最終話 ラストライブ(2)
ライブは、終幕にさしかかろうとしていた。
未來ちゃんのテンションは妙に高く、俺たちバックバンドの演奏にも力が入った。これまでで最も良いデキのライブになったと思う。
未來ちゃんが2度目のMCを入れた。
『みんな、今日は観に来てくれてありがとう。
短い時間だったけど、私たちスカイハイにとって、スゴく幸せな時間でした。
それもこれも、こうしてみんなが応援してくれたお陰です。本当にありがとうございました!』
ハツラツとした声音からは、潔ささえ感じられた。ふと思い返す。未來ちゃんがカエラちゃんに送ったあの一言。
「さて、どうかしらね……うふふ、今週末のライブを見にくれば答えが分かるわ」
その答えとは一体何だったのか。俺のコトが好きなのかどうかという、カエラちゃんの質問に対する返事は、2通りしかない。
すなわち、イエスか、ノーかだ。だがそれは、俺にも分からなかった。ライブが終わったら伝えるという事なのか。
とはいえ、俺の想いはカエラちゃんの暴露によって既に知られてしまっている。もし未來ちゃんにその気があれば、もっと何かあっていいはずだ。だがそんな素振りは一切ない。
あの時答えなかったのは、やはり俺のことを気の毒に思った未來ちゃんの気遣いだったのだろうか。
……まあいいさ。俺はもう、とうに覚悟を決めている。
『じゃあ最後の曲いきます。スカイハイ、聴いてください』
俺が唯一作詞を手掛けたこの曲。これをラストに選んだ未來ちゃんは、この歌詞をえらく気に入ってくれた。
それだけに未來ちゃんも感情を込めて歌い上げてくれる。それは、作った者としては素直に嬉しい。
だけどこれは俺にとって、或いは未來ちゃんにとってもだろうが、特別な歌なのだ。
『思い出話に花を咲かせる それに一体何の意味がある?
あの頃のボクは輝いてた それって今はどういう事なの?』
マイクスタンドにすがりつき、目をつぶって唄う未來ちゃんは本当に綺麗で、まるで別世界のお姫様のようだった。
彼女の甘い声音に耳を傾けると、色んな思い出が、スナップショットのように脳裏に浮かんでは消えていく。その一つ一つを確かめて、改めて思う。
俺は、未來ちゃんを好きになったコトを後悔などしていない。確かに辛い思い出ばかりだったけど、楽しいコトも沢山あったから。
何より、俺の人生に彩りを添えてくれた。それが嬉しい。感謝だ。
『懐かしい日々は過ぎ去って この胸もこの脚も痛むけど
それこそ生きてる証しだから 前を向いて歩いてこう』
未來ちゃんを好きだという気持ちは、今でも変わりない。でもそれは叶わぬ恋なのだ。ようやく踏ん切りがついた。
俺がこの歌に込めた決意。それは、単なる諦観なんかじゃない。未來ちゃんのコトが好きだから。好きだからこそ、自ら去る事を選んだのだ。
そう、これは愛する人に想いを伝えられなかった者の、悲しい恋の詩。もちろん俺にとっては、だ。それが未來ちゃんには、新しい旅立ちの詩と映ったらしい。
でもそれで良いと思う。詩に込められた想いなんて、所詮作った者のエゴでしかない。
大事なのは、その詩を見た者、歌う者が、どういう想いを抱くかなのだ。
『君がくれた 愛のカケラ 抱いてボクは空も飛べるよ
忘れないから 君との思い出 希望はあるさ きっと ミライに』
歌姫の歌声は、ますます耽美さを増していく。僅かな腰の動きが、コンビネーションドレスのレース裾を大きく揺らす。妖艶さと力強さとが同居したソプラノボイスは、オーラのように彼女の輪郭を曖昧にして、ホールさえも包み込んだ。
今まさに未來ちゃんは、全てを支配していた。一個の生き物のような一体感が、そこにあった。これが音楽の力なのか。
遠くの景色を見るようにホールの奥に目をやると、ある一点に目が止まった。カエラちゃんだ。
じっとこちら側を凝視している。笑顔はない。当然だろう。彼女は勝負に来ているのだ。
……今の俺たちは、カエラちゃんにはどう見えているのだろう。単なる、バンドのメンバーという間柄に見えるだろうか。
もう少し、もう少しだけ待っててくれ。このライブをやりきったら、直ぐに君の所へ行って答えを聞かせてあげるから。
ギターソロ。最後の見せ場だ。少々ミスったって気にしない。ノリやグルーヴの方が大切だから。
いちどブレイクし、その後ギターとベースのユニゾンリフへと続く。ここが最もグルーヴ感のでるシーンだけに、俺は気合いを入れる為一旦脱力した。
そしてまたネックに左手を添えようとした時。後ろから伸びてきた手にプレイを妨害されてしまった。
背後から俺に抱きつくようにして、未來ちゃんが代わりに弾いていたのだ。
俺の肩口に、ギターを覗き込む未來ちゃんの顔があった。近い。家族や恋人だけに許されるべき、至近距離。
いや。ゼロ距離だ。背中に当たる彼女の柔らかみがその証明。
バンドのライブにおいて、ボーカルが間奏のギターやベースを代わりに弾いてみせるパフォーマンスというのは、昔からある。
だがそれを、今この瞬間にやってくるとは思ってもいなかった。なんだか未來ちゃんに抱きしめられているような気がして、恥ずかしかった。
ワンフレーズを弾き終わってスッと離れた未來ちゃんと、視線が混じり合った。小首を傾げた格好の彼女は、チャームポイントであるぽってり唇の両端をキュッと上げ、目を細めた。
それから何事もなかったように、ステージの真ん中に戻ってマイクスタンドを握りしめた。
……最後まで、未來ちゃんは未來ちゃんだった。彼女の下から立ち去ろうと決めたはずなのに、その決意が揺らいでしまいそうだった。
最後のサビを歌い切り、未來ちゃんは天を仰いだ。
……ああ、終わったな。卒業式の後の、名残惜しさにも似た感覚が、突如胸に訪れた。そして演奏の終了と共に、ホールの躍動感もピタリと止んだ。
——耳鳴り。
次いで、拍手と喝采。
宴は終わったのだ。
スカイハイのラストライブ。それは盛況の内に幕を閉じる。
——いや、まだだ。俺にはまだ大事な仕事が残っている。カエラちゃんの想いに応えなきゃ。
お膳立ては整った。カエラちゃん、今行く! ギターのストラップに手をかけたその時、俺は目を疑った。
カエラちゃんが見当たらないのだ。ふと気付けば、耳鳴りの奥でヒロが何事か叫んでいる。
「純、あの子行っちゃったぞ!」
嘘だろ!? 答えを待ってる筈なんじゃ……俺は思わず未來ちゃんの方に振り向いていた。
……俺はハッと息を呑んだ。
バッサバサのまつ毛をピクリとも動かさず、未來ちゃんの双眸はまっすぐに俺を射抜いていた。
だが気ばかりが焦る。カエラちゃんが居なくなったのだ。早く捜しに行きたい。
「未來ちゃん、俺……」
聞こえたかどうかは分からない。いや、多分聞こえていない。俺は知らず知らずの内に、目で訴えていた——カエラちゃんを追いかけたい、と。
耳鳴りは、まだ止まない。
未來ちゃんの視線が床に落ちた。それから、その顔に微笑みが添えられた。
「……やっと、決心がついたのね、純クン?」
耳鳴りのせいで途切れ途切れにしか聞こえなかったが、未來ちゃんは確かにそう言った。
その瞬間、全てが符合した。
「さて、どうかしらね……うふふ、今週末のライブを見にくれば答えが分かるわ」
その答えとは、俺の出す結論の事だったのだ。カエラちゃんの問いかけは、こうだった。
「香坂さん、貴女の気持ちを聞かせてください。2人が両思いだと言うのなら、私は潔く身を引きます」
これには【俺は未來ちゃんのコトが好きである】というのが大前提にある。これが否であれば、カエラちゃんの質問は全く意味をなさなくなってしまう。
早い話が、未來ちゃんはカエラちゃんの質問の回答を俺に託したのだ……密着している所を見せつけてまで。
きっと、カエラちゃんはそれが耐えられなかった。だから居なくなってしまったのだ。
皮肉にもカエラちゃんを傷つける事によって、俺にとって大事なモノが何なのかに気付く。いや、未來ちゃんに気付かされたのだ。
全ては未來ちゃんの仕組んだお膳立てだったのか。合点がいくと、耳鳴りの奥で何かが聞こえてくるのに気付いた。
……ル、……ール、……コール、……アンコール、……。
アンコールの大合唱。そうだった。スカイハイはこのライブのトリだった。部長の計らいで、時間が許せばアンコールに応えて構わないのだった。
しかし今の俺に、アンコールに応えている余裕はない。困惑しきりの俺の表情はいかばかりか。未來ちゃんに限らず内情を知る者は、さぞかし俺の心情を案じた事だろう。
『ヒロくん!』
未來ちゃんの声がスピーカーから放たれた。それだけで全てを察したヒロが、颯爽とステージに上がり、俺の前に立ち右手を差し出した。
代われ、の合図。
「えっ、でも……」
練習もしていないのに、スカイハイの曲なんて演奏出来るのか? 顔にそう書いてあるぞとばかりに、笑顔を作るヒロが大見得をきった。
「俺を誰だと思ってるんだ? 悪いけど、純が弾ける曲で俺が弾けないのなんて無いぜ?
麻衣のドラム指導で入り浸ってたからな、スカイハイの曲はバッチリココに入ってるさ」
トントンとこめかみの少し上に人差し指を当てるヒロ。いつもの大物ぶりが冴え渡る。その姿に、俺はもはや、頼もしささえ感じていた。
「……分かったよ。じゃ、頼む」
ストラップに手をかけ、愛機のギターをヒロに託した。
今にして思う。ヒロが未來ちゃんと一夜を共にしたというのも、彼の見栄だったんじゃないか、と。ヤラハタだと言われるのが嫌で、つい言ってしまった事なのかもしれない。むしろその方が、肝心な所で恋に臆病なヒロらしい。
……だけど、俺は考えるのをやめた。結局何が本当かなんて分からない。ただ、今このギターを託せる者はヒロしかいないのだ。
俺からギターを預かり受け、ストラップに腕を通したヒロが、収まり具合を確かめるようにダウンストロークしてみせた。やはり様になる。
ヒロが親指を立てた。OKの合図だ。それを確認した未來ちゃんが、マイクを通して叫んだ。
『さあみんな、道を開けてー!』
どやどやとざわつきながらも、観客の海原がふたつに割れ、ホールの防音扉までの道が拓かれた。
パチン。未來ちゃんが指を鳴らして、ヒロに合図を送った。
承ったとばかりに、ヒロが8ビートのバッキングソロを開始する。出だしの1小節を聴いただけで、ヒロのギターセンスが光を放つのを感じた。
……やっぱりこいつは天才だ。
俺の意識はホールの入口に向いた。アンコールの事は何も問題はない。むしろ楽器を持たない俺が、いつ迄もステージの上にいる事の方がおかしい。
振り返る。
未來ちゃんの正面に立つ。
「——未來ちゃん!」
ギターの爆音が雑多な音をかき消す中、俺は全身全霊を込めて叫んだ。
「オレ、貴女のコトが好きでした!」
読唇術でも会得していない限り、未來ちゃんには何と言ったか分からなかっただろう。
だけど、目を皿のようにして見つめていた彼女には、何か伝わったのかもしれない。
数秒遅れて、目を細めた未來ちゃんが、とびきりのスマイルを見せた。
「——————」
未來ちゃんのぽってりくちびるが動いて、何事か言葉を発した。わざわざマイクを避けて出したそれは、ギターの歪んだ音にかき消された。
だけど俺は確かめない。確かめなくても分かっている。「頑張ってね」というエールに決まっているから。
俺はステージから飛び降り、弾かれたように駆け出した。仲間の奏でるミュージックが、俺の背中を押す。もう止まらない。
この想い、カエラちゃんに伝えるまで。




