荒谷美琴
その一方で、一連の様子を見ていた二人の男子学生は、静哉たちの会話に疑問を抱いていた。
「つーか、何でアイツ、呉宮のことを信用しないんだ?」
「この間までは、なんかいい雰囲気だったのによ……。何があったんだ?」
その会話から、かつてあの二人は、友達とは言えないが、孤独という感じではなかったとあるが、いきなり二人の間に何があったのか、会話することも少なくなってきたという。そうした関係の変化に、クラス内の生徒たちも不思議がっていた。
呉宮は特に変化はないというらしいが、静哉に対しては何も言わなかったそうだ。ただ、それが原因で天城たちが静哉に対してズイズイとでしゃばる機会も多くなってきたことは、どうしようもなかったが。
静哉の方から、会話が成り立たなくなったということは、静哉は何かを知ったということになる。もしその何かが、二人の関係に亀裂を生じていたとしたら、呉宮にとっては知らずにはいられないだろう。
「…………」
「……ホント、一人が好きだよね、彼……」
「美琴……」
静哉が教室から消えたことにため息をついた呉宮の近くに、一人の少女、荒谷美琴が声を上げる。
サラサラのロングヘアーに加えて、表情や身体を含めて美しいスタイル、さらには品行方正と、まさに誰もが羨む美女と言っても過言ではない。その美琴もまた、この教室のクラスメイトであり、同時にこのクラスのアイドル的な存在でもある。その彼女もまた、静哉が消えていったドアを見つめていた。
「それほどさ、私たちのことが信用できないのかな? 自分は一人でしか生きていけないってことに……」
「…………」
「きっと、彼も辛いことを経験してきたんだよ。この学校で受けたイジメよりも……」
静哉を擁護するような言葉を並べる美琴。言ってみれば、彼に対して共感するようなものである。すると、美琴は彼を追うように教室のドアへと足を進み始めた。
「どこへ行くんだ?」
「……ちょっと、彼の所に……」
「え?」
「何だか、ほっとけなくて……」
「…………」
呉宮が左手を突き出して静止しようとするも、美琴はそれを振り切って静哉の元へ教室を後にしていった。呉宮はただ置いてけぼりにされたのだった。
その呉宮をよそに、それを見ていたクラスメイトは失笑していた。
「うわ~、優しいな、荒谷さんは」
「呉宮君を振るなんてスゴクない?」
「ってか、確か荒谷さんて……」
「あ……日見谷たちに何かされてたって噂されてたんだっけ……。ということは、もしかして……」
呉宮の制止を振り切る様子を見て、生徒たちは美琴が誰にも優しいということを評価する。しかし、その彼女に関する噂を思い出したのか、その噂がたちまち生徒たちの間で漂い始めた。その中で一部の生徒はその真相を推測していた。
一方、静哉の元へ赴こうとする美琴をよそに、呉宮はどこか邪魔そうな表情を彼女に向けていた。それは、静哉に対してのなのか、それとも……。
「チッ……」
一方で、その舌打ちと、黒い感情を少しながら露わにする呉宮を、一人のクラスメイトがそこから遠巻きに見つめていた。ただ、その視線には、独占やら嫉妬やら少し歪んだものが含まれていた。
「…………」
太陽の光が常に降り注ぐ学校の屋上。そこに訪れていた静哉はというと、コンクリートでできた足場の上で昼寝をするがごとく足を組みながら仰向けとなっていた。しかも、表情はどこか険しい。
「…………」
「やーどりき君」
「! 荒谷……」
小さな雲が浮かぶ青空を見つめていた静哉の視界に、美琴が割り込む。彼の険しい表情とは異なり、彼女の表情はどこか輝いていた。
「また、こんなところにいた……」
「うるさいな。俺の勝手だ」
「もう……」
静哉から見れば、お節介に見えるだろう、美琴の振舞いに、静哉はコンクリートの足場に寝転がったまま横になった。その隣に、美琴が座り込む。その表情も相まって、二人の間はどこか和やかな感じだった。つまり、そういうことだ。
「そんなんじゃ、友達もできないよ。まあ、あの三人がでかい顔していることもあるけど……」
「別に……。そういうお前の方はどうだ? まさか、またアイツらに……」
「! …………」
「……やられたんだな」
彼女とは一切顔を見せない静哉の追及に、美琴は次第に表情を暗くする。その〝アイツら〟と呼ばれる存在は、必然的に天城たち三人だと思われがちだが、実は違う。その〝アイツら〟に美琴は絡まれていたのだ。
「相変わらずだな、日見谷の奴……」
「…………」
「別にお前が悪いんじゃない。アイツらが自制しないのが悪いんだ」
そう、美琴をイジメていたのは、同じクラスである日見谷礼をはじめとする三人の女子グループなのである。特に日見谷は、美琴を疎ましく思っているらしく、訳も分からん理由をつけて彼女を追い詰めていたのだ。
「あの時、助けてくれたの、ホントに嬉しかったんだけどね……」
「ああいうのを見過ごせなかっただけだ。あの時もそう言っただろ?」
「……そうだね」
実はというと、この二人の関係はただ同じクラスというわけではなく、ある日の出来事を境に知り合ったのである。それは、美琴が日見谷たちに絡まれていた時、偶然見かけた静哉が彼女を助けたことにより、二人は知り合うようになったのだ。
人前ではあまり関わろうとしてはいないが、二人の間だけはこうして話し合うようになったのである。
「だったら、どうして抵抗しようとしなかったんだ? やろうと思えばやれたはずなのに……」
「それは……逆にしつこくされるだけだし」
「どの道同じだろうが。少しは噛み付く所も見せないと、状況は悪化するぞ」
「…………」
静哉が言うことには一理ある。無抵抗のまま過ごせば、やがて自分に興味を無くすこともあるが、それはいつまでかは分からない。それこそ、相手次第であり、みすみす付けあがらせる一方である。静哉はそれが心配なのだ。
「そういう点だったら、宿木君が羨ましいよ。だって、あんなに強いんだから……」
「まあな。いつまでも弱いままじゃ、何もできないのと一緒だからな、時には相手を圧倒するのが一番さ」
「それで解決できればいいけど……」
確かに、力で相手をねじ伏せれば相手も納得するだろう。しかし、暴力では何も解決しないことは、美琴も理解している。彼女はそう言いたげではあったが、静哉はとっくに察していた。察した上で、こんなことを言い出し始めた。
「……荒谷、この頃、呉宮からしつこく迫られていないか?」
「え?」
「呉宮から何か言ってきたのかと聞いているんだ」
「別にそんなことはないけど……。どうしたの、急に?」
「何でもねえよ……」
「?」
急な質問に、美琴はキョトンとする。その質問を口にした静哉もなぜか、彼女が答えるとすぐに黙り込んだ。美琴はただ、静哉の不可解な言動に首を傾げるしかなかった。
(まだ〝アレ〟を言うべきじゃないか……。でも……)
その一方、二人が仲良く話すその様を、屋上を繋ぐ一枚の扉の隙間から見つめる者がいた。その目つきはどこか恨めしそうに、そして憎むかのようなものだった。
「オーイ」
「!」
屋上へと昇る階段がある場所――自分の後ろから声をかけられ、慌てて振り向くと、そこには彼(?)がよく知る人物である一人の女がいた。それを見て、彼(?)は安堵する。
「何だ、お前か……」
「ハァッ? 何だ、ということはないでしょ! っていうか、何やって……って、まさかノゾキ!?」
「違う」
「いやいや、違わないでしょ! わざわざアンタの遊びに付き合ってあげてるってのに」
「ハッ、お前は俺がいなければ何もできないじゃないか。ヒマを持て余すだけマシと思えばいいだろ?」
悪だくみを抱える者同士、騙し合うような会話をする中、女は扉の隙間を覗き込んだ。
「フン! それで、何見てるの? ……ってアイツら……!」
「ま、もう少し付き合ってくれよ。アイツらを陥れるためにな……」
「いいわよ。アンタが望むなら……」
扉の向こう側で仲睦まじく会話をする二人をよそに、階段に映し出された二つの影はゆっくりと一つに重なるのだった。
その次の日、まさかこんな事態が起ころうとは、誰も予想しなかった。
これまで通りに朝早くに起きた静哉は、昨日の夜遅くに帰ってきた母親が作った朝食を口にした後、手早く支度を済ませて、家を後にした。行き先は当然、彼が通う学校である。
「…………」
住宅街を抜け、車道の上で自動車が行き交う交差点の前で足を止める静哉は、会社へ出勤するサラリーマンと共に、目の前に映る信号が青になるのを待っていた。
今日も、あの一日が始まるのかと彼は立ち尽くしたままため息をつく。家にいても、学校に行っても、特に自分が喜ぶようなことがない。唯一安らぎがあるとしたら、今こうして外に出ている時だ。誰からも責められることなく、誰も自分には気が付かない。少し寂しい気もするが、彼にとってはストレスを感じることもない一時であった。
だが、また思い出したのか憂鬱になっていると、その彼の後ろに一人の人間が立ち寄る。誰にも気づかれないように、足音を立てずに忍び寄ると、その口元が悪意の塊であることを示すように三日月へと変えた。その瞬間、何かが静哉を押し込んだ。
――ドンッ!
「!!」
気持ちが浮ついていたところに、背中から来る衝撃に押された静哉は、我に返るとすぐに崩れたバランスを整え、数歩歩いた状態で立ち止まった。
「何だ!? ……!」
何とか倒れずに済んだ静哉は、背中に痛みを感じると、誰かが突き飛ばしたことを察し、後ろに振り向こうとする。しかし、車のクラクションがちょうど右から鳴り響き、思わず振り向けると、今まで形を保っていた彼の世界は一瞬で闇と化した。その間に彼が目にしたのは、自分を撥ねるトラックの正面であった。
「ん……?」
意識が覚醒し、閉ざされていた瞼を上げるとそこに白い天井が目に映った。確かめるように目をパチパチすると、静哉は自分が眠っていたかのような感覚に見舞われた。そして、自分がベッドの上に寝ていることも察した。彼が仰向けとなっている場所、そこは病室だった。
「確か……グッ!」
いったい何があったのかと思い出そうとするも、急に頭が痛み出し、頭を抱える。そのまま額に包帯が撒かれていることを知ると、あの時、自分はトラックに撥ねられたのだと自覚した。
「クソッ……!」
頭だけでなく、無菌処理が施された病衣の下の、身体の至るどころに包帯が巻かれており、打ち所が悪かったのかあちこちに痛みが走っている。静哉の意識が戻ったことで、身体のあちこちに残っていた痛覚が一斉に脳に届き始めた結果である。
起き上がることはできなくもないが、痛みが治まるまでは、しばらく学校に通うこともままならないと静哉は自覚するのだった。
トラックに撥ねられたというのに、自分が生きているのはただ運が良かったと言ってもよい。もっとも、普段から身体を鍛えていたこと、さらには耐性が付くようなことを繰り返した結果である。
それもあってか重いケガを受けずに済んだのだ。ただ、身体のあちこちにヒビが入っているのは確実だが。しかし、彼の心はそんな安心に包まれてはいなかった。
「…………!」
病室のベッドの上に仰向けになったまま、しばらく事故が起こる直前を思い返す静哉。
あの時、何かに押し出された感覚があったことから、故意に自分を突き出したことを悟る。それは、間違いなく自分に対して悪意を持った行動だと確信し、その相手が、自分がよく知る、とある人物だと推測した。
その根拠は、自身がトラックに撥ねられる寸前に、信号機の前にいた、ある人物を一度見ていたからだ。そいつは、自分をあざ笑うかのような表情をしていたため、嫌でも彼の脳裏から離れなかったのである。その顔を思い出したのか、静哉は悔しさと共に拳を強く握りしめる。
(俺を本気で殺す気か、あの野郎……! 下手すれば、自分もタダで済まされないというのに……!)
自分を突き飛ばした相手に、心の中で怒りをぶちまける静哉。しかし、その相手はここにはいない。おそらくは、罪悪感もなく、自分だけのうのうと楽しているのだろうと彼は妄想を膨らませながら、怒りに震えていた。
そもそも、自分を突き飛ばした相手が、法で通用するかどうか定かではないからだ。もし罪状を並べたとしても、学校側が圧力をかけてたった数日で釈放させることもあり得るだろう。その時には、周囲の者から尋常ではない怒りを差し向けられることは確かだが。
どっちにしろ、その事が明るみに出れば、社会を揺るがすことになるだろう。その時は、その時だ。
だが、彼は生きている。たとえどんな目に遭おうとしても、しぶとく生き続けると改めて結審するのだった。
ただ、その決心に水を差すかのごとく、彼のいる病室のドアが開かれた。
――ガラッ!
「!」
「静哉!」
そのドアから現れた人物、それは静哉の母親だった。息子が事故に遭ったことを知って、大急ぎで駆けつけてきたのである。その証拠に、表情もどこか忙しそうに見えた。




