最終話 ラストライブ(3)
「……雪、か」
ライブハウスの外は、紙吹雪のように粉雪が舞う夜だった。何となく感傷に浸りたくなる雰囲気だったが、俺はすぐに気を取り直した。
カエラちゃんの家は知っている。そこからこのライブハウスまでは、バイクを持たない彼女としては電車を使うしかない。
そう当たりをつけ、俺は坂道の途中にあるこのライブハウスから、駅を目指して坂を駆け上がった。
緩やかではあるものの、準備運動もナシに走る坂道は事の他キツかった。
カエラちゃん、こっちで合ってるよな? 一抹の不安が付きまとう。
だがそれはあっさりと、杞憂に終わった。
——居た。 坂を上がりきった場所に架けられた、古臭い石橋の欄干から、外の方を向いている彼女の姿を見つけた。
「——カエラちゃん!」
橋にさしかかった所で、その名を呼ぶ。声に気付いたカエラちゃんがこちらを向いた。
明らかに泣きはらしている顔だった。
胸が痛む。俺の優柔不断さが、彼女にさせなくてもいい辛苦を味わさせているのだ。
追い付き、肩を揺らして息を弾ませる俺を、信じられないものを見たといった様子で見つめるカエラちゃん。膝に手を付いている俺の頭上から、彼女の声が降ってきた。
「……どうして? まだアンコールが残ってるじゃない」
「親友に代わってもらった」
「……なにしに来たの」
呼吸を整え身体を起こす。まっすぐに彼女を見つめ、真摯な面持ちで話した。
「告白の返事、しに来た」
「もう必要ないわ」
彼女はどこか突き放すような口調だった。
「そう言わずにさ、聞いてよ。俺——」
「聞きたくない! あんなの見せつけられて、これ以上傷つきたくない!」
踵を返し逃げ出そうとするカエラちゃんの腕を、咄嗟に掴む。
「待ってよ、待ってってば」
「離して!」
コートの裾を掴む俺の手を強引に振り払い、背を向けるカエラちゃん。今度は彼女の前に回り込んで、両手で肩を押さえてやった。
またそれを振り払うように、彼女は背を向ける。だが逃げようとするのは諦めてくれたらしい。
……今が、その時か。俺は覚悟を決め、背中越しに告白しようとしたその時。カエラちゃんが先に口走った。
「両思いだったんでしょ。見てれば分かるわ。良かったね、純平くん、素敵な彼女ができて」
「違う、違うよ。未來ちゃんは俺のコトなんて、何とも思ってなかったよ」
「気付かないの? あの女、純平くんのコトをずっと見てたじゃない」
「……ライブの時はいつもあんな感じだよ、未來ちゃんは」
カエラちゃんは下を向き、背中を丸めて呟いた。
「……カ」
「え? なに?」
「バカ!」
彼女が振り向いたと思ったら、左の頬にヒリヒリと痛みを感じた。平手打ちされていたのだった。
涙ぐんだ赤い目で俺を睨めつけるカエラちゃんが、溜めていたものが溢れるような勢いで声を上げた。
「どうして? どうしていつも女の子の気持ちをそうやって踏みにじるの!?」
「……ごめん」
わけもわからず謝った。
カエラちゃんはその薄めの唇を噛み締めてから、今度は静かに話した。
「早く戻って。そして、純平くんが本当に好きな女に自分の想いを伝えて」
一陣の風が吹いて、地面に到達した粉雪たちが儚げに踊った。
未來ちゃんの所へ行けと言っているのか。だけどそれは出来ない。俺は微動だにしなかった——なぜなら。
「あの人にはもう伝えたよ、好きだったって。
だから今、俺が本当に想いを伝えたい相手は、ここにいる」
その時のカエラちゃんの反応は、それ迄の自暴自棄とも思えるようなものとは違ってみえた。明らかに次の句を待っている表情だった。
意識していなかった心音の高鳴りを感じた。俺、緊張している。
告白って、こんなにも勇気がいるものなんだ。改めて気付く。カエラちゃんの意思の強さを。そして感謝する。こんな俺を好きだと言ってくれた事を。
あらん限りの言霊を詰め込んで、俺はコトバを紡いだ。
「少し遅いかもしれないけど……俺、吉田カエラさんのコトが好きです」
降りしきる粉雪が、だんだん粒の大きな雪に変わっていく。
ロボットみたいな虚ろな表情で、カエラちゃんは呟いた。
「……遅いよ」
「ごめん」
視線を落とし、小さく謝罪する。
「……遅いよ、バカ」
またカエラちゃんの呟く声が聞こえた。
俺は顔を上げて、最後のひと言に真心を込める。
「付き合ってください」
たっぷり一呼吸。
カエラちゃんが目を細めた。その目尻からは、ひと筋の涙が零れた。
「……はい」
大粒の牡丹雪が、一気に降り始めた。それはまるで、恋の女神からのギフトに思えた。
こうして、ハタチでチェリーボーイの俺に彼女ができた。
「……ックション! さむぅ」
カエラちゃんが、プッと吹き出した。
「ライブの途中で飛び出して来ちゃったからなあ。こんな薄着じゃ死んじゃうよ」
冗談めかした俺の側に、カエラちゃんが歩み寄ってきた。
「これ、貸したげる」
そう言って渡されたマフラーは、たった今まで彼女がしていたものだ。
「……あったかい。クンクン、それにイイ匂いがする」
「……純平くんて、ヘンタイなの?」
「へっへっへっ、実はそうなんだ」
「別れましょ」
「いやいや、またそんなー」
そうやってふざける俺を見る、通行人の目は冷ややかだった。
薄手のロングTシャツにマフラー姿のナイスガイを、きっとヘンタイだと思ったに違いない。
でも、いいんだ。俺にはこんな素敵な彼女がいる。その事が、俺に勇気と自信を与えてくれるから。
カエラちゃん。これから宜しく。待たせた分、いっぱい思い出を作ろうね。




