軍学校の一期生
王立陸軍士官学校(通称・軍学校)の平民への入学の許可を求めて果敢にも、即位したばかりの国王ジュルジス三世にガナッシュ・ラシュール中佐は挑むが、なかなか、国王の反対の意志は固かった。賛成すると思ったヘンダース陸軍元帥もなかなかその本心はわからなかった。
ガナッシュ中佐は、副参謀長に就任予定だったが、軍学校の一期生だった。
当時、アンドーラには、歴然とした貴族制度があった。その身分制度は王国軍の近代化に不可欠な将兵階級制度にとって障害になってきていた。
新国王ジュルジス三世と陸軍元帥ヘンダース”第四王子”との面談に同行した中佐自身も、身分制度の壁に悩んでいた。中佐の名は、ガナッシュ・ラシュールという。彼自身は、伯爵家の出身で、ガナッシュは嗣子ではなく、次男だった。彼の家は、メレディス女王の即位の際の功があったとして、伯爵に叙されたといういわば、いわゆる名門とは言い難い家だった。無論、貴族中にも序列がある。
メレディス女王以前の貴族たちは、その家柄の古さを誇り、新たに貴族加わったものたちを”新貴族”と呼び、しばしば平民と同列に扱う傾向があった。その”新貴族”たちにも、似たような傾向があった。名門でも、メレディス女王の即位に反対し、爵位を下げられた名門の家を侮る傾向があった。彼らにはこの王朝の成立に寄与したという自負があった。彼らの大部分は、文官になるものが多かった。積極的に国政に参与することで、着実に力を伸ばしていった。名はなくても実があった。”新貴族”たちは、王家に忠実だった。
そしてこの中に、やはり同じように”新貴族”の仲間に加わろうとする、やはり女王の即位の際に功があり、爵位を引き上げられたものたちが加わった。彼らは、武官が多かった。彼らは、先祖伝来の甲冑を見せびらかし、軍においても、“重騎兵”になりたがった。彼らは武勇を誇り、王家は自分たちに恩義があると思いたがった。
実は、彼が武官の道を選んだのそういう事情があった。彼自身は、実家のその“功”について何らかの“功”なのか具体的に聞いていなかった。漠然と、子供じみた感触で、武功ではあるまいかと感じていた。事実、彼の実家の“領主館”には、それらしい甲冑が飾られていた。曾祖父が用いたというその甲冑を二人の孫に見せながら、よく祖父はいったものだった。
「亡くなった父上は、これを着て、よく陛下の御前に伺候したものさ」
幼かった彼には、「陛下」という意味がまだ理解できなかった。祖父は、彼にというより、やがて自分の爵位を継ぐであろう兄にいって聞かせていた。12才年長の兄は、祖父の話を十二分に理解できていた。新しくできた「兵役義務」ついて祖父に尋ね、自分もこれを着ていくのだろうかと尋ねたりした。祖父は、笑ってそれが違うのだと兄に説明した。”当世甲冑”と呼ばれるそれをどこからか手に入れ、今はこれだと孫たちに見せてくれた。大部分が革でできた”当世甲冑”は、曾祖父のものよりも軽く、動きやすかった。幼い彼は、“武”の道に魅せられていった。
「騎士道」ついてに書かれている本を読みあさったり、武勇伝みたいな話を聞いたりしたりした。本自体は、やはりどこからか祖父が手に入れた“領主館”にある、法律書以外の唯一の読み物だった。彼のいわゆる文字の読み書きはそれが教材だった。「騎士道」にいささか夢中の孫に、祖父は目を細め、剣の使い方や馬の乗り方を教えてくれた。現在もそうだが、当時”馬”は珍しかった。貴重な”馬”に乗れるのは、限られた人たちだけだった。祖父に、乗馬の手ほどきを受けた彼は、やがて、軍学校の設立を知ることになる。父からその話を聞いた時、彼は、兄にいったことがあるかと尋ねた。当時兄は”兵役義務”の最中だった。”当世甲冑”を着て“領主館”に現れた兄の姿は、弟の彼には眩しく、好ましく思えた。自分もやがてそれを着て兵役につくのだと胸を躍らせた。兄は軍学校はまだ出来ていないとだけ教えてくれた。いささかやんちゃな傾向のある次男と違い、年の差もあって兄は、いわゆる慎重居士だった。多分お前の時には間に合うさといって、今度は「殿下」について、熱く語った。
結局、兄は兵役義務を4年で終えると、”当世甲冑”を脱ぎ、“領主”となるべき勉強を始めた。兄は、“領地”を治めることも“領主”としての義務だと、「殿下」がおっしゃったんだと、”当世甲冑”を脱いだ兄を残念がる弟にそういった。兄の話に随所に出てくる「殿下」について彼が質問すると兄はそんなことも知らないのか、「ヘンディ王子」とことに決まっているじゃないのかと笑った。そして、兄は、恥ずかしそうに、また、誇らしげに「殿下」は、自分に「ヘンディ殿下」とお呼びしていいとおっしゃったんだと語り、その目を輝かすのだった。幼い彼にも、どうやら、異例のことだというのは、わかった。“寵”という言葉を知ったのも、その時だった。どうやら「お気に入り」という意味らしいとわかった。
武官の道を勧めたのも、兄だった。”ヘンディ殿下”が、「弟がいるなら、是非、自分ところによこせとおっしゃるんだ。でも、それじゃいくらなんでも、“寵”に甘えすぎてると父上はおっしゃるからな。軍学校が出来たらいけばいいよ。多分、その方がいいよ」とだけいい、思い出したように、弓術や槍術の手ほどきをしてくれた。
軍学校の創立は、十二分に彼に間に合った。いささか早過ぎるぐらいだった。最年少組で、入学を許された彼は、いわゆる”一期生”で、同期の中には、いささか、大人すぎるように思える者もいた。それに気づいた彼は、自分の入学は”ヘンディ殿下”の「引き」せいかと思ったりした。陸軍元帥をそう呼ぶと、同期生は、驚き、そんな呼び方したら、失礼じゃないかと注意をした。教官殿にはり倒せるぞと。事実そうなった。彼は、教官に胸を張り、兄は「殿下」からそうお許しを得ていますと答えた。再びはり倒された。
「兄の引きなんか当てにしやっがって。そんなの百年早いぞ」と言い捨てると、別な罰を申し渡し立ち去った。
それからの彼は大変だった。同期の連中からは、最年少ということでこづき回され、”ヘンディ殿下”の”引き”で入学した落伍者扱いを受けた。確かに、武術はたいしたことなかった。上には上がいる者だと感じた。“領地”育ちの自分には、目に見るものすべてが、珍しかった。武術力の不足は、必死な自主訓練で補った。
意外なことにこの自主訓練には、例の教官が相手になってくれた。ただ、その当時の彼には、教官が、自分への好意で、そうしてくれるとは到底思えなかった。教官に”目を付けられている」と感じていた。”目を付けられている”連中が、自然と寄り集まりお互いの傷を舐めあうように互いの境遇について語り合った。
教官の”可愛がる”について、彼らは不平を洩らし続けた。教官の意外な好意に感謝していた彼には、いささか驚きだった。どういう意味なんだとしつこく尋ねた。まだ、人から、悪意を持って接せられたことのない彼にとって、驚きの連続だった。
「お人好しだなあ、君は。あいつは士官じゃないから、妬んでいるのさ俺たちを。ここを卒業したら、あいつは、俺たちに敬礼をしくちゃいけないだぞ。そんなことも知らないのか?まぁ、領地育ちの田舎ものだからな、君は」
今度は、田舎もの扱いかといささかうんざりした。やはり、本人に尋ねるのが一番と決意した彼は、思い切って、例の教官に会いに行った。もちろん、口実はあった。単純な彼でさえ、一人で教官に会いに行くのはまずいくらいわかっていた。いわゆる「ちくり」にいくとおもわれるからだった。「ちくり」は、教官たちから、奨励されていた。だだ、教官たちからは、多少の優遇はあったが、同期生たちからは、裏切り者扱いを受けた。これ以上の仲間はずれは、ごめんだった。
掃除当番の報告が、その口実となった。それは、”班長”の役目だったが、彼は「ちくり」の名人だった。それを仲間たちは、知っていた。代わりに自分が行くといいだした彼に疑いの眼を向ける者もいた。しかし、仲間の一人が、こいつは田舎もので正直者だと、半分馬鹿にしたようにいって、これからこいつに行かせようと、勝手に決め、早く行って来いと送り出した。体格もよくめざとい彼は、事実上の”班長”だった。
教官の部屋に行くのは、気の張ることだった。服装や礼儀に十分注意をしないと、逆に張り倒せられ、別の用事を言いつけられるのが常だった。彼自身はあまり、感じなかったが、まるで下僕のようだと不平を洩らす者いた。教官の「入れ」という返事を聞いて、彼は、教官室に入っていった。服装は、仲間たちが、十分点検してくれた。渋々承知した”班長”も、これ以上の仲間はずれはごめんとばかり、色々、忠告をしてくれた。
掃除当番の完了の報告を受けた教官は、点検のため立ち上がった。それから、気がついたようになぜ班長が報告に来ないのか、班長が代わったのかと尋ねた。その時は、知らなかったが、”班長”は、班員たちで決めろことが出来たことを、彼は初めて知った。”班長”はそのことを、班員に隠していた。だが、ここは、口実通りした方が利口だと判断した。”班長”交代は、後でみんなに教えれば、良いと思った。思わ。?班長になれて」
「いえ、そうでは、ありません。班長は、腹痛を起こし、医務室に参りました。それで、自分が代わりに参りました」
「そうか、でも、副班長はどうしたんだ」
「班長に付き添って、医務室に参りました」
「そうか、そういう規則だったな、よし、行ってよし」
その後のことは、まるで、悪夢のようだった。思い切って、教官に、自主訓練の礼を述べ、立ち去ろうとした彼に、教官は、別の用事を言いつけた。最も、皆が嫌がる”皿洗い”だった。真っ青になった彼に、教官は、意地悪い笑みを浮かべた。そして、彼は、悟った。あいつがいっていたことは、当たっていたと。むろん、はり倒された。そんなに”皿洗い”が好きなら、毎日、させてやろうと。いうこと逆さまじゃまないかと思った。これが、現実なんだと、愕然とした。教官は、まあ、取り敢えず今日だけだといったが、彼は、ほっとした顔を見せないようにし、何とかその場を逃れた。
”皿洗い”の口実は、すぐに見つかった。「腹痛」を起こすなんて、たるんでいると。あの教官のいいそうなことだった。教官は、同期生全員に嫌われていた。宿舎に戻り、そのことを班員に告げると、案の定、全員に「えー」という顔をされ、お前が全部やれといいだした。お前が言い出したんだからなと。俺たちはごめんだと。
「フン、手伝ってくれたら、いいこと教えてやるのに」と彼は、得意そうにいった。皆、渋々と、承知した。その夜、”皿洗い”が終わり、宿舎の部屋に戻ると、おもむろに。”班長”交代の話をみんなに話すと、なんだそんなことも知らなかったのかと、全員に、田舎ものと馬鹿にされた。知らなかったのは彼だけだった。完全に仲間はずれにされいたのは彼の方だった。孤独だった。初めて知る疎外感で彼は、ますます、自主訓練に勤しんでいった。それが、ますます、彼を孤独にしていった。”いい子”ぶるというのがその理由だった。自分を苛むことで、それを補っていった。
”いい子”ぶると評判を、班内だけでなく、同期生全員に、知らしめたのはある学科の授業の時だった。彼は、張り切っていた。やっと、軍学校に来た念願の授業だった。これは、同期生全員に言えた。田舎者の汚名を返上しようと教官の質問にも積極的に、挙手し、答えをいった。班内のまた”いい子”ぶってという声にもめげなかった。彼が間違えると、期待してた班内の班員たちに次第に驚きの表情が現れた。見当はずれの答えをいうものが多かった中で、彼だけは、正確に、答えを言い当てたからである。
実は、これには、ちょっとした”予習”があった。兄に、軍学校へ行く準備のため、色々教わったからだった。それは、軍事用語から、始まって、初期の軍略まで含まれた。兄は、弟に期待していった。自分か叶わなかった夢を託すように。
担当の教官は、ただ、「予習してきたのか」と彼に尋ねた。この教官は、士官だった。それも佐官だった。ひねくれて自分たちに接しないと判断した彼は、正直に、兄に教わったと答えた。教官は、ただ、いい兄貴だなと呟き、口にこそ出さなかったが、自分もそう実感した。少しは、面目が保たれたと思った瞬間、今度は「知ったかぶり」と罵られた。例の”陰の班長”だった。それくらい誰でも知っているさ、やはり田舎者だと。いい加減にしてくれというと。じゃこれを知っているかと尋ねられた。かなり高度な軍事用語だった。すでに軍事用語のほとんどを取得していた彼には難なく答えることが出来た。じゃこれはと次から次へと質問を浴びせた。それにも淀みなく答える彼に、ただ、”陰の班長”は、本当にいい兄貴だなと初めて羨ましそうにいった。兄弟を尋ねる彼に、自分は、ただ「長子」とだけ答えた。”新貴族”であった彼には、大きな名門の貴族の家族関係があまり、理解できなかった。そういうと、彼は、自分も”新貴族だ”とうち明けた。
軍学校に来て、初めて出来た友人だった。彼は、彼らしいやり方で、ガナッシュを助けてくれた。そして、見返りに軍事用語のを教えるいうやり方だった。これは、彼に限らず、班内の全員にガナッシュは、分け与えた。兄が惜しげもなく、自分の持てるすべての知識を与えてくれたように。
班内の競争も激しかったが、班ごとのの競争はもっと激しかった。”いい子”の班という風評も意に返さなかった。勝ったものが得をする社会だった。置いてきぼりは嫌だった。置いて行かれると、授業に出ることさえ出来なかった。中には、軍学校を去る者さえいた。みんな必死だった。激しい競争の中で、班の編制が変わった。二期生が入ってきたのである。年上の後輩を持つようになった彼に、最初、後輩は、態度が横柄だった。彼は、そいつを殴り返した。初めて、武術の訓練以外で彼は、人を殴った。彼は、後輩に「一期生に無礼だぞ」と言い捨ててその場を立ち去った。驚く二期生たちに別の一期生が、「あいつは、出来るんだぜ。名門だからと鼻にかけるなよ」と、その場にいた全員に”皿洗い”を命じた。二期生が入ってきたことで、雑用は、一期生が、二期生に命じるというやり方に変わった。一期生は、それを点検し、指導教官に報告するだけでよかった。指導教官もその後、もう一度点検をした。指導教官は、必ずといっていいほど「これは、陛下から下賜された軍学校の大事な資産である。大切に扱わねば、不敬罪で逮捕する」とまでいい、「諸君らは、陛下の家臣であるということを肝に銘じるように」と口が酸っぱくなるほどいい聞かせた。
一期生の、班の再編成で、ガナッシュは、学科組に組み入れられた。おまけに”班長”に指名された。彼は、辞退したが許されなかった。後任の”班長”を引き連れ教官の元へ行った二人に、二回生の班長は、教官が指定するとだけ告げられ班員の元に戻された。
それから、また、悪夢のような日々が始まった。武術組からの軋轢に加え、同じ学科組からも妬まれた。この”班”は、参謀組だった。みんなが、あこがれていた「席」だった。その”班長”に指名されたのである。しかも、最年少で。ただ、救いはあった。二期生からは、あこがれの目で見れられた。あらゆる噂の的だった。二期生の両親から、わざわざ挨拶を受けたことすらあった。一回生は、面会謝絶だった。
二回生になって初めて、面会日に両親と兄が尋ねてきた。兄のミゲルは、すごいじゃないか”班長”なんだってと尋ねた。
その時、彼は、ある悩みを抱えていた。一番触れて欲しくない話題に彼は、暗い顔でただ、兄上のおかげですとだけ答えた。誇らしげな家族と共に、校内を案内しながら、後輩たちに敬礼を返していった。不審そうな家族に彼らは、二期生だと答えると、父が「なんだ、随分年長過ぎないか」と尋ねた。兄が「軍学校はみなさん待ち望んでいたから、一期生の選抜に漏れて、二期になったもいるんです」と説明した。父はそうかとだけ呟き、同じ班の子たちに会いたいといった。ため息をつき「今日は面会日なんで、みんな、親たちに会っているはずだよ」と答えると、父は「ちょうどいいご挨拶しよう」といった。彼は、ますます、気が滅入った。多分、他の親たちは、”班長”の彼に、鄭重な挨拶をするだろう。怪訝な顔をするかもしれない。参謀組でも相変わらず、最年少だった。せかす父に、兄が「”班長”だからといって偉そうな顔をしないで下さい」と念を押した。「名門の方に失礼のないようにね」と、父が「そのくらいわかっているさ」と答えた。
その面会日には両親だけでなく、各家の当主もやってきていた。一族の名誉がかかっているとやはり暗い顔の班員もいた。彼もガナッシュと、同じ悩みを抱えていた。”予習”は、やはり、兵役をすませた当主の嗣子から、教わったという話だった。彼ならいいが、多分、当主もいっしょだろうと推測された。迷っていると、兄が「どうした、友達と上手くいっていないにか」と尋ねた。「期待が重すぎて」とだけとやっといえた。「なんだそんなに期待してないんだ。どうせ、落ちこぼれの組だろう」と笑った。言えなかった。取り敢えず、「副班長にあわせろ」と兄がせかした。いやだった。「嫌われ者だよ、自慢ばっかり、それで良いの」と聞くと「まあ副班長が一番難しいじゃないかな」と、訳知り顔の兄はいった。「副官みたいなものだからな」と。実は、それで嫌われているのではなかった。他の班から嫌われていた。それで、友人にあってほしいと母の方にいってみた。母は、少し、驚き、「まぁ、どんな子なの」といった。ガナッシュは「自分より年長だ」と答えた。また、驚く母に、「ともかくいいやつだから、彼、今日は誰も来ないといってたから、宿舎にいるから、呼んでくるよ」とその場を逃げるように走り去った。
ガナッシュが思いついた友人とは、例の”陰の班長”だった。彼も学科組だった。武術が、年少で体格が当時は劣っていたせいにもあって今一つだったガナッシュと違い、武術も優秀だった。噂では、武術組を指導する教官たちと学科組を指導する教官たちと争奪戦が繰り広がれたという。この話を聞き、ガナッシュが確かめると、例によってとぼけた。ガナッシュは、本当の話だと確信した。そんなすごい奴と友人になったのかと改めて、彼を見直した。
班こそ違ってはいるが、彼も、参謀組だった。当時、参謀組は二つの班があった。彼は、そちらに与していた。そして”副班長”に任じられていた。指導教官は、笑いながらもう逃げれんぞと申し渡したという。一回生の時、彼は、何度も、”班長”の話があった。肝心の”班長”が熱心に自分はおりる、年長だという理由はおかしいと言い出した。みんな、納得できる人選だった。ところが、首を縦に振らない。ずるいぞと今度は”副班長”がいった。そうやって雑用を僕たちに押しつけて、自主訓練ばかりやってと詰った。彼は「あれは、自主訓練じゃない。教官殿に呼び出されて仕方なくやされているんだ」と困った顔をした。今度は、ガナッシュが、「言い訳するなと”班長”になれよ。ならないから、自主訓練に呼び出されるのさ、君の場合は」「ほら見ろ」と”班長”がいった。ますます、困った顔になり、ついに泣きそうな顔になった。”班長”が、”ちくり”のことなんか気にするなと、励ました。ついに「ワッ」と泣き出した。みんな驚くと泣きじゃくりながら、「家」の事情だと説明した。「アッ」と”班長”が納得顔で、「俺だってそうなんだ、出しゃばるなといわれてる。だからおりたいんだ」というと、彼は、「そっちは、最年長だとう言い訳が出来るじゃないか、こっちはそうはいかないよ」とやっと、いつもに彼に戻った。ガナッシュが「ア、こいつ泣き真似だ」というと、「いやほんとにまずいんだって、来年か再来年、坊ちゃんが軍学校に行くって言って旦那様もすごく喜んで、家庭教師を雇ったり色々して下さったんだ。だから、まずいよ」と、陰の”班長”がいうので訳のわかないガナッシュが家庭教師て何と尋ねると、まったく田舎者だなとお前こそ”班長”をやれよと、”班長”の押し付け合いが始まった。それぞれ”家”の事情を語り合い、結局、元のところに落ち着いた。ガナッシュも、当然押しつけられそうになったが、最年少という理由と武術の成績が理由になった。妙な”班”だった。他の”班”は、みな”班長”になりたがった。幸か不幸か、この”班長”の押し付け合いが、返って”班”の結束力を高め、二回生に進級する時は、誰一人として、落ちこぼれもなく、進級でき、”第一班”になることが出来た。
元”陰の班長”は、部屋で、自習をしていた。ガナッシュが家族に会ってくれというと、気軽に田舎者に会いに行くかといった。その時には、相変わらず、口の悪い奴だと思えるようになっていた。実は、彼も、同じ悩みを抱えていた。でも、その日まで、まだ、ガナッシュは、知らなかった。宿舎から、面会場所の「校庭」に案内しながら、「”旦那様”は今日は来ないのかと尋ねると、「今日は混むから」とだけ、ぽつんといった。ガナッシュが「大丈夫か」と聞くと、「いや、そっちは大丈夫なんだ、坊ちゃんなんかすごく喜んでさ、気を遣いすぎた」と笑顔を見せた。
元”陰の班長”の”班”は、戦術組と呼ばれていた。ガナッシュの”班”は、戦略組である。学科の授業は、ほとんど、いっしょだった。ただ、教官から、出される課題が、違っていた。ある軍事作戦で、戦略組は、戦略面の、戦術組は、戦術面のそれぞれの課題が出された。たまに、逆の場合もあった。ガナッシュの悩みはそこにあった。自分の好成績が、兄の教えてくれた”予習”にあるのは、十分わかっていた。武術の遅れも、その”予習”が少なかったせいもある。大方の”家”では、専門の教師を雇っていた。ガナッシュは、用語を知っているだけで、選抜されたと思っていた。あるいは、ひょっとして”ヘンディ殿下”の”引き”もあるかも知れないと、漠然と思ったりした。
校庭に向かいながら、彼にガナッシュが「戦略組だといわないでくれ」と頼んだ。「何故」と聞く彼に初めて自分の悩みをうち明けた。戦略組と戦術組は、仲が悪かった。互いに、競争心を募らせて、顔を合わせても、敬礼はしあうものの、口を利くことは滅多になかった。ガナッシュは、寂しげに「”予習”」もそろそろ種切れさ、兄上をがっかりさせたくないと、落ちこぼれ組で、十分さ」といった。彼は、ふと立ち止まり「なんだそっちもか」といった。「こんなことなら、武術組に行けばよかったよ」といった。「自分の希望で、こっちに来たんだ、今さら武術組へなんか行けないさ」と、苦笑いして、「ガナッシュの兄上に相談しよう」と言い出した。不思議そうなガナッシュに、「調べただけど、ガナッシュの兄上は、参謀本部付けだったんだぞ」と、ガナッシュの、知らなかったことを初めて教えてくれた。ガナッシュは、とにかく、仰天した。兄がそんなに優秀だなんて聞いてないといった。「人違いだろう」というと、「そんなはずない、うちの先生はそれほど詳しくなかった、わざわざ、参謀将校を呼んで、勉強した」とうち明けた。彼の勧めもあって、ガナッシュもうち明けようという気になった。
校庭で待っていた家族に、彼を紹介した時、ガナッシュは、彼は、両方優秀だと付け加えた。自分は、”学科”だけは、何とかこなしているけど、そろそろ”班長”を降ろされる頃だと。兄はまた、訳知り顔で「だろうな、まあ、一回やっただけでも、大したものだ」と褒めてくれた。一方、彼の方は、いささか、緊張気味だった。早く話せと、ガナッシュをこづいた。「兄上に相談したいことがんだ」というと、父は「なんだ?いってごらん」と、子供扱いされた。「父上じゃわからない」と断ると「とうさんだって、兵役はしているんだ、いってごらん」と、次男に、甘い父だった。思い切って、”軍略”のことだというと、少し、がっかりしたように「なら、兄上に聞きなさい」といった。兄は、不思議そうな顔をした。「君から、話せよ」と、彼にいった。恥ずかしそうな彼の顔を初めて見た。恐る恐る、話し始めて、聞き終わった時、兄に、少し、誇らしげな表情が浮かんで消えた。
「すごい、じゃないか。二人とも、多分、二人とも参謀本部付けになるんだろうな。へえ。大したもんだ」
「大したどころじゃないよ、大変なんだから、作戦なんてかけないよ。なぁ」
「ええ、そうです、まだ、こちらは、戦術だからいいけど、戦略なんて書けませんから」
突然、兄が笑い出した。父が、
「ミゲル、ちゃんと答えて、相談にのって上げなさい。失礼じゃないか」
「いえ、こいつらときたら、うぬぼれもいいとこだ。いっぱしの軍略家になったつもりでいる。まあ、仕方がないけど」
キョトンとしている二人に、兄は、こう諭すようにいった。
「いいか、本物の軍略家なんて、10年、いや、100年に一人出れば、いい方だよ。何考えているんだか。幸いにして、我が王国には、”ヘンディ殿下”というすばらしい、軍略家がおられる。作戦なんて書く必要が、ないさ。ただ、その作戦が、どういうものか、理解出来るかどうかなんだ。参謀なんて。そんなもんさ」
その時の、二人の感情は、それぞれ違った。それが、今後の二人の道を分けることになる。
三日前、即位したばかりのアンドーラ王国国王、ジュルジス三世は、自分の執務室で、机に向かいペンを走らしていた。国王にふさわしい重厚な感のあるその机を挟んで、向かい合うように、二人の人物が、椅子に腰掛けていた。
一人は、この王国の自他共に認める重鎮、ヘンダース陸軍元帥。彼は、現国王の大叔父にあたり、“第四王子”と呼ばれていた。王位継承順でいうと、6番目に当たる。1番目は、現国王の一人息子、1才半になるエドワーズ王太子である。ヘンダース元帥は、親しいものたちから、以前は、「ヘンディ殿下」と呼ばれていた。現在は、「元帥閣下」か「閣下」とだけ呼ばれていた。ただ「元帥」と呼ぶのは、ごく少数の限られた人たちだけであった。まあ、本人のいないところでは、なんと呼ぼうが、いたって気さくな人柄の彼は、気に掛けかなかった。“武人”がそんな了見の狭いことでどうすると思っていた。ついでにいうと、色々と逸話に事欠かない人物ではあった。
さて、もう一人、居心地の悪い思いをしている人物を紹介しよう。陸軍中佐ガナッシュ・ラシュール。現在、陸軍参謀本部付け副参謀長に配属が決まっている。そこも、実に居心地の悪い「席」であることが予想されていた。異例の“出世”であった。彼は、王立陸軍士官学校の第一回卒業生で、一期生と称されていた。いわゆる同期の中では、最年少に属し、「軍学校」と呼ばれる王立陸軍士官学校の在学期間中、実に居心地も悪い経験を積んでいた。彼の人格形成に多大なる影響を及ぼしたその2年間は、まさに“山”あり“谷”ありの連続であった。それまで、のどかな“領地”の“領主館”で過ごした彼は、まさにのびのび・すくすく育っていた。
自身の子供時代を振り返って見ると、いかに善意の人々の取り囲まれていたことか。彼は、同期生の中で、最年少というだけでなく、成績も優秀であった。それがどれだけの圧力を彼に肉体的・精神的に加えたかは、いうまでもない。しかし、彼はそれを見事にはね除けた。卒業する時は、首席こそ逃したものの、二番目に当たる副席であった。これは、ひとえに、彼のまさに努力の賜物であった。ちなみに、首席は、彼の親友を自認するカルバス・ファンタール。ガナッシュが学科の成績だけが群を抜いて優秀なのに比べ、彼の方がいわゆる総合成績がよかったつまり、総合力で優っていた。特に学科のみならず武術の成績も優秀だった。共に、競い合い、助け合ったまさに「戦友」であった。その二人が、今、仲違いをしている。別にガナッシュの方が、出世したから、それを妬んでのことでは、決してない。カルバスは、それほど狭量な男ではない。むしろ、彼の方がガナッシュの処遇を喜んでいた。彼自身も、希望の配属先に転属が決まっていた。無論、彼も栄転である。
「文句屋もついに副参謀長殿か。大変だな、参謀長殿も。お気の毒に」
「まあ。口の悪さは、誰かが仕込んでくれたからな。そっちこそ、大丈夫か?副官殿と上手くやれよ」
「心配するなって、旦那さまが手を回してくれたくれた。もう、挨拶もすませてある。師団長殿には、そっちから、お引き合わせをお願いすることになっている」
「相変わらず、手回しいいな。つくづく感服するよ」
「俺じゃない。“旦那さま”さ。やはり、文官は、そうゆう手回しがよくないとダメらしい」といいながら、ガナッシュの杯に酒をつぎ、今夜はとことん飲もうじゃないか、と自分の杯に酒をついだ。その酒がまずかった。なかなか上等に酒では、あったが、いまとなっては後味の悪さだけが残っている、胸の中に。
カルバスのいう“旦那さま”というのは、彼の実家、ファンタール家の当主のファンタール子爵。いたって、温厚な人物である。一族の誉れだとカルバスを懸命に引き立てる。軍学校の卒業式で卒業生たちの成績が発表された時には、大騒ぎだった。なんと感極まったファンタール子爵がおいおい泣き出したのである。あれは、芝居だとひねくる見方もあったが、抱き合って喜ぶカルバスとファンタール子爵に自然と拍手が起こり、もらい泣きする人すらいた。この首席の卒業生に拍手を送るという習慣は、その時以来続いている。
「けんか」の原因は、その軍学校にあった。別に卒業時の成績を遺恨に思ってのことでは無論ない。互いにそんなことはとうに乗り越えている。卒業してから、苦労が多かったのは、当然、カルバスのほうだった。何かと、軍学校の成績が持ち出され、上官のみならず、部下の“古参兵”からも嫌みをいわれ続けた。しかし、彼は、その軋轢を見事に克服し、師団を去る時には、さすが、軍学校の首席だと言わしめたのである。大した男であるとガナッシュは今でも思っている。
なにしろ、軍学校の名誉がかかっているからなと、カルバスはサラリと言ってのけた。確かに、彼のいった通りだった。いわば、戦場でいえば、最前線に配置され、死線を乗り越え、敵の本陣につっこめと指令を受けたようなものである。軍学校の存立のついては、賛否両論が、当然あった。これは、アンドーラ王国のお国振りも反映していた。何かと、“議論”の好きな国である。
曰く、軍学校は、費用が掛かりすぎる。ただで、メシ食わして、お勉強までさせて、卒業したら、「兵役義務」は終わりました。はい、さよならじゃすませねえぜ。なあ、そうだろう。諸君。
曰く、何いっていやがる。軍学校を卒業してから「兵役義務」を果たすのさ。そんなことも知らなかったのか。だいたい、2年じゃ短すぎる。3年いや、4年くらいやってちょうどいいくらいだ、じゃないと一人前になれないからな。
曰く、偉そうなこといいやがって。そっちこそ、何年兵役やったんだ?2年ていってみろ。ただじゃすませねぜ。このおたんこなす。
曰く、なんだと、もう一度、いってみろ。このおんたんちん。
そして、最後は、ご多分に漏れず、殴り合いのけんかになる。これは、エール酒場での平民たちの“論議”の方であるが、貴族たちの方は、いささか品のいい言葉づかいをするが、内容は、ほとんど変わらない。違うのは、飲む酒と最後が剣を持つ出しての“決闘”騒ぎである。無論、“私闘”は、厳禁である。止めにはいるはずの高齢のいわば、“功”挙げ“名”なした方々が、止めに入るどころか、けしかけるのだから、なお始末が悪い。自分の青年時代を振りかえって自身がいわれたお決まりの科白、「近頃の若いもんは、だらしがない」と吐く。
「ケンカ」の原因は、自分にあるとガナッシュ中佐は今も思っている。“配慮”が足らなかったと。自分には足らないものだらけだ。今日、ここに来て、国王に指摘されるまで、彼は、自分なりに“計画”は、ほぼ完璧だと思っていた。それが、このざまだ。自分が、いかに自惚れが強いかよく解ったなと、暗澹たる思いでいた。
国王が、動いた。席を立ち、書棚のほうに歩いていった。反射的に中佐は、席を立った。何かを探し出している。なんだろうと中佐は、思った。ぶつぶつと独り言をいっている。陛下、お手伝いいたしましょうか?と声をかけようか迷った。代わりに、案の定というか、元帥が、また、うなり声で反応した。思わず、そっちを見た。目が合った。元帥の目は、笑っていた。こっちは、それどころはないのに。
「あった、あった」といいながら、“巻物”を手にしながら、元帥の方へ歩み寄って、「はい、これ」と手渡すと、また、自分の椅子の方に戻っていった。腰掛けながら、国王は、
「君もすわりたまえ」と中佐に、声をかけた。中佐は、元帥を見た。彼は椅子に腰掛けたままである。軽く頷いた。中佐は、「失礼します」といって、腰掛けた。
「ほんとに、失礼なやつじゃ。儂も、失礼なやつじゃが、儂の上をいく、無礼ものじゃ」
「閣下、それは、褒めて下さるのですか?それとも、お叱りを賜っているのでしょうか?」と中佐は、自虐的にいってみる。品よくいうとそう気持ちであるが、的確にいうと「やけくそ」である。あるいは「すてばち」か、あるいは、「やけっぱち」あたりであろう。
「それが、無礼じゃといっているんじゃ」
「お二人さん、ケンカなら、よそでやって下さい。これは、国外に出てという意味では、ありません」
「陛下。陛下は、何もかもお見通しじゃなあ。これでは、たまらん」
「何もかもお見通しなら、こんな苦労は、ありませんよ。閣下」
「その閣下は、やめてくださらんか?陛下」
「そのうなる癖をやめたら、やめましょう。」
「それが、なかなか、便利な合図じゃから、やめられんのじゃ。陛下」
国王が、顔を上げた。再び、いたずらっぽい顔になった。つくづく、魅力的な方だと中佐は、思った。
「それを見せるのは、やはり、やめましょう。返して下さい」と国王は手を伸ばす。
「そりゃ、無理というものじゃ。一度、手に入れたら、とことん使うのが、儂の性分でな、陛下」
「差し上げた訳ではありません。返していただきましょう。閣下」
「その、閣下はやめてくださらか。陛下」
「誰をどう呼ぼうが、そんなことは、自分で決めます。閣下がおいやなら、殿下にいたしますよ。殿下」
「そりゃ、もっと、始末が悪いんじゃ、ごめんこうむる。陛下」
「ご自分を「ヘンディ殿下」と呼ぶように周りに命じたのは、何処のどなたでしたかね。閣下」
「その、閣下だけは、ホントにごめんこうむる。式部卿あたりの耳に入ったら、なんといわれるか、まさしく、たまらんじゃ、陛下」
「そのとって、つけたような、陛下はやめて下さい。閣下」
「いつまでも、堂々巡りだと思うんですが、閣下」
中佐は、思わず口を挟んだ。これも、彼の悪い癖である。さっきとは、うって変わった部屋の雰囲気に、つい、参謀本部にいるような気持ちになった。元帥は、少々、びっくりしたような顔で、中佐を睨み付けた。国王も、中佐をこれまた、少々、驚いた顔して彼を見て、また、例のいたずらっぽい顔になった。発言した中佐自身も驚いている。
「余計なことをいいおって、こら」
「どうせ、無礼者ですから」と中佐は、少々、ふてくれ気味である。
「こら、すねておるのか?どうなんじゃ?こら」と元帥は、席を立ち、手にした“巻物”で中佐の頭を叩こうと、すると、同時に国王の大声が、部屋中いっぱいに響いた。
「こらっ。なにすんだ!!」
その声に、様々な反応が、出た。
まず、大声を出した本人であるが、椅子から立ち上がり、元帥の方へ近づこうとなんと、最短距離を選択した。つまり、品よく机を回ってということをしなかった。机を、まあ、登りかけたというか、机を渡ろうとしようとしたというか、まあ、そんなところである。
次に、「こら」と自分の息子といってもいい年若い国王陛下に、怒鳴られた格好の元帥閣下であるが、後で本人が、述べたところによると、「びっくり、仰天、ホント、目が回る思いじゃったぞ。あんなに、仰天するとは、儂も、まだまだ、捨てたもんじゃない」という訳で、びっくりして、動きが、止まっていたのが実情であった。ただ、何故、捨てたもんじゃないかは、今だなぞである。
さて、副参謀長という、うれしいのか、うれしくないのかよくわかない”席”に座る予定の中佐殿であるが、反射的に頭を守ろうと、これまた、両手で頭を庇っていた。よくよく、考えてみれば、元帥閣下の叩こうとしている武器は、これまた、非常に軽い武器、つまり、国王陛下が、元帥閣下に手渡した例の“巻物”である。叩かれても、痛くはない。場合によっては、非常に痛い場合があるが、それは、頭ではなく、心だったりする。彼の場合、あまり、痛くなかった、何故なら、元帥閣下の“お仕置き”は、未遂だったからもある。ちまみに、例の“巻物”の正体は、丸めた、羊皮紙である。歴史上、嘗てないほど軽い武器という訳では、ないが、それに書かれている内容によっては、非常に別な意味での“重い武器”になりえる。一国の君主を非常事態ともでは、いわないが、平常心を失いかけたような行動をとらせるだけの、“力”は、十分ある。
中佐殿は、その後の、まあ、あれこれに紛れて、その時、何をどうしたのか、よく覚えていなかった。後日、落ち着いてから、実はその日を境に公私とも多忙をきわめて、随分たって、つまり、何年か後に改めて、この時のことを当事者たちに尋ねた。この場合加害者と呼ぶべきだという本人たっての要望でそう呼ぶが、加害者のヘンダース元帥閣下の弁のよると、やはり、こやつの武術が今一なのは、”防御”一辺倒じゃという証言がある。これを参考に、ご推察あれ。
そして、最後に、ドッというか、ザァーというか、そんな陳腐な擬音しか、思いつかないが、実際のところは、パタパタあたりが、正確のようである。つまり、例のごとく、近衛兵が駆け込んできたのである。それも、次から次ぎと雪崩のごとく。さあ、大騒ぎになったというほどでもない。たった10名足らずである。
近衛兵の隊長が、おもむろに、しかし、大声で、「陛下、如何致しましたか?」と尋ねると、陛下は、「いや、なんでもない」とは答えなかった。おもむろに、ニヤッとした。そして、登りかけた机から、おみ足を降ろすと
「ちょうど、いい、大尉。この行儀の悪い元帥閣下から、その“巻物”を受け取ってくれ」と隊長の大尉に命じた。
地位からいうと、格段と上の人物のいる場面に遭遇した大尉殿ではあるが、そこは国王付きの近衛兵である。落ち着き払って、元帥閣下に手を差し出した。元帥閣下は、駄々をこねるように、かぶりを振ると
「いやじゃ。返すわけにはいかんのじゃ。わかってくれ。たのむ」と手を合わせ、大尉殿を拝むようにした。
「陛下、如何致しましょうか?」と大尉殿。その時、代わりにサッと、中佐殿が“巻物”を元帥から、奪ってしまいと同時に大尉殿の“功”も奪ってしまった。まさに電光石火の如くである。
「陛下、これで、よろしゅう御座いますか?」と、“功”をあげた中佐殿が、国王陛下に手渡しながら、尋ねると
「気が利くなあ、助かった、ありがとう。大尉、もう、よいぞ。下がってよい」と、礼を述べた。一国の王に礼を述べられて、悪い気持ちがするわけがないが、中佐は、また、居心地の悪い思いをした。ちょっと、ひねくれている。
一方、例の“巻物”奪われた元帥の方は、これまた、すっかり、“お冠”と思ったら、意外な行動に出る男である。喜色満面で、手を叩き始めた。
「こりゃ、大したもんじゃ、ガナッシュ、よう、やった。よう、やった」と、大はしゃぎである。一説によると、国王に迎合しただけだという説もあるが、本人は、そういう、国王におもねるような人物でないのは、周りがよく知っている。ただ、この行動は、近衛兵たちが、敬礼し、国王以下三人がそれぞれ、返礼をし、近衛兵たちがが部屋から出ていってからである。
さて、この行動を見た国王が、笑い出した。そして、なんと、奪い返した“巻物”をまた、元帥に手渡してしまったのである。そして、折角の“功”を台無しにされた格好の中佐は、元帥に褒められて照れるどころか、怒り出したのである。これは、国王陛下の御前で、“功”をあげたのに国王陛下ご自身で“功”を否定するような行動をとられたこととは、関係があるのかないのかは定かでない。彼の精神状態は、尋常ではなかった。国王陛下の御前で、緊張しているわけでもない。その緊張が緩んだため、あらゆる感情が吹き出したようないわば、心乱れたかのようだった。人の胸の内は、量りがたい。
ただ、正確にいうと、中佐殿は元帥閣下を叱りだしたのである。 世間でいう“説教”である。これも、意外であった。血縁の年長者以外では、初めてのことであるまいか。それは、ため息から始まった。大きなため息をつくと
「閣下、なにおっしゃているんですか。大人げない。いいですか。人をからかうのは、いい加減にして下さいよ。お立場を考えて下さい。いいですか。そんなことなさるから、師団長殿たちが、あきれかえって、ものも言えないと、おっしゃってましたよ。」
そこで、国王が、手を挙げた。気がついた中佐が、“説教”を中断した。
「中佐、師団長たちが、何をいいだしたんだ?気になるな。よかったら、話くれないか?」
「いえ、陛下、申し訳御座いませんが、申し上げる訳には参りません。どうか、お許し下さい」
「中佐、陛下に、申し上げるんじゃ、これは、元帥として、命じるぞ」
「お断りします。悪しからず、ご了承下さい」
「おや、上官の命令に逆らってもいいのか?ん」
「陛下。申し訳御座いませんが、自分には、今の閣下のご命令は、一個人としての命令と受け取れますので、拒否いたします」
「へえ、そんなことも出来るのか?」
「いえ、出来ませんけど。陛下」
「儂を嫌っているじゃ、陛下。こやつは、すっかり、図に乗っているんじゃ」
中佐は、再び、ため息をついた。
「閣下、個人的にいわせて頂くと、閣下のことは、好きですよ。閣下のお好きな言葉で、申し上げるならば、“武人”として、尊敬もしてます。むしろ、崇拝に近い。でも、近頃なんか変ですよ。閣下らしくないって。そんなところです。ついでに、図に乗ってるというご指摘には、その通りです。反省してます」と、ふと口をつぐみ、自嘲の笑みを浮かべた。陸軍の副参謀の”席”に座るだけのことはある、なかなか、すごみがある。
国王陛下は、机に肘をつき両手をあごの下で組み、その上に、若々しいその端正な顔をのせて、元帥閣下とその忠実な部下であろう中佐殿の二人の様子を見守っていた。そして、ご感想を述べられた。
「なかなか、興味深いな」
「何に、興味を持たれたんじゃ。陛下」
元帥閣下は、なかなか有効な“武器”の“巻物”を手にしたまま、それを活用とは、しない。一度、活用しようとして、国王陛下に、たしなまれた。ここは、慎重さが、要求されるところである。
国王陛下は、今度は、あごから、そのご尊顔をはなし、椅子の背もたれにより掛かった。
「お二人の、関係ですね、閣下」
「閣下は、やめてくださらんか?陛下。しかし、こやつとの関係とは、どういう意味じゃ。陛下」
国王は、元帥の質問に答えなかった。別なことを、宣った。
「読まないなら、返してください。閣下」
「やめてくだされというと、余計、そうなさるんじゃな、陛下。この性分は、誰に似たんじゃろ?」
「さあ、知りませんね。読まないんですか。声を出さずにという意味ですが、閣下」
「読めと、いうご命令じゃろうな、陛下」
「いえ、それほどのことではありません」と国王は、中佐をチラッとみて、付け加えた。
「個人的、意見です。閣下」
「意見とは、面白い、陛下」
「どうなさろうと、つまり、ご覧になろうが、ならさらないのは、ご自由にという意味です。閣下」
「陛下、儂は、自由奔放すぎるという向きも、あるんじゃ、どう思われる?」
国王は、なぜだか、不機嫌そうな顔つきになった。
「話しかけないで下さい。閣下」
「陛下、ご命令とあらば。その代わり、こやつに、説教でもくれてやろう」
「それは、別な場所でやって下さい。閣下」
元帥は、ご命令とあらばといいながら、席を立った。
「今すぐとは、いってません。もう、ちょっと、待っていて下さい。ともかく、邪魔しないで、それでも、読んで、大人しくして下さい。いいですね。閣下」
元帥は、大人しく、国王陛下のご命令に従わなかった。
「やはり、出直そうか。ガナッシュ」と、中佐を促し、部屋を退出しようとした。国王が、引き留めた。
「余は、退席を命じてはおらぬ。その席でお待ちなされ。まったく、扱いにくい人だ」と元帥を睨み付けた。
「いいですか。断っておきますが、余は、そなたを、まだ、親任したわけではない。それをお忘れなく」
これには、滅多なことで、驚かない元帥も、中佐も驚いた。
「別に、王権を振り回すつもりは、毛頭ないが、父上のお気持ちが、ようおく、わかった。まったく、いい加減にして下さい。ほんとに怒りますよ。閣下」
「からかったつもりは、ないんじゃ、武官は、迅速が、必須条件じゃからな」
「それをここから、持ち出さないで下さい。そうやって、わたしの邪魔をするようだったら、邪魔できないようにしますよ」と、ここで、国王は、吹き出した。クスクスと笑い声を立て始めた。
「どうなさったんじゃ?陛下」
「別に、ともかく、ここにいて下さい。それ、今、読まないなら、もう、一生、読めませんよ。二度と目にすることはないでしょう。どうしますか?」
「うーん、けちくさいのう。陛下」
「けちで結構」と国王は、ピチャリといった。
アンダーラ王国陸軍元帥閣下ヘンダース王子は、実に、扱いにくい人物であった。係累上から、新国王の、大叔父ににあたり、立場上、新国王と微妙な関係である。だが、この時の国王が、扱いにくいといったのは、むしろ、元帥のいわゆる“性分”から、発生する、様々な、波紋のような出来事であろう。ともかく、何かの騒ぎの元をたどれば、彼に行き着くという有り難いのか有り難くないのか、そういう風聞のある人物である。ともかく、いろんな影響力のある御仁である。
国王は、元帥から目を離し、ペンをもう一度、手にとって、“仕事”に戻った。彼が、手にしたのは、“駕ペン”である。当時でも、古風な筆記用具である。新しき物好きなアンドーラでは、すたれつつあった。彼自身も、結構、新しき物好きではある。が、彼は、“駕ペン”の書き心地が好きだった。伝統を重んじてのことではない。
一方、国王に軽くいなされた格好の元帥閣下は、自分の言動によって、国王の“親任”が危うくなったためであろうかそれとも、一生一度の機会を逃すまいとしたためであろうか、大人しく、“巻物”を開いて、読み出した。文を読み上げる声は出さないが、うなり声は、相変わらずである。
再び、居心地の悪い中佐殿は、居心地の悪いどころではなくなった。居たたまれなくなった。国王の“親任”という言葉に、動揺していた。これには、自分にも、責任の一端がある。先ほどの「師団長云々」がまずかったどうかと。じばらく、自問自答を繰り返してから、彼は、結論づけた。
「陛下は、邪魔しないでくれと、今は、ここで“待機”せよと、解任では、あるまい。他に、誰を、選ぶというのか、この大事な時に、そんなことはなさるまい」と、楽天的な見方をした。こういう時は、これに限る。まあ、どうにかなるさである。しかし、どうにかならないのは、彼の、“計画”であった。
中佐は、手持ち無沙汰をまぎらそうと、まずは、そっと、国王の様子を窺った。偵察は、“軍略”の基本である。国王は、何か書きながら、ブツブツいいながらこれまた、物音を立てている。時々、顔を上げ、空を仰いでは、軽く頷く、そして、書き物に戻る。中佐は、“偵察”の結果、こう結論づけた。これは、覚え書きを書いているところだと。元帥の、“解任状”ではあるまいと、祈りながら。内容について確認したければ、後方に回って覗き込めば、可能であるが、危険すぎる。“敵”に悟られる可能性が大である。こちらの“偵察”は、この程度にし、もう一人の“偵察”に、“斥候”を送り出した。“斥候”は、彼自身の「目」と「耳」である。“偵察”の基本である“気配”は、かき消した。この“敵”は、なかなか用心深いが、読んでる“巻物”に注意をとられ、“気配”に気づく様子はなかった。時々、うなり声をあげている。これも、重要なてがかりだ。これまた、後方に周り、読んでる内容を確認するのは、危険だし、だいたい推測できた。一生の一度の機会を逃さなくても、簡単に結論が出た。宰相の「進退伺い」である。確かに、滅多に、お目に掛かる代物ではない。何度も、読み返している。暗記でもしてるのだろうか。
中佐は、“偵察”を終えると、ぼんやりと、膝の上に置いた自分の手を見つめた。別に“戦闘要員”の確認では、ない。「戦場」は、別のところにあった。彼の、頭の中というか、心の中に。いろんな葛藤が、そこにはあった。
「軍略家」を目指してるガナッシュ・ラシュールは、軍学校時代、「文句屋」と異名をとった。つけたのは、親友のカルバス・ファンタール。彼は、アンダーラ王国軍・陸軍の最精鋭「師団」と呼ばれる「第十二師団」に配属が決まっている。今は、彼のことは、ガナッシュは、思い出したくなかった。辛すぎる。
思い出したくないと思うと、意に反して、思い出したくない人物の顔ばかり浮かぶ。そこで、またぞろ“計画”が、頭に浮かんだ。それを振り払おうと、首を振りたかったが、我慢した。じっと手を見ながら、彼も“待機”した。
さて、持ち場に戻った、国王陛下の由々しき事態を収めたのか収めなかったのよくわからなかった国王付の近衛兵隊長のサッカバン・バンデーグ陸軍大尉殿であるが、”執務室”の扉の廊下側に立ち、耳をそばだて”室内”の様子を探った。別に、国家機密を収集するためでは、ない。これは、先程は事なきを得たが、即位したばかりの国王陛下のお身の上に由々しき事態が起きないようにする身辺警護というのが、彼と彼の部下の重要任務である。この盗聴は、彼らの重要任務を遂行するために、必要不可欠な行為である。上品ぶって、聞かない振りをするのは、”無能”な証拠である。姿勢を正したまま、聞き耳をたてる。が、扉に耳をつけるような下品なやり方は、許されない。
職務上、国王陛下と言葉を交わすことになったこの大尉殿は、実は、扉の向こう側にいるガナッシュ・ラシュール中佐と、王立陸軍軍学校で、同期だった。ただ、同じ”班”では、なかった。一回生でも、二回生でも。しかし、不仲というほどでもない。最初は、不仲とまではいわないまでも、競争相手であった。個人的にではない。彼は、”班長”だった。責任感の強い彼は、うまく”班”をまとめ、ある程度の成績を収めていた。向上心をあおられ”班”ごとの競争は、熾烈だった。最初は、よかった。第一位こそ逃がしたが、良いところまでいっていた。そこへ、突然、第一位の”座”を中間ほどの成績から、奪ったのが、ガナッシュとカルバスの”班”だった。理由は、学科だった。基礎的な学科能力を復習すると、軍学校らしい専門的な学科の授業が、始まった。ともかく、目立っていた。サッカバンも”予習”はしてあった。年齢的にいうと、彼は、中間層に当たる。自信があった。ガナッシュは、それを上回っていた。すぐ、これは、と思った。第一回の授業が終わり、彼に話しかけようと近づいた。そこへ、同じ”班”のカルバスが質問を浴びせ始めた。聞いたこともない単語が次から次と出てきた。答える方もさすがである。淀みなく答えていく。カルバスは、「兜」を脱いだ。サッカバンは、それどころではなかった。これからは、学科が、どれだけ重要視されるかよく解っていた。それを学ぶための軍学校といってもよかった。”班”に帰り、「班員」たちにあいつら凄いといった。”副班長”が、用語を知っているからといって、どうってことない、要は、”軍略”をたてられるかどうかだと。確かにそうかもしれない。
サッカバンの”班”は、学科の”復習”と”予習”をかねて、自分たちで”自主訓練”を始めた。消灯まで、お互いのこれまでの学科の知識を持ち寄って”補強”に努めた。一人、詳しいのがいた。第二回目の授業には、それなりの自信を持って、臨んだ。しかし、勝てなかった。
貴族の特性として”恥”をかかないように振る舞う傾向がある。サッカバンは、そこに着目した。”恥”をかいてもいいじゃないか。ここは学校だ。学ぶためにきたんだ、知らないのは”恥”でもなんでもない。聞かない方が損をすると。
結局、授業は、ガナッシュの独壇場に終わった。悔しかった。カルバスは、ほとんど発言しなかった。それも、不気味だった。10日ごとの成績が、発表され、第一位は、彼らの”班”、サッカバンたちは、第三位になった。そこで、サッカバンは、少し策謀をめぐらせた。”第二位”を蹴落とすために、”第一位”と手を組むことを。そこで、”第一位”の班長に共同の”自主訓練”を持ちかけた。
「うちにも“軍略”に詳しいのがいるんだ、なぁ、組まないか」
「班の連中と、相談してみるよ、じゃあな」
「よろしく、頼むぜ」
うまくいくと思ってた。ところが断ってきた。他の”自主訓練”で忙しいと。何の?と尋ねると、武術とだけ答えて、いそいそと立ち去った。武術があの”班”の弱点か、自分たちも”補強”した方がよさそうだと”帰班”すると、”班員”たちにそういった。あいつら、宿舎にいないと「副班長」が報告した。今は、消灯前の点呼までの短い自由時間である。なら、我々もといって、わずかな時間を惜しんで武術の”自主訓練”にいそしんだ。
第三回目の授業まで、少し、間があると思っていた。抜き打ちで”筆記試験”があり、その夕刻、成績が、発表された。”第一位”が、上位を独占した。やられたと思った。しかし、妙だと同時に思った。確かに、彼らは、自由時間を「武術」の「自主訓練」に当てていた。自分たちもいっしょだから、それは、わかっていた。どういう訳だろうと、もう一度、共同の”自主訓練”持ちかけてみた。また、断った。
「自分たちだけよければ、それで良いのか」と詰め寄った。相手は、少し、困惑気味だった。
「”自主訓練”じゃないんだ。教官殿に呼び出されているんだ。そんなわけでな、折角だけど」
初耳だった。下の成績のものたちならともかく、”第一位”のものを呼び出すとは。ハッと思った。慌てて、”帰班”し、このままじゃ置いて行かれると、自分の考えを述べた。
「教官殿たちは、下の奴らなんかより、上の連中を鍛えようとしてるんだ。まず、”第一班”を一人前にし、次ぎに”第二班”という訳さ」
「そういえば、”第一班”は、今度から、当番は免除されてる。そんなのないよ」
「思い切って、教官殿に”自主訓練”」のお相手をお願いしよう」
班長のサッカバンが、武術担当の教官に頼みにいった。
「熱心だな」
「やはり、皆、自分の弱点を補強したいと、考えております」
「むずかしい言葉を知っているな」
「ご指導をお願いできませんか」
教官は引き受けてくれた。自分たちから、言い出した手前、後には、引けなかった。過酷な”訓練”に皆、耐えた。
結局、二回生に進級するまで、”第一位”は、抜けなかった。”第二位”と”第三位”が、毎回のように入れ替わっただけで終わった。サッカバンは、武術組に編入された。少し、無念だった。
久しぶりにみる同期生の姿に、サッカバン大尉は、深い感慨にとらわれそうになった。これじゃいけない。任務中だ。姿勢を崩さぬように気を引き締め、耳をそばだて、目は、油断なく、廊下の様子をうかがう。廊下は、配置についた近衛兵だけである。「室内」も「廊下」もシンと静まりかえっている。
実はサッカバン大尉は、一つ、「悩み」を抱えていた。個人的でもあり、職務上の「悩み」でもあった。交代したら、直属の上官にでも相談しようかと思っていた。実は、父親のことである。父親の素行が悪いとかそんな話ではない。息子の自分から見ても、尊敬できる人物だと思っている。立派すぎて、気が引けるという訳でもない。武官らしく、気さくな人柄である。同じ武官の道を選んだ自分にあれこれとなく助言や忠告してくれる、いい父である。
それが、「困った立場」になった。父子ともにである。窮地とまではいかないが、互いに「やりにくくなった」のである。
アンドーラ王国では、各貴族の「私兵」を解体するにあたって、なるべく同じ血縁関係のあるものは、同じ「師団」に配属させず、バラバラにするという方針をとった。いろいろ抵抗はあったが、結局、バラバラの方が、“功”をたてる機会が増えるとう「説得」に応じ、次第にその傾向が深まった。一族の誰かしらその機会を与えられるというか、その方が、下のものたちには、都合がよかったのである。えこひいきなく、上官は、能力のある部下たちを、選び、可愛がった。一方、上官たちも同じ「師団」に血縁関係者が、いると、一族の「恥」になってはと、気を遣う。その傾向が、貴族の「私兵」の寄せ集めから、「国軍」らしい姿に変えていった。いつしか、血縁の近いものは、同じ「師団」に配属しないという不文律が、出来上がった。
ところが、同じ、「近衛」に配属になってしまった。大尉の父は、「近衛副連隊長」である。それも国王付である。当時「近衛」は「師団」と呼ばずに「連隊」と呼んでいた。人数が、少ないので、「師団」とまで、いかなかった。同じ連隊に配属されたことをまずいと互いに思っている。
「悩み」を抱えながら、サッカバン大尉は、扉の前で任務に就いている。姿勢は、崩さない。しかし、あいつも出世したもんだと、扉の向こうのガナッシュ中佐に少し、羨望がわいた。いけない、勤務中だ。集中、集中。しかし、扉の向こうの「室内」は、静かだった。
ガナッシュ中佐は、椅子に腰掛けたまま、自省していた。“戦況”にあまり、変化はない。「カサカサ」と音がなった。思わず、そっと音の方を見る。国王が、紙をめくっていた。視線を、元に戻す。今度は、「シュルシュル」という音。ヘンダース元帥が、羊皮紙を巻き戻している。国王が顔を上げ、元帥に声をかける。
「読み終わったのなら、机の上に置いて下さい」
元帥は、おどけたように
「ご命令とあらば、陛下」といって“巻物”を机の上に置いた。国王は「書き物」に戻りながら、少しムッといた顔をしたが、何も、言わない。
再び、静かになった。音といえば、国王が、「書き物」をする行為のための「音」だけである。いろいろある。が、中佐は、“偵察”は、しない。再び、自省に戻った。
ふと、頭の中を閃光が走った。それは、例の“計画”への賛意を国王から得るための有効な手段となるはずであった。
王国内で「軍略家」と称されるのは、目の前のいるヘンダース元帥ただ一人である。その彼は、この中佐殿をこう称した、「ちっぽけな策謀家」と。これは、つい最近のことである。そして、今日は「策略家」だ。「軍略家」への道は、遠い。「策謀家」と「策略家」とどちらが上のなのかわからないが、褒め言葉ではないことぐらいはわかる。自分の評価についての考察は、後で、じっくりすればいいと思い直し、中佐殿は国王をもう一度説得する「計略」を練った。しかし、あきらめの悪い男である。
“正面突破”からの“攻撃”で、見事、“玉砕”した彼は、「搦め手」からの策を練り始めていた。それは、一筋の「光明」のように“計画”を照らすように輝き始めた。しかし、それが、「甘い罠」だったとは、その時の彼には、知るよしもなかった。
国王の“牙城”は、“天然の要害”の地に恵まれていた。これは、別に「宮殿」の話ではない。「王権」という権威というか権力のことである。“計画”の実行には、国王の同意が必要不可欠であった。実行されない計画は、紙に書いた絵空事である。先ほど、元帥の「命令」を拒否して見せたが、軍学校で上官の命令に絶対服従という教育を受けた中佐には、国王の権力がいかばかりかよく知っていた。それは、認めざるえない。しかし、“抜け道”くらいは、あるはずだ。彼は、その“抜け道”を用心深く探った。しかし、その道は、よく崖崩れがおこる難所で、しかもそれはあたかも、いたずらな弟王子が落とし穴を随所に掘りそれを上手く隠していたとは。
“抜け道”は、あった。あるいは、もう一度、試す価値はある。“計画”に執着しているのは、個人の功名心から出たとことでは、決してない。アンドーラの将来が、かかっているのだ。決意を固めると、「計略」を点検始めた。再び、自信を取り戻しつつあった。
しかし、これからの彼の行為は、「軍略家」を目指す男としては初歩的な失敗を幾つも重ねることになる。
まず、「同じ手は、二度と使えない」ということを忘れて、かれは、実績ある「作戦」だと思いこんでしまった。やはり、同じような“堅牢”な“城”を落城に追い込んだばかりだ。“敵”は、降伏し、彼の旗下に入った。しかし、二番煎じの感をぬぐえない。“城”が、もっと“名城”ならば、なおさらだ。彼は、“敵”の若さを見くびった。
次ぎに、彼は、“退路”を確保するということを忘れていた。「逃げ道」を確保するの大事なことだということは、家に忍び込む「コソ泥」でも知っている。初歩の初歩である。この「逃げ道」を「進入路」に用いたことで、“敵”は、そこに追い込み、彼を身動き出来ないようにしてしまうのだが。やはり「軍略家」への道は、遠い。
そして、「軍」は「攻め」よりも「退く」時が難しいという。だが、彼は、「軍」を退かなかった。一旦、退いたかに思えたが、それは、“敵”の思わぬ「馬術」という“攻撃”にほうほうの躰で逃げ帰ったのが本音であろう。しかし、今度の「作戦」には、使える。転んでもただじゃ起きない。だてに、軍学校を副席で卒業した訳ではない。しかし、これが、もっと彼を窮地に追い込むのである。
しかし、無敵を誇るアンドーラ王国の陸軍である。多才な人材を要していた。「武」一辺倒のやり方は、しない。必ず「投降」を呼びかける。「能弁」の士が、至る所にいた。そこで彼は、鍛えられていた。口八丁手八丁というやつである。さすがに「副参謀長」殿。見事に“敗残兵”を掻き集め始めた。
無論、“予備兵”は残してある。“敗残兵”と“予備兵”で、もう一度“部隊”を編成し直す。いきなり、“攻撃”なんて“号令”はかけない、時間の許す限り“訓練”を施す。“部隊”の弱点を補強しながら、強化をする。“点検”の自問自答を、胸の中で繰り返しながら、“敗残兵”の情報も“計略”に入れて、“敵”を攻略する機会をうかがった。
しかし、この行為は“予備兵”と“敗残兵”まで投入して、無謀な“攻撃”を仕掛けるだけであった。やはり、“全軍出動”を命じるのは、考えものである。守りが手薄になる。
新国王の「評価」には、中佐殿の知っている限りは、およそ三通りの「評価」があった。アンドーラは“論議”の好きな国である。口達者な連中は、王家に対しても、それを俎上にのせることにやぶさかではなかった。ましては、今、最もはやりの話題である。
曰く、なんか頼りねえェな。国王は、優柔不断だが、幕僚会議には甲冑を着込む位の気構えがあったけど、王太子ときたら、それすら嫌だといって、おきれいなお妃さまにうつつ抜かしているって話じゃないか。頼りねえェけど、国王と王妃が後見すれば、何とかなるだろう。なぁんか頼りねえェなぁ。
これは、大部分の武官たちの「評価」である。
曰く、王太子は、開明的すぎる。平民たちを優遇しすぎる。これは、慈悲の安売りである。これは、救貧院を創立した王妃の悪影響である。この弊害を取り除くには、譲位によって自立を促し、王権とは何か自覚を持たせるべきである。
こちらは、いわゆる「新貴族」の文官たちの「評価」である。かつて、「平民」だったものもある彼らは、元の仲間たちと一線を引きたがる傾向があった。平民の大部分は貧しく愚かしいだけと軽蔑し、その中で利口な平民の台頭を怖れていた。アンドーラは、貿易国である。ここにきての商業の発展には目を見張るものがある。商人たちの大部分は平民であるが、財力はあった。それを取り上げ、自分たちの“力”を蓄えることに精力を注いだ。
曰く、王太子殿下は、お若いがなかなか話のわかるお方でな。やはり、ご自分も爵位をお持ちだから、その苦労はわかると仰せられて、今さら、女王陛下のご即位の云々は、そろそろ水に流すべきだとお考えのようだ。むしろ、これからのアンドーラのために手を貸してくれと仰せられて、こうやって手を取られて。本当に有り難い。儂らの気持ちをようくおわかりじゃ。
これは、いわゆる名門貴族たちの感想である。名門貴族に幾らか冷淡であったジュルジ二世に対して、期待を込めて新国王の誕生に手を貸した。新たな“恩”を売り、自分たちの復権を夢見ていた。
そして、「評価」どころか、自分たちの保身のため疾走しているものもいた。彼らは、ジュルジ二世の時世の元、手を変え品を換えの政策に右往左往していた。
そして、また、平民たちの「評価」は、やはりあるにはあったが、むしろ、平民の“味方”は、“国王さま”といういわば、盲目的な忠誠心が大部分であった。彼らは、貴族の特権を憎み、「国軍」に参加することによって、貴族の「家来」ではなく、国王の「家来」になることを選んだ。貴族と同じ「家来」であるから。
「評価」は、様々だが、大部分は、戴冠式の美酒に酔っていた。物わかりのいい先王の崩御という訃報を聞かずにすんだから。
“敵”の“城”は、まるで隙だらけだと中佐殿は、結論づけた。別に“敵”が「書き物」に勤しんでいたからではない。論理の矛盾点を幾つも見いだした。決定的な手がかりになるはずだった。“点検”を繰り返しながら、“待機”した。勝利の雄叫びが聞こえるようだった。
この時の自分の“完敗”ぶりを、彼は、自嘲を込めて、後日、友人にこう語った。
「まるで、燃えさかる火事場に水の替わりに油を被って、飛び込んでいくようなものさ、全身、火だるまになってしまった」と、飲み物を手に持ちながら、ゆっくりそれを見つめた。この時の飲み物は、「茶」である。先日の愚を繰り返すまいと、「酒」はやめ、手に入れたばかりの「茶」を友人に振る舞った。
「茶」は、その当時、アンドーラに広く流通し始めた、はやりの「飲み物」で、友人も喜んだ。この「茶」は、ある地方の特産物で高価だったが、ガナッシュには、伝手があり手に入れたものだった。
「そんなにすごかったか?」と友人は、ゆっくりお茶を飲みながら聞き返した。
「すごいというもんじゃない。完膚なく、叩き伸されたね」
“敵”の国王陛下は「書き物」を終えたようだ。ブツブツと独り言をいいながら、読み返している。時々、書き加えている。“友軍”の元帥閣下の方をうかがう。彼は、こちらに寝返ったばかりだ。当てには、出来ない。
国王は、机の上で、トントンと紙をそろえながら、
「お待たせしました、閣下、それから、中佐殿も」
今だと中佐殿は、思った。さりげない口調で
「陛下、よろしいでしょうか」と国王の許可を求めた。
「何ですか」と丁寧な応対の国王陛下。
「はい、陛下。では、先程、軍学校の件で、元帥閣下の勘違いと申しますか、一寸、訂正させて頂きたいのですが」
「軍学校」という単語を発したとたん、元帥の咳払いが始まった。怪訝な顔で国王は、
「訂正というと?」
「はい、陛下。現在の場所に移転してから、8年ということで御座います。創立から13年になります」
咳払いが止んだ。
「そうでしたっけ?元帥そうでしたか?」
「儂に恥をかかすのが、好きなんじゃ、こやつは。陛下」
「そういう問題では、ないでしょう。勘違いは、誰にもあることですから、閣下。どっちが正確なんですか」
「陛下、よろしいでしょうか」
「いちいち、許可はいらない。どうぞ、中佐」
「陛下、軍学校では、卒業生を、一期生、二期生と数えます。今は、十一期生まで、無事卒業いたしました。卒業式には、ご臨席を賜ったと伺っております」
「確かに、いきましたよ。なかなか、感動的でしたね、弟も、あそこに入れようと思いましたけど」
「ランセル坊やの方じゃな。陛下」
「その話は、また、後で。閣下」
新たな、情報をえて、中佐は、“部隊”を慌てて、“点検”し、再び、国王に発言の許可を求める。いよいよ“出撃”である。
「いちいち、許可はいらない、手間取るだけだ、迅速を、忘れるな」と少し、国王は、イライラしてきた。
「陛下、申し訳御座いません。それでは、てっとり早く、伺います。海軍の兵学校へは、平民の入学のご許可を与えたと伺いましたが、これは、誤報でしょうか?」一の矢は放たれた。
国王は、中佐をジッと見た。中佐は、無表情を装った。国王は少し、うんざりしたように
「また、この話ですか。しつこいな君も。つまり、平民には、士官になれる道が残されているわけだ。無論、昇進という道も。この話は、これで、おしまいだ。いや、一寸、待てよ」と国王は、少し、上を仰いだ。
中佐は「勘違い」した。国王が、考え直し始めたと。彼は、待った。ところが、“友軍”が足を引っ張った。
「陛下、何故、海軍へは、許可なさったんじゃ、それとも、先王陛下か?」
国王は、両腕で伸びをしながら、
「両方で、意見の一致を見ました。海軍の補強は急務です。優秀な人材が欲しい。という訳です」
しかし、と言いかけた中佐を遮って、国王が、キッと中佐を睨みながら、
「中佐、君は、海軍のことは、どの程度知っている?ほとんど、知らないだろう。失礼だとは思うが、元帥閣下もそれほど、提督ほどでは、ありますまい」
「あの御座る殿が、両陛下にご無心したんじゃな。あり得ることじゃ、これは、たまらん」
「そんなことは、ありませんよ。陸軍の補強も考えています。ご心配なく。だいたい、兵役義務を果たすのに、たいていは、陸で果たしますからね、総体的に人数が、足らないのです。海軍の話より、陸軍の話に戻ります。一寸、思いついたことがある」と国王は、再び、ペンを手に取った。
中佐は、期待を込めて、見守った。しかし、話は、意外な方向に進展した。
「元帥、陸の中で「工兵」といって、いろんな職人仕事をする連中が、いるでしょう?甲冑を造ったり、剣やその他の武器を造ったり、そういうものたちは、どうなっていますか?」
「儂は、それほど、詳しくはないんじゃ。何をお知りになりたいんじゃ、陛下」
「つまり、彼らの、処遇ですよ、兵卒ですか?下士官ですか?中には、下士官待遇を受けているものもあると聞きましたが?」
「あの、下士官のものもおります。陛下」
「そう、彼らの仕事ぶりは?巷で、「親方」と呼ばれる程度ですか?中佐」
「陛下、詳しいことは、わかりませんが、腕は確かなものも、おります」
「一寸、調査してくれないか、それも、早急に。君、筆記用具は?」
「いえ、あの」と中佐は、口ごもった。
「じゃ、これ、使い給え。」とペンを差し出す、国王。元帥の方を見ると、こちらも、空を睨んで、うなっている。迷っていると、迅速と国王がいった。あわてて、受け取る。
しかし、妙なことになった。「妙」どころではない。画期的なことである。中佐殿は、なんと“敵”の替わりにその椅子に腰掛け、その机に向かう羽目になった。無論、「玉座」ではない。「玉座」ではないが、かなり、いわゆる礼儀作法という観点から見れば、大問題である。ただ、椅子を譲られた中佐殿は、国王陛下のこの行為を礼儀作法を重んじるよりも、「実用」を重んじる人物であると結論づけた。確かに国王ジュルジ3世は、そういう面も持ち合わせているが、そう単純な男ではない。
中佐殿は、“偵察”を繰り返しながら、“敵”と“友軍”の出方を見守った。一国の王がご愛用する「椅子」である。座り心地は、悪くない。だが、中佐殿は、その座り心地を楽しむ余裕はなかった。この余裕のなさが、彼をその後、敗北に導くのであるが、やはり「工兵」も重要である。崖崩れや落とし穴の多い道を進軍する時には。
さて「椅子」をあっさりと中佐殿に譲った“敵”の国王陛下であるが、ご自分の考えを纏めなさろうと、後ろ手に手を組み室内を歩き始めなされた。ごく、ありふれた行為である。人は何か考える時、何故か、足を動かしたくなる。足が考えるわけではないが、手足を動かすとことによって、何かしら「脳」に刺激を与えるのかもしれない。
国王自身は、この若い中佐殿の正体をこう推察していた。この「譲位」に関して理由の一つにあげられたある「軍事行動」があった。その「軍事行動」を起こす「理由」は、王太子だった彼自身の発案であったが、これを知るものは数少ない。その「軍事行動」にあたって、どう「行動」をさせるのかの具体的な計画については、陸軍元帥であり、王国随一の軍略家のヘンダース“第四王子”のそれではなく、若い軍学校出の陸軍士官が立案した作戦を用いたということである。多分、立案者はこの中佐殿であろう。元帥が同行させたのは、いろんな理由があるだろう。別に、自分の寵臣の部下を紹介するためではあるまい。また、この作戦が見事成功を収めた“ご褒美”に連れてきた訳でもなかろう。この「軍事行動」は、つい4日前まで王太子だった新国王は何も聞かされていないことになっている。彼は、「軍事行動」に賛同しなかったという姿勢を当分守ることになっていた。無論、残念ながら「軍事行動」を知ったのは、すでに遂行され、全て終わってからであると。「軍事行動」に激怒した王太子は、国王に「譲位」を迫り父親に替わってその座についたという“噂”すらある。そして、今、この「軍事行動」の後始末に追われている。
国王は、この武勇に秀でた大叔父を高く「評価」していた。先程“解任”を匂わせたが、無論、本気ではない。大叔父もそれは十二分に承知し、いわば身内同士のじゃれ合いみたいなものだ。彼も彼の大叔父もこの王国と王家に忠誠を誓っていた。その忠勤ぶりは、より多く国王である自分に求められていると彼は、考えていた。この若い中佐殿はどうだろうか。「宰相」にその後任を育てることも示唆したが、彼は、「元帥」の後継者となるべく器であろうか?
いや、無理であろうと、国王は思った。大叔父は多様な「地位」を持っていた。大叔父に替わる存在は、弟である大叔父の名付け子くらいだ。大叔父には、生まれながらに得た「地位」もあれば、その“才”によって得た「地位」もある。多分その方面での「後継者」ならわかる。
そして、国王は、自分の「地位」ついてこう考えていた。自分は文官であり武官でもあると。そして、両方の「長」であると。「軍権」を人任せにするほど、お人好しではない。「軍権」を一手にその才能と人望によりつかんでいるように見える大叔父には、「王権」に対する「野心」はまったくなかった。大叔父の言葉を借りれば「ごめん蒙る」である。まだ年若い国王にとって幸いなことである。大叔父は、「武人」であることを誇りにしていた。そして、その生涯その姿勢を貫いた。
さて、「武人」を持って演じるヘンダース元帥であるが、空を睨み、友軍である海軍の「補強」を考察していた。時々「うーん」とうなり声をあげる。これも、人が、考えあぐねている時によくやる仕草である。陸軍は、自分の勝手しった「戦場」ではあるが、海の上となるとそうはいかない。元帥は、己をよく心得ていた。海軍を率いる提督の手腕を高く「評価」していた。亡くなった父は、海の公爵と評されたが、彼の記憶では、いわゆる「外洋」に出たことはない。無論、自分もそうである。
いわゆる「席次」では、「陸」が上だった。元帥は「席次」にこだわる男では、決してない。ないが。これは、使えそうだ。うーん。やはり、「陸」は「陸」、「海」は「海」と割り切った方が良さそうだ。うーん。面白いケンカになりそうだ。あの「御座る殿」なら、乗ってくれそうだ。うーん。なにしろ、自分は、根っからの「戦」好きである。この性分は一生なおらん。うーん。
さて、ここで、中佐殿の「敗戦」の理由であるが、つまり、何故負けたかというと、彼は、“武器”の選択を間違えたのである。彼は、「利を説いて諭す」戦法をとった。簡単いうと、屁理屈を言って国王をへこまそうとした。無論、感情論も用意はしていた。それらの“武器”は、全て取り上げられ、まさに返す刀で切り替えされた。
ついでにいうと、この中佐殿、「負け知らずの男」ではない。訓練の“一騎戦”では、よく負けた。「負け知らずの男」は、そこにいるヘンダース元帥の異名である。いわいる“一騎戦”で負けたことがない。負けそうな相手とは、戦わないという向きもあろうが、何しろ「王子」である。臣下にも花を持たすのも「王子」の務めである。「負け知らず」異名は、むしろ「団体戦」つまり「軍」を率いて負けたことがない。これも、大軍である「国軍」と貴族の烏合の衆の寄せ集めではという向きもあろうが、「国軍」とて初期には、烏合の衆だった。それを彼は、近代的な組織だった「国軍」に編成していった。制度作りだけではない。いわゆる「用兵術」も巧みだった。まさに「戦」の天才である。この彼が、どれほど、王家の安泰に寄与したかいうまでもない。そして彼は、自分の生まれた家を誇りに思っていた。
実は、この「負け知らずの男」は、チョッピリ負けた気がしている。別に海軍のことではない。甥に先を越された感がある。「孫」である。ジュルジ二世は、初孫を見せびらかし、孫がどれだけ可愛いかと自慢するのである。王制という世襲制で権力の移譲を行う政治制度では、「跡継ぎ」の誕生は、王家にとって実に目出度いことである。ちなみに、3男1女をもうけたジュルジ二世に対して自分は、1男だけである。別に子供の数が多ければ偉いというわけではないが、ある意味では偉いのである。王家に人が増えれば、王家の安寧安泰に繋がる。元帥は、まだ、孫は欲しくはない。老けた自分になりそうだし、孫にうつつを抜かす自分なんて見られたもんじゃない。しかし、うーん。あの馬鹿息子なんとかならんか。うーん。
話は、勝ったり負けたりの中佐殿に戻る。何故、国王を「屁理屈でへこます」ような大胆な行動に出たのか。無論、へこまされてしまったのは、中佐の方であるが。彼は“一の矢”の効果のほどを手度耐えを感じていた。やはり、人の意見に耳を貸しそうだと“敵”を見つめていた。実は、その“矢”は、“敵”にあたらず、その手で回収され、再び、自分に向かって放たれていたのにも気がつかなかった。これでは、負けるわけである。「軍略家」への道は険しく遠い。
この、国王をへこます行為については、「不忠」のそしりをぬぐえないが、この中佐、王家にそれなりの忠誠心をいだいていた。ここ何代か“いい王様”が続いていた。そして、彼自身の家は、多大なる恩義を王家から蒙っていた。
国王は、「海軍」を持ち出したこの中佐殿の“魂胆”を見抜いていた。この大叔父に“説教”を食らわすだけの「度胸」の持ち主である。むしろ、彼の欠点はその「政治」に関する偏狭な見方である。彼が目指すのが「軍略家」なら、自分は「政略家」であろう。臣を育てるのも、国王である自分の「仕事」だと思った。
国王は、先手必勝と打って出た。
「まず、陸軍軍学校の平民の入学は、いっさい認めない。これは、徹底してくれ」
中佐殿は、ペンを動かさずに、ジッと国王を見た。
「どうした?早く書け」と振り向いて、国王は、自分の椅子に腰掛けている若い武官を促した。武官は悪びれずにサラッといった。
「陛下、自分には、納得できません」
なかなか気骨のある男だと国王はおもった。先ほども、元帥の「命令」を拒否した。「勅命」はどうであろうか?
「君が、納得しようがしまいが、わたしには、関係ない。君は、武官だろう。上官の命令に逆らうのか?これは、個人的命令ではない。国王としての勅命に等しい」
「陛下、陛下は、軍の実情をあまりご存じないから、そういうご決断をなされるのです」
中佐は言い過ぎたと内心ヒヤッとした。しかし、国王は、魅力的な笑顔である。これはしめたと「軍略家」を目指す男はそう思った。しかし、これは「政略家」であるべきだと心がけている男のまさに「甘い罠」であった。笑顔から、少し眉を顰める。
「どういう実情だ?」
「上官を信用しない兵卒では、使い物になりません。兵卒の大部分は、平民です。そして、上官である士官は、平民出身は皆無と言っていいでしょう。ここに、身分制度の弊害が随所に現れています。」
「身分制度の弊害なぁ」と国王は考え込む。身分制度の頂点に立つこの男は、次の手を打った。まあ“側面攻撃”とでもいうか、“奇手””というべきか、この室内では最も身分の低い男のスキをついた。
「君は、王制廃止論者か?」と、国王。伯爵の次子は動揺した。意外な盲点をつかれた。
「自分は、違います。陛下」と、忠臣であろうとする父の息子は答えた。
「こやつは、「新貴族」の出じゃ」と、王家に忠誠を二度誓った男が、付け加えた。もう一度、誓っても悪くない。何度だって誓ってやる。
「閣下、この際、そんなことは関係ないでしょう」と、軍学校の“改革”を目指す男は、話を戻そうとした。
「いや、ある。まぁこの話をし始めるとキリないしなあ」と“論議”好きの王国の王はいった。
「どうしますか。このわからんちんの納得させるのは、大叔父上がなさいますか?」と、“楽しみ”を分けるのは、ケチでないことを証明して見せた。
「それが、この駄々っ子は、なあ、扱いにくいんじゃ」と“楽しみ”を高見の見物と洒落込んだ男は、安全地帯に逃げ込んだ。国王はプッと吹き出した。笑いながら、余裕綽々である。きまじめな男は、国王を説得する、“部隊”を再点検した。
「大叔父上に駄々っ子といわれるようじゃどうしようもないですね。少し、甘やかし過ぎたんではないんですか?やはり、上意下達を徹底していただきましょう。君がそんなのだから、部下がいうことを聞かないのさ」
ともはや誰も命じるものがいなくなった男は、命じるより、別のやり方で人を動かす策に出た。部下に命令を諫められた経験を持つ男は、その策に乗った振りをした。
「平民は貴族を信用しません」と、自分の論理を展開しようとした中佐を国王が軽くいなした。
「君の経験から、そういってる訳か。そりゃ、君の勘違いだよ。そうじゃない。聞き給え。平民が貴族を信用しないのは自分たちが悪いのさ。貴族だって平民を信用しない。これは、身分制度ではなく、軍の本質が問題なんだ。誰だって、死ぬのはいやだからな。死ねと命令する人間を誰が信用する。君は武官だろ。多分死ぬのは戦場だとか思っているのかもしれない。だが、兵卒の大部分は無事兵役を終えて家に帰ることを願っている。違うか。平民にはむしろ、文官への道を勧めるね。まぁ武官になりたきゃ海軍いう手もある。選択肢はいろいろだ。うらやましい限りだ。諸君たちは。父上ほどではないが、職業を選べる君たちがうらやましいね。そうだ、思い出した。海軍にも佐官以上は、騎乗と書いてくれ」と、国王は、呆然としている中佐にいった。若いなとふと思った。しかし、中佐は、動かない。
「儂が、代わろう。座り心地のいい椅子じゃろうて。これ、どかんか、これ」といつの間にか、中佐のすぐ右に回った元帥が、両手で彼を追っ払う仕草をした。
「それほどでもありませんよ。閣下」
椅子から立ち上がり、元帥に席を譲る間に、転びかけてた“体勢”を立て直し、中佐は“部隊”を戦闘開始を命じた。
「陛下、陛下は何故、そのように馬にこだわるんですか?」
「その方が、何ていうか見栄えがするだろう?格好いいじゃないか。いいなあ、目に浮かぶようだな」とまだ十代の国王らしく無邪気にいってみる。中佐は、あきれ果てた。そんなことで「馬術」にこだわっていたのかと。椅子に腰掛けた元帥も、うなっている。うーん。さぞや、見ものじゃなあ。早く見てみたい、海軍の騎馬隊を。
「陛下、いくら何でもそういう理由では、いかかがと思われますが」と思わず苦笑いがでた。国王はもう一押しとばかり今度は駄々を捏ねてみる。
「いやだね、馬に乗って隊列を組んで伺候しなきゃ。宮殿には入れない。あ、文官は、馬車でいい。歩くなんて格好悪いよ、大叔父上はどう思われますか。海軍の連中」
「儂も、是非見たいものじゃ」と元帥は、ニヤニヤと国王の口車に乗ることにした。
「そうでしょう、父上も、母上あたりも、そうだ、ミニーも見たがるでしょうね」
中佐は、再びあきれ果たが、気を取り直し、この馬好きの国王とその大叔父を諫めようと
「いい加減にして下さい。陛下」
「いい加減にするのは、君の方だ」と一転して、国王の威厳を漂わせた。まったく変幻自在である。中佐はその術中にはまった。
「何にも、わかちゃいないな、君は。人というものが、よくわかっていない」
「陛下こそ、何もご存じじゃないですか、お若いから無理もありませんが」と、この若さで国王という権力を握ってそれをおもちゃのように扱うこの青年をどう国王の自覚を持たすべきかと中佐は、決意を新たに立ち向かった。
「君こそ。若いね。平民の救済なんて考えているのか?やめ給え。それは、わたしの政策には、そういう文言は、一切必要でない」
まさか。中佐は、開明的なのは先王だけかと暗然とした。
「わたしがいっているのは、人は何でも序列をつけたがる性質を持っている。いや、群れをなす動物にはそういう特性があるそうだ。何でもいいんだ、自分より下のものがいると安心する。あるいは慰められるといった方がいいかもしれない。わかるかね、このあたり」
中佐は、国王の真意を測りかねていた。この大人と子供が同居している人物は、アンドーラの命運を握っているのだ。
「陛下、仰せの通りかもしれませんが、これと、馬は別な問題です」
「別では、ない、重要なことだよ。君が武官の道を歩むきっかけは?」
中佐は、言葉を失った。幼い頃の思い出が甦った。”当世甲冑”を身につけ、騎馬で颯爽と領主館に兄は現れた。自分も大きくなったら、あのように兵役にいくのだとあこがれた。黙り込んだ中佐に国王は言葉を続けた。
「なんだった?ん?まさか歩兵を見てあこがれたのではなかろう。君は、貴族だろう。貴族の子弟は、重騎兵か軽騎兵にあこがれをもつものさ。無論そうでないものもいる。だが、武官を目指すものの大半は、馬を乗り回す騎兵にあこがれる。ちがうか」
まだ、無言の中佐に国王はなおも言葉を続けた。まるで、中佐は心の中を見透かれたような気持ちになった。完敗である。ガナッシュ・ラシュール陸軍中佐は、自分の“計画”を断念せざるえなかった。その“計画”はやがて日の目を見ることになるのであるが……




