エリザベス
ヘンドリック・ドゥーフの乗る船は、本国オランダへの帰路、バタヴィア(インドネシアの首都ジャカルタのオランダ植民地時代の名称)に寄港した。
1818年、バタヴィアでヘンドリック・ドゥーフは一人の女性と出逢い結婚した。
その人の名は、エリザベス。
西洋人の妻だ。
妻を伴って帰国できる。
日本人の妻・瓜生野、そして息子・丈吉は連れて帰られなかった。
妻を連れて帰国できることの喜びを感じつつ、日本の出島に残して来た妻と息子を思った。
「元気にしているだろうか?
困っていないだろうか?
許してくれ。瓜生野、丈吉。
君たちを忘れたわけじゃない。忘れられるはずもないんだ。
許してくれ。連れて帰られなかった私を………。
結婚した私を………。」
帰国の途中の船上で、妻・エリザベスの妊娠を知った。
嬉しかった。
おもんの顔が、丈吉の顔が……浮かんだ。
「大切にしてくれ。」
「はい。」
この短い会話の中に幸せがいっぱいあることをドゥーフは知っていた。
オランダへ向かう船が嵐に遭った。
「エリザベス――っ! 大丈夫か?」
「はい。」
「私にしっかり摑まって!」
「はい!」
嵐の船内は揺れが酷く、海水も入って来ました。
ヘンドリック・ドゥーフは妻をしっかり摑まえて離さないようにしていたが、大きな揺れがその手から妻を奪った。
妻は船内を弄ばれたように転がった。
その妻に船内のテーブルや椅子が襲い掛かった。
「エリザベス―――っ!」
やっと妻を抱きしめた時には妻は、もう息をしていなかった。
「エリザベス―――っ!」
ヘンドリック・ドゥーフは大きな声を上げて妻の名を呼びながら泣いたのだった。
妻とお腹の子をドゥーフは失った。
傷心のままのヘンドリック・ドゥーフを乗せた船はオランダに着いた。