12
上田優殺人事件。全てが終わって、それなりの時間が経った今、俺は、無事に未だにこの町にいた。が、春野和樹と、奥平良の二人は都会へ引っ越してしまった。
春野和樹がこの町から引っ越した理由は知らないが、兄が引っ越した理由は、精神科へ通院するためだった。どうやら、彼は精神的な疾を患ってしまったようだ。
この町の人は、俺たち以外、誰もそれを知らないはずだ。彼らは、自分たちの加害的な側面のことは全く気にせずに、これからも生きていくのだ。もしくは、それすらも町の噂になってしまうのか。精神疾患への理解があるような場所ではない。
そう思うと、少しだけここから、閉鎖的な空間から離れたいとも思うのだった。それが、実行に移されるだけの重さを持った感情ではないことを、俺は知っている。
あの事件を経たことで、皮肉なことかもしれないが、俺には数人の友人ができた。それは全員この町の人間なので、わざわざ俺がここから離れるということはない。
上田令の事件に関わった俺は、何度か警察に話を聞かれることがあった。その度に言われたのは、「無茶なことはしないでください」という、至極当たり前のことだ。
俺が、真犯人に向かって推理を突き付けたことは向こうでも話題になっているようで、会う人会う人にそれを言われた。それもあって、俺としてもちゃんと反省をしている。反省をしなければいけないだけのことも俺は向こうから言われている。
もしかすると、犯人がこの町からどこか遠くの町まで逃亡する恐れもあったのだ。俺が、犯人を言い当てることによって、捕まるかもしれない、と、危機感を覚えた上田令が、車を使ってどこかへ逃亡する。そんな未来も十分にあり得たわけだから、俺が迂闊なことをしたのは、間違いである、と警察から言われてしまった。
ぐうの音も出ないのである。たまたま彼が諦めるのが早かっただけで、往生際が悪い人物が犯人だった場合は、警察の手間を無駄に増やすという結果で終わっていたかもしれないのだ。それは俺の本意ではない。迷惑をかけるために犯人を捜していたわけではない。どちらかと言えば、良いことをするために犯人を捜していた。
良いことができたのかどうかで言えば、できていない。犯人を見つけてからの数日間は、確かに上田令の噂が町の中には広がっていた。が、数日間の終わりとなった、警察による上田令の逮捕があると、それは噂ではなくて確かなものとして、認識されるようになった。たったの数日しか俺が必死にした行為は意味がなかった。
とはいえ、俺の近くの人間はそれをそれだけで受け止めることはしない。本当に犯人を突き止めることになった俺のことを、俺の捜査に協力してくれたみんなは肯定的に捉えてくれる。恐縮してしまうくらいには褒め称えてくれる。過剰なほどだ。
俺のことを肯定する人物、そして、俺にできた数人の友人とは、秋葉光、久保春、横井音の三人だ。三人は、それがあったことによって、俺のことを慕ってくれるようになった。というよりも、捜査の中で出来上がっていた関係性が確かになった。
高校生と友人関係になるというのは、どこか奇妙な気持ちもあったが、人付き合いが密接な田舎であれば時にはそういうこともあるだろう。怪しいわけではない。
都会であれば、俺とそれぐらいの年齢の女性が一緒に歩いていることは、社会通念的に許されそうにないことだが、ここであればみんな親戚みたいなものだから問題にはならない。これはそういうものだから、そういうものとして受け入れられる。
三人を連れて食事に行くことも何度かあった。当然のように、支払いは俺がしているので、最近は、俺が思っていたよりも出費がかさんでしまっていて大変だった。
しかしながら、話し相手ができるというのは悪いことではない。退屈によって、くだらない理由から動き出すことになった俺の、その問題が解決されようとしているのはありがたいことだ。俺自身の問題とはそこにあったのだろう。本当はそうだ。
話ができる。それだけと言えば、それだけでしかない相手だが、俺は、本当は、それだけを求めていたのかもしれないと思った。だとしたら、遠回りをしていた。
そんな俺は実際に遠回りをしていた。買い物帰り、本来なら行く道を外れ、こんな人がいない町の、さらに誰もいない場所を歩いていた。隣接している道は獣道だ。もしかすると、野生の某が、目の前に、ひょんと、やってくるかもしれないのだ。
季節の輪郭がボヤけて、違う季節へ変容しようとしている今日、この頃。俺は、黒いパーカーと、ほとんどの部分が白くなってしまったジーンズを着て、散歩未満の帰宅をしていた。歩みは鈍く、誰が見ても呆けているようにしか見えないだろう。
太陽光が照っている下で歩くと汗をかくようになった。鈍感な俺がパーカーを着ているということは、この町の中でもせっかちな人は半袖で歩いていることだろう。
家に向かっているのは間違いない。が、自分でもどこに向かっているのか不安になるほど、自然味溢れた道は、未来の方向性を失わせ、心臓を驚かせるのだった。
日常の隣に非日常が隣接している。それを考えると、俺はもっと楽しく、この町を生きられたはずだったのだ。自然の中で自由に生きることが習慣になれば、そこに退屈などない。この町で暮らす上で一番に問題になるのは、やはりそれらしい。
しかし、残念ながら、自然も誰かの所有物だ。あまり、むやみやたらにそこに立ち入ることは許されない。真実を追求していた人間が犯罪を犯しては元も子もない。
退屈を凌ぎたいと思っても、それをすることは許されていない。それが社会というものであり、俺が生きている箱のルールだ。そればっかりは仕方がないと思った。
とはいえ、俺は、もっとこの場所と向き合うべきだ。俺が思っているよりも、俺はこの場所が、つまりはこの町が好きだ。それこそ、無駄だと心の底ではわかっていても、町の平穏を取り戻したいと思えるくらいには、この場所のことを気に入ってしまっている。ここで暮らして、ここで尽きてしまおうと思ってしまっている。
彼らも、新しくできた友人も、いつかはここを去ってしまうのだろうか。田舎が去るべき場所になっているのは、俺にとっては、とても悲しいことだ。確かにここにはネットで話題の商品などないが、それでもここにずっと居てくれないだろうか。
そんなエゴが心の奥の方から沸き出てきたところで、俺は、そのことを考えるのを止めることにした。他人の人生は他人の人生でしかない。そこに、俺はいない。
今回の事件をきっかけに、俺は変わるのだろうか。友人ができたことによる変化は当然これから起こるだろうが、それ以外に、直接的に変わることはあるのか。
生きていればそんなものなど、変化など当然にあるものだ。だから、そこにばかり目を向けていてもしょうがない。が、俺が必死になってやったことが、なんにも意味を為してなかったとしたら、それは悲しい。そんな自分も可哀想な人間だ。
無駄なことに必死になっていた、という現実が、俺にとっての罰なのかもしれない。何も失うものがないのはあり得ない。そんな中で、それだけしか失わなくて済むならばラッキーだ。俺にはもっと本質的な崩壊があってもおかしくはなかった。
俺の中に確かにある、無責任に犯人を追っていた日々がもはや懐かしい。遠い昔のようにも思えるが、まだ新しい記憶が、それが最近の出来事であることを教えてくれる。逆を言えば、それがなければいつなのかわからないほどに、懐かしさは募る。殺人事件が思い出になっているだなんて、人間としてどうなのかと思う。
こうして歩いていると、普通の人間になれた気持ちになる。他の人がどんなことを思いながら生きているのかは、俺にはわからないが、普通の人間とはこんな感じなのだろうか。この町の普通の人間はこんな感じなのではないだろうかと考える。
そもそも、俺はどこが普通の人間とは違うのだろうか。どうせ、考えても答えが出ないようなことを考えてみる。そんなことをしても、答えなど出ないのだった。
どうせ、俺は俺として生きていくしかない。それならば、余計なことを考えずに、目の前のことだけに向き合って生きていけばいいのだ。俺は、それだけでいい。
人の心なんて見えないのだ。だから、他人には俺の心がどうなっているのかなんて見えない。だから、そこにはなんにも問題がない。問題などないはずだが、心が歪んでいては行動も歪んでしまうものだ。結局、どうしたものか、という感じだ。
奥平米は、事件が終わってもずっと奥平米のままだった。なので、事件のことを考えるように、自分のことを考えるのだった。しかしながら、事件とは違い、自分には答えとなるようなものがない。どれだけ捜しても、そこには、何もないのだ。
殺人事件には、上田令という犯人がいた。自分の中には、奥平米の中にはそれらしきものは、何もない。ただ、広がっていく自意識が人間の中にはあるだけだった。
それは霧の中だ。その上、その霧の中には求めているものなどどこにもない。そんなものはあるはずがない。求めているものが現実に存在しているとは限らない。
彼はまたそういう日々に戻っていく。そういう日々が退屈だったという理由から、犯人を捜すことになった彼は、またそういう日々に戻っていく。向き合えないのに自分と向き合うことになる日々だ。対象物がどこにもない捜査をすることになる。
隣接する獣道に、足を踏み入れることはない。安全な道を歩いている彼は、これからもそういう日々を生きていくしかなかった。それは悪いことばかりではない。
俺が思っている以上に、俺は変な人間かもしれない、と、この事件の捜査を経て、強く思った。そういう人間が、よくこの田舎で、普通であることが求められる場所でここまで生きてこられたものだ。これはある意味では、奇跡のようなものだ。
中々によくやっている方じゃないだろうか。俺は俺が思っている以上に、頑張っている気がする。そんな気がするだけかもしれないが、そんな気がすることが何か悪いことにはならないだろう。むしろ、自分のことを肯定しようとしているということは良いことだ。自分のことを好きになれるならば、それはそれでいいだろう。自分とは一生付き合っていかなければならないわけだから、嫌いになる意味はない。
殺人事件の捜査をした結果、俺は俺のことを好きになることにした。突拍子もない結論だが、犯人捜しを成功させ、その人物に真実を突き付けたという体験は、ある意味では成功体験のようなものだった。歪んだ成功体験かもしれないが、そうだ。
どこまでも自分勝手な人間だ。人が亡くなっているのに、しかも、悲惨な現実の末に、まだ未来があった子供が亡くなっているというのに、どうしてこんなに能天気なことが思えるのだろうか。自分でも、自分の道徳心の無さに嫌気が差しそうだ。
それでも、やはり俺はこれまでの出来事を踏まえて、何かを掴み取らなければならない。何も得られなかったでは済まされないほど、時間と体力を俺は注ぎ込んだ。
歩いていると余計なことばかりを考えてしまうようだった。なので、ひとまず、家に着くまでは何も考えないようにするのだった。結局は、それが一番いいはずだ。
そもそも、こんなこと考えたってなんにもならない。それならば、なんにも考えずに、動かされるように前に進んでいった方が良いに決まっている。なんにも考えずに生きていければそれが一番いいはずだ。そういう形で、俺は幸せになりたい。
考えて考えて犯人を見つけても、数日間しかそれをした意味はなかった。しかしながら、その夢中になっている間に見つけたものが俺にはそれなりにたくさんある。
それだけでいいじゃないか。考えることよりも、行動することの方が価値がある。それならば、自分のことを考えるよりも、自分として行動することで、自分を作り上げていく方がよっぽどマシだ。そうすることでしか、生きていくことは難しい。
なんだか吹っ切れたような気持ちだ。どれだけ暗いことを考えていても、太陽の下にいると自然と明るくなってしまう。それが良いことなのかは知らないが、そういうものだ。考えないようにするのが正解かどうかはわからないが、楽にはなれる。
後、どれだけ歩けば、家に辿り着くのだろうか。普段は通らない道を通っているから、その距離が曖昧で、今、どこからどこまで歩いているのかがよくわからない。
それでも、この道は過去に通ったことのある道だ。だから、善く善く考えれば、それがどれだけの距離なのかを思い出すこともできるだろう。思い出せばわかる。
が、俺はそれをしない。それをせずに走ってしまいたい気持ちがあった。もはやなんにも考えたくない。これだけ必死になって色々考えた結果、俺はなんにも考えたくなくなった。現実というヤツから一度目を背けることが今の俺には大事なのだ。
誰もいないことだし、走ってみるか。家に着いたら、息が上がった俺のことを家族が見てくるだろう。それに対して何を思うのだろうか。何を思われるのだろうか。
年甲斐もなく、ハシャいだ馬鹿な息子か。それならばそれでもいい。そう思ったので、俺は、買い物のビニール袋の、持ち手の下の方を持って、それを安定させる。
そして、走り出した、ところで、我に返って、走るのを止めた。やはり、普通に歩いて帰ることにしたのだ。さっきまでの俺はなんだったのだろうか。息さえ上がらないほどの距離を走り、思い出したかのように汗をかく俺が、帰り道の中にいた。
考えれば、おかしなことを考え、考えなければ、おかしな行動を取ろうとする。どこまでもおかしな人間である自分は、自分以外の人間には救いようがない。どこまでも奇妙な、どうしようもない人間がここに、確かに俺として、存在している。
この町で殺人事件があった。それは、ここに消えない傷を残していった。が、それとは関係なく、俺の日常は続いていく。これからも生きていかなければならない。
殺人事件の犯人が消えたこの町は、前よりもいい町になっている気もした。それは、この場所にとって必要な儀式だったのかもしれない。今時、生け贄の儀式だなんてくだらない。それでも、起こってしまったことは仕方がないので、俺はそれを受け入れることにした。受け入れる以外に、立ち向かう手段がないのだと思った。
この町には何もない。それと同じくらいに、俺には何もない。だからこそ、俺はこの町が馴染んでいるのだと思う。虚無的な人間だから、虚無的な町にいるのだ。
でも、別にそれでいいじゃないか。悪いことをしているわけではないのだ。人間、悪いことさえしていなければ、別に何をしていてもいいはずだ。そのはずなのだ。
これでもう終わりだ。ここから先は考える必要がない。全く、無駄なことをタラタラタラタラと、ずっと考え続けてしまった。意味もないのにそうしてしまった。
季節の形が変化していく。その中で、俺という人間の形も変化していく。それは、輪郭ではなくて、確かに形が変化しているのだった。意味もないのに生きている俺たちの形が変化しているのだった。




