第3話 境界の砦
防衛線が落ち着いたのを見計らい、郷田が撤収の号令をかけた。
「怪我人を優先して運べ! 残りは隊列組んで戻るぞ!」
行きは緊急召集ということで、拠点から集合地点まで一瞬で転送されたが、帰りにそういった措置はないらしい。命に関わる急ぎでなければ、自分の足で歩いて戻るのが基本のようだった。ゼフィロはそのことに、妙な納得感を覚えた。この世界は、便利さより現実味を優先する場面がいくつもある。
「歩くのか……地味にきついな、これ」
トビキリがぼやきながら、隊列の後方につく。ゼフィロも刀を鞘に収めながら、まだ微かに震える手を見下ろした。
「大丈夫か、その手」
「ああ、平気だ。……気づいてたのか」
「そりゃ、隣で見てりゃ分かるって」
軽口めいたやり取りの中にも、まだ緊張の名残が滲んでいた。ものの一時間足らずの間に、二人はこれまでのどのゲームでも味わったことのない種類の重さを経験してきたのだ。
隊列は、木立の間を縫うようにして境界の砦へと戻っていく。負傷した兵を担架で運ぶ者、無言で刃こぼれた武器を確かめる者――誰もが、それぞれのやり方で今しがた終えたばかりの戦を引きずっていた。
その静けさの中、トビキリが不意に足を止めた。
「……待って」
小さな声だったが、隊列の緊張を一瞬で引き締めるだけの何かがあった。
「どうした」
「鳥の声、してないと思わないか。さっきまで普通に聞こえてたのに」
言われて初めて、ゼフィロは違和感に気づいた。木立の奥が、不自然なほど静かだった。草の揺れ方も、風のせいにしては規則的すぎる。
「組頭、この先、様子がおかしいです」
トビキリの報告に、又七はすぐさま足を止め、片手を上げて隊列を制止させた。
「――伏せろ!」
声が響くのとほぼ同時、茂みの奥から人影が飛び出した。
平家雑兵
クラス:郎党
Lv:5
最後まで戦場に踏みとどまっていた一人らしい。手負いの獣のような目つきで、逃げ遅れた隊列の末尾――ちょうど負傷者を担いでいたNPC兵に向かって、刃を振り上げていた。
「そっちだ、庇え!」
叫んだのはトビキリだった。同時に、足元の小石を素早く拾い上げ、敵の顔面目掛けて投げつける。
「ぐっ――!」
視界を塞がれた一瞬の隙を、ゼフィロは見逃さなかった。地を蹴り、間合いを詰める。
「――斬り込み!」
刀身が弧を描き、敵の得物を弾き飛ばす。体勢を崩した敵兵に、追撃の一太刀を叩き込んだ。
【SKILL HIT!】平家雑兵 を撃破しました!
敵兵はそのまま地に沈み、二度と動かなくなった。周囲に、安堵とも緊張ともつかない息が漏れる。
「……ナイス、トビキリ」
「へへ、俺だって役に立つことあるんだよ」
照れ隠しのように笑うトビキリの声は、それでも少しだけ誇らしげだった。又七が近づいてきて、二人の肩を軽く叩く。
「よく気づいた。おかげで死人が出ずに済んだ」
その一言に、ゼフィロはトビキリの横顔を見た。剣も槍も振るわない彼の役割が、今日この場では、誰よりも重要な意味を持っていた。
やがて一行は、境界の砦へと帰り着いた。砦の中は、負傷者の手当てをするNPC衛生兵や、装備を整理する兵たちでごった返している。木箱に腰掛けた新兵らしきプレイヤーが、放心したような顔で空を見上げていた。誰かに肩を借りて歩く者、黙々と武器の刃こぼれを確かめる者――誰もがそれぞれのやり方で、今日という日を消化しようとしていた。
砦の壁際には、二枚の板が並んで掲げられていた。
【生存者名簿】
本日の防衛戦を戦い抜いた者たちの名
【戦没者名簿】
本日の防衛戦にてこの世界を去った者たちの名
ゼフィロは自分とトビキリの名を生存者側に見つけ、小さく息を吐いた。隣の板には、思っていたより多くの名前が並んでいる。プレイヤーらしき名も、NPCらしき名も、区別なく同じ書式で刻まれていた。
「……こっちにも、ちゃんと名前あるんだな」
トビキリの呟きに、ゼフィロは頷くことしかできなかった。生きて名を連ねた自分たちと、この板に名を残した誰か。その差はほんの紙一重だったのだと、改めて実感する。
ふと、トビキリが視界に掲示板を呼び出した。
「なあ、これ見ろよ。どこの戦場かは分からないけど、もう死んだってやつがいるらしいぞ」
【19:素振り三年目】
どこの戦だったか知らんが、初日から死んだってやつ見かけたわ もう戦ってるとこあるのか
【20:干し柿権兵衛】
それ俺だ 装備全部戦場に置き去りにしてきた あれもう回収不可能なのマジ?
【21:素振り三年目】
えっまだ初日だぞ どこの戦場だったんだそれ
【22:干し柿権兵衛】
所属先は伏せとくけど、普通にでかい戦だった
レベルもガッツリ下がったし、死んだ戦闘にはそのまま参加不可になった
おまけに「死亡回数:1」ってしっかり記録されてて草も生えない
【23:夜通し茶漬け】
死亡回数って増えてくとどうなるんです?
【24:干し柿権兵衛】
噂だと所属先での評価に響くらしい まあそりゃそうか、何回も死んでる兵士より信用ならんよな
【25:素振り三年目】
逆に一回も死んでない古参兵とかいたら、それだけで箔がつきそうだな
【26:夜通し茶漬け】
みんな絶対HP0にだけはなるなよ……マジで……
書き込みの下には、同情半分揶揄半分の返信がまだ続いていた。
「……なあ、これ」
「見なかったことにしたい」
二人は同時に視線を逸らした。数字が0になるということが、この世界ではどういう意味を持つのか。今日、身をもって知ったばかりの重みが、この投稿一つでさらに実感を伴って迫ってくる。世界のどこか別の場所でも、同じような戦が、同じような重さを伴って起きている――そのことを、今更ながら思い知らされた気がした。
しばらくして、又七がゼフィロたちのもとへとやって来た。汗と土埃にまみれた顔に、それでも隠しきれない満足げな表情が浮かんでいる。
「お前ら、良い動きしてたな。特にお前」
又七の視線が、トビキリに向く。
「伏兵に気づいたの、お前だろう。あれがなけりゃ、もう一人二人は死んでた」
「……そんな、大したことじゃ」
「いや、大したことだ。戦場じゃ、剣より先に気づく力の方が命を救うことも多い」
又七はそう言うと、二人を見渡した。
「今回の戦、これで終わりじゃない。平家方は退いたが、完全に諦めたわけじゃないだろう。似たような戦は、この先も続くはずだ。……もし望むなら、この砦の守備隊に正式に名を連ねないか。臨時の助っ人としてじゃなく、常設の兵としてだ」
ゼフィロとトビキリは、思わず顔を見合わせた。
これは、単発のクエストの延長線上にある話ではない。この世界に、自分の居場所と役割を持つということだ。まだ何者でもない一兵卒が、その先の道を選び取る、最初の分岐点だった。
「……やります」
ゼフィロは、迷いを振り切るように答えた。
「俺もやる。ゼフィロだけ先に行かせるわけにはいかないしな」
トビキリも、いつもの軽い口調に少しだけ真剣さを混ぜて続いた。
少し離れた場所で指示を出していた郷田が、こちらに気づいて短く頷いた。
「又七が推すなら構わん。手続きを進めろ」
それだけ言うと、郷田はまた別の兵たちの方へと向かっていった。数百人を預かる立場からすれば、新兵二人への評価は、その程度の重みで十分なのだろう。ゼフィロは、それを不満に思うよりも、むしろこの世界の規模の大きさを実感していた。
又七が視界に何かを送ってよこす。
【所属登録】
徳川方「境界の砦」守備隊への正式加入が承認されました
以後、この拠点に関する常設クエストが定期的に発生します
称号「境界の砦の守備兵」を獲得しました
称号
境界の砦の守備兵
効果:SP上限+10、統率+1
解説:この砦を守ると誓った者に与えられる称号。所属する拠点の空気に馴染むほど、その恩恵はわずかずつ濃くなっていくという。
「今日はもう休め。次の当番までは、好きに過ごしていい」
又七はそう言い残すと、後始末に追われる兵たちの方へと歩いていった。
「なあ、ゼフィロ」
「ん?」
「俺たち、思ったより大変な世界に足突っ込んじまったな」
「今更かよ」
二人は顔を見合わせて、どちらからともなく小さく笑った。張り詰めていた気持ちが、少しだけ緩む。
砦の中庭には、乾いていく血と土の匂いが、まだかすかに残っていた。それでも、二人の間に流れる空気は、来た時よりも幾分か軽くなっている。
「これから、忙しくなりそうだな」
「だな。……悪くない」
ゼフィロは短くそう答えて、自分のステータスを開いた。
ゼフィロ
クラス:足軽(徳川方「境界の砦」守備隊 所属)
Lv:2
HP(体力):150
MP(魔力):55
SP(気力):50 → 60(+10)
ATK(攻撃力):18
DEF(防御力):10
DEX(器用):11
AGI(敏捷):14
LUK(幸運):13
統率:7 → 8(+1)
知略:8
カリスマ:5
所持称号:初陣の勇士、初陣の兵、境界の砦の守備兵(NEW)
習得スキル:斬り込み
所持ヒスト:無名の武士(第1段階)
所属:徳川方「境界の砦」守備隊
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