手前共の目当てはその石なのです。」
「…噂が本当だとして、どうしてそれを宝石商が欲しがるんだ?」
「所有の欲求がある訳ではありません。ここより遥かに遠く離れた異国の地へ売り飛ばしてしまおうと考えております。」
「ただの商売か×。」
「←僭越ながら、手前共は宝石の歴史にも通じております。旧国帝政の時代には効果を顕わすアイテムとして石の知識は民間に広く知られていましたが、国が変わってからと言うもの文明開化の陰にすっかり廃れてしまいました。手前共はその知識を連綿と受け継いでおります。そして此度、ドゥーが探していると言われる石は手前共に危険を及ぼすと判断しました。」
「危険と宝石商が僕の頭の中で結びつかない。」
「その類いの石は誰かが責を負って秘匿するか、もしくは公に安置しない限り『爪弾きにされる』のです。不幸の手紙みたいな物で、厄介払いしたつもりが巡り巡って自分の所へ戻って来たりするのですよ。実際、既に数名がその石絡みで不幸を被っている事が判りました。いずれにしても手前共がそれを被るのは勘弁ですし、万一ブラック・ドゥーに来られでもしたら…迷惑千万。」
含み笑い。それも当然、ブラック・ドゥーの噂を流したのは自分達なのだ。それを見たウィルは「来る訳ないでしょ都市伝説なのに」と嗤われたような気がして少しヘソを曲げる。ビアリスの上がった口角はそれすらも見透かしているかのようだった。
「それならいっそ手前共の取引に混ざり込まない遠くの国へ追放してしまおうと。ドゥーの恨みを買う事もないと考えております。」
実際の主な被害者は、呪いの石と知らずにそれを買わされ、何とか売り払おうと骨を折った者達である。一部に亀甲縛りで天井からぶら下げられる憂き目に遭った者も居るが、それも呪いと言っていいだろう。ジェズの呪珠は名実共に立派な呪いの石だ。
「あちらにおわす館長様が買い取られたと言う話を聞き付け、勇み参じたまでは良かったものの、知らぬ存ぜぬの一点張り。重ねて昨夕もお話させて頂いていたのですが、最中に火事に見舞われお話はうやむや、その場は急きょ引き揚げたのです。
火事は呪いの始まりかも知れません、一刻も早く石を何とかしたいのです。」
「事情は分かった。でも、悪いけど僕はその手のオカルトは信じない性質なんでね、はいそうですかと言う訳に行かない。刀剣ではないがそれに準ずる物を所持していた事は、先の話では説明がつかないし。取り調べは受けて下さい、情報をありがとうございます。」
「充分な御理解を頂けなかったようで、残念です。」
昔ながらの言伝えなどを軽視しておきながらブラック・ドゥーの話は鵜呑みにする、そんなウィルにアンは呆れる。慣れたけどと自嘲しながら公安にしょっ引かれる宝石商二人組を見送る最中、彼女は俯き加減のヴィリジアンの女がボソリと呟くのを確かに聞き取った。意味は分からぬが背筋に冷たい物を感じ身震いする。
(「フォース、今は長らえろ」──────フォース…)
隙あらば持ち主を憑り殺そうとする魔剣の精霊、そんなイメージを抱いた。我に返り持ち場へ戻ろうと振り返った向こうにワドー警部の野暮ったい姿を見付け二人は駆け寄る。
「警部、」
「何だぁ、どうした?」
「いえ、大した事では。公安が不審者を職質してただけです。」
「~フン。」
「あの…──警部、そろそろ今回の目的を教えて下さい。」
教え子らの不満げな顔を交互に見て、警部は眉間に皺を寄せながら帽子の下のこげ茶カリフラワーをぐしゃぐしゃにした。周囲を脇目にここじゃナンだからと場所を改める事にした。
引き揚げる道中、何処かで昼飯にしようと車を出す。後部座席にアン、運転席に免許取り立てのウィルが着く。助手席で腕を組む警部は車が走り出したからと話を切り出した。
「先ず、発端こそ火事だが今回も連続猟奇殺人事件の調査だ。キーニング国立美術館を調べろと言う指令が俺達に出された。脈絡も無く唐突にな。」
「はあ、」
「今日の所は館長へ協力要請を取り付けに行っただけだ。承諾は得られた、当り前だが。但し、外国から借り受けた美術品も展示してるんで、調査には一部制約が掛かると強く念を押された。まぁ、保険屋がうるさいのは確かだし、最悪は外交問題も考えられるんで多少は仕方がない。想定内だ、それは良いんだ。」
「他に良くない事が、」
「情報操作がフー・セクション主導でない事だ。俺達への指令は我々の上位部門じゃなく教会から直で来てる。嫌な予感がするんで知り合いを当たったんだが、教会直の指令は俺達だけじゃなく他のメンバーにも個別に出されていた。そしてそれは我々以外の公的機関、更には新聞各社や港運など民間組織にまで及んでるらしい。」
ウィルはバックミラー越しにアンと目が合う。私の言った通りでしょと言う顔をしていた。
「そしてヤバいのは──今回、陸軍にもお達しがあった事だ。」
「★え?!」
「詳細は不明だが、いつもは大人しい国境警備隊に動きがあるらしい。特務の奴らが都市部に展開しているなんて話も聞いた。猟奇殺人が只事じゃないのは勿論だが、それにしちゃ対応が大袈裟だ。普通じゃあない。
~我々すら把握していない情報を教会は隠蔽しているっ。今回は我が国勃興以来のヤバい事件になるかも知れん。」
「まさか戦争なんて事に…」
「そんな緊迫した外交問題は聞いた事が無い、どうだろうな。フー・セクションの人間が何言ってんだって話かも知れんが、この情報の操作のされ方が俺はどうも気に食わねぇ。」
「「──────、」」
研修生らは困惑した。若かりし頃の祖父母が耐え忍んだ戦争の時代を自分達も経験するのか、漠然とした不安が募る。しかし、国と国との戦争に発展するかも知れない事象が美術館にあると言うのも妙な話だ。それとも、そう思わせて世間の目を別の本命から逸らすための情報操作に過ぎないのか、ボヤ騒ぎからして怪しく思えて来た。どちらにせよ自分達への指令は突飛で脈絡が無さ過ぎである。
飲食店の立ち並ぶ繁華街の傍へ着く頃には、ウィルは言葉をすっかり無くしていた。一方でアンは車を降りて伸びをしている警部へ屈託なく問い掛ける。対照的だ。
「警部、」
「ぐぬぬぬぬっっ×。…何だ?アン、」
「あれこれ考えるのは止めにして、結局どんな感じです?あの美術館、」
「っああ。───臭うな。」
「何か怪しいんですか?」
「具体的に何かを見付けたって訳じゃあない。だが臭うんだよ、空気が。」
「それは実際に臭かったって事ですか?」
「言い直そう。感じたんだ、空気を。
だから俺は分からなくなったんだ。どうして教会があの美術館を調査しろと指図して来たのか、何故あそこだと分かったのかがな。」
「??」
アンは警部が見せる背中から、かつて見た彼の険しい顔を想起する。その気配はハンチング帽を被り直す挙動にも滲み出ていた。
「再開発区画の事件現場で感じた、~あの空気だ。
キーニング国立美術館、あそこは連続猟奇殺人事件に関わりがある。ただの勘だがな。」
警部の口調に研修生らは戦慄し固唾を飲む。
しかし、二人で顔を見合わせると互いにいつもの表情を取り戻し警部の両側に並んだ。
「私達のやる事に変わりはありませんね、」「必ず犯人を捕えましょうっ。」
「アン、ウィル、」
「先ずは腹ごしらえですね!警部、私はガーリックライスが食べたいです☆!」
「──────」
俺の醸したシリアスを返せ。
ワドー警部は背中で鼻をすする、男も美学もへったくれも無かった。
☆☆☆
「…ただいま、カルヤさん。」「ただいま戻りました↓。」
「お帰りなさいませ。」
玄関先でリュアラとジェズを迎えに出た家政婦長は、二人の疲れ切った顔を見て今日も収穫が無かった事を把握する。二人に対し言いたい事は諸々あるのだが、彼女はそれを口にしない。
「お疲れ様です。」
「お父様は書斎ですか?」
「旦那様お二人はまだリビングに居られます。」
「そうですか。今日の報告に参ります。ありがとうございます。」
「──。」
若者達がそれぞれ困難を乗り越えようと懸命になっている、今は静観する時、カルヤはそう心に決めていた。リュアラとジェズの遠ざかる背を見届けると、栗色のおさげを靡かせ持ち場へ戻る。忙しくなると判断される材料があるのだ。
リュアラはジェズを伴い現当主である父と叔父に本日の成果を報告し、平日の放課後も予定次第では訪問販売のためジェズを連れてテーブルターニングへ赴く事の了承を取り付けた。勿論、これは裏仕事のための口実である。暫くは休日返上で働き通しと覚悟を決めていた。
リビングを出たジェズはリュアラと分かれ、互いにそれぞれ普段の生活に戻る。明朝の仕事に備えねばと考える一方、彼はリュアラに隠している新たな心配事を抱えていた。
(───ザクレア、ユーディー、)
家臣ナスカの二人が待ち合わせに姿を現さなかったのだ。一日中リュアラと行動を共にしていたため、いつもの待ち合わせ場所には短時間しか居られなかったが、メリーベルの買い出しの日はジェズと会うまで昼からその場に待機している手筈なので、通常なら会えぬ道理は無い。時間通りに着けない何かが彼女らに起きたとしか考えられないのだ。
今からでも現地に向かうか、しかし使用人の分際が私用で車など使えない。自らの置かれている身は著しく行動の制限が掛かると言う事を改めて痛感する。
こじんまりとした自室で一人気を揉んでいると、不意にドアがノックされ慌てて応対に出た。時計の針は22時を回っている。
「?ミーシャお嬢様、」
「っ、──何て顔してんのよ、」
「ぇ…僕なんか変ですか?」
「こんちくしょうって顔してる。↓─それはともかく、ついて来て、」
それどころじゃないのに。くよくよしながら彼女の後ろをついて行くと、屋敷の端にある家政婦らの休憩所に連れ込まれた。食事スペースや小さいながら風呂場や仮眠室の在るちょっとした宿泊施設である。夜間は当直の家政婦が二名程待機しているのだが、今夜はカルヤ一人だけ。
「ジェズ、」
「こんばんは、お疲れ様です。」
「…この件を知っているのはミーシャお嬢様とジュゼッペさん、それと私の三人だけ。お嬢様からは他言無用と託かっています。」
「え?」
どの件なのか、ジュゼッペはこの場に居ないようだ。カルヤに誘われジェズ、ミーシャとぞろぞろ仮眠室へ入って行く。控え目なランプの灯りが照らし出す室内の様子にジェズは息を呑んだ。
間を開けて並んだ二つのベッドに、包帯だらけのナスカ二人がぐったりと横たわっているではないか。人の気配に瞼を開けた二人はジェズの姿を見留めると、驚いた表情を見せて悲しそうに顔面をくしゃくしゃにした。
そんな彼女らを目の当たりにした刹那、ジェズは左右に立つミーシャとカルヤへ無意識に視線を放つ。間合いを計っている、予想通りのジェズの反応を見てミーシャは小さく溜め息をついた。
「──買い出し先で倒れていたのを保護したの。この娘達、あんたの知り合いなんでしょ?あたしとカルヤさんはちょっと席を外すから、二人と話しなさいよ、」
「お嬢様…」
ミーシャとカルヤが無言でその場を後にする。暫し距離を確認してからジェズは二人のベッドの間にまで歩み寄った。
「──二人とも、身体は大丈夫か?!」
「「~~~っ、」」
先に口を開いたのはザクレアだった。圧し殺すような声は爆発しそうな自らの気持ちを昂らせないためだ。
「~~申し訳ありません殿下っ、」
「いい。身体に大事ないか?」
「打ち身と捻挫だらけですが、傷はありません。」
「ユーディー、」
「~~~大丈夫です……」
「ふーーーーー↓↓↓。」
腹の底から空気が抜けたようにその場へ座り込む。胡坐をかき暫く両手で俯く顔を覆った。
「殿下…ごめんなさい、殿下の呪珠は」
「いい。今は休め、」
「でも、あまり時間が置けなくって。」
「~身体中の怪我はそのせいか、」
「「………」」
怒気にナスカ二人は回答を臆する。殿下がいつになくお怒りだ。
それでも状況を告げねばならない、ザクレアは意を決して声を上げる。
「ぁの…殿下っ、」
「なにをしていた…」
「「★?!」」
絞り出すような殿下のお言葉、それからの沈黙。二人はかつて経験した事の無い緊張状態におかれた。こんな事は初めてだった。
これまで求める物の在り処は都度つきとめられていると言うのに、結局は取り逃すと言う失態を繰り返している。僅かだが金銭に加え王族の血の力と言う特別な恩恵を得ておきながら、成果を上げられぬうち事態は更に悪化してしまった。
自分達の力だけで挽回は難しい、しかしこんな状況で我が君に助力を乞う事などどうして出来よう。恥ずかしい、悔しい、畏ろしい、悲しい。言葉で表せぬ負の感情に苛まれ、二人は消えてしまいたいとさえ思い詰める。
やがて、思い出したように我が君が息を吐き出した。
「───僕の身内は」
家臣らは目を剥き胆を潰す。
傍に俯く少年は消え入りそうな声で打ち明けた。
「もうお前達二人しか…居ないんだ。
~嫌なんだよ、一人だって…もう一人だって……僕の許から…一人も、居なくなって欲しくないんだっっ。」
「───────殿下、」「殿下。」
「無茶は、しないでくれ………」
呵責は失態を繰り返す無様にでなく、使命のため自らの生を擲った事に対してのものだった。王としてではなく、親身で我が身を案じてくれるジェズに二人は胸を強く射たれる。彼と初めて出会った頃に受けた衝撃と同じ、彼女らの脳裏に当時の記憶が甦った。
呼び掛けずとも自ずと彼らは互いの顔を見詰め合う。言葉は要らなかった。彼女らは彼との繋がりの経緯を改めて思い出し、嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。痛みを堪えて半身を起こし、我が君と情けない笑顔を交わした。
「「…殿下、」」
取り急ぎ事態の悪化は告げねばならぬ、ザクレアは静かに報告を始めた。
探し求める呪珠が国立美術館にある事。それを宝石商が買い取ろうとしている事。
そして、
「★×新聞に出てた美術館の火事はお前達が?!」
「商談を進ませないためです。ヤドリを使い、火種のかがり火に紛れて。」
「陽動撹乱はお手の物だろうが…。商人を足止めした方が簡単じゃないか、」
「それが叶わないと判断しました。時間的にも、技術的にも。」
「技術的?」
「商人は、──第二王子の配下の者です。」
「!セカンドの?」
ジェズは思わず身構えた。ユーディーが言葉を続ける。
「女と男の二人組、暗礁密林では見なかった奴らです。女がかなりの強者で、鋼で出来た帯紐を自在に操ります。」
強者の女、ビアリスの得物は鋼の鞭。打撃斬撃自由自在、これがナスカを包帯だらけにした。
「男は投げると手元に戻って来る不思議な板を使って来ました。」
男、ヒュギイことヒュゲルギアの得物は伸縮する折り畳み式の大きなブーメランが二丁。これに翻弄されたナスカが鋼の鞭のいい的にされたと言う訳である。
ジェズはふんふんと頷いてから頭を傾げた。
「?手強そうで足止めは難しいから、足止めをしなかったんだろう?なのに連中の手の内がどうして分かる?」
「火の手の様子を窺っていたところ、奴らの不意討ちを受けました。商談を中断させられた事に対しての報復ですね。連中とは結局戦うハメになって…」
「煌闇精は真っ向勝負が得意じゃない。しかし…お前達が二人掛かりでも敵わないのか、」
「まともに戦おうとしたら逃げ切れなかったでしょう。予めヤドリを纏ってたから急襲も打撲で済みました。こっ酷くやられましたが…」
「そうか。それからなんとか街までは戻れたが、待ち合わせ場所へ辿り着く前に倒れたと。」
二人は力無く項垂れる。件の街は異邦人に冷たい。満身創痍のヴィリジアンなど厄介者扱いこそすれ誰も相手にはしない、通報されなかっただけでも幸いだ。ジェズは肩を落とし長い溜息をついた。
「報復するくらいだ。奴らが何度も美術館に訪れてるなら、呪珠を手に入れるのは凄く難しいと言う事か。呪珠は暫く大丈夫だろう。」
「でも殿下、」
「今は休むんだ、少し大人しくしよう。呪珠をどうにか出来ないと分かったセカンドが次にしようとする事は───僕達の生命を直接狙って来るはず、動き回るのは危険だ。」
緊迫している背後からノック音が三人の虚を突く。彼らは一様に顔を強張らせた。
「そろそろいい?」
「!お嬢様……──はい、大丈夫です↓。」
入室したミーシャは値踏みするかのように三人をじっくり見回す。少し湿っぽい微妙な空気が流れる、さてどうしたものか。
ジェズは眉間に皺を寄せ言葉を探し出すが、ミーシャと視線が合うと途端に目を泳がせ始めた。そんな彼の試みなどミーシャにはバレバレだった。どんな返答をするのかと興味はあるものの、暫く観察するうち段々ジェズが可哀想になって来る。
でも、彼に意地悪をしたいと少しも思わないではない。
「───ジェズ、」
「はい、」
「先ず、あたしに何か言う事ない?」
「………★あっ、
!この娘達を助けて頂き、本当にありがとうございますっ。お嬢様に助けて頂けなかったら、どうなっていた事か分かりません。」
「よろしい。」
「↑無礼者っ、この御方を何方と心得る!」「~この御方は」
ザクレアとユーディーがシルキッシュの威圧的な態度に怒りを顕わにする。しかし、我が君の制止の手が差し出されると瞬時に大人しくなった。膨れ面でミーシャを睨んだままだったが。
連れて来る前より活きが良さそう、そう思ったミーシャも負けていない。
「あー。差し当たって…メリーベルの信条上、酒蔵で真面目に働く意志があるのなら二人を置いてあげてもいいけど、その気が無いなら出てってもらうわ。治療代はあんたの稼ぎから天引きね。
で、あんたは……その娘達をどうしたい?」
「←二人を置いて頂けるのなら是非お願いします!」
「「★殿下!?」」
「××ーーーっ!」
正体を表すNGワード、家臣らに振り返ったジェズは思い切り「シーっ」のポーズをした。とんでもなく酸っぱい物でも口へ含んだかのような汗だくのしかめっ面にザクレアとユーディーは困惑するが、その表情をちょっとだけ可愛いかもなどと思った。
可愛いかもの横に後ろからミーシャの顔が並んだ。
「←『殿下。』」
「★★×↑?!@〒%¥卍!!」
「──────」
「★あのっ、これわそのっ、僕の……ぁあぁああ徒名みたいなもので!僕とこの娘達は、生まれ故郷ではそのあの……主従…関係─☆うん、主従関係なんですよ!はいっ!」
「←ふうぅぅぅううん。…あそ→。」
「あはは↓↓×。」
自分が王族で彼女らが家来である事は秘密にしておきたいらしい。思う所はあるが今回の本題はそれではない。ミーシャはジェズとの距離を詰めて腕を組んだ。
「いいよ、その娘達を置いてあげる。」
「☆お嬢さ」
「但し、───条件がある。訊きたい事があるんだけど、」
「★……何でしょう?」
「あんた昨日から───
──────
──────────────────お姉様と何してるの?」
「★×っっ!?」
射るような視線からジェズは目が離せない。心臓を鷲掴みにされている実感、抗い難い強制力に全ての臓物が悶絶していた。
リュアラとの隠密行動「黒ワイン」の名を戴いた裏仕事は、反社会的性質の濃い公には出来ぬ彼女とジェズだけの極秘事項。メリーベルの表社会でのリターンとリスク、裏社会の影響力などに考えの及ばない彼だが、情報を知る人間は最小限に留めるべき事なら重々承知している。何より、生命の危険を伴う事柄にミーシャお嬢様は巻き込みたくないと言う強い想いがあった。
「─────────」
「~~~××…」
リュアラの秘密厳守とミーシャの情報開示、相反する二つの命が彼の心身で鬩ぎ合い深刻な拒絶反応を引き起こす。体のいい方便でも出来れば避けられる局面だが、残念ながら彼は嘘をつけるほど頭が良くない。
続く沈黙、時間の流れが極端に遅く感じられる。彼の目が渦巻き模様に変じる直前、お嬢様の表情が曇った。
「──また…教えてくれないんだ……」
「ぇ、」
「人に教えられないような事なんだ、」
「っそれは~」
「お姉様から口止めされてるんでしょ?」
「×それも~~」
「あたしの言う事より、お姉様の言う事を聴くんだっ…」
「★いえ、決してそのような」
「↑じゃあどうして!?」
そう訊かれればジェズにとって答えは簡単だった。
「危険にミーシャお嬢様を巻き込まないためです。」
「っ!──────どう言う事?」
「リュアラお嬢様は必至で宿命に抗おうとされています、この度そのためのチャンスを手に入れられました。でもそれには難問を乗り越えなくてはならず、身の危険を伴います。」
「★何でそんな事に?普通に仕事を頑張ればいいじゃない!」
「それは幾つもの偶然が重なった、この先得る事は叶わないであろうチャンスなのです。
リュアラお嬢様は大きな決断、賭けに出られたのです。」
「↑酒蔵はご先祖様の苦労と努力の積み重ねで出来てるの!経営には沢山の人達の生活が、人生が掛かってるものなの!チャンスだの賭けだの遊びじゃないのっ!!」
「身の危険を伴うと言いました。遊びではありません。」
言葉は静かだが語気に凄味がある。図らずも彼の瞳の奥に弱肉強食の世界を覗き見てしまったような禁忌を感じミーシャは微かに脅えた。屋上事件の光景が視覚に再生される、すぐ前に居るジェズが突如「怖いジェズ」にすり替わる。その彼の手が自分へ伸びて来た事に驚き反射的に半歩ほど後ずさってしまった。挙動に気付いた手は接近を躊躇するが、更に間を詰めて彼女の両肩を掴む。跳ね上がりそうになる自分の身体を彼女は懸命に両腕で抑えた。
「リュアラお嬢様と僕を信じて下さい。」
柔らかだが芯の通った言葉に恐る恐る目を開ける。
俯く瞳を上げると、深緑色をしたいつもの優しい眼差しが自分を見詰めていた。
胸騒ぎを起こす渇いていた何かが潤いに満ちて行く、そんな心地良さを覚える。
「──────
───────────────……分かった。」
ミーシャが半歩近付いて両手をジェズの胸に宛がう。胸元を見ながら口を尖らせた。
「今は聞かないでいてあげる。
…あんたが言いたくなった時にちゃんと言いなさい。これ、絶対…だから。」
「──ミーシャお嬢様♯、」
何が功を奏したのかジェズには解らぬが、何とかミーシャお嬢様の不満を治める事が出来た。少し良い雰囲気に安堵して一息つくと後ろからあからさまな咳払い台詞がサラウンドで掛けられ、彼はミーシャと共に視線を向ける。包帯だらけのオラ付いた顔が二つ、やや顎をしゃくらせながら睨め上げていた。
「「デンカー、」」
「→っなんだ×、どうした?」
「~其奴、何者ですか?」「~どーゆーカンケー?」
「……」
二人にとってミーシャは、カクテル・キャンペーンの最終日に「殿下の近くに居たシルキッシュ」程度の認識しかない。身動きの効かぬ危なかった所を助けてくれた恩人だが、ミーシャの行動に抗えなかっただけで、自分達から助けてくれと頼んだ訳ではない。そんな相手に殿下は何ゆえ親密なのか、自分達を差し置いてと額に青筋も立つ。
槍玉に挙げられているミーシャもどう振る舞って良いか考えあぐねる。助けた二人はジェズのために東奔西走、粉骨砕身して来たであろう事は想像に難くない。二人とジェズの秘密を唯一知る身である以上、二人の処遇は慎重を期さねばなるまい事もミーシャは既に見越していた。
今この場において真っ先にしておかなければならない「手続き」、それは、
「ジェズ~、」
「はい。」
「あたしは誰?」
「?ミーシャお嬢様です。」
「←あたしはあんたの?」
「??ご主人様です。」
「←←あんたはあたしの?」
「付き人です。───あのっ、それと…近いです♯。」
「♪よろしい。」
期待通りの回答に満足して瞼を閉じる、からのドヤ顔。位の違いを見せ付ける露骨な挑発行為の前に、ナスカ二人は包帯まみれの身体を怒りに震わせ牙を剥き歯軋りした。殿下が居なければボコボコにしてやるのに、恨み言を心中で呪詛のように唱え悔し涙を滲ませる。
一方でかつて味わった事のない優越感に浸ったミーシャだが、流石にやり過ぎかと珍しく自省した。そして彼女らをジェズと一纏めに自分の制御下に置こうと思い至る。
何より、大きな賭けとやらのため秘密裏にジェズを借り出した姉への強い対抗心が働いた。
「ジェズっ、あたし達にこの二人を内緒で探し物をさせてたでしょ?」
「★!★×お嬢様!??」
「お黙り!あたしは何でもお見通しよっ。→…とにかく、今はそれをやめて二人とも休ませなさい。打ち身とかは応急手当したけど、身体そのものが弱りきってるからお医者様に診てもらった方がいいって、カルヤさんが言ってた。
──あんた達二人にも言っとくけど、『ジェズの主人である』あたしの言う事を聴きなさい!
そうすればあんた達の秘密は内緒にするし、ジェズと纏めてあたしが面倒見てあげるっ。」
「………」
「ジェズ。あんたの従者の生命が掛かってる事、解かるよね?」
「~~~~~~、」
家臣の身を案じた上で探し物の事情にも思い入れがあるのだろう、ジェズはなかなか決断できないでいる。こうなる事も判っていたミーシャはやおら踏み込み彼の耳元で囁いた。
「お姉様に、───
───────────────あんたがあたしにキスしようとした時の事、バラすわよ。」
「★×★×卍!◎!←←ご面倒おおをお掛けして申ぉぉぉし訳ありませんっ!是非ともこの者達の事をよろしくお願いしますっ☆はいっ!!」
「よろしい。あんたは今正しい決断をしたわ、いい子ね♪。」
「あははは↑、あは↓あは↓↓………★!いづっ××!?」
「?」
バラす発言で顔を蒼くして冷や汗だらけだったジェズが、今度は紅くなって脂汗を滴らせ始めた。ミーシャが視線を落とすと両サイドから彼の尻へ伸びた包帯まみれの腕が視界に入る。見えない向こう側の惨状はお察し、包帯娘らは歪に引き攣った笑顔を見せた。
「~~よろしく…おねがいします、ぉ……ぉおぢょおおおさまっ。」「~~積もる話も御座います、今宵は殿下と三人で居とう存じますですいかがががでそうろう…」
「…いいけど。程々にしないさいよ、」
「「かしこまRYYYYY…」」
ジェズの一緒に連れてっての懇願を軽やかにスルーしてミーシャは仮眠室を後にする。調理場で翌朝の準備をしている家政婦長の姿を見付け歩み寄った。
「おや、お嬢様。お話はお済みで?」
「うん。遅い時間にごめんなさい。」
「いえ。それにしても、買い出しに置いてけぼりかと思えば、連れて来られた怪我人の介抱をする事になるとは、思いもしませんでしたよ。」
「ごめんなさい。ジェズが来た時以来ね、」
「それで、結局あの娘らは受け入れる事に?」
「うん。お父様と叔父様、お姉様にはあたしから話を付けるから、あの娘達の部屋の割り当てとかをお願い。」
「かしこまりました。」
「あと……明日ジェズに何かおいしい物を作ってあげて、何か精の付きそうな。」
「精の付きそうな。どのような?」
「ワニとか。」
「この辺じゃとんと見掛けやしませんね、」
カルヤはミーシャの言葉の意味がまだ解かっていない。ミーシャは去り際に申し添える。
「ああそうそう。仮眠室から声が聞こえても無視でいいから。そよ風だから。」
「はぁ。」
間髪入れずガラクタをひっくり返すような騒々しい音と共に、往生際の悪いジェズの言い訳が聞こえて来た。追い掛けて来る娘らの黄色い怒号、糾弾の嵐に恨み節。続けて響く情けない悲鳴に許しを請う声。明日の朝までにジェズとジェズとジェズとジェズが一人で死屍累々する事は予定調和で、それを憐れんでやれとお嬢様は言うか。そう悟ったカルヤは仮眠室で繰り広げられている惨劇をそよ風に見立ると、何事も無かったかの如く仕事に没頭する。
「…ワニか。食べられる物なのかねぇ、」
こうして酒蔵メリーベルに新たな従業員が加わった。
暗礁密林の虹族が「緑」第四王子の忠臣二人、ザクレア・ナスカとユーディー・ナスカ。
追い求める我が君の王子の証「呪珠」は美術館に秘匿され手が出せない。
深みを増す黒ワイン、闇は既に蠢いていた。




