桐島里奈
こういう問題に大人たちは、どういう対応をするのでしょうか?
「もう……事故に遭ったと聞いた時は頭が真っ白になったのよ……。でも、生きていてホントによかった……」
「…………」
母親はベッドの横にある背もたれのない椅子に座り込み、その隣で横になる息子を案ずる。落ち込んでいるあたり、本気で心配しているのが分かる。母親にとってはかけがえのない、大事な子供だからだ。
「母さん」
「ん?」
「ところで、親父は?」
「……あの人も、来るって。まあ、仕事が終わった後にだけど……」
「そっか……」
母親が自分の見舞いに来たことに不安を過らせた静哉は、父親が見舞いに来るかどうか母親に確認を取らせた。すると、母親が見舞いに来ると返事が来て、静哉はどこかホッとしたかのような、何とも言えない表情を取った。それを見て、母親は苦い表情を取る。
「あなたが事故に遭ったのは不幸かもしれない。だけど、ちゃんと立ち上がって、しっかりと前を向きなさい!」
「……もちろんだよ。でも、母さんも無理はしないで。ただでさえ、ウチ、結構ギリギリなんだから……」
「分かっているわよ。ゴホゴホッ……」
「母さん?」
「何でも、ないから……」
そう言うと、母親は煙に巻くようにさっさとこの病室を後にしていった。ただ、自分の前でせき込んだことに静哉は、どこか不安を過らせる。
(全く無茶して……)
そもそも、母親は夜遅くまで労働を行っている。生活費が危ないだけに、負担も彼女一人にかかっているのだろう。加えて、自分の入院費がかさむとなれば、さらに重荷になるのは確実である。父親がまともに就職できれば、負担は軽くなるはずなのだが……。今のままじゃ、稼ぐことも難しい。
ならば、自分の身を削るしかないのが彼の現状なのだが、その今が動けないとなると、ただ時間だけが過ぎゆくのを待つしかなかった。
そんな思いに耽っていると、また病室のドアが開かれ、今度は静哉の父親が病室に入ってきた。母親の言ってた通り、息子の見舞いに来たようである。ところが、彼が期待するような言葉は来なかった。
「まったく、お前は俺を困らせたいのか? たかが、こんなケガまでして……。!俺から金を盗んじゃねえ!」
「……病人に対して、それはないだろ。冷やかしに来るなら、帰ってくれ」
「当たり前だ。ここでくたばってくれれば、助かったのによ……」
父親は見舞いに来たはずなのに実の息子に対して、なぜか冷たい態度を取り、さっさと病室から去っていった。やはり失業のショックが大きいからか、自分のことなど眼中にないのだ。あの男の頭にあるのは、ただただ、酒と金しかないのだろう。ダメ親父、いやあれはもう父親という身分でも何でもなかった。
「フゥ……」
父親が病室の外に出ると、静哉は息を吐き、父親という名の嵐が過ぎ去ったことに安堵した。
母親も、さっさと離婚すればいいのだが、収入があったとしても、自分の学費を払うための借金が重なったり、父親が無駄に酒などを駆ってくるため、お金が単純に少ないのである。
しかも、あちらからは離婚することすら拒否しており、文句を言ったとしても、家庭内にもかかわらず、暴力を振るい、母親を従わせていた。完全にDVという奴であり、何度警察に相談しようにもあの男は、それすら否定するだろう。その暴力に屈した母親は完全にあの男の言いなりとしか言いようがなかったのである。
静哉も、ある程度自我を持つ母親の味方ではあるものの、情けない親の姿を見て、少々幻滅しかけていた。ただ、情けないのは彼も同じだ。何をしようにも、それを行った後、何ができるのか、自分には生きていく力を持たないのかと、そんな無力感をずっと抱えていたのである。
全てを奪われる現実に失望し、自棄となる父親。
抗いようにも先の見えない不安に押し潰される母親。
そして、抗うことも許されず、ただ現実を受け入れることを余儀なくされる自分。
あまりにも、歪な家族関係であるこの一家は、端かれ見れば、まさに最悪と言っていい。ただ、表面上ではそんな素振りはあまり見ることはないが、いつ崩れてもおかしくないだろう。静哉はある程度、この関係を我慢できたのだが、もう限界だと自ら悟っていた。
(退院したら、バイトでも始めよっか……)
今まで母親のお金で生きてきたようなものだと察した静哉は、今度は母親を支えようと考え始めた。
(いつまでも母さんに甘えるわけにはいかないからな……。できれば、たくさんお金が入る所がいいな……。まあ、その前に体を治すことが先決だ……!)
静哉は自分の今を客観視すると、やるべきことを決意し、特性を生かした収入のいいバイト関係のものを思い浮かべ始めるのだった。
一方、静哉が通っていたクラスは、特に騒ぐようなことはなく静かに授業を受けていた。
というより、騒ぎの中心でもあった静哉がいないだけで、まるではじめからいないかのような雰囲気が周囲に蔓延していたのである。
余程、彼は嫌われるような扱いを受けていたのかがよく分かる。クラスの皆も彼について触れようともせず、彼のことを無視し続ける今のクラスに、静哉の居場所はないに等しかった。一応、朝礼の時には名前が挙がってはいたのだが。
「宿木の野郎、とうとう休みやがったか。全く、つまんねえぜ。俺らに反抗してくるから、罰が当たったんだよ」
「ハハッ、その通りだな。抵抗するだけ無駄だってのに」
「もし戻ってきたら、またやろうぜ」
「ああ」
昼休みの最中、天城たちの心無い嘲りがクラス内に響く。静哉がいないことに心配していた美琴をはじめ、その笑い声を遠くにいながら耳にしていたクラスメイトたちは、無言のまま冷ややかな視線を向けていた。
「……ふざけんなよ。アイツら、俺らを何だと思ってるんだ」
「そりゃあ、遊びがいのある玩具じゃねえの? それに比べて俺らは、独り身だと確実に狙われるからな。まあ、災難としか言いようがねえよ」
「そうだな。でも、こっちは呉宮がいるから、安全だろうけど」
その中の一つのグループとして固まっている男子生徒の一人が人の不幸を笑う天城たちを見て、人を人として見ないその態度に辟易していた。
天城たち三人は、これまで自らの気を紛らわすための玩具を、気分次第で扱いまくり、壊れれば、また別のオモチャへと興味を移す。その繰り返しを、三人は続けてきたのだ。
それもあって、生徒たちはこうして複数人で固まって身を守っている。そのことから、静哉以外の生徒や別のクラスにも同様の被害を被っていたようだ。
また、その被害を受けないために仮に誰かがイジメがあっても、彼らは助けることもできなかったのである。彼らも必死であるのだが、結局は力の強い者に服従することが、最善の選択であった。
もっとも、彼らより成績も実力もある呉宮には、手を付けていなかった。というより、既に手を付けてはいたものの、返り討ちにあったために執拗に手を下すこともできなかったのだ。
何より、呉宮はクラスの中でも、いや学年内でもカリスマ性が高いだけあって、教師たちもあまり頭が上がらない。そのため、とことん自分以外の強者に屈する教師たちの様子を見て、天城たちはイラつかせていた。
「けど、宿木も結構しぶとかったと思うぜ? 俺らの中でもかなり出来ていたからな」
「ああ。あの三人に牙を剥くなんて、早々出来ねえよ」
「まったく、命知らずというか、なんていうか……」
ただ、そういう意味では静哉も強者に入るだろう。天城たちの執拗なイジメに屈しないのだから。
理不尽を押し付ける強者への対応は、普通なら、誰しも反抗したくなるだろう。ただ、それを鼬ごっこのごとく続けていくと、自身の周囲にもその被害が及び始めるため、最後は抵抗を諦め、ただ従順になる道を選ぶ。それが人間の性というものだ。
それでも抗うというのは、単純に馬鹿と呼んでもおかしくない。ただ、裏を返すとしたら、自分を曲げないと言うことにも例えることができる。
また、静哉のことをよく知らないために周囲のクラスメイトからは変人と思われていても仕方のないことだ。何しろ、静哉の家庭環境が最悪なだけに、反骨精神が無意識に育っていたのである。クラスを支配する天城といった権力者に噛み付くのも、無理のない話だ。
そもそも人間というのは、そこまで力を持つこともなく、必要以上に力を持てば必ずどこかで道を踏み間違えることもある。それはその人次第とあるが、極めつけは人間を育たせる環境だろう。その環境によって、その人の精神や人格は変化していく。人格というよりも思想の違いゆえに、人間同士が衝突を繰り返すのは自明である。
いずれにしても衝突を繰り返せば、このクラスがいつ崩壊するのは時間の問題だ。だが、それを未然に防ぐはずの教師たちはどこか消極的な対応をしているため、大人たちは何の役にも立たない。
生徒たちはそれを間近で見ていることもあって、教師に対し、相手をナメるような態度もしばしば見られていた。
その教師たちはというと、その同僚が集まる教員室で職質会議を行っていた。
「あのクラスの生徒たちは少し、目が余る行動が多すぎです! 注意とかしないんですか!?」
「私は彼らを信頼しています。多少の〝問題〟は目をつぶるべきかと……」
「いい加減にしてください! 今回だって、宿木君が狙われて、孤立しているんですよ! しかも、昨日の夕方に交通事故に遭って、病院に入院する事態にもなって、どうと思わないんですか!」
「それは、彼の〝不注意〟が招いたものです。それこそ、彼の責任に当たるものですが」
生徒たちのいるクラスと違って、生徒に関する意見が飛び交う。その教員の一人である、桐島里奈が静哉を案じる一方、彼のクラスを担当する飯島はそれを批判する意見が飛ぶと、水島は手のひらを強く自身が使う机に叩きつけた。
「ッ――! 誤魔化さないでください! 生徒が苦しんでいるというのに、我々は何もするなと!? 話になりませんよ!」
「桐島先生もいい加減にしてください。一生徒のために〝個人の事情〟に踏み込むなど、教師にあるまじき行為です。そうですよね? 先生方」
「「「…………」」」
「ちょっと、なぜ黙ってるんですか? 何とも思わないんですか!? !イジメが起こってるんですよ!」
「桐谷先生」
「!」
「彼らの間でイジメは起こっていない。それが事実なんですから」
「…………! もういいです!」
自ら行動を起こそうともしない教師たちの態度に煮えくり返った桐島は自身の机から離れ、教員室を後にする。まるで弱みを握られたかのように従順になる大人たちがこの場に残った。
「ホント、桐島先生は困ったものですね。逆らっても無駄だというのに……」
「まったくです。誰の許しを得て、ここにいられるのか、わかっていない」
邪魔者がいなくなったことをいいことに、飯島たちは好き勝手に言葉を並べていく。まるで天城たちの思想が乗り移ったかのような雰囲気であり、彼らの意志はそれに従順となっていた。
そもそも天城の父親がこの学校の理事長であることも含めて、生徒たちだけでなく教師たちも彼らに逆らうことができないのである。それどころか、まるで自身の意志をそれに捧げるような態度もたびたび見られているため、生徒からも少し幻滅されていることもあるという。
もっとも、彼らもその権力の被害者と言ってもいいのだが、むしろそれを盾にして身を隠そうとしているため、むしろ加害者に近かった。一生徒に事情を挟むなと言いながらも、自分たちはその事情に踏み込んでおり、それに対しての罪悪感もほとんど見られない。完全にこの学園は天城たち親子の独断場としか言いようがなかった。
しかもこの地域に関する社会的地位を持つ親の子息が他にもいるため、たとえ問題を起こそうにも学園長が声を上げれば、教師たちはそれに従わざるを得ず、黙ってその口を塞ぐしかないのである。
実は桐谷もその一人だったのだが、学校側の度重なる隠ぺいに腹が立ち、ある時からその隠ぺいに動くこともなくなった。しかし、それが原因で一部の教師からは煙たがられるようになってしまったが。
もっとも、天城たち三人に不満を抱く者はこの学校に少なからずいる。しかし、社会的地位とそれに応じる権力を有しているため、警察やマスコミを操作することなど容易であり、大抵のことはもみ消されてしまうことが多いという。
その絶対的な権力が自分たちの前に立ちはだかるため、それに屈するしか生き残る道は残されていなかったのだ。それに反抗することはすなわち、社会においての〝死〟を与えるという、非道と言ってもいい理不尽を押し付けるということである。そこにはもう個人の意思など存在しない。
〝人〟はただ、〝社会〟が決めたルールに従うしかないのだ。
職員室を出て、桐島は長く続く廊下を歩いていた。
「まったく、揃いも揃って……」
先程の教師たちの対応に不満を抱いていると言わんばかりに怖い表情をしており、誰も近づけない雰囲気を醸し出していた。
何より、生徒よりも自分たちのことばかり優先するような言葉が職員室内で響き渡っていることもあって、彼女としてはもう従うことなどできるはずもなく、もはや信用する価値すら見当たらなかった。
そもそもこの学校の理事長の息子が通うだけに、教師たちはゴマをするような態度が目についていたため、教師としての威厳はないに等しめにかった。しかも反対にその息子は立場を利用して好き放題することが目にするようになり、何度も提訴したにもかかわらず、無理やり取り下げられるのもしばしばあった。
ここが企業として例えるならば、この学校はもはやブラック企業に近かった。改善するための案を出しているにもかかわらず、上司はそれを目の前で破って、自分の意見ばかりを優先させる、そんな理不尽が当たり前に続けられていたのである。
まるで自分のオモチャと言わんばかりに他人に自由を与えないその傲慢ぶりは、他者にとってはストレスでしかなかった。桐島は今、それを間近で感じ取っていた。
(でも、どうすればいいのかしら……。幸い、宿木君が入院している病院は分かっているし、直接訪ねるのが正解だけど……)
状況を打開するべく桐島は静哉の元へ尋ねようとしていたのだが、信頼を持てるだけの確信が持てなかった。何より、彼は教師からも嫌われていることも噂されており、自分のことを信用してくれるかどうか分からず、それどころか無視されるというリスクも頭の中で浮かび上がっていたのである。
とにかく彼の警戒を解くための手段を考えていた桐島の元に、ある一人の少女、荒谷美琴が立っていた。
「…………」
「荒谷さん……」
被害者を庇うこともありますが、時には加害者を庇ってしまう時もあります。
それも〝大人〟の対応かもしれませんね。生活を抱えているだけに、失うものの大きさにビビってしまうことが多いと思われます。




