2月14日
イナリより。
《ジョン》《モーラ》
【主、昨日の警備兵が来ました】
ノック音とソラクマちゃんに起こされ、取り敢えずドアを開けた。
ねむい。
「おはようございます、寝過ごしました。今支度をします、ごめんなさい」
《いえ!早く来過ぎました、今来たばかりですし、下で待っていますね》
「助かります」
持ち物を全てストレージに収納し、身支度をしてから急いでロビーへ行くと、ウェルカム珈琲を飲んで待っていてくれた。
曇天の街中を歩き、2人で家へ向かう。
《おはよう!さぁ、いらっしゃい!》
中々豪華な朝食が待っていた。
玉子にスモークサーモンのサラダ、具沢山なトナカイのシチューにパン。
ボリュームもあって豪華、フルーツも綺麗な飾り付け、美味しそう。
《僕、今日、休みなんです》
《私は明日がお休み》
「付き合わせてしまってすみません、ありがとうございます」
《2人分作るのって味気ないから、寧ろ助かるわ》
《だね、お口に合いますか?》
「はい、美味しいです」
《良かった、味が合わないか心配だったの》
「お肉やお魚にジャムを添えたのは苦手なんですけど、こういうのは大好きです」
《大丈夫よ、そういう文化が無いってジョンに聞いてたから、別添えにしといたの》
「甘じょっぱい文化はあるんですけど、甘酸っぱいはあんまり、好きじゃないですハイ。ありがとうございます」
《良いのよ、好きに食べて大丈夫だから》
《そうですよ、僕もミートボールにはグレイビーソースですから》
《でもミルク粥にはジャムじゃない?》
《シナモンで充分だよ》
「カラメル掛けると美味しい」
《なにそれ良いじゃない、プリンみたくなりそう》
《家にソースがあったよね、明日の朝はそれにしよう》
「カレリアパイに掛けても良さそうと思った、塩キャラメルとかカラメルソース」
《そうなるとチョコも良さそうね、今日行ったらやってみるわ》
《後で食べに行くよ》
「仲が良いんですね」
《大人になったからですかね、小さい頃はケンカばかりでしたよ》
《それもあるけど、親の遠征に付き合って引っ越しばかりしてたからかも、頼れる人がジョンしか居なかったから》
「なるほど、ご馳走様でした。また少しお店を周ったら町を出ますんで、休暇を楽しんで下さい」
《なら送ってあげてジョン、私はまだ家で用事があるから》
リサイクルショップのウインドウには、少し大きな子供サイズのビスクドールが確かにあったが、2000ユーロと高額だったので早々に諦め、次の町へ続く門まで来た。
「あの、最後に。黒い森って何処ですか?」
《行かないのでしたら》
「行かない」
《…近い所はスウェーデンにあるらしく、ヘルシンキから船が出てます。でも、くれぐれも近づかないで下さい》
「はい、ありがとうございました、お世話になりました」
《いえ、また来て下さいね》
町の外は吹雪とは言わないまでも、そこそこの大雪が降ってきた。
前回と同じ様にロキの靴で町から離れて、空間移動。
ソダンキュラには結界があるものの、雪解けの魔法は掛けられていないらしい。
そして街自体が大きいからなのか、塀も門も見当たらない。
入って直ぐの案内板には街の解説が書かれていた。
川に挟まれ森や国境から遠い為に、結界はあるが景観の為に柵が無い事。
だが万が一の安全面考慮の為に軍の施設には避難所があり、いつでも受け入れ体制が整っていると。
後はホテルやカフェ、商店、そして遠くには空港があるらしい事が分かった。
そして何より軍の施設があるので、歩き回らず通り過ぎるべきなのだろう。
案内板の下を見るに、次の町はオウルかクーサモ、海沿いか山沿いの2つに分かれる。
ふと辺りを見回してみると、朝だというのに人気は少ない上に、軍の車両も通ってるし。
無理だ、ココは通り過ぎて海沿いのオウルに行こう。
【了解】
幹線道路沿いに歩きつつ街を通り抜け様と出る直前、後ろから急に声を掛けられた。
『あの、お1人ですか』
振り向けば軍人の足元。
先ほど通り過ぎた筈の車に乗っていたらしい、バッチいっぱいで体格も良い。
ヤバいか。
「はい、オウルへ行こうかと」
『失礼ですが、身分証はお持ちでしょうか』
フードを脱ぎ顔を見せると、少し驚いたのか目を見開き、眉間を僅かに歪ませた。
不審者としか思っていないのだろう、コチラのマーリンには悪いが、名前を使わせて貰おうか。
「治療師見習いなんですが、身分証は事情がありまして」
『あぁ、良かった、治療師様でしたか。怪我は治せる流派でらっしゃいますか?』
「はい、ですが殆どは独学なので、お気に召すかどうか」
『実は今、多くの怪我人が出てしまいまして、宜しければ、少しだけでも診て頂けませんか』
良く見れば少し顔色の悪い青年からは、有無を言わさぬ迫力が出ていたので、頷いて着いて行くしか無かった。
例え、転移禁止区域の軍の施設に行くにしてもだ。
街の外側、川を渡った先が軍の施設。
この陸の孤島の様な場所には、しっかりとした塀と門と警備があるものの、特例の招待客として身分証の提示無しに入る事が出来た。
つかもう、走る様な速歩きで強引に突破した感じも有る。
ストレージも移動魔法も原則禁止の看板が設置され、一部区画のみ有効であるとソラちゃんが読み上げた。
もう後悔している、ストレージも禁止とは良く考えれば想定出来た事だった。
そしてマジで緊急なのか、もう小走りじゃん。
存外に静かで無機質な白い廊下を進むにつれ、消毒液の匂いが漂う。
暫く進むと床を清掃している兵、その先へ進むと床には真っ赤な血の痕。
更に先は緑色の廊下に変わり、椅子には怪我人が座り込み、白衣の看護師らしき人達に手当を受けている。
案内された部屋に入り消毒をし手術着に着替え、手術室らしき部屋へと足を踏み入れる。
中には更に複数の怪我人、止血や点滴はされてるが、あくまでも応急処置程度。
器具が足りないのか、人力で止血している者も居る。
狭い手術室の中、消毒液と血の匂いが混ざり合っている。
《兵長、それ誰》
『流浪の治療師見習い様です、兵の治療にとお連れしました』
兵長が話しかけた人は、大きな血管でも止血し終えたらしく、一呼吸してから振り向いた。
灰色の瞳がコチラへ向き、大きく開く。
《でかしたよ兵長!素晴らしいタイミング!治療師様、手当てをお願い致します》
「エリクサーはありますか?」
《それが、今さっき尽きました。無印でも構いません、お持ちでしたらお恵み下さい》
「ありますけど、何処で出せば?」
《あ、今ストレージ禁止の解除を……はい、病室の解除完了。この器にお願いします》
「はいどうぞ、まだありますから足りなくなったら言って下さい。始めます」
先ずは1番酷そうな人、右腕と左脇腹が食い千切られている。
魔力はあるから先ずは全速力で、脇腹の太い血管から鉗子を外し、腎臓が僅かに残っていたので修復、内臓と血管だけと最低限治し、次へ。
次は腕、咬み千切られボロボロになった腕を持ち、血管を繋ぎ神経と骨、次いで筋を修復。
皮膚もだが、血液が足りないのは輸血で何とかして貰う。
次に手袋を変え、手首と太腿が千切れかけた人。
肩ごと腕を千切られた人、骨盤を噛み砕かれた人。
余力があったので廊下に出て軽傷者を見る、内臓損傷が1人居たので修復。
その他の軽症者は浅い裂傷や噛み傷が殆んどだったので、手術室に戻り重傷者を再度見る。
輸血の甲斐もあってか顔色が少し戻っていたので、筋膜や皮膚も修復し、全員の治療を終えた。
そして辺りを見回している時に気付いた、痛覚遮断を忘れていた、ごめん。
焦ってたんだ、許してくれ。
《ありがとうございます!見習いだそうですがお見事でした、どの流派なんです?東洋人は皆こんなに凄いんですか?》
「他は知らないんで何とも…それより食事を取りたいんですけど」
《あ!申し訳無い!魔力を使わせてしまいましたもんね。兵長、食堂へお連れしてあげて、後で私も行くから》
『軍の食堂より外のダイナーの方が宜しいかと。お疲れでしょうし、教会の方でしたら、軍の施設は落ち着かないかと』
《そっか!そうだね、そうしといて!》
『はい。では、コチラへどうぞ』
手術着を脱ぎ、兵長に案内されながら来た道を戻る。
途中何人かにハグされかけたが、兵長が制してくれたのもあって握手で済んだ。
震えていた若い兵士も元気に笑いかけてくれたのは良かった、自分が付けた傷じゃないモノを治すのは中々に気分が良い。
後悔は、痛覚遮断を忘れていた事。
「あの、こんなに酷い状況に呼ばれるとは思ってなかったんですが、いつもこうなんですか?」
『申し訳無い、僕もあの様な状態になっているとは知らなかったんです。今回の件は珍しい事で、川沿いの警備兵達が合同で街道の哨戒任務をしてまして、魔渦を確認した直後に魔獣の群れに襲われたそうなんです。医師も何も足りず、どうにかならないかと、先程ココまで来たそうなんです』
「魔渦?」
『魔力の渦だまりです、日本には無いらしいですが…日本人の方ですよね?』
「どう見てもそうですよね。勉強不足で申し訳ない、生憎引き籠りなもんで」
『いえ、魔渦の無い日本の方でしたら…こんな時期に観光ですか?』
「観光では無いんですよ、迷子なんです。道中助けて頂いた方にはマーリンの仕業じゃ無いかと言われてるんです、意識の途切れる前は欧州に居ました」
『そうでしたか、それは大変でしたね。さぁどうぞ、お入り下さい』
基地の目の前にあるダイナーには人が全く居ない、店員以外は誰も居ない。
冬だから?基地だからか?
人の良さそうなおばちゃんがお水とメニューを置くと直ぐにカウンターへ戻って行った、文字のみで写真が無い。
そして選ぶ気力も無い。
「安くてボリュームがあるのをお願いします、路銀を節約したいので」
『僕と看護師長が出しますから、遠慮せず食べて下さい。魔力が足りずに倒れられては、先程の兵士達にも僕が殺されてしまいますし』
さっきの人、お医者さんじゃ無いのか。
看護師、長。
アレか、海外ドラマの医師レベルの人か。
「じゃあ、全部で」
『はい、飲み物もですか?』
「お水と、デカフェの紅茶をお願いします」
兵長がカウンターへ行き注文すると、おばちゃんがこっちを見てニコニコしたかと思うと、大笑いしながら兵長の肩をバンバン叩き、厨房へ向かって行った。
『被る注文は除いておきました。先に甘い物はどうですか、今日はメープルシフォンだそうです』
「後にします、何で笑ってたんでしょう」
『アナタが全部食べると言ったら、他の兵士が来るならそう言えと言われました、冗談だと思ったんでしょう』
「なるほど、気さくな方だ」
中々にイケメンの軍人がこんな大真面目に冗談を言ったら、どの国でもあんな反応になるのだろう。
厨房へ注文を終えたおばちゃんが、凄いニコニコしながらポットごとお水と紅茶を持ってきてくれた。
《はい、どうぞ…本当にもう食事を出して良いのかい?揃ってからでも良いんだよ?》
『大丈夫です、看護師長は直ぐに来る予定ですから』
《あいよ、じゃあ今持って来るわね》
先ず出てきたのはサーモンスープ、トナカイのソーセージとニシンのサンドイッチ。
他にお客さんも居ないのでスープを一気に掻き込んだ、サンドイッチは酸っぱいニシンが意外と美味しい。
次に来たのはトナカイのシチューとカレリアパイ、味は他の町より薄めに感じる。
塩が置いてあるのでちょいちょい掛けて食べていると、看護師長が入って来た。
《お待たせ!どう?美味しい?》
「美味しいです」
《うんうん、で、何処から来たの?》
「イナリから来ました、元は欧州からです」
『マーリン派だそうで、例の悪戯で飛ばされて来たらしいんですよ。僕らにとっては運が良かったんですが』
《君には不運だったね、なら身分証なんて持って無いよね?》
「急だったので、何も準備出来てませんでした」
《あー、なら兵長に身分照会させて帰国の手続きをさせるよ。出身はイギリス?日本?》
「騒がせたく無いので、自力で帰ります。なので大丈夫です、直ぐにココも出る予定でしたから」
《着てる物は上等な魔法の掛かったローブ、名乗らないし、偉そうにもしない。かと言ってこうなっても身分を明かさないし…さては君、上流階級の治療師?》
「どうなんでしょう、身分とか階級とか気にした事が無いので」
《んー、それかマーリンに失恋した系?》
「恋仲では無かったです、仲は良い方だと思ってたんですけど、そうなっちゃうんですかね」
《なら他の人にライバル視されて飛ばされちゃったのかな?》
「そうなのかも知れませんね」
《本当はどうなの?》
「言わないとどうなりますか」
《別にどうも、謝礼金が出せないかも?位》
『マティアス、いい加減にしないと、失礼ですよ』
《ごめんごめん、冗談。謝礼をその場では受け取らず、後で名誉の為に公の場で名を明かすって上流階級の遊びが嫌いでね、違ったなら困らせてごめんよ》
「いえ、もうお礼要らないんで、大丈夫です」
《ソコは遠慮しないで、出せなくは無いから大丈夫。あ、追加のエリクサーもお願い》
「良いですけど、無印ですよ」
《教会の人間じゃ無いんだね、にしても教会産より上等だったし、謝礼に上乗せするよ?》
「良いですけど、支払いとかは何処でしますか」
《あ…また基地に来てくれる?》
「むり」
話の合間に来た焼きロールキャベツにホワイトソース、ミートボールは美味しいけど、どうしたもんか。
捕まるのは困る。
『警戒させてしまい申し訳無いんですが。ですが是非、エリクサーをお願いできませんか?』
「捕えられたら嫌なので、ココで渡します、食べたら街を出ます」
『手出しはさせません、どうか、お願い致します…兄さんも謝って下さい』
《さっきのは本当にごめん》
「不信感Max」
《ごめんなさい、マジで困ってるんだ、お願い》
「終わったら、直ぐに、街を無事に出してくれるのが条件です」
《勿論!》
『はい、勿論です』
注文の残りはパッキングして貰い、再び2人と基地へ戻り、兵長とは一旦分かれ看護師長の案内で師長室へ向かった。
パソコンに電話に無線機、大きな本棚、中には医学書らしき本がびっしり。
《今回は急なのに有り難うね、追加のエリクサーはコッチにお願い》
「どうぞ、死者は出ましたか」
《君のお陰で居ないよ、ありがとう》
「でも、さっき泣いてる人が」
《3日前に襲われた別の隊の家族なんだ、即死が3人、2人は修復が終わったから、これから引き渡しなんだ》
「繋げるお手伝いしましょうか」
《良い、私の仕事だから》
「じゃあ、祈ってあげても良いですか」
《うん、ありがとう。処置室は突き当りの右側だよ》
遺体安置所の横にある処置室には、緑色の覆いが掛けられた3体の遺体。
その場で目を瞑り覆いを見ると、首元を噛み千切られた遺体、頭部を噛み砕かれた遺体、爪痕が顔から心臓までを抉った遺体があった。
もう遺体には魔力も魂も残っていない様に見えた、この状態になって初めての遺体。
怖い。
でも傷がどうしても気になる。
試しに、自分の魔力を添えて縫われた傷口の細胞を押すと、辛うじて治った。
お節介を承知で頭部が砕かれた人、爪痕が酷い人の顔面だけを治し、医務室へ戻ると兵長と看護師長が揃って待っていた。
有り難い事に、細かい金額の古い貨幣。
『コチラがエリクサーの代金と治療費になります』
「はい。じゃあ、さようなら」
《うん、ありがとう》
『お送りします』
廊下に出ると、兵士達が並んで敬礼し待っていた、恥ずかしい。
顔を覆い、兵長を追い抜き、足早に基地を後にした。
「なんて恥ずかしい事を、もう助けん」
『申し訳無い、兵士達がどうしてもと言うので』
「…そうですか。じゃ」
『待って下さい、移動魔法が有るにしてもこの雪ですし、近隣で魔獣の活動も確認しています。なのでせめてバス移動を、代金はお渡ししますから』
「優秀な移動魔法なんで大丈夫です。それより至急看護師長に謝っといて下さい、お節介をしましたと。なのでほら、行って、早く、もう気が付いてて追い掛けて来るかも知れないから」
『え、あ、はい。ありがとうございました』
早々に低空飛行で街から離れた後、オウルまで一気に空間移動した。
もう次こそ、次の町では誰にも関わるまい。
オウルは大きな都市部だった、港も空港も鉄道もある。
デカイ病院も大学も、人の往来も多い。
様子見で入ったカフェに亜細亜人らしき人は居るが、同様の東洋人は居なかった。
とりあえず売れ残りのカラクッコと呼ばれるパンとキノコのスープを買い、早々に店を出てホテルへ向かった。
シャワーを浴び、クマに入ったソラちゃんに髪を乾かして貰らい。
それから料理、ミニキッチンでピラフとパスタを作る。
合間にゴロゴロした後、少しお腹が空いていたので、ぬるいカラクッコを食べてみた。
魚がぎっしり詰まっていて良い塩梅、また買おう。
料理を終え、まだ明るい外を見ているうちに眠くなってきた。
少し早いけれどクマを抱え、少しだけとベッドに横になる。
イナリから更に南下し、ソダンキュラへ。
『兵長』
《看護師長》
《食堂のオバちゃん》
そしてオウルで宿泊ですが、軍と関わっちゃいましたね。