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失敗の訳

 いよいよデート対決のメインであるヒカリとのデートになった。

 ヒカリはやっぱり落ち込んでいるのか、どこか暗い表情をしている。このままではまずい。ヒカリには元気になってもらわねば、今後も毎日俺が飯を作る羽目になってしまうからな。



 とはいえ明日の食事の心配も大事だが、俺の最優先事項はすぐに食事をすることだ。

 現在十六時をまわっているが、まだ昼飯にありついていない。しかも、デート対決で三人が用意した物を食べることを想定していたので、今日の朝食はヨーグルトのみ。

 腹が減っては戦はできぬ。


 早速ヒカリに食事させてくれと頼もうとするが、先に声をかけてきたのはヒカリのほうだった。


「あ……あの……」


 ヒカリにしては珍しく自信のなさげな声。


「有崎君、お腹減ってないかな……? よかったら、先に私が焼いてきたクッキーなんてどうかな?」


「ああ。そうしてもらえると助かるな」


 もちろん二つ返事でOKした。





 近くの公園で食事を取ることになった。決して大きな公園ではないが、日当たりも良好で木々の新緑が眩しく、時折吹く風が心地良い。


 公園内にあるベンチに、ヒカリと俺が並んで座る。


「そういや、昔はよく公園で遊んだとき、ベンチでおばさんが用意してくれたお菓子を食ったっけなー」


 ヒカリに話しかけるが、俯いたままで返事はない。


「とりあえず、腹が減って死にそうなんだ。早速いいか?」


「う……うん……」


 ヒカリは俺の要求に生返事をし、可愛い花柄の小さな紙袋を鞄から取り出した。


「お口に合うかどうか分からないけど……」


「口に合うかなんて、何を今更」


 喜んで紙袋を受け取り、中に入っているクッキーを取り出す。

 プレーン生地とココア生地のマーブルクッキーだ。大きなハートの中に小さなハートが数個収まっている。ハートが強調されすぎて俺にとってはうざいが、女が好きそうなかわいいデザインだ。


 デザインの意図はともかく、今はこれほどありがたいものはない。では、いただきます!



 クッキーを一つ勢いよく口に放り込む。


 うまい。間違いなくうまい。


 ……だが、いつものヒカリのクッキーとは何かが違う。

 それは、プロならともかく普通の人なら気づかないほどの些細な違和感だろう。だが、これまでにヒカリが作ったクッキーを何十回と食べてきた俺は気づいてしまった。


 俺が覚えた違和感は何なのか。その確証を得るために、もう一つクッキーをかじる。空腹のため早く食べたいという本能を抑えて、ゆっくり噛んで味わう。


 料理学校じゃあるまいし、おいしいものはおいしいと褒めれば済む話だ。まして今回はヒカリを元気づける企画なんだ。なるべく穏便に褒めておくのが正しい反応だろう。


 それでも、今日のヒカリの失敗の原因を知りたかった。いや、俺はヒカリの失敗の原因に向き合わなくちゃいけない気がした。何でかっていわれると、上手く説明できないが。



 ヒカリに呼びかけるが、ヒカリは俯いたままで顔を上げようとはしない。


「──このクッキー、食べた感じが少し重いな」


 ヒカリがびくっと体を震わせ俺に顔を向ける。しかし、視線は俺に合わせようとはしない。


「……やっぱり、分かっちゃうんだ。先人、舌がいいからね」


 何だよ、それ。そんな訳ねーだろ。俺は別にグルメじゃないし神の舌なんて持ち合わせていない。



 沈黙が続く。今日のクッキーが重かったように、俺たち二人を取り巻く空気も今は重い。


 だが、黙っていても何も解決しない。意を決して俺から話を切り出す。


「──今日のクッキーの点数はどれくらいだと思ってる?」


「…………四十点」


 ヒカリがぼそっと吐き捨てるように呟いた。


「分量を間違えたのか?」


 わざと見当違いのことを尋ねる。


「うん、それもあるよ。ちょっとバターが多かった。でも……大事な問題はそこじゃない」


「他に何か問題があったのか?」


「私、先人に一番おいしいものを食べてもらいたいっていう気持ちで、ずっと料理してきた。もちろん今日だって、そういう気持ちでクッキーを作ってきたよ。──でも……」


 ヒカリは唇を噛みながら下を向いた。そして、ヒカリの声が涙声に変わる。


「私、どこかで先人のこと諦めちゃってた! 西園寺さんや臥龍岡ながおかさんには敵わないって。実際、二人ともいい子だし、かわいいし……。だから……だから……」


 時折、言葉を詰まらせながら、ヒカリは想いを打ち明ける。


「……今日の……クッキーだってそうだよ。気持ちの部分で諦めてたから、おいしくできなかった。つまらないミスをした。どうして、こんな大事な場面で……私は……」



 ……そうか。ヒカリは、リパや西園寺に比べて、自分は俺に相応しくないと思っていたのか。

 そんな訳あるはずがないのに。



 ヒカリの頬を指で軽くつつく。俺の予想外の行動に不意をつかれヒカリは顔を上げる。俺とヒカリの視線が合った。


「やっとこっちを見たか。待たせやがって」


「先人……」


「ばーか。クッキーがちょっと失敗したからって大げさなんだよ、お前は」


 そう言って、俺はクッキーの袋に手を伸ばし、クッキーを全てぺろりと平らげた。


「先人、無理して食べなくても」


「ちょっと失敗したくらいで、お前は俺の楽しみを取り上げる気かよ」


「えっ!?」


「俺はお前の料理が好きだ。お世辞なんかじゃない。ファンクラブのやつらなんかよりも本気で思ってる。だから、これからも毎日料理を持ってこい。俺にはお前が必要なんだ!」


 ヒカリの顔が赤くなり、笑顔が戻る。それは何日ぶりの心からの笑顔だったのだろうか。

 久しぶりの親友の笑顔を見ていると、なぜだか俺まで嬉しくなってしまう。


「これまで通り、いっぱい構ってやる、遊んでやる。だから、俺の話も聞かないで一人で勝手にいじけたり諦めたりするな」


「先人!」


 ヒカリは叫ぶやいなや、俺を両手で思いっきり抱きしめてきた。

 すぐにヒカリから体を離せなかったのは、とっさの出来事だったので一瞬体が硬直してしまったからだ。ヒカリの甘い匂いと控えめながらも柔らかな胸の感触に、心を奪われていたからでは、断じてない。



 理性が戻り、ヒカリの体を慌てて離す。とっさの出来事にまだ心臓がバクバク鳴っている。気持ちを落ち着かせるために別の話を振ってみることにした。


「先に飯にしたけど、お前とはまだどこにも遊びに行ってないな。どこに行くんだ?」


「遊園地に行くつもりだったんだけど、こんなに時間がかかると思わなかったから」


 透き通るような青空は、いつの間にか赤みを帯びていた。遊園地は夕方に閉園するのが普通だから、今から遊園地に行っても残念ながら一時間も遊べないだろう。



「──でも、遊園地じゃなくったって、先人と遊ぶことはできるよ!」


 ヒカリが口をニヤリと歪ませたかと思うと、突然俺に抱きつこうとしてきた。反射的にヒカリと反対方向に体を反らし回避する。


「危ねえ。ちょっと褒めたら、すぐこれだ」


「先人、いっぱい遊んでくれるって言ったよね。さあ、私とここで遊ぼうよ~ハァハァ」


「そんな意味で『遊ぼう』なんて言った覚えはねえ! お前は変質者か」


「失礼ね。変質者じゃないわ。痴女よ!」


「どっちも変わんねーじゃねーか!」


「さあ、先人~、お待ちかねの十八禁展開だよ~。恥ずかしがらなくていいのよ~ハアハア」


 夕日を背にして、鼻息の荒いヒカリがじりじりと迫って来る。


「リパと西園寺もいるんだぞ……」


 百メートルほど離れたところにいるリパと西園寺を見るが、二人は話に夢中になっているのか俺たちに全く気づいている様子はない。


「そうねえ、二人には私たちの夫婦の営みを見せつけてやらないとね~ハアハア」


「過去現在未来全ての時間において、お前と夫婦となる事実は存在しないんだが……」



 ヒカリが優等生のフリをするのも忘れて俺にさかっている。

 完全にヒカリ復活だな。もちろん悪い意味でだが。


 こういう時は──。


「逃げるに限るぜー!」


 俺は全力で逃げ出した。


「ちょっと、待ってよお~」


 ヒカリが慌てて俺を追いかける。


 こうして、俺の童貞を賭けた命がけの鬼ごっこがスタートした。






「二人とも、そろそろ終わりにしませんか」


 さっきまで静観を決め込んでいた西園寺が終戦の提言をしてきた。

 俺は肩で息をしながら、西園寺の提言に黙って頷く。


 陽は沈み、辺りはすっかり闇に覆われている。そろそろ試合終了だな。



 俺はあれから一時間ほど、さかって俺を求めるヒカリから逃げ続けた。


 いくらヒカリの運動神経が良いとはいえ、所詮男子と女子。体力差で逃げ切れる自信はあったが、何せ今日はまともな食事をしていない。二十分ぐらい経つとガス欠になって走れなくなり、公園の茂みや遊具の影に隠れてやり過ごした。

 途中、何度かヒカリに襲われそうになったが、なんとか逃げおおせた。


 ヒカリもずっと走り続けていたので、さすがにバテていた。俺と同じく、肩で息をしながら同意する。


「そうね。暗くなったし、これ以上は危ないわね。今日のところは見逃してあげるわ」


「逃走成功だな。賞金とか出ねえの?」


「体でよければ払うわよ」


「それが嫌で逃げてたんだろ、バカ」


「……もうちょっと遊びたかったね」


「……そうだな」


 腹ペコで死にそうだし、走り回ってへとへとなのに、もう一時間くらいは鬼ごっこを続けられそうな気がした。

 西園寺が終わりにしようと言っていなければ、暗くなっていなければ、まだ続けただろうな。


 こんなに全力で鬼ごっこ(途中からはかくれんぼ)をしたのはガキの頃以来だろうか。

 そういえばヒカリとも昔はよく鬼ごっこをしたなあ。懐かしい。

 やっぱり、ヒカリといるとスゲー楽しい。


 ヒカリの頭をくしゃりと掴んで、呼びかける。


「またやろうぜ」


「今度こそ、先人を捕まえるからね」


 やっぱり、こいつとは一生付き合っていくんだろうな。未来のことはわからないけど、そう思った。






「結果発表だねっ!」


 移動中のリムジンの中、タマゴサンドを口にくわえながら、ハイテンションでリパがはしゃぎ回っている。

 モノを口にくわえながら、話をするのはお行儀悪いぞ。口にくわえるのはソーセージだけにしろ、リパ。


「つーか、そのサンドウィッチ、俺のだから。返せ」


 西園寺が腹ペコの俺を見かねて、サンドウィッチをシェフに作らせたのだ。

 さすがに世界三大珍味サンドではなく、普通のタマゴサンドとハムサンドだったけど。


「ごめん、ごめん」


 リパは俺に謝罪するが、口にくわえていたタマゴサンドをそのまま食べてしまった。

 間接キスならず。残念。


「二人とも可愛いから、きっと私じゃ敵わないよ~」


 俺は横目でヒカリの表情を伺う。

 柔らかな笑顔に少し自信なさそうに下がった眉。

 よそ行きの顔だ。

 さっきの言葉は間違いなく嘘。本当は自信たっぷりに違いない。



 コホンと軽く咳払いをして、かしこまった調子で話し始める。


「それでは、結果発表です」


 ヒカリが俺をまっすぐ見つめている。


「イベント的には三人とも、甲乙つけがたい酷いイベントだった! よって、ジャッジは乳の差で、リパと西園寺を暫定一位とする!」


 ヒカリはもちろんのこと、リパと西園寺もびっくりしている。予定ではヒカリに勝たせるつもりだったからな。だが、そんなことはしないほうがいい。


「ちょちょちょ、ちょっと~。何よ、それぇ~~。何で私じゃないのよ~。しかも、何、乳の差って。そんなの納得いかないわよ~」


 ヒカリが立ち上がり、俺にものすごい剣幕でつかみかかる。


「おっぱいは正義」


「うう~。どうせ、私は胸なんてありませんよ~」


 ヒカリは俺の言葉を聞いて敗北を悟ったのか、俺の襟首をつかんでいた手を離しシートに座り込んでいじけ始める。


「何で男子って胸ばっかりもてはやすのよ。あの風潮がおかしいと思うわ。胸が大きくたって、いいことなんてないわよ。どうせ垂れるんだし。胸が大きくていいことって、胸を鷲掴みにするのと、パイ○○くらいじゃない。そんなの他の部位で代用出来るし。そりゃあ、私も挟んでみたいといえば挟んでみたいけど」


 俺と二人きりの時のような本性剥き出しのヒカリの愚痴。西園寺とリパがいるのも忘れているようだ。


 ヒカリの話す内容が内容だけに、西園寺もリパも口を引きつらせてドン引きしている。

 俺の前ではビッチでどうしようもない女のヒカリも、学校では真面目で清楚な優等生キャラを作っているんだ。普段とのギャップに驚かないほうがおかしい。


「でもやっぱり、胸で一番大事なことって感度だと思うの。胸の感度なら、私は負けないわ! 先人。これから延長戦よ!」


 ヒカリはそう叫ぶと、ブラウスのボタンを外し始める。


「ヒカリ、申し訳ないが、リパと西園寺もいるんだ。そろそろ、おふざけは止めにしないか……」


 ヒカリは俺の言葉で我に返ったのか、顔を赤く染め一瞬固まっていたが、西園寺とリパの方を向き直り、


臥龍岡ながおか莉葉りは! 西園寺貴美! 胸のことを除いても、先人が認めるだけの力はあったわ。今日のところは勝ちを譲ってあげる。でも、次は負けないわよ。先人にとって一番必要な存在は私なんだから!」


 いつものように元気に明るく宣戦布告をした。


「うん、リパは負けないよっ!」


「勝負ならいつでも受けて立ちますよ」


 リパと西園寺も快くこれに応じた。



 長かったデート対決もこれにて終了。


 ヒカリも西園寺も意外な本性をさらけ出したことで、俺たち四人の仲は今日一日でぐっと縮まったと思う。さすがに幻魔界のことまでは話せないが、俺たちは上手くやっていけるだろう。


 ヒカリも元気なったことだし、これからは食事の心配もしなくてすむ。めでたしめでたし。


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