日見谷礼
「…………」
病院の外で降りしきる雨が病室の窓を濡らす。それを静哉はベッドの上から黙って外の風景を目にしていた。
まさに今の静哉の心の中を表しており、何もできないという不甲斐なさに満ちていた。
一方で、その病室の外、廊下の奥から響き渡る複数の靴音がだんだん近づいてきて、それに気付いた静哉は病室を繋ぐ一枚のドアに目をやる。
靴音がそのドアの近くで鳴り止むと、静哉は誰かそこにいるのかと判断する。そして、そのドアが開かれると、その奥から一人の人物が病室に入ってきた。
「! あなた方は……」
「すみません。自分は、刑事部の狩月仁と申します。少し、事情聴取に応えていただけますか?」
一人の男が見せたのは、自分の身分を表す警察手帳。それは、この社会を取り締まる、正義を掲げる象徴とも言える存在からの使者であった。
「――つまり、何者かに背中を押されたと?」
「はい。信号が変わるのを待っていたところに、急に……」
静哉はこの病室に訪れた狩月から事情聴取を受けた。なぜ事故が起きたのか当時の状況を知りたいそうだ。彼の質問に、静哉は一切の嘘を言うことなく、正直に答えていった。
「……それで、犯人の姿を見た、ということは?」
「……あります」
「それで、名前は?」
「その前に、しっかりと理解しておいてください」
「何だい?」
「俺を突き飛ばした相手が、あなた方を黙らせることができる者を背後に控えているのだと」
そして、静哉が事故を起こした犯人の名前を挙げ、それに関する情報を包み隠さず、彼に伝えたことで狩月は即時動き出した。静哉が通う学園の闇を引きずり出すために。
その頃、美琴は複数の教師たちが集まる職員室にて、あることを知りに桐島の元に訪ねていた。
「宿木君が入院している病院?」
「はい。ちょっと、彼の様子を見に……」
「随分と仲がいいのね、あなたたちは」
「いえ、そういうわけじゃ……」
静哉の見舞いに行こうと美琴が訪ねてきたことを知って、桐島はクスッと笑う。その反応に美琴は顔を真っ赤に染めつつも即座に否定する。彼に気があるのが桐島には分かっていたようだ。
「ちょうど良かった。実は近々、彼に聞きたいことがあったのよ。他の先生方が消極的過ぎて頼りないからさ……」
「そうなんですか?」
「ええ。ホント、困ったものよ。まるで騒ぎに対して感知しないと言っているようなものだし……。いくら権力があるからって、やりすぎだと思うわよ」
「…………」
桐島が先生方に対して呆れる様子を見せていることから、あちらの権力が働いていること、彼女も苦労していることを美琴は理解する。一人の学生がエライ目に遭っているにもかかわらず、無関心を貫くというのは彼女も嫌な気分となった。
「せっかくだし、病院まで送ってあげるわ。授業が終わったら、駐車場に来て」
「はい」
美琴は一緒に病院に行くよう、桐島と約束を取り付けると、肩の荷が下りるかのようにこの場を後にしていくのだった。
それから数時間後、授業を終え、生徒たちが帰宅に入ろうとしている中、美琴は約束通り、桐島が待つ駐車場へ行こうと教科書をカバンに詰めていた。
「さてと……」
「ハイ、スト~ップ」
「!」
しかし、彼女が席を離れようとした先に阻んだのは、彼女を執拗に付け狙っていた日見谷礼と、その取り巻きの二人である。その三人が彼女を囲んでいた。
「ちょっと、付き合ってもらえない~?」
「……断ります。少し用事があるので」
「え~? そんなの、遅れるって連絡すればいい話じゃな~い? そんな堅苦しいのナシだから……」
「断りますって、言ってるのが分からないんですか?」
「え~。何だって?」
「!」
美琴が席から離れようとするも、それを阻む日見谷。さらには耳を立てて、明らかにはぐらそうとするその態度に、美琴もさすがにイラつき始めた。その緊迫した雰囲気が出来上がる中、一人の男子生徒が話しかける。
「オイ、日見谷。荒谷さんが困ってるの気付かないのか? ちょっと、どけてやれよ」
「ハッ、説教なんて聞きたくないし。そっちこそ、どっか行ってくれない?」
「それは聞けねえ相談だ。あまり彼女を困らせ――」
「うるさい」
ドン!と男子生徒の腹に向けて日見谷は拳を打ち込む。腹を打ち込まれ、膝を折られた男子生徒に日見谷はニヤけながら膝を突き立てた。それを目撃した美琴はただ、茫然とするしかなかった。
「…………!」
「アタシの邪魔をするから、こうなるのさ。これでも、空手をやってた身でもあるからね」
「!」
そう、日見谷礼は幼少の時に空手をやっていたことがあり、他の二人もその時の知り合いでもあった。ただ、中学に上がる前に辞めたこともあって、ブランクはあるにもかかわらず、その腕はあまりさび付いてないように思えた。その理由には、ある人物が関係しているそうだが、彼女自身にしか分からない。
「つまり、アンタが逃げられる保証なんて、無いに決まってんのよ! 拒否も許されないの!」
「…………」
先程のを含めての、好き勝手にやっているその横暴ぶりは、まさに天城たちと変わりがない。その様をじっと見つめていた天城たちは、どこか同族嫌悪であった。
「無茶苦茶やってんな、アイツ……」
「そういや、染崎。お前、日見谷にボコボコにやられてたんだっけ」
「うるせい! ちょっと、油断しただけだ!」
「フッ……」
海老原のからかいに、染崎は恥ずかしそうに顔を赤めさせる。実は天城たちは彼女たち三人に、ちょっかいをかけていた時期があったのだが、意外にもケンカに強かったこともあって、あまり手が出せなかったのである。そのため、彼女たちよりも弱いクラスメイトでストレスを発散させていたのだ。
もちろん、美琴が困っているにもかかわらず助けようともしない。日見谷たちに恐れているわけではないが、人がいたぶられる様を見られることがなにより好奇心が勝っていた。
「さー、さー、一緒に行こうよ……」
「…………」
目の前に映る日見谷の誘いに、美琴は押し黙る。
(抵抗しないと、結局は付けあがらせるだけだぞ)
静哉がかつて言った言葉が脳裏に過ると、荷物を入れたカバンを振り回す。
「うわっ!」
彼女の右隣に回っていた北澤が迫ってくるカバンに怯むと、その隙に、美琴は包囲から抜け出し、そのまま教室を出た。
「クソッ、待て!」
美琴にまんまと出し抜かれた日見谷たちは、予想外の抵抗を受けたことで怒りを込み上げ、彼女を追いかけ始めた。一方で二人の絡み合いを見つめていた天城たちは満足そうな笑顔をしていた。
「意外だな。まさか、荒谷の奴が歯向かうとは」
「もしかして、宿木に影響されたってか?」
「ハハッ、あり得る。そういう生意気な奴ほど、屈服させたくなるんだよな」
(そう、俺は人の上に立つ存在だ。それ以外は俺に跪かなければならないんだ。誰であろうと、俺の上に立つ人間など、存在していけねえんだよ)
「まさか、日見谷さんが妨害するなんて、しつこいにも程があるわよ」
「すいません、送ってもらって……」
「いいのよ、いいのよ。ま、彼女たちに腹が立つのは仕方がないけど……」
ひとまず駐車場で桐島と合流した美琴は、彼女が愛用している車に乗り、静哉のいる病院へ向かっていた。その向かっている最中にて、美琴は日見谷の妨害を包み隠さず話すと、桐島も怒りを込み上げていた。学校のことを思う先生らしい怒りである。
「やっぱり、告発するんですか。学校を」
「このままでは、この学校そのものが体裁を失ってしまうのよ。だからこそ、彼のような存在は決して消えてはいけないの。あなたが彼を必要としているくらいにね……」
「そうですか……。って、だから、私たちそんなんじゃありませんって! 何度言ったら分かるんですか!?」
黒鉄高校を立て直すために一度告発することを改めて決心する桐島。
その覚悟を目にして深く考え込む美琴だったが、その際に出た静哉との関係に、思わず口を吹いた。
「別に反対しているわけじゃないのよ? 何だかお似合いかな~、って思ったわけだし」
「もう……」
「それに……呉宮とは絶対に遭わない気がしたしね」
「え?」
桐島から出た言葉に思わずポカンとする美琴。
彼女がそのことを疑問を感じたことを察した桐島は、言葉を続けた。
「実はちょっと、気になったのよ。呉宮と日見谷の二人、いえ、北澤と遠山を含めた4人は、小学校の時からずっと同じ学校に通っていたらしいのよ」
「!?」
「偶然とは考えにくいし、何か怪しいのよ」
「桐島先生、考えすぎじゃ……」
「だといいけど……」
そのまま車で病院に着き、静哉がいる病室にまで赴くと、ベッドに横になりながら外の光景を見る静哉の姿を見て、二人は一旦安堵し、そして、桐島が今考えていることを彼に伝えた。
「この高校を告発……か。随分と大柄なことをしますね、桐島先生」
「このままじゃ、生徒の将来にも影響が出てくるわ。なら、一斉に吐き出させるしかないわ」
「……俺もそれには賛成ですよ。しかし、それに似合うだけの対価はあるんですか?」
「対価?」
「告発させるための――証拠ですよ」
「「!」」
桐島の言葉に同調する静哉であったが、その考えに基づくものを用意できるかどうか、逆に尋ねると、二人はその意図を見透かされたかのように急に黙り込んだ。
確かに口だけではどうにもなるだろう。ましてや、告発となると、相手を納得させるだけのものが必要であり、かつ形として残っているものが有力である。となると、その当時にあったものが望ましいのだ。
「問題はそこなのよね……。もし学校で起きたことを証拠として持ち出せればいいだけど、写真に収めているわけじゃないし……」
「じゃ、どうするんですか!? まさか、このまま終わりじゃないですよね?」
「そうしたくないから、こうして考えてるんじゃない!」
「…………」
二人が討論に白熱している一方で、静哉は頭を掻きながら困り果てていた。仕方ないと心の中で思いつつ、彼は決め手に繋がる言葉を口にする。
「いや、まだ方法はある」
「「?」」
「実は数時間前に警察がやって来て、いろいろ聴取してくれたんです。ま、向こうも調査に力を注いでいますから、その内何か出てくるかもしれません。それに、俺を突き飛ばした奴についても、しっかりと教えたしな……」
「! 誰なの、宿木君? その、あなたを事故に遭わせた人物は!?」
「天城たちの誰かじゃないでしょうね?」
「…………」
「――えっ!? ちょ、何もったいぶってんの? 早く言いなさい!」
「……あまり二人にとっても信じたくない話だから、しっかりと頭に入れてくださいよ」
「「?」」
静哉があの事故を起こさせた、張本人の名前を挙げると、二人の頭は衝撃を受けた。それは、この学校の名誉に大きく揺らがせる、最悪なものであった。
そして、数ヶ月――。
学校はというと、いつも通りの一日が続いた。
ただ、天城や日見谷たちによる、それぞれの執拗な仕打ちはクラス内で続いているが、呉宮が静哉の代わりにブレーキ役を務めるようになり、それもあって、イジメも少なくなっていった。
美琴も肩を張ることも少なくなり、静哉が退院するまで通学しつつ、その裏で桐島と共に告発の準備を進めた。その桐島も、なぜか生徒の資料を改めて確認し、その人間関係を洗い始めた。
病院内で静哉に吹きこまれてから、何か見落としているのではないかと生徒に関する資料を集め始めたのである。ただ、大部分については警察にお任せする形になったが、それは信頼できるだろう。学校側からの圧力がかからない限り。
そして、病院内で検査を終え、事故を受けた時のケガが完治した静哉だが、心は晴れなかった。
なぜなら、彼の両親が既にこの世を去ったからだ――。
時は遡る。
静哉が入院してからも、両親の亀裂はさらに最悪なものとなった。
静哉の入院費は払うことはできたが、生活費を払った後に残る金額が少ないだけに、父親の性格はさらに荒んでいった。前々から借りていた借金も膨れ上がり、だんだん現実逃避に陥る羽目になってのである。
また、母親は元々体が弱いこともあって、度重なる労働の疲れや父親、もとい夫からのDVもあってか、精神もすり減っていった。さらには前から服用していたクスリを過剰投与したため、その副作用で自宅内で亡くなることとなった。
一方で父親も、自分を救おうとしない現実に絶望したことにより、自ら首を吊るし、母親の後を追うようにこの世を去ってしまう。それにより、二人の相続税は息子である静哉へと渡ることとなった。
二人の死は、静哉にとっても衝撃的だった。特に自分を養ってくれた母親には感謝してはいたが、急にいなくなると、やはり寂しさを感じたようだ。父親に関しては、特に悲しむようなことはなかったが、アレでも父親だったんだと、改めて思い知った。
さらに親の死を引き摺ってしまったのか治療の時にも、ボーッとしており、常に心あらずの状態であることが看護師たちが目撃したという。皮肉にも十分な療養はできたのだが、心に刻まれた傷はどうしようにも癒えなかったそうだ。
しかし、静哉は――たった二人の親の死を受け止め、ケガの治療に専念し、退院まで漕ぎつけるとそのまま、学校に復帰することなった。
その間にも警察側は静哉からの証言を基に、事故に関する資料、およびそれに関する〝人間関係〟をすべて洗い出したことを彼は知り、告発するその日まで待機させてほしいと強く懇願した。
そして、静哉が学校に復帰したその日。
それは、この学校が下手すれば、終わるかもしれないと思いたくなる一日の始まりだった。
普段と変わらない教室に、事故から復帰した静哉が教室を隔てるドアから入ってくる。
事故で休むこととなったクラスメイトの登場に、他のクラスメイトも驚愕すると、彼の下に集まってきた。
「戻ってきたのか、宿木! まったく、心配かけやがってよ!」
「済まないな。いろいろあってさ……」
「ハハッ、事故に遭ったって聞いた時は、ホントにハラハラしたぜ」
「そうか……。ところで、この学校で何か起こらなかったか?」
「ああ……。なんか、呉宮がまとめてくれて助かったって感じだった」
(呉宮が?)
自分がいない間に、このクラスにて何か起きていないか静哉は心配だったが、呉宮がそれを抑えてくれたことに一旦、肩の荷を下ろした。だが、どこか表情は浮かない。そうしているうちに、呉宮が近づいてきた。
「大丈夫か、宿木。君がいなくなると、寂しくなるからさ」
「そうか……」
呉宮がにこやかに笑顔を向けると、静哉も微笑みを返した。
すると、彼の表情が一変し、無のものとなった。
「――――本当は、死んでくれって、心の底から思ったくせに」
いい奴ほど、裏の顔が潜むとはこのことですかね・・・。




