変化の始まり
新国王の誕生で、様々な人々にも変化が訪れようとしていた。無論その中心は新国王ジュルジス三世だったが、その政治能力を発揮する片鱗を感じているものもいたが、大多数は、温厚な先王を惜しんでいた。
この時期のジュルジス三世は幸福感の絶頂期にいた。温厚で理解ある父親と勝ち気だが利発な母親、そして、何よりも心から愛すべき妃ミニーことミンセイヤがいた。そして、日に日に可愛らしさの増す王太子エドワーズ。そして、何よりも「国王」というやりがいのある職が、自分に合っていた。半ば義務感で玉座に座っていた父親の先王ジュルジス二世とは違い、ジュルジス三世は、国政を執ることに何の違和感を感じていなかった。そして、まだ、やるべきことは多かった。
先王退位の一因となった「ゲンガスル戦」での功労者の叙勲もあったし、何よりもゲンガスル公爵家の処分が決まっていなかった。ゲンガスル公爵自身は自決して、もうこの世にはいない。だが、その公爵に組したものたちは、まだ、王都にある未決囚を収監する監獄につながれていた。ジュルジス三世は、その未決囚を断頭台の見える監房に入れるように指示していた。アンドーラのチェンバース王家の時代となって死刑はほとんど絞首刑だったが、国王への反逆罪ともなると、斬首刑ということになる。無論これは、彼らに対する一種の「脅し」である。しかし、ゲンガスル公爵の下に集結した貴族たちは、いわば王家に対する不満分子である。それを無罪釈放とするつもりは先王のジュルジス二世も新王ジュルジス三世も毛頭なかった。しかし、命乞いの「嘆願書」もある一方で、厳罰を望む声もあった。妥当な刑罰が、新国王の尊厳と威光を知らしめるものでなくてはならなかった。
ジュルジス三世は結論を伸ばしていた。それは、国王としての初めての勅命が罪人を裁く刑の申し渡しということを避けたい気持ちもあった。そこで、父親の先王に告げずに、胸の中で暖めていたある行事の下準備のために朝、夫のジュルジス二世のメエーネへの船旅に出発したことに不機嫌を隠さなかった母親のエレーヌ王太后を訪ねることにした。
王太后の居室に入るとジュルジス三世は軽く辞儀をすると「母上」といった。王太后は最近趣味にしている刺繍台に向かっていた。ジュルジス三世の呼びかけに聞こえないふりをしていた。そこにいつも、王太后の側に付き添っている女官長のキルマ・パラボン侯爵夫人が、
「国母さま、国王陛下が、お見えになりました」と告げると、さも今気がついたというように刺繍台から顔を上げ、立ち上がろうとした。ジュルジス三世は「どうぞ、そのままで、母上」といった。その言葉に王太后は、また、座り直した。
「何の用です?」と王太后の声は不機嫌そのものだった。
「内密にご相談したいことがあります。母上」
「相談って?父上をかばうつもりなら聞きたくありませんよ」
「いえ、今回の父上の船旅の件ではありません。まったく、これは母上にしか出来ないことなので、母上にお願いするしかないので、こうしてお願いに上がった次第です」と国王は、下手に出た。
「私にしか出来ないこととはどういうことですか」と王太后は、幾分興味を示した。
「それは、まず、お人払いをお願いします。この件は、まだ、だれにも打ち明けていないのです。陸軍元帥にも、そして、父上にも、申し上げていない機密事項です」と国王はさらに畳み掛けた。この「機密事項」という言葉は、王太后の機嫌を治す特効薬だった。たちまち、機嫌が治り「キルマ、皆を下がらせなさい」と女官長に命じた、女官長は部屋に控えている侍女たちを退室させたが、自身はそのまま残った。国王が女官長の方を見ると王太后は「キルマはいいのよ」と女官長の同席を認めた。
「君は、口が固いかい?」とたずねると王太后が「キルマなら、大丈夫。私が黙っていろといったら、貝のように口をつぐんでいるわ」と保証した。まあ、実際は国家機密というほどのことではなかったので、国王は女官長の同席を認めた。王太后は椅子を国王に勧めた。そのまま言葉に従って国王は刺繍台の前から動こうとしない王太后の側の椅子に腰をおろした。
「内密な話ってなんなの?」と王太后は待ちきれないように話を催促した。
「馬上試合を開こうと思うのです」
「馬上試合、それは、もう時代遅れではないかしら?」
「いえ、サエグリアではまだ、盛んに行われているようです。もし、今、サエグリアの騎士が王都にやって来て馬上試合を申し込んだらどうします?拒否して、腰抜けと馬鹿にされたらどうします?」
「そんなことは、ありえませんよ」
「どうして、そういえるのです?例のゲンガスルの一件も、サエグリアの福音教会の助力があったという噂もあるのです」
「まあ、そんな、噂は聞いていませんよ」
「ええ、まあ、噂は噂ですから、事実とは違うかもしれませんが、サエグリアには用心をした方がいいでしょう。そのために馬上試合を盛んにして、牽制しなくてはなりません。無論表向きは、武術の向上のためということになりますが」と国王は、王太后の好きな政治が絡んだ話に持っていた。王太后はすっかり、その気になっている。
「それで、母上にお願いしたいのは、メレディスのことです」と国王がいうと、王太后は、ため息をついた。国王の妹のメレディス王女は、王太后の頭痛の種だった。メレディスは十二歳の「宣誓式」まではおとなしく母の言葉に従っていたが、「宣誓式」がすむと、スカートからズボンに履き替え、馬を乗り回し、弓術の稽古に余念がなかった。これを面白がった父のジュルジス二世が軽騎甲冑と呼ばれる軽騎兵の甲冑をメレディスに与え、メレディスは、女騎士とでもいうような生活を送っていた。
「あの子のことは、父上に甘やかされて、手がつけられないわ」と王太后は、今は留守の夫を非難した。
「まあ、武術の稽古は身体を丈夫にしますから、それより、馬上試合です」
「まさか、あの子に馬上試合へ出ろというの」
「いいえ、もちろん違いますよ。母上、メレディスの役目は、優勝者に祝福を与えることです。昔から、騎士の祝福は,若くて美しい乙女と決まってますからね」
この国王の提案に王太后は"勘”が、働いた。この役目をメレディスに引き受けさすには、軽騎甲冑を脱いで、ドレスに着替える必要があった。
「むろん、メレディスには、母上に美しく装う衣装も用意していただきます。それともう一人、”行儀見習い”の娘から、一人、母上が、これはと思う娘を選んで、メレディスの陪席を務めさせて下さい。これは、家柄よりも,人物で選んで下さい。他の貴族の娘の手本になるような娘がいいですね」
ちなみに”行儀見習い”とは、王妃だったエレーヌ王太后が、貴族の娘たちをしつけるという名目で王宮に上げ、侍女として王妃に仕えさすという、体のいいただ働きの侍女だった。この制度を国王は大いに活用するつもりだった。”行儀見習い”を爵位持ちの貴族の間にも広げ、謁見の義務化から始まる一連の王権の強化にこの”行儀見習い”も有効な手段だと思っていた。この辺の政治感覚は王太后に似ているところがあった。「馬上試合」で、メレディスの陪席を務める”行儀見習い”にも、国王は「役目」を考えていたが、そのことは、まだ、王太后には打ち明けるつもりはなかった。王太后には、お転婆な王女をおとなしくさせる方法だけも十分だった。案の定、王太后は、すっかり、この「馬上試合」の案に大乗り気になった。
「わかったわ。このことは、お前から、メレディスに話す?」
「いえ、母上から、お願いします。メレディスがその気にならないのだったら。この祝福の件は、考え直します」
「いえ、あの子には私から、よくいって聞かせます」と王太后は、自信たっぷりだった。
「後、ヘンディにも、一役買ってもらいます」
「ヘンディにも、なにかしら?」と王太后は不審そうだった。ここでいう、ヘンディとは陸軍元帥のことではない。陸軍元帥の名付け子の国王の次弟のヘンダース王子のことだった。王太后は二番目の息子には、特に問題はないと思っていた。多少、海に夢中なのが気がかりな程度だった。今も海軍に所属している。
「ヘンディには、もちろん、馬上試合に参加してもらいます。これは、ランスが代りに出場できるようになるまで、毎年、続けてもらいます」と国王は末弟のランスことランセル王子まで、引き合いに出した。
「毎年なの?」
「もちろんです。一回だけでは意味がありません。ヘンディには、海軍も結構ですが、王子としての義務も果たしてもらいます」
王太后は、この「馬上試合」の利点を考えると、思わず、顔がほころんだ。そして、この息子を育てたことを誇りに思った。
「ヘンディにも、メエーネから戻ったら、母上から、いって下さい。私から、いうと少し拗ねるようなところがありますから」と王太后の誇りは、それだけいうと椅子から立ち上がった。
「では、お願いしますよ、母上。この件はまだ、内密な話ですから、よろしいですね」と念を押すと
「ええ、わかってますよ。ともかく、メレディスのことは、私に任せてちょうだい」と王太后は、引き受けた。
国王は、機嫌を治した王太后の居室から、退室した。そして、王太后は、早速女官長のキルマ・パラボン侯爵夫人にメレディス王女を呼ぶようにと命じた。
国王が廊下に出ると、護衛の近衛兵が待っていた。国王の護衛は、重騎兵であった。例によって、隊列を組もうとする近衛兵に規則を無視して国王は声をかけた。
「君の名前はなんていうの?大尉。無論、規則はわかっている。だが、私は国王だ、その規則を変えることもできる」と新国王は、多少、自分の権力を強調した。
「サッカバン・バンデーグであります」と先ほどの陸軍元帥から、巻物を取り返すという"功”をあげた近衛隊長が答えた。サッカバン・バンデーグ大尉は、名前はよかったが、家名は、貴族の中では物笑いの種だった。それはバンデーグ子爵家の当主の名前だった。当主はバンデーグ・バンデーグという、家名に名前を重ねるという奇抜な名乗りで有名だった。
「あのバンデーグ子爵家の一族か」と国王は、バンデーグという家名に近衛連隊に確かバンデーグ子爵家の出身の大佐がいたことを思い出した。だが、そのことを確認するよりも、国王は別の考えで頭の中はいっぱいだった。
「サッカバン大尉、君の家族や友人は、君をなんと呼ぶの?」
サッカバン大尉は、年若い国王の質問の真意がわからなかったが
「大概は、サックでございますが、陛下」
「そうか、ならば私も君をサックと呼ぼう。ところで、サックは馬上試合、まあ、正確には馬上槍試合だが、それは得意か?」
やはり、国王の真意はわからなかったが
「多少は、心得がございますが」
「ならば、十分、訓練をしておきなさい。これは、命令ではなく、助言だ」
「助言でございますか?」と先ほどの王太后の居室での会話を聞いていなかったサッカバン大尉には、国王の言葉に戸惑うばかりだった。
「うん、助言だ。これから、厩舎に行く」と国王は行き先を告げた。
新国王の一日はまだ、終わっていなかった。
一方、国王ジュルジス三世の説得に失敗したガナッシュ・ラシュール中佐は、ヘンダース陸軍元帥とともに徒歩で、陸軍本営本部へと向かっていた。この徒歩という選択をしたのは、多少、徒歩の方が、気分にあっていたのからである。もちろん、これは中佐ではなく、陸軍元帥閣下の気分である。
「ゲンガスル戦」では、勝利を納めたものの肝心のゲンガスル公爵の自決で、戦犯を生きて捕まえることが出来なかったことにヘンダース陸軍元帥は、自責の念を抱いていた。ある意味で辞職も考えていた。表向き、新国王は、「ゲンガスル戦」に反対したことになっていたが、事実は、当時の王太子の方が、国王ジュルジス二世よりも戦意を強く抱いていた。若い王太子が好戦的なのは、わかっていたし、ある程度年齢を重ねた自身と比べて、どうであったかというと、陸軍元帥も好戦的であった。王太子は何度も勝算を確認した。無論、これは、国王ジュルジス二世と王太子と陸軍元帥の三人だけの正しく国家機密にあたる内密の会議でのことである。その会議で、ヘンダース陸軍元帥は、国王と王太子に「あの公爵を王都まで引っ張って来る」と約束をしたのである。その約束が果たせなかった責任もあると思っていた。だから、徒歩だった。
副参謀長に就任するガナッシュ中佐とともに歩きながら
「陛下に、この姿を見られたらなんと言われるやら」と陸軍元帥は、士官は騎馬で宮殿に伺候しろという新国王のいわば”勅命”のような考えに時代は、変わるのだと感慨が深かった。
「そうですね、閣下」と中佐は、自身の敗北をむしろ清々しい気持ちでいた。そして、その徒歩という選択が間違ってないことに中佐は、新たな考えが浮かぶのである。この歩きながら考えるという癖はこの中佐殿の生涯を決する重要な癖になるのだが、今、大事なのは、その考えが、国王の執務室で思いつかなかったことである。それが、妙に悔しかった。
「閣下、ちょっと思いついたのですが」と中佐がいいかけると
「そなたもあきらめが悪いのう。陛下が、ああ仰せなのじゃから、あきらめろ」と陸軍元帥は、中佐の”計画”の件だと思い、軽くあしらおうとした。中佐は軍学校こと陸軍士官学校に平民の入学の許可を新国王からもらおうと説得をしようとしたが、あっさりと却下されてしまった。中佐殿はもちろんあきらめていなかった。だがこの”計画”は、今は胸にしまっておくべきなのも心得ていた。
「いえ、そのことではありません。実は、今、思いついたのですが、昇進式をきちんと執り行った方がいいと思います」
「昇進式?」と元帥閣下は、今度はこの中佐が何をいい出すのかと脚を止めた。
「ええ、閣下にはそのような経験は、ないでしょうが、各師団で、昇進を知る方法はまちまちです。上官から、聞かされたり、佐官だと内示書を見せられたり、バラバラです。でも、陛下は、形式というものを大事に思っていらっしゃるようですから、ここで、陸軍として、統一した式典のようにした方がいいと思います」
「どうやって、そんなことを思いついた?」と陸軍元帥は、まじまじと中佐を見つめた。
「何となくですが」といいながら、中佐はその”昇進式”の式次第をこと細かく考え出した。無論、歩きながら。それを陸軍元帥が、追いかける形になる。と、いきなり中佐殿が、立ち止まった。
「こうです、閣下」と今度は一歩前に進みながら「”一歩前に”です」
陸軍が誇る兵士訓練の一環として、直立不動の姿勢で並ばせて立たせるという訓練がある。そして、個別の兵士を選び出したりする時に「一歩前に」と号令をかける。その号令で、隊列から正しく”一歩前に”進み立っているのである。
「そうか、儂にもわかってきた。それでどうする?」と元帥閣下は、中佐を急かした。中佐は、「ここでは、ちょっと、何ですから、本営に戻ってから、ご説明します」というとまた、歩き出した。
「ふーん、そうか」といいながらヘンダース陸軍元帥は、副参謀長の職は、こやつには役不足だろうと思い始めていた。
そして、文官の長、ニーベル・カルチェラ伯爵も、新国王の命を受け、活動的に動いていた。カルチェラ伯爵は「宰相府」と呼ばれていた建物へ入ると早速、閣僚たちが待機している部屋へ急いだ。そこでは、文官の各省の長が集まっていた。彼らも、新国王となって自分たちの地位が盤石のものではないことは、よく承知していた。カルチェラ伯爵は、彼らよりも若い世代の登用を考えていて、宰相を辞職する前に、ある手を打っておいた。若い有能な人材を各省の次官として、送り込むことだった。それは、ほぼ成功したといえる。だが、彼らが実際、閣僚として任官できるかは新国王次第だということも重々承知していた。
各省の長が待っている部屋に入ると皆の視線が、カルチェラ伯爵に集まった。その視線は、不安と共に野望の光もあった。入室した「宰相」に敬意を払って皆、椅子から立ち上がろうとした。しかし、カルチェラ伯爵は、それを手で制し「そのまま、皆、そのままで」というとさらに彼から、発揮される不安の匂いと野望の気配にカルチェラ伯爵は、上座にあるいつもの椅子に躊躇なく座った。そして、テーブルを囲むように座りながら、息を殺して待っている各省の長に
「新国王陛下にあらせられては、私の宰相の責務を解かれた」といって、各省の長の反応を見た。やはり、動揺と期待の入り交じった声をそれぞれ、発していた。
「静粛に」と前宰相はいいながら、各省の長の顔ぶれを確認した。
「だが、新しい役職に就くことになった。宰相府は廃止され、国務省となる」とカルチェラ伯爵は、ここで、また皆の反応を確かめた。皆、怪訝な顔になった。
「つまり、降格人事だ。私は皆と同格の大臣となることになる。だが、一応、私が、各省の大臣の長であるということは、陛下もお認め下さった。そこで、早速だが、国王陛下からのご指示を伝えるから、よく聞いてくれ」と閣僚たちの人事の変化がないことを前宰相は特に口にしなかった。
カルチェラ伯爵は、新国王が特に強調していた「謁見の間」での礼儀作法と爵位持ちたちに課した新たな義務を説明した。会議の出席者は、全員、意外な国王の指示に戸惑っていたが、カルチェラ伯爵は、
「ここで、まず、式典の整備が必要となって来る。ここは式部卿、君の出番だ。そして、これには、法的な後ろ支えも必要となって来る。それには法務卿の手腕を発揮するところだ。工部尚書は、宮殿の先王陛下の執務室を会議室に改装する必要があるだろう」と閣僚たちに指示を出すのは、宰相時代と変わっていなかった。だが、時代は、変わるのである。そのことを前宰相はよくわかっていた。
突然の譲位でいささか混乱を招いた最大の責任者アンドーラの先王ジュルジス二世は、王冠を譲った長子のジュルジス三世同様、幸福感の絶頂にいた。重い王冠を脱いだだけではなく今まで悩ましていた頭痛は消散していた。それは、重い王冠のせいだけではなく、責任の移譲ということも一因だったのは否定できない。彼は、王位を望んで玉座に座ったのではなく、世襲制度というしがらみに縛られていた。国王の嫡男に産まれたという巡り合わせを彼は内心呪っていた。だが、自身の嫡男の成人と共にその責任は、嫡男である王太子に王位を譲るという平和的な方法で、王冠を脱ぐという開放感を手に入れたのである。
しかし、譲位をしたからと言って、彼の王国に対する責任感がなくなったわけではなく、今回のメエーネ行きの旅も、周囲にはもらさなかかったがある目的があってのことだった。近隣の国とは友好的な外交政策をなるべくとりたいと考えていたジュルジス二世は、かつてのカメルニア帝国の末裔でもあるメエーネとは、今まで諍いを起こしたこともなく親交を深めるには適任な相手国であった。
だが、メエーネは今混乱の最中だった。流行り病で国王と王太子が、相次いで病死するという王家の存続に関わる事態に見舞われていた。ジュルジス二世は、急遽王位についたロバーツ王に深い同情を覚えていた。ジュルジス二世自身も父親の急死で、慌ただしく王位についた。だが、準備はできていた。
このメエーネへの旅には、新国王ロバーツ王の値踏みという目的もあったが、王宮に残れば、新国王の手腕を発揮する邪魔になると考えたことも理由の一つだった。文官の随行員は、ハッパード・サングース子爵だけだった。彼は「外務省」を設立すべきだと貴族に許された請願書をジュルジス二世に呈上していた。無論、新国王のジュルジス三世も目を通している。サングース子爵の主張は、他国との付き合いを交易を営む商人たちに任せるべきではないと、むしろ国家として互いに尊重しあうべきだ。そのために互いに「大使」を派遣し親交を温めるべきだと熱く述べていた。
確かに今までは、国内の統一という目標があった。だが、ゲンガスル戦で、アンドーラは、貴族たちに国王への忠誠を誓わせることに成功したのである。つまり、内政はまず盤石ではないが、基礎は固まった。次に手をつけるべきは外交だった。アンドーラには、強力な国王配下の陸軍と迅速な機動力のある海軍を所有しているという強みがあった。先王ジュルジス二世は見えない甲冑で、その身は安全そのものだった。
そして、それは国王としてではなく、父親として次男のヘンダース王子の成長ぶりを確かめ、今までは、多忙で会話らしい会話をしなかった次男とじっくりと話し合う時間を作りたかった。次男のヘンダース王子は、海軍士官としてこの戦艦に乗っていた。それは、任務の一環だった。海軍提督ネクター・ハウゼル子爵が、気を利かせて休暇扱いにしようとしたが、ジュルジス二世はそれを断り、働きぶりを見たいと通常の任務に就かせることを希望した。
ともかく、船出は順調だった。船乗りに欠かせないというエールもなかなかの美味だった。心配していた船酔いもなく、内心、船酔いになれば、面白いと思っていたサングース子爵も、船酔いもせず、やはりエールの味に満足なようだった。
次男のヘンダース王子が、海軍に所属している訳は、当時の王太子の策謀に引っかかったのは、先王も承知していた。陸軍と海軍の軍服を着させ、「君は海軍の方が似合うな」といったのである。名付け親のヘンダース陸軍元帥の後を継ごうと武術の訓練を熱心にしていた次男のヘンダースは、半ば強制的に海軍で兵役を務めることになった。兄は容赦なかった。王子として特別扱いは無用と海軍提督に父親の口から申し渡した。ここで、先王は王太子の政治的才能に気がついたのである。王位継承順にいうと王太子の次になる弟に陸軍の指揮をとれせる危険性を避けるべきだったし、また、海軍の指揮権を渡す愚策も取るべき道ではなかった。しかし、提督の元で、オール漕ぎから士官へなった次男坊は、すっかり海の虜になっていた。先王は、王太子だった新国王は、人材の妙に長けていた。名付け親の陸軍元帥同様、豪快で闊達な海軍提督に次男坊は心酔していた。また、提督も王子という身分に甘えないヘンダースを息子のように気にいっていた。まあ、世間では、陸のヘンディと海のヘンディとそれぞれを呼び、次期海軍提督は第二王子だろうと噂するものもいた。しかし、新国王の気性を知っていた先王は、海のヘンディは海軍提督にはならないことだけは予知していた。
陸のヘンディも動いていた。副参謀長のガナッシュ・ラシュール中佐の提案である「昇進式」の式次第を早急に整える必要性があった。「ゲンガスル戦」の戦功序列を決める前に新国王の許可も必要である。士官学校では、平民の入学許可では、海軍に先を越されたが、この「昇進式」でまたまさに一歩前に進むのである。元帥は参謀本部に待機している将軍たちを会議室に呼ぶようにと、迎えに出た息子のレオナルド大尉に「大至急じゃ」と急かせた。
「師団長殿たちは、会議室で待機しております。閣下、まさか、陛下の許可がいただけたのですか」とレオナルド大尉は、驚いたように早足の元帥に尋ねた。親子でも、レオナルドは分をわきまえて元帥を「父上」とは呼ばなかった。レオナルドも士官学校の平民の入学許可は難しいと予想していた。
「そうではない。昇進式を執り行う」とだけ告げると「ガナス、甲冑か制服か」と「昇進式」の発案者である副参謀長に尋ねた。
「やはり、制服でしょうね」とさりげなくいった。ガナスことガナッシュ・ラシュール中佐は、頭の中を整理していた。「問題は、将官だけですね」と元帥にさりげない口調である。
「それは、また、別に考えよう」
「それもそうですね」とガナスは、大体の式次第をその頭の中で整理は、できていた。
参謀本部の会議室では、将軍たちが陸軍の士官学校の平民の入学許可が新国王が裁定をどうするか予想に余念がなかった。将軍たちの間で、ガナッシュ・ラシュール中佐の評判は、悪くなかった。陸軍元帥が、ガナスと呼び、他の士官たちとは違う態度で接することは、ガナッシュの軍学校での成績もあったが、同じ貴族でも、爵位に遠いものが多かった将軍たちには、伯爵の次男という出自は、一目おくべき身分であったし、また、それを鼻にかけるような態度をとることもなく、上官として接する姿勢は、好感が持てた。しかし、何よりもその怜悧な頭脳は、陸軍元帥さえ一目を置くという評判は、将軍たちの評価も高めていた。
余談になるが、新国王の次弟を始め、やたら「名付け親」になりたがる陸軍元帥は、ガナッシュの兄の長子の名付け親でもあった。この辺りも、他の士官よりも陸軍元帥に近しい存在だと推測される。ただ、ある家族からは「恐れ多い」という理由で名付け親を断られている。その代わりに名付け親になったのは、ガナッシュの兄のミゲル・ラシュールで、さすがのヘンディ殿下もお気に入りのミゲルには一歩譲ったが、次の子こそは自分だと思い込んでいた。
将軍たちが、元帥とガナッシュ中佐の帰りを待っていたのは、もちろん、陸軍にとって士官学校の平民への開放の新国王の反応だったが、それは、賛否両論だった。待ちかねたように将軍たちが待機していた会議室へ元帥が入室すると、一斉に将軍たちは立ち上がり陸軍の最高権力者に敬礼をした。元帥も敬礼を返すと「まずは、昇進式じゃ」と将軍たちの意表つくことをいった。まあ、ある意味で、予想のつかないところがある元帥に慣れている将軍たちは、それほど驚かなかった。だが、次の言葉には、多少驚きがあった。
「こやつが、考えおった」と元帥は、ガナッシュ中佐を指差した。将軍たちの注目を集めたガナッシュ中佐は、悪びれてもいなかったし、自慢そうでもなかった。
一方、王太后に呼び出された新国王の妹メレディス王女は、相変わらず軽騎甲冑で、母親の前に現れた。その当時のメレディス王女は、服装にも無頓着で後年の彼女からは、想像もできなかったであろう。
「御用ってなんなの」と半ば、喧嘩ごしである。
「なんだか馬くさいですよ、メレディス」と国母の口調は優しかった。
「キルマ、お風呂の用意を」と女官長に命じると、優雅な物腰で、再び刺繍台の前に座った。女官長のキルマ・パラボン侯爵夫人は、部屋付きの侍女たちにテキパキと指示を出している。
「ご用意ができました、国母さま」と慇懃に礼をする。つい先日までは、「王妃さま」と呼ばれていたのにと王太后は、内心思ったが、敬称を間違えるほどキルマは愚かではなかった。本来なら、王妃になったミンセイヤに伺候すべきなのをいまでもキルマは王太后のそばを離れようともしない。ミンセイヤ王妃からも特に苦情もなかったので、新国王前の体制で王太后に仕えている。何しろ、キルマは自分の仕事を心得ていた。メレディス王女の身体から軽騎甲冑を剥ぎ取ると、お湯の張った浴槽に王女の身体を浸からせた。それを部屋付きの侍女たちが石鹸でゴシゴシと洗おうとするのを「やさしく、なでるように」と注意をする。注意はするが、キルマは自分で手を出そうとは、しなかった。丁寧に洗われたメレディスの身体は、やさしく布で拭かれると、今度は、侍女たちがいい匂いのする香油を塗り始めた。それが終わると、身体を布で覆われたメレディスの髪をやはり香油を塗りとかし始める。部屋付きの侍女たちには、身体こそ違え、日常に行う仕事だった。
王太后が、身だしなみを気をつけるのは、美しいままでいたかったである。美しさではアンドーラでは、誰にも負けないと思っていた当時の王妃エレーヌの前に強敵が現れたのである。それは、遠くラダムスタンから娘についてきたセルダス公爵夫人と呼ばれるセ・シーネであった。その黄金色に輝く髪と深い海を思わせる蒼い眼は、アンドーラの男たちの目を奪ったのである。さすがに愛妻家であるジュルジス二世は、国王として、礼を持って遠方からの珍客を迎えたが、内心、エレーヌ王妃は不安だった。だから、美しさを保とうと努力を惜しまなかった。無論、美しさだけが女性の価値ではない。エレーヌは、多くの助言を夫にしてきた。何よりも、新国王を育てたのは自分だという自負があった。
そして、今度はメレディス王女の改革に着手するのである。
「ご用意が整いました。国母さま」とキルマが、一連の作業が終了したことを報告した。国母エレーヌは、刺繍の手を止めて、所在なさげに立っている我が娘を見つめた。キルマは気を利かせて王太后のドレスをメレディスに着せていた。メレディスは成長期の少女によくあるように長い手足を持て余し、顔の吹き出物に悩んでいた。
「まずは、髪を伸ばさなくてはね」と兜をかぶりやすいように王女の髪は短く切られていた。
「この方が、兜をかぶる時には都合がいいのよ」と王女は抵抗した。国母は辛抱強く「髪を伸ばすのは、これは、王女としての務め一つです。あなたは、宣誓式に出てアンドーラのために忠誠を誓ったでしょう。でも、兵役を務める義務はありません。あなたには、あなたにしかできない大事なお役目があるのです」
「結婚とか」と王女は探りを入れた。
王家において、多くの王女の役目は政略結婚の駒になることである。メレディスはそれを恐れていた。髪を短く切り、軽騎甲冑に身を包むのはそれを拒否する意思表示だった。
「おほほほ」と母は笑った。「違いますよ。陛下が、あなたにその役目をあなたにしてもらいたいと仰せなの。もちろん父上ではありませんよ」
「あの、お兄様の方?」
「ええ、新しい陛下ですよ。まあ、できないならオルガ・ジェラートにやってもらおうかしら」とメレディスの競争心ををくすぐった。
オルガ・ジェラート伯爵令嬢は、王太后のお気に入りの「行儀見習い」だった。その姿は美しく、動作は優雅で、また礼儀作法をよく心得ていた。国母が、セルダス公爵夫人に抱くような気持ちをメレディスはオルガに持っていた。つまり、劣等感とゆうやつである。これは、厄介な代物で、使いようで、人を努力に導くか、または、堕落へ導くかという人生における勝者と敗者を分ける起因になることは、よくあることだった。国母は、勝者だった。無論王女も勝者にならなければならない。
というわけで、王太后は、メレディスの競争心を刺激して王女改革に着手したのである。ある意味で、夫の留守はかえって都合が良かったと王太后は思い始めていた。
そして、やはり、劣等感と戦いながら自分に仕えている人間がそばにいることに王太后は、まったく気付いていなかった。
勝者がいれば、敗者がいるのは、当然の論理である。
「ゲンガスル戦」の敗者、ゲンガスル公爵の嫡男ハレルド・ゲンガスルは、小さな窓から断首台の見える未決房で、一人死を覚悟していた。ハレルドは勝手に自害などしないように両手首を鎖で壁につながれていた。当然貴族の象徴である、剣はとりあげられ、舌を噛まないように猿ぐつわを噛ませられていた。屈辱的な扱いである。
思い起こせば、ハレルド自身は、国王に膝を屈するべきだと思っていた。確かに侯爵への降格と領地替えは、痛手であったが、ヘンダース元帥の率いる国王軍に勝てる策はないということは、よくわかっていた。父親のゲンガスル公爵は女王から始まったチェンバース王家を見下していた。だから、国王に屈することは、誇りが許さなかった。従って、徹底抗戦の手段を選んだ。だが、金で集めた兵士たちは、結局、国王軍の落ちこぼれの集団だった。彼らを統率するにも、酒と女と金貨が必要だった。頼りになるのは、もともと公爵家に仕えていた騎士たちだけだった。
敗北を悟ったゲンガスル公爵が、館に火を放った時、ハレルドは、騎士たちを率いて、野戦に出陣していた。館の火を見たとき、ハレルドの心配は、父親よりも母親と妹のことだった。国王軍に捕縛されたハレルドは、自分の身分を偽ることもなく、ともに捕縛された騎士たちの助命を嘆願した。その時、父親の死と母親と妹の消息を知った。ハレルドの潔さに感服した将軍の一人に教えてもらったのである。
母親も妹も無事だった。ただ、妹のレナンの顔は一生消えない火傷の跡が残ると聞かされ、美しかった妹の心情を思い、不覚にも涙がこぼれた。無念ではあったが、自決だけはするまいと心に決めた。母親と妹を守ることが先決だった。もし、死を賜ればそれは仕方がないが、生きている限りは、母親と妹を守ると心に誓った。
だが、なかなか国王の裁決は降りなかった。国王の退位と新国王の戴冠を知ったのは、食事を配給する看守からだった。ハレルドには、その勝者のジュルジス二世の譲位の真意がわからなかった。看守は「死人が出たことをお気に病んだらしい。お優しい陛下だったからな」といったが、戦争に死者はつきものである。その代償を誰が払うのかというと敗者であろう。結果として国王に伺候しなかったハレルドには、王家の実情がよくわからなかった。
当時の王太子の結婚相手に妹のレナンをと持ち掛けてきたのは母親の実家のキンケイド侯爵だった。よくある政略結婚では、あるが、将来の国王の外戚になれることにゲンガスル公爵は、乗り気だった。だが、その計画は、ラダムスンから来たミンセイヤとの婚約を聞いて断念さざるしかなかった。ともかく、打つ手打つ手が後手に回り、結局、敗者となった。ハレルドに残されたのは自分の命と母親と傷ついた妹だけだった。それも新国王の手の内にあるのもハレルドはわかっていた。
勝者のなかでも、自分の進退を決めているものもいた。国王軍の褒賞勲位の決定権は国王にあったが、彼は、引退を決意していた。ミンセイヤの護衛だったラダムスン出身のムアサ将軍である。ムアサはもう甲冑を脱ぐときだと感じていた。
アンドーラでは、彼は厚遇されたいた。ラダムスンから到底無謀とも思える長旅の中で、彼は、アンドーラ到着は絶望的と言われていたが、無事到着した時は、腰が抜けるような感覚さえ覚えたが、そこは武官である、ミンセイヤとセ・シーネを守る陣を部下たちに取らせることは忘れなかった。長旅の苦労が部下たちの結束を固くしていた。
だが、アンドーラで、自分たちの身分がはっきりすると、アンドーラの王都まで、国境を守っていた師団の責任者の師団長が護衛と案内を兼ねて一個連隊をつけてくれた。長旅の間、アンドーラの言葉は覚えていた。王都に到着すると国王みずから出迎え、歓迎式典さえ行ってくれた。セ・シーネには、セルダス公爵夫人と身分が保証され、護衛についてきたムアサ以下も、2年間の兵役を勤めれば、アンドーラ国民として暮らして良いと言われた。その兵役の大半は、アンドーラの文字を習うことだった。会話はできても文字は読めなかったからである。無論、相変わらずセ・シーネとミンセイヤの護衛は、続いていた。
2年の兵役の後、ムアサは、将軍の地位と妻を得た。部下たちもそれぞれ、武官としての地位が与えられていた。そして、ムアサと同様、結婚を勧められた。無論拒んだものは、宦官のハッサだけである。
ムアサが、一番アンドーラで気に入ったのは、アンドーラの「清潔さ」であった。腐敗していたラダムスンとは違い「賄賂」を受け取ろうともせずに文官たちは、公平に文献を調べ、セ・シーネの身分を明らかにしたし、多くの妻を抱えるラダムスンとは違い、一夫一妻制度だった。特に国王ジュルジス二世は、愛妻家で知られ、なかには、尻に敷かれていると揶揄するもいたが、三男一女をもうけ、その中の一人王太子とミンセイヤの結婚はムアサにとって意外だった。だが、自らの意思でミンセイヤとの結婚を決意した王太子とミンセイヤのと間には王子エドワーズが生まれ、傍目から見ても王太子は、ミンセイヤに夢中だった。その仲むじさから言って国王のように多くの王子や王女が誕生することは目に見えていた。
突然の国王退位には驚いたが、新国王の英邁さは、ムアサ自身がよく知っていた。そして、公正明大である事もよくわかっていた。新国王は偉大な王になるであろうことは目に見ていた。
つまり、自分の役目は終わったと感じたのである。ミンセイヤもセ・シーネも安全であった。後継を生んだミンセイヤにはすでに近衞兵が常時護衛に当たっている。
ラダムスン部隊と呼ばれたムアサ以下の部下達もそれぞれラダムスン出身者以外の部下を持ち、アンドーラ製の甲冑を身に付けていた。そして、ラダムスン部隊の解体を申し渡されていた。部下はそれぞれアンドーラ王国軍の各師団に配属されることが決まっていた。もう、ムアサの指揮を仰ぐ必要は無くなったのである。「潮時」だとムアサは思った。
また、ムアサは妻の兄に勧められてアンドーラの土地を購入していた。そして、王立大学から、ラダムスンの言語や歴史についての研究に手を貸して欲しいと依頼を受けていることもある。二人の息子を得ることもでき、安住の地も手に入った。もう食料を探し回る必要はなくなったのである。あとは、二人の息子の養育だけがムアサの心配な点である。武術の指導は得手だが、学問となるとまるっきりだった。だが、王立大学の教授たちと知己を得ることで、その懸念はなくなった。次男は、海軍に憧れていたが、長男は、王立士官学校こと軍学校への試験を控えていた。二人の息子にとって父親は「英雄」だった。その名を汚すことなく人生を終わりたいとムアサは願っていた。
引退を決意した武官がいるいる一方では、将来の夢を抱いている文官もいた。新たに法務省の次官補となったイーサン・カンバールである。彼は、面識こそないが、新国王に期待していた。先王が無能とは思っていなかった。何よりも勤勉で、実直だったし、また独断で物事を決定することはなかった。当初は、王妃のエレーヌや宰相のニーベル・カルチャラ伯爵の意見を聞くことが多かったが、ここ近年では王太子の意見を取り入れることが多いと聞いている。むろんそれは噂の段階だったが。
今回の「ゲンガスル戦」も王太子の意向ではなかったかとイーサンは推測していた。近衞兵を相手に剣術の稽古をする王太子が、非戦主義者だとは思えなかった。でも、声高に主張するつもりはなかった。「ゲンガスル戦」については、文官では、ある意味で禁句となっていた。それは、これでますます陸軍が増長するのではないかと危惧する声もあった。ましては、陸軍を率いているのはメレディス女王の次男ヘンダース王子である。彼の指先一つで、古い名家がまた一つ消滅しようとしている。名門貴族たちは、ゲンガスル公爵家の行く末に声を潜めていた。今度は自分たちに火の粉がかかってくるないかと恐れていた。
イーサンは、大学時代に嘆願書を宰相のカルチェラ伯爵に送り、宰相の目に止まったという経歴がある。その嘆願書は、裁判において公平を期するために被告人にも弁護をする人物が必要だと説いていた。当時は、弁護をするものは、例えば一族の長だったり、友人だったり、専門的な法律に詳しい人物が弁護をするわけではなかった。そこで、イーサンは法に詳しい専門家を必要性を訴えたのである。
この嘆願書は、国王に上程され。弁護士制度が裁可された。しかしこれは、国法における裁判で、領地法は、それぞれの領主たちに任されていた。
そんな経緯もあって、イーサンはアンドーラの弁護士第1号となったのである。その後、法務省に入省し、次官補という大抜擢な人事で、年長のものにいささか敬遠されている。中には、どうせ子爵家を継ぐまでのお遊びだというものもいた。しかし、イーサンは、ただの領主になるつもりはなかった。アンドーラという国の将来を背負う気構えがあった。
それを野心と呼ぶものもいるだろうが、イーサンは気にかけなかった。
そして、上司の法務卿からの指示が、「謁見」を制度化するという意外な政策だった。これは、新国王の指示だと聞かされて、イーサンは、その本意をようやく飲み込めた。爵位持ちに対する国王の権力強化である。この新国王の爵位持ちつまり、領主たちへの締め付けは、それが序章に過ぎないことをまだ、イーサンも、元宰相のカルチャラ伯爵も気がついていなかった。
新鋭の文官がいる一方で老練な文官もアンドーラの将来を鑑みて、自身の進退を決意するものもいた。式部卿のアンドレ・ファンタール子爵であった。元々は平民出身の新貴族であるファンタール子爵は、貴族としての体面を保つために、爵位を授けられた時に貴族出身の「家令」を雇った。その家令に妹を嫁がせ、生まれたのがカルバスである。彼が、軍学校に進む時に、ファンタールの姓を名乗らせた。無論、ファンタール子爵家の相続権はなかったが、軍学校で見事に主席で卒業するという快挙を成し遂げた時、ファンタール子爵は「甥」とは大ぴらに呼べないが、ファンタール家の名を高めたとして、誇りに思ったし、将官の地位も夢ではないと確信していた。そのために助力は惜しまなかったし、カルバスもその期待に応えている。出世こそ次席だったガナッシュ・ラシュールに一歩遅れているが、順調に階級を上げていた。
しかし、新国王の誕生に沸く王都でも、惨めな暮らしをしているものもいた。それも、貴族という身分がありなながら、金に縁のないものたちもいた。
ファンタール子爵家自体は、贅沢といってもいい暮らしだったが、義弟の家令は、倹約すべきは倹約をし、貴族としての付き合いなど必要な費用には、財布の紐を緩めた。これは、チェンバース王家にも通じるところがあった。
ファンタール子爵家の財政は、文官としてのアンドレの高給と実りのいい領地からの領地税で、十分潤っていた。新貴族と蔑まれながらも、特に古い家系を誇る名門貴族と違い養わなくてはいけない塁系が少なかった。幸いに二人の息子に恵まれ、その息子にも男子の孫が生まれ、ファンタール子爵家の家系を一代で終わらすことはないことはわかっていた。娘にも十分な持参金をつけて、やはり、文官の長であるカルチャラ伯爵家に嫁がせることできた。
つまり、文官としての実績と、また、子爵として財政面から領主としての体面と手腕と全てやりつくした感があった。特に国王の退位と新国王の戴冠式を無事取り仕切ることができ、ちょうど潮時だと思っていた。それよりも、もはや、共通の孫を持つという立場になった宰相と話し合うのは、政府として手の届かない王国の暗い部分があることに二人とも気がついていた点である。それは、犯罪を犯すということではなく法律スレスレのやり方で、金の力で人の人生を狂わす輩がいるということだった。
例えば、多額な持参金に目がくらみ、平民の金持ちから、妻を娶る領主がいることだった。結果、生まれた息子に後を継がせることによって爵位を孫に事実上買ったも同然な結果を生む。この現象は、特にチェンバース王家になったからではないが、前王朝のペルクルス王家の時代にも、売官の事実はあった。
だが、メレディス女王以来、王権の拡大によって、貴族の特に爵位持ちと呼ばれる上級貴族たちの財政は、厳しいものがあった。特に当初は「軍役料」と呼ばれた「国税」は、爵位持ちつまり領主たちには重くのしかかる課題だった。「国税」は金納でなければならず、収入が、領地税と領地法で制限された土地からの収益から捻出せねがならず、その負担は、商人たちに足元を見られ農地の作物を買い叩かれる領主たちもいた。
国庫は潤っていたが、領主たちの財政は厳しいものがあった。目端の利く領主たちは、農業だけに頼らない産業でなんとか収益を上げるものもいたが、貴族としての誇りゆえか、それさえも生き馬の目を行く商人になかなか高値で売りつけることができずにいた。
ファンタール子爵は、政府とは別な救済処置が必要ではないかと思っていた。ファンタール子爵の考えているのは、金融業だった。民間にはすでに「ヘイゼル銀行」という金融業があったが、表向きは「銀行」と名を売っていても実態は「金貸し」だった。相手をみて金利を決めるという悪名が高い「銀行」であった。
実際、嫡男の妻の実家も、経済的な内容もよく「金貸し」に借金を申し込むような不名誉なことはなかったし、次男には、新たな事業の責任者として経営面での勉強をさせていた。ここに貴族たちの信用の高い「ファンタール銀行」の誕生を見ることになる。無論、金も貸すが、金を預かり利子をつけることも考えていた。金貨を金庫にしまっておいても、何の利益を生み出さないのである。
無論、ファンタール子爵の独断ではない。婚姻で結ばれた元宰相のカルチャラ伯爵の了承も得ている。確かに官位をいただいて国に奉仕することも大事だったが、市井でも国に役にたつこともあるのである。当然ながら、大蔵卿のブッルクナー伯爵の賛同も得ていた。
新たな出発にファンタール子爵はなぜか心が躍っているのを感じていた。
「陸のヘンディ」がガナッシュ・ラシュール中佐の「昇進式」の案に唸りながら、賛意を示していた頃、「海のヘンディ」のヘンダース王子は、ようやく出航の喧騒が収まり、外洋に乗り出し、順調な運航を確かめると、上官の許可をもらい、父親の先王ジュルジス二世の元に伺候した。「伺候」という言葉を使うのは王子としての先王に対する敬意の表れだった。ヘンダース王子は父親の義務感から王位についていることを知らなかった。また、知る必要もない情報でもあった。だから、譲位の意図がよくわからなかった。
その当時のヘンダース王子は政治とは自分が口を挟むべき立場ではないと思っていた。それは、兄の王太子が、機嫌を損ねることはわかっていた。だから、せめて海軍で懸命に海軍士官としての責務を全うしたいと思っていた。
「父上、いかがですか?ご気分の優れないことはございませんか?」と「陛下」ではなく「父上」と呼ぶことに幾らかの違和感を覚えていた。
「おお、ヘンディか。余は快適でおるぞ。エールは美味じゃなあ。そなたが海をはなれないのも、分からぬでもない」と先王は上機嫌だった。「そなたも、一杯やらんか?全くがっかりだ」
「がっかり、と仰せられるのは?」とあくまでも敬語である。
「このサンバース子爵が船酔いすれば、面白いと思ったのだがのう。この通り、一向に船酔いはせんし、エールはうまいと申すものだから、からかう相手がいなくてな、退屈していたところだ」
「殿下も、エールはいかがですか?陛下のご命令とあらば、提督も文句はありますまい」とお供の随行員ハッパード・サンバース子爵もエールを勧めた。
というわけで父親の許しを得てエールに口をつけた。だが、話題が政治的な話題になることは、用心していた。それは、国王の次男という微妙な立場から、海軍の中でも政治的な発言は控えていた。ただ、陸軍いくらべ幾らか貧弱な海軍の増強は望んでいた。兵学校こと海軍士官学校が、平民の入学を認めたのは、人材不足もあった。兵学校を卒業し、兵役をすませると、海運業を営む商船に航海士として高額な給料で引き抜かれるのである。これは、頭の痛い海軍の課題であった。
しかし、兄の新国王ジュルジス三世が「馬上試合」への出席を求めているなど「海のヘンディ」は気がつきもしなかった。そして、この快適な船旅が、度重なるメエーネ行きを先王に決意させ、あの不幸が、チェンバース王家を襲うなど誰も予想していなかった。
先王ジュルジス二世が快適な船旅をして夕日の壮大さに感嘆しているころ、新国王ジュルジス三世は、護衛の近衛兵を引き連れて、宮殿の厩舎にやって来た。ここには、王家のための良馬が、よく手入れをされ、騎乗を待っていた。あの、生意気な中佐にいった通り、乗馬は王家の一員の必須科目であった。普段は、穏やかな王妃ミンセイヤも、ラダムスンからアンドーラへの旅で必然と乗馬を覚え、馬はかなり上手に乗りこなすことが出来た。今は、末弟のランセルが、乗馬に取り組んでいた。
だが、国王の用事は馬に乗るためでもなく、馬の様子を馬丁にたずねたのは、一種の礼儀作法であった。国王は、馬丁などの専門職がその職に誇りを持っていることに気がついていた。
「やっぱり、この馬はいいな」と、これはお世辞ではなく、実感として言葉に出た。
「そうでしょう、”殿”」といいかけて馬丁は、慌てて「陛下」といい直した。この馬丁、ナイル・メングスは、エンガム公爵領のエンバーの出身であった。エンガム公爵家は、エレーヌ王太后の実家で、国王が、王位につく前に七歳でその爵位を祖父から受けついた称号だった。無論、名前だけでなく、実態もある領地であった。国王が幼い時は、母親の先代公爵の一人娘のエレーヌ王妃が、摂政としてその領地を治め、立太子礼をすませてからは、エンガム公爵であるジュルジス三世自身が、執政官を任命し、年一度、エンバーへ行啓して、公爵としての責務を果たして来た。そして、エンバーから、王家に嫁ぐエレーヌ・エンガムとともに王都チェンバーへやって来たエンバー出身のものたちは、エンガム公爵を継いだ時から、ジュルジス三世を「王太子」と呼ばずに”殿”と呼んで自分たちの公爵であることにこだわっていた。ちなみに、エレーヌ王太后は、”大姫”である。
このエンガム公爵の爵位を王位を継いだ以上、それを次弟ヘンダース王子に譲ることを”大姫”は、内心、願っていた。しかし、国王は、ゲンガスル公爵が亡き後、唯一となったアンドーラの公爵位をみすみす次弟に譲るつもりは毛頭なかった。
「ところで、ナイル、この宮殿にエンバー出は、どれだけいるかな」とエンガム公爵は、さりげなく聞いた。
「さあ、数えたことがないですからね」と、馬にブラシを当てながら、ナイルは、答えた。
「ちょっと、頼まれてくれるか」とエンガム公爵であり、アンドーラの国王でもあるこの19歳の若者は、身分の低いものほど丁寧に接する傾向があった。
「ええ、なんでしょう」とこの馬丁は、国王と妙な因縁で結ばれていた。それは、お互い、ラダムスン出身の女性と結婚したことである。ナイルの妻であるユーリンは、ミンセイヤの乳母子で、お供としてミンセイヤとともにアンドーラへやってきたのである。
「この宮殿で働いているもので、エンバーの者のうち、一番の年上は誰かな?」とエンガム公爵は、
「そりゃあ、バルカン爺さんでしょう。園丁頭の」とナイルは相変らず、手を休めない。
「そうか、それじゃあ、明日、バルカンを始め、手のあいているものだけでいい。そうだな、中庭に集まってくれるように、みんなに伝えてもらえるか?ちょっと、みんなに話がある。ちょっと重大な話になる、無論、女性にも来てもらうよ」
「わかりました」とナイルは、引き受けたが、"殿”の命令に、やはり、あの噂は本当なのだといくらか失望を覚えていた。宮殿の中では、もっぱら、エンガム公爵の爵位を国王となったジュルジス三世が次弟のヘンダース王子に譲るという噂が飛び交っていた。ジュルジス三世はエンガム公爵として、エンバーの領民たちに支持されていた。だが、海軍に所属して航海に出てばかりいるヘンダース王子の評判は今一つわからない。ジュルジス三世に跡継ぎの男子エドワーズが誕生していることも、支持の理由の一つだった。
ここにも、布石の一つを打って、ジュルジス三世は、ようやく、愛する王妃ミンセイヤと可愛い王太子エドワーズの元に帰ることが出来そうであった。だが、その前に会っておきたい人物がいた。それは、ミンセイヤの母親セ・シーネ夫人であった。彼女は、遠くラダムスンから、娘と共に何年もかかる旅をしてアンドーラへやって来た。それには、深い事情がある。