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アンドーラ王国史  作者: 双葉 司
チェンバース王家ージュルジス三世
2/5

主君と臣下

時は溯って、アンドーラ王国、国王ジュルジス三世の戴冠式直後に戻る。

譲位した父親のジュルジス二世のメエーネへの船旅の出発を見送ったジュルジス三世は、不機嫌な王太后をなだめる間もなく、早速、国政に乗り出す。

まず、元宰相のニーベル・カルチェラ伯を国務大臣に任命する事を決めると、陸軍元帥との面談の予定だった。陸軍元帥のヘンダース”第四王子”は、メレディス女王の二番目の息子で、新国王の大叔父にあたる。彼は、面談の場に予定にない部下を同行してきた。

 即位をして約一年半のアンドーラ国王のジュルジス三世は、その愛する王妃と王太子のいる部屋に向かった。その部屋は、国王夫妻の寝室の右隣にあった。護衛の近衛兵が、部屋の前に立っていた。国王は、顔なじみの近衛兵に軽く頷き、近衛兵は、部屋の扉をサッと開けた。国王は、音をあまりたてないように部屋に滑り込むように入った。

 案の定、王妃と王太子のエドワーズは、寝台で眠り込んでいた。エドワーズを寝かしつけている内に、添い寝をしていた王妃のミンセイヤも、疲れからかスヤスヤと寝息を立てていた。夫で父親のジュルジス三世は屈み込み、その息子と妻の頬にキスをした。二人とも気がつかない。キスをした彼は、微笑んだ。

 異国風の名前を持ち、異国のやはり一国の君主の家から、彼のこの王国に嫁いだ妻の王妃を、若い国王は、愛情込めて、“ミニー”と愛称で呼んでいた。

 妻の耳元で「ミニー」と囁きながら、夫は、王妃を揺さぶり起こした。長い睫毛をしばたけさせながらミニーは、目を開けた。そのふよかな赤い唇の口も、まぁとばかり開きかけた。

 国王は、人指し指を唇に当て「シィー、エドワーズが目を覚ますよ」と妻に囁いた。王妃は、息子の方に振り向きその寝顔を見つめた。国王も、注意深く息子の寝顔を見つめ、

「よく、眠っているようだな」とやはり、囁き声のまま妻に言った。王妃も、やはり囁き声で、

「ええ、昼間よく遊んだから、グッスリ」

「じゃあ寝室に行こうか、ミニー」

 若い国王夫妻は、寝台で眠り込んでいる息子が目を覚まさないように、気をつけながら、その部屋を出た。国王は、妻の細い肩を抱きながら、王太子時代から使っている自分たちの寝室へと向かった。


 そして、時は少し溯る。

 父親のジュルジス二世の退位とジュルジス三世の即位に当たって、各種の問題点が、多々あった。その一つが、王宮の部屋割りだった。息子は、その父親よりも、母親に気を配った。“国王の寝室”は、そのまま、先王夫妻の寝室になった。その取り決めに母親は、当然のように振る舞った。まあ、彼女にしてみれば、多忙な時期に、住み慣れた部屋を替わるのは、周りの手を煩わせるだけのように思えたからでもある。

 一方、夫のジュルジス二世にしてみれば、譲位に伴う様々な儀式に捕らわれて、妻のエレーヌ王妃の機嫌まで取っている暇までなかったし、その気もなかった。どの道、妻の機嫌がなおさら悪くなることを計画していたからである。彼は、機嫌の悪い妻とその寝室をおいて、他国に出かけるつもりでいた。だから、寝室は、彼にとってどうでもいいことだった。どうせ、使わないのだから、彼自身は。

 譲った形の息子は、どうでもよくはなかった。国王のそれより狭い、しかし、それでも十分広いその部屋は、思い出の詰まった部屋だった。しかし、譲ったのは、思い出のためではなかった。彼は、“譲歩”を尊重していた。彼は、自分の母親をよく知っていた。権力欲が強く、一度、手に入れた権力を手放すとは到底思えなかった。妻のミンセイヤは、その点、淡泊だった。君主の家から、君主の家に嫁いだ彼女には、いわゆる上昇志向がなかった。これ以上、上昇する必要がなかったせいもある。何しろアンドーラ王国の女性の身分で、王太子妃の上は、王妃だけだった。それも、手に入れた。ミニーは、思い出の詰まった部屋が好きだった。これで十分だった。

 譲歩と引き替えに、夫のジュルジス三世は、王冠と玉璽の他に色々なものを手に入れた。その一つが人望である。王太子時代に、出過ぎないように気を遣っていた彼は、彼の若さを危ぶむ重臣たちの危惧を一掃した。先王夫妻が国政を補佐することを拒まなかったのは“分をわきまえている”と映り、部屋を譲ったのは“立場をわきまえている”と捉えられた。

 もう一つ、学んだことがある。それは、公私に関することだった。私的な部分は、質素でよいと。むしろ、その方が“家庭的”だった。これは、肝に銘じた。これは、父親も賛同した。彼は、息子にこう助言した、「普段は切り詰めることは切り詰めて、大事な時には、バンと使え」

 その大事な時の戴冠式に、父子は、その費用を惜しまなかった。その金額にたじろいだ息子に、父親は笑って「これで、余の葬儀の費用が安く済む。それに、“国母”のそれもな」と、思いがけない指摘をした。この先王の言葉が後々まで、その息子を苦しめた。

 戴冠式が無事済むと、父子はそれぞれの計画に取りかかった。まず、父は、船で東の国メエーネに向かった。その出航が、戴冠式の三日後という慌ただしさだった。父は見送る息子に「これで清々した。余は船旅は初めてなんじゃ。以前から、船旅はしたかったんじゃ。こりゃ、楽しみじゃな。まぁ、後のことは、そなたに任す。国王なんじゃからな、陛下。頼むぞ。ただ、エレーヌのことは、女官長のキルマに頼め。あれの前だと、エレーヌは、妙に行儀がよくなるんじゃ」といい、自分より背の高い、頷いた息子の肩に両手をおき、さらにこう言った。

「そなたは、余よりもずうっと才能があるんじゃ。自信をもて、よいな。余は、政治とやらが嫌で嫌でたまらんかった。だが、それももうじき、終わる。余は、一人息子じゃたから、仕方がなかった。父君が、あんなに早くなくなるとは思わんかった。余は、義務は果たしたと思う。そなたを育てて、王位を継がせた。やっと、肩の荷が下りた」

 肩にその荷を担わせられた新国王は、何も終わらなかった。全てが、始まりだった。課題が山積する中で、寝室のことなど些細なことに思われた。しかし、あらゆることを諮詢(しじゅん)しているようにも思えた。新王太后は、その寝室に居なかった。やはり、譲らなかった彼女の居室にいた。父の見送りから帰った息子に、母は、冷たい声で詰った。

「どうして、引き留めなかったの?」

 冷徹に息子は、母のエレーヌが取り乱していないか、観察をした。その横には、父の言っていた女官長の陰気なキルマ・パラボン侯爵夫人が侍っていた。ハーンなるほど。のんびりと肩をすくませながら

「わたしが、父上に対してどんな権限があるというのです?ご存じならば、お教え下さい、母上」

 母は、目を細めると、のんびり屋の息子に

「何いっているの。権限ならいくらでもあるわよ。何ていったってお前は、国王なんですから。誰にでも命令できるのよ。そんなこともわからないの」

 ついに彼は悟った。母親の政治感覚とはその程度のものかと。しかし、それを表には出さなかった。

「母上も、ご一緒に行けばよろしかったのに。父上は、船旅は初めてだと、仰せられていましたよ」

 そののんびりとした言い方が、王太后の怒りを誘った。

「そんなこといって、わたしを追い出そうなんてそうはさせませんよ」

「誰も、そんなことは申し上げていませんよ、母上。ただ、父上が、あまりにも楽しそうに見えたものですから。多分、船旅の楽しさをヘンディあたりが、吹聴したのでしょう。それで、一度、船旅をしてみようかと思い立たれたのでは、このところ、ご心労でしたからね。母上は、父上から何か伺っていませんか?」

 母は、息子の質問に答えなかった。息子は、王太后に一礼し、部屋を出ていこうとした。突然、王太后は思い出した、船旅に浮き浮きと出かけた夫よりも、大切なことを。

「お待ちなさい。お前に大事なお話があります。そこにお掛けなさい」

 息子は、おとなしくその命にしたがった。今や、国王である自分に命じることができる権限を持つのは、王太后の指摘通り、国王である自分だけだと思いながら。いっそ、国王になった息子を、未だお前呼ばわりする母の王太后にお前呼ばわりするなという“勅命書”でも突きつけようか。いや、いくら何でも大人げない。

 素直に椅子に腰掛けた息子に、慈愛を込めた目を向けながら母は切り出した。

「とっても大事なことなの。父上のいない今、お前は国王なのだから、しっかりして貰わなくては。実は……」

 王太后のいう“とっても大事な話”は、息子の新国王には、検討がついていた。それに対する対応策もきちんとあった。

 王太后のとっても大事な話は、宰相のことだった。王権の移譲に伴い、これまた辞任していた。連帯責任というわけである。失政というわけでは、ない。むしろ、旧国王と宰相の打った手は、王国における王権の拡大という王家にとっては有り難い結果をもたらしていた。貴族には有り難くなかったが。

 じわじわと、貴族たちを追いつめる彼らに、“公爵家”という貴族出身のエレーヌ王妃が手を貸した。何故なら、もう彼女は、王家の一員で貴族ではなくなったから。

 王太后の話が終わるのを待って、まだ、のんびりと息子は

「それなら、父上がお帰りになるのを待ってからでも、遅くないでしょう」

 のんびり屋の息子に、母親の堪忍袋の尾が切れた。

「遅いわよ。父上もいない、宰相もいないお前が、どうやって、国を治めるの?全然わかっていないのね、お前って子は」

 お前呼ばわりの次は、子供扱いか。国王は、苦笑いを隠した。それが、息子を心配して助言しようとする優しく利発な母に感謝する笑みに見えるようにと願いながら。

「宰相の件については、父上から伺っております。父上は、こう仰せられてましたよ。じらしてやれと」

「じらすとは。まぁ、父上らしいわ、まぁ」と、母は、心からの笑みを浮かべた。あの人らしいわ。一見、優柔不断にも思える夫が、果敢な決断をすることがある。その結果が、退位とは残念なことではあったが……

 息子も笑みを再び、王太后に返した。

「あと、もう一つ、仰せ承ったことが、あります」

「なんなの?聞いておくわ」

 何気なく息子は、母に切り出した。それは、母が苦手とする科目だった。

「戴冠式の費用を計算しとおけと」

「まぁ、費用の?」

「ええ、帰るまでにやっておけと。一応、一ヶ月の予定だと伺っていますが、もう少しお早くなるかもしれません。お叱りを受けないように、早めにやっておきます」

 新国王は、今や王太后に成り下がったエレーヌ元王妃の居室を出ていった。それを見送ると、王太后は、横で控えていた女官長のキルマに声を掛けた。

「キルマ、今、聞いたことを、ペラペラしゃべっちゃ駄目よ、いいわかった?」

 腹立たしいほど慇懃に、キルマは、畏まりましたと一礼した。

 王太后は、有頂天だった。権力はまだ、しっかりと自分の手にあった。息子の自分譲りの気位の高さを知っている母は、息子の丁重なその態度が心地よかった。気がかりは、夫の“船旅”だったが、それも解決した。宰相の座をめぐって争う貴族たちを逃れ、じらすために船旅に出かけたのだと。そして、少し、楽しむために。

 彼女の二番目の息子のヘンダース王子は、海軍にいた。父親の命で、彼は、兵役に従事していた。王子が、何もそこまでと母親は反対したが、彼は、名付け親の陸軍元帥を崇拝していた。海軍に決めたのも、名付け親の“引き”があっては、甘えが出るということだった。果敢な息子に、王太后は感服し、そして、誇りに思った。勇猛な息子は、こういってのけた。海の上はすばらしいですよと。

 王太后は、ため息を一つつくと、最近始めた刺繍台の前に座った。これは、なかなか上品な趣味だった。刺繍糸を選びながら、彼女は思い描いた。宰相の座を彼女にねだる貴族たちの姿を。


 女官長キルマ・パラボン侯爵夫人の思いは、別のところにあった。彼女の見たところ、王太后は、権力の座から滑り降りそうに思えた。権力は、王太后の夫と王冠をかぶった息子に集中していた。息子の方はまだ未知数だが、夫の方はしっかりと握っていた、妻の手を通じて。

 彼は、女性の扱いが巧みだった。王妃の陰に隠れて、しばしば貴族たちの矛先をかわした。今度は、王冠をかぶった息子がその身代わりなるのだろう。“鼻”が利くキルマには、はっきりとわかった。後は、息子の新国王だ。彼を子供扱いする王太后に、彼は腰が低かった。これも父親譲りか?王太后は、この事実に気がつきもしなかった。見せかけの権力者の座に座っていた。

 キルマは、かなりの信頼を先王から得ていた。それは、彼女自身が、エレーヌ元王妃に比べて、容姿に恵まれなかったためでもある。ジュルジス二世は、王妃の嫉妬を買わずに気兼ねなくキルマと会うことができた。女官長になって初めて彼女は、ジュルジス二世が、貴族たちの評判と違うことに気がついた。彼は、妻の王妃の手助けなしでは何もできない無能な国王なんぞではなかった。むしろ、その評判すら利用する利口な男だった。無論、妻もいわずもが、利用した。彼は、何でも、妻に相談した。そして、最後は妻に躊躇して見せた。「宰相が、なんというかな」と。あるいは、それが、陸軍元帥だったり、海軍提督だったりした。キルマ自身だったりしたことすら、ある。いきなり意見を求められ驚くキルマに、ジュルジス二世は、こういった。

「女性の意見は貴重じゃぞ。余はそう思っているんじゃ。だから、色々尋ねる。何しろ、女王陛下の造った王国じゃからな」

 その、言葉を聞いて図に乗るようなキルマではなかった。王妃の嫉妬を警戒した。それは、夫の忠告によるものだった。夫のダンカン・パラボン侯爵は、容姿だけで妻を選ぶような愚か者ではなかった。彼は、妻の利口さを高くかっていた。そして、女官長の職に就いた妻にこういった。美しくない女は、美しい女を妬む。それと同じように、自分が利口だと思っている女は、利口な女を妬む。だから、気をつけろと。

 キルマの見たところ、エレーヌの弱点は、その自信過剰にあった。心の中では、キルマは、王太后をそう呼んでいた。確かに自信を持っていい条件を王太后は、持っていた。王国随一だった。その王妃という地位といい、実家の家柄といい、容姿といい、その頭脳といい、何もかもそろっているように思えた。だが、その自信を揺らがせるような存在が現れた。キルマではない。エレーヌの眼中にキルマはいなかった、幸いなことに。

 それは、新国王の王妃ミンセイヤだった。彼女は、エレーヌの上をいった、家柄とその容姿が。それだけでも、エレーヌの嫉妬をかった。それに、若さもあった。幸いに、ミンセイヤは、エレーヌのような政治的野心は全くなく、むしろ、義母の度重なる叱責にも、鷹揚に習慣が異なるせいだと受け流していた。ミンセイヤの夫、ジュルジス三世は、異国の習慣になかなか慣れない新妻を、母から庇った。時に強い口調で、言い返すことすらあった。今まで、ほとんど口答えしたことのない従順だった息子の反撃に、ますます、エレーヌの怒りが募った。そして、最後は、父親で夫のジュルジス二世が仲裁に入った。彼は、嫁を庇ったりはしなかった。彼は、あくまでも利口だった。そして、息巻く息子にこう諭した。

「親のいうことに逆らうようでは、いかんぞ。下の弟たちや妹が真似をする。それに、これでも余は、国王じゃぞ。王妃のいうことは、国王のいうこと同じじゃ。逆らう道理はなかろう。よいな。しかし、確かにミンセイヤは、エレーヌと違ってのんきじゃからのう」

 王太子のジュルジス三世は、この国王の最後の言葉を聞き逃さなかった。

「ええ、そうなんです。のんきというか、母上と違って、一を聞いて十を知るようなわけには、いかないんです。頭は悪くないです。ただ、慣れないことが多すぎて」

 エレーヌ王妃は、この言葉に溜飲を下げ、今度は、別の不安がその頭をよぎり始めた。自分がいなければ、息子夫婦はどうなることやらと。息子夫婦だけでない、アンドーラ王国の命運が掛かっていた。なにしろ、夫も頼りない。自分がしっかりしなくてはと思った。

 これらの出来事を、女官長という立場から見ていたキルマは、新たなこの譲位がもたらした、権力の移行について計算し始めた。

 だが、さすがに“鼻”の利くキルマでも、王位の譲位の真相を知るのは、ジュルジス二世の“行方不明”が起きた後になる。


 さて、王冠を譲り受けた新国王は、自分自身の計画に取りかかった。否、父の計画もそれに含まれていた。何故なら、彼は、もはや国王なのだから。彼に命じることができるのは、アンドーラ王国には、もはや誰もいなかった、母の王太后を除いては。母のそれには、命じられても従わなければいいと達観していた。彼は、先達の例に倣って、隠れ蓑を使うことにしていた。当分は、父上がなんと仰せになるかで済むはずだった。彼は、自分の父が決して、無能なんかじゃないことを知っていた。父の優柔不断さは、その政治嫌いにあった。だが、それが、皮肉なことに功を呼んだ。不決断が慎重さを呼び、不決定が中庸を呼んだ。そして、国王にありながら国政に携わることをさけたがる自分の罪深さをうち消すため、一心に国政に勤勉といえるほど打ち込んだ。その成果は、表れつつあった。

 息子の国王の“政治好き”は、母譲りだった。だが、才能は?これは、母からではない。むしろ、無能を自称する父親であろう。彼には、息子の才能を見抜くだけの“目”があった。そして、何人かの重臣もそれに気づいていた。その一人、元宰相のニーベル・カルチェラ伯爵は、国王の執務室で、戴冠したばかりの年若い国王を待っていた。

 国王は、軽い足取りで執務室に入ってきた。その頭の上には、王冠がなかった。これは、父親と同様であった。ジュルジス三世は、儀式用でない簡素な造りの王冠さえほとんど被らなかった。元宰相の自分より質素な平服の若い国王は、剣だけは身につけていた。この姿に元宰相は、微笑ましくなった。一礼をしながら、「陛下」と呼びかけた。それに軽く頷いて見せ、国王は王太子時代と何ら変わりなかった。でも、何かが変わる、その何かを元宰相は期待していた。

「カルチェラ伯、とりあえず、余はここを会議室に代えようと思う。いや、もう決めた」

「会議室で御座いますか」と問い返しながら元宰相は、ご自分のことは“余”と言い始めたなと思った。国王は理由を説明した。

「謁見の間で、会議を開くのは考えものじゃ。そうは思わぬか。そなただって、書類を見たいであろう。数字を間違えないために。余は、あの部屋は、儀式用じゃと思う。会議のための部屋じゃない。取り敢えず、新しい執務室に参ろう。何、前と替わっておらぬ。引っ越すのが面倒なのでな」と笑った。

「前と仰せられると、ああ、あの部屋は、少し狭く御座いませんか?陛下」と元宰相は、王太子時代を思い浮かべた。部屋割りについて王宮も、やはりそうであったと元宰相は、思い当たった。だが、何を遠慮することがある、今や国王陛下ですぞ、あなたはと元宰相は思った。

「それが、狭いなりに工夫をしたら、愛着も出たし、使い勝手がようなった。会議を開くのは、この部屋でよい。父上とも相談の上、そう決めた」と、国王は歩き始めた。元宰相は、慌ててその後を追いかけた。

 新しい執務室に入ると、若い国王は、スタスタと丁度入り口の扉の真向かいにあるどっしりとした重厚な大きな机を回り込み、机の前の椅子を引いた。立ち止まり部屋の中を見回している元宰相に「そなたは、初めてか。取り敢えず、座らぬか」と、机を挟んで、置いてある椅子を指し示した。

「いえ、初めてでは御座いませんが、工夫をなさったと伺ったので、どのあたりかと」といいながら、元宰相は勧められた椅子に近づいた。だが、まだ腰掛けない。

「ともかく、座れ。国王の名においてそなたに命じる、その椅子に座れ」というと、元宰相の新しい主君は笑いだし、

「国王としての最初の命がこれではな、先が思いやられるか?」

 ようやく、椅子に座った元宰相は、少し居心地が悪かった。

「いえ、陛下。そのようなことは決して」

「いや、いい。その陛下と呼ばれるのさえ、余は慣れておらん。お互い慣れていないのだから、少しくらいの不作法は、大目に見よう」

「恐れ入り奉ります。陛下」

 陛下と呼ばれた青年は、鷹揚に頷いて見せ、さて、本題に入ろうといった。元宰相は、緊張した。

「まず、そなたの処遇じゃが、前と少しもかわらぬ、替わるのは、名前だけ。父上から、聞いておったか?」

 緊張が解けぬままの元宰相は

「一様大まかなところは、伺っておりますが」と、国王に説明を促した。

「つまり、やる仕事は、ほとんど、同じじゃ。少し、替わるかもしれんが」

「しかし、それで、皆が納得しましょうか?陛下」と、元宰相は“陛下”が、取って付けたようでないので安堵しながら、“宰相”の座に戻ることを、一応は、辞退した。彼の新しい国王は、不適な笑みを浮かべ

「フン、納得できぬのなら、納得させるまでのことじゃ。“勅命”に逆らう気があるなら、それまでもことじゃ。それとも、勤める自信がないか。カルチェラ伯」

「陛下、それが、あるようなないような。先王陛下の御元でしたら、それなりの自負は、御座いますけど」

「あるようなないようなか、そのくらいが丁度いい。あまり、自信たっぷりじゃと代えって足元を(すく)われる」

「恐れ入り奉ります、陛下」

「ともかく、慣れてるそなたが、やるのが一番いい。まあ、当分の間は」

 “宰相”の座に帰る元宰相は、少し、不安になった。思わず、

「陛下、当分と仰せられますと?」

 だが、彼の国王は、再び、フフンと笑い

「そなたは、幾つじゃ?カルチェラ伯。余は、若いぞ。30年勤めるのは、無理であろう」

 カルチェラ伯は、安堵のあまりふうと息を吐き出した。国王は、念を押した。

「カルチェラ伯。この困難な時期に引き受けてくれるな」

 カルチェラ伯は、立ち上がり、

「陛下、この未熟者を引き立て戴き、恐れ入り奉るばかり、精一杯、勤めさせて戴く所存で御座います。それと同時にどうか、ご自愛なされて、……」と、そこで、国王が、片手を挙げて遮った。

「もう、よい、ともかく、座れ。主を見下げるものではない。とにかく、引き受けくれて、余も安堵した。さて、これからが、本当の本題じゃ」

 カルチェラ伯は、もう一度、座り直した。


 国王との会談は、ほぼニーベル・カルチェラ伯に満足を与えた。頭も切れる国王が、自分に信頼を寄せてくれるのも有り難かった。しかし、全ては始まったばかりだ。例のゲンガルス公爵領での戦役のことは、陰に当時の王太子がいることを彼は、よく知っていた。何しろ、彼は宰相だったから。だが、少し気になることはあった。たいしたことではないが、国王に言わすと“宰相”と言うのは、元来、軍政も司るものだと。だが、彼に軍権はなかった。それは、別な人物が握っていた。それから、国王は、こうも言った。国王は“国を統り”その元で宰相は“国を治める”のではないかと。これは、なかなか面白いと、“元宰相”は、いい、国王も、時間があったらこの話を父上と三人で、ゆっくりしたいものだと。アンドーラは論議の好きな国柄であった。

 カルチェラ伯の満足は、別に、彼自身が肩書きこそ違うが、ほぼ同じような役職に就いたからだけはなかった。無論、それもある。若くて“有能な”国王の元で、働くのがうれしかった。彼は、国を憂いていた。先王のジュルジス二世は“無能な”振りをすることで幾つか、利点を見いだしていた。その、一つが今度は、足かせになった。エレーヌ王妃の干渉である。先王は、しばしば妃に意見を求め、それを尊重してきた。しかし、言うがままでもなかった。そして、言い訳に自分を使った。宰相がなぁ反対すんじゃと。気の強い王妃は、宰相の自分を呼びだし、説明を求めた。弁解は、したくなかった。

 王太子妃時代から聡明だった彼女は、それなりに理解し、理解できないことは、夫と共に、勉強した。それは、それで良い。何かと王妃を立てるジュルジス二世なりの、王妃操縦術でもあったから。だが、彼女の興味は、文政に留まらなかった。政治を学ぶにつれ、軍政の重要性に気がついた。ジュルジス二世の統治時代の重要政策でもあった。“軍”について学ぶだけならまだしも、口を挟み始めたのだ。しかも、夫を通じてではなく、直接的に。これは、ある人物を激怒させた。怒らせては、非常にまずい人物を。

 まあ、カルチェラ伯自身も、あまり、愉快ではなかった。だが、彼女の勉強熱心さは、王太子に、良い影響を与えた。当初、彼女の元で、彼は国政について学んだ。やがて、弟子が、師を追い抜き追い越していった。これは、王国の将来を考えると、彼の不愉快さなど、些細なことだった。

 元宰相は、これは正確に言うと、辞表を出した宰相だった。その辞表をジュルジス二世は受け取らなかった。そなたが辞めることはない、余が辞めると留意された。これには、少々慌てた。だが、ジュルジス二世の決意は固く、受け取る相手の無くなった辞表は、中に浮いた。しかし、夫の退位に噂に激怒したエレーヌ王妃が、動いた。彼女は、息子の王太子と現れ、彼の辞表を受け取るように、王太子に勧めた。王太子は無表情にそれを受け取った。これは以外だった。王太子は、これまた無表情に、後任はだれが良いと尋ねた。しかし、エレーヌ王妃は、聞きたくありませんと(さえぎ)り、席を立った。王太子も、その後を追った。宰相の後任に一応の腹案があった彼は、言いそびれた。


 だが、今日は、はっきりと尋ねられた。しかし、腹は立たなかった。前もってまだ先に話しだと前置きが、あったから。何しろ30年は無理なのは、わかっていた。幾人かの名前を挙げ、それについての質疑応答の後、新国王は、彼らを育ててくれと締めくくった。余を父上が、育てて下さったようにと。

 これが、最初の話だった。それから、各閣僚についても質問があり、それも予め用意してあった答えを申し述べることができた。そして、皆と上手くやっていけるかと尋ねられた。ええ、皆、有能ですからと答えると、

「そうではない、有能でも人は好き嫌いがあるものじゃ。いざという時、それが出る。余は、文官も、武官のように息を合わせて、国政に従事して欲しいのじゃ。余の申している意味がわかるか?」

 最初の緊張が解けていたカルチェラ伯は、なんとなくで御座いますが、陛下と答えた。その後、更に細かい指示があった。今はそれを伝えに、閣僚たちの元へと急いだ。思ったより時間が、掛かった。だが、実り多い会談だった。彼は、仕えるべきして仕える主君にやっと出会った。父親のジュルジス二世も悪くなかったが。

 気がかりは、主君が求める能力が自分にあるかどうかだ。想像以上に、それは高かった。だが、経験がそれを補えるだろう。もう一つは、自分にもう若さが残っていないことだった。これは、どうしようもない事実だった。だが、彼は、慰めを見いだしていた。仕える主君に一生出会わない人間だっているのだ、出会っただけでも幸せというものだ。

 会談の最後に若い主君は、彼に比べて随分高齢の臣下に優しい言葉を掛けた。

「カルチェラ伯、この職は激務だと余は承知しいる。体に気をつけてな。自愛はそなたの方じゃ」

 臣下は涙がこぼれそうになった。


 アンドーラの青年国王は、次に、彼の執務室で少し遅くなった昼食に取りかかった。これは、王太子時代からの習慣だった。それも、直に国政に携わるようになってからの。ゆっくりとそれを噛みながら、満足げな笑みを浮かべた。その笑みの因は、食べ物ではない。忠臣を一人得たようだったからだ。それにその忠臣は有能だった。

 重要な点は、彼の忠誠心が、国王個人に向けられている点にあった。国王自身は、王制という点から見ると、王家全体に対する忠誠心が望ましかった。だが、現在の状況を鑑みると、国王自身に対する忠誠心は、それはそれで望ましかった。また、人柄も悪くない。国王自身、彼が好きだった。師でもあった。だから、最後の言葉は、自然と出た。

 国王は、忠誠心について考えるのは、やめ、ニーベル・カルチェラ伯の立場について考えてみた。彼の立場は、微妙だった。昨日までは。彼の言動は、母のエレーヌ王妃を激怒させた。一つには、夫の退位を引き留めなかったという点。だが、彼は、こう言い切った。

「臣は、すでに宰相を辞任して御座います。辞表を王太子殿下にお渡ししたのは、王妃さまもご存じで御座いましょう。一介の伯爵にすぎん臣がどうして、陛下をお止めできるのか臣は解りかねます」

 エレーヌ王妃は、途方に暮れていた。

 その以前から、彼は、すでにエレーヌ王妃の不興を買っていた。それは、王妃自身に問題がないといえなくもないが、王妃は認めたくなかった。職に就いた時はそうでもなかった。しかし、夫の度々の宰相が反対しているに、彼女は、壁壁(へきへき)した。説明に現れた彼に、解任をにおわした。だが、夫のジュルジス二世の他の後任が見つかるまでにという主張に折れた。だが、次の噂に、王妃は、耳を疑った。何でもかんでも、王妃が反対していると、宰相は却下すると。彼女が聞いたこともないことまで反対していると、言いふらしていると。

 つまり、宰相は、国王を見習っただけだった。最初は、陛下が反対しているだったが、徐々に王妃にすり替わった。そのことが、彼女を傷つけた。彼女は、頼りない夫と若すぎる王太子のために懸命に助言しているのに。

 宰相も、この事態を憂慮した。彼は、国王に助言した。だが、国王が、この方法しか、余には思いうかばんと首を振るだけだった。その助言は、それほど強くはなかった。それに、ある意味では、それは国王夫妻の問題だった。

 だが、これも終わった。これから、新しい時代が始まるのだ。彼の事実上の再任に、エレーヌ王太后は、また、怒るだろう。これからは、彼女の干渉に自分が立ち向かうのだ。元宰相は、文官らしい対応したが、武官はそうはいかなかった。そして、その、一方の、実力を兼ねそろえた最高権力者がやってくる。彼は、どう出るだろうか。

 国王ジュルジス三世は、この勝ち気な母の王太后をそれなりに、愛してはいた。だが、最も愛しているのは、この王国だった。それは、母も同じだった。彼女は、彼女なりの考えで、アンドーラ王国のために懸命だった。これは、認めよう。だが、それ故にやっかいだった。

 軍権についても、考えてみた。国王は、それを宰相に与えるつもりはなかった。それは、危険だった。軍について、彼が、学び始めた時、しばしば、母も同席した。彼女は、しばしば、教師役の武官に質問した。武官は、答えに窮した。それは、彼女に、自分が軍略の才があるんではないかとあらぬ期待を持たせた。だが、これは、夫のいつもの手だった。しかし、これも、突然終わった。

 それは、ある架空の包囲作戦について、学んでいた時のことだ、彼女は、いつものように色々質問した。それを遮り、彼は、暗い声で質問した。この作戦で、何人、死人が出る?と。母は、何言っているの?馬鹿なこと聞くんじゃありませんと、そして、この作戦の重要なところはと話題をそらそうとしたが、彼は、執拗に尋ねた。

「何人死ぬんだ?と答えろ!全員か?それに一体、何人殺すんだ?」

 教師役の武官は、答えられなかった。

 彼は、突然、涙を浮かべた母の狼狽が、悲しかった。では、ご存じなんだ、誰が、死ねと命じ、誰が殺せと命じるかを。当然といえば当然か。そして、その部屋をプイと出ていった。

 外に出ると、弟のヘンダース王子が、目に入った。王子は、懸命に剣の稽古に励んでいた。弟は、名付け親の陸軍元帥を崇拝していた。彼と同じように、陸軍に入ることを熱望していた。兄は、無邪気な弟が羨ましかった。年齢にふさわしい成長をしているこの2才年下の弟に比べ、自分は6才でもう大人であることを求められていた。母が追いかけてきた。弟の顔が、パッと輝いた。だが、母は、それに気がつかず、二番目の息子の方を見もしなかった。その時、母の関心は、一番目の息子にのみ注がれていた。それが、弟を傷つけた。憎々しげな目で兄を睨んだ。兄は、それに気づいた。母は、懸命に王太子を慰めようと優しく抱き寄せた。もう大人になることを求められていた息子も、子供に戻った。母は、体を離すと、優しい声で、あれは架空の話です。そのようなことがないように父上は心を砕いておられますと、息子を安心させた。息子は、安心した振りをした。父上にうがってみますと、きづわしげな母をおいて歩き始めた。突然、剣を手にした弟が立ちふさがった。どけと兄はだだそういった。それが、弟の怒りを誘った。だが、兄は、子供っぽい弟にかまうつもりなど毛頭なかった。王太子の邪魔をするじゃありませんと、母が叱った。絶望した弟王子は、涙を浮かべながら道を開けた。

 父の国王ジュルジス二世は、政務に追われていたが、王太子の教育にも気配りを見せていた。何でも質問に答えてくれていた。これはある意味で王太子の特権だった。一人っ子だった国王は、兄弟の機微など理解できなかなった。そして、母の王妃も同様に一人っ子だった。母の生家のエンガム公爵家は、外祖父の亡くなった後、7才で、王太子が相続した。王太子であり、王国最大の領地を持つ公爵でもあった。父に面会を求めると、少し待たされた。宮殿の、父が政務を執る執務室に行くのは初めてだった。王太子は、今までその特権を行使したことは、一度もなかった。

 途中、何度も衛兵に誰何された。その度ごとに、ついてきた王太子付の衛兵が、王太子殿下であられると告げると、宮殿の衛兵が、慌てて道を開けた。それは、やはり子供だった王太子にとって小気味よかった。

 父の広く国王らしい威厳のあるその部屋で、息子は、気がかりなことについて質問した。それは軍のことではなかった。“死罪”のことだった。父の国王は、ただ、だから迷う、よくよく調べろと申すと答えた。父は、続けた。

「やはり、嫌じゃからな。死罪にした後、これが本当は無罪だったなんて。むしろ、余は、罪人に悔悛つまり悔い改め、罪を償わせようとは、心がけてはおる。これで答えになったか。勉強は進んでいるか」

 王太子は、良心的な父の国王に改めて、尊敬の念を抱いた。国王という地位にではなく、父としてではなく、人物そのものに。彼は、自分の先を歩む先達だった。

 その日の、夕食の席で、母は、しきりに気がかりな二番目の王子について愚痴をこぼした。夕食の席に彼は、同席していなかった。これは、王太子が6才からの習慣で、国王と王妃と王太子の三人だけだった。これも王太子の特権だった。父が話題を変え、王太子の勉強の方針について幾つかの変更を申し渡した。母は、同意しながら再び話題を戻した。

「元気なのはよろしいの。ただ、学科があまり熱心じゃなのは困りますわ。どうして、ああなのかしら。今度は、小さい弟や妹まで、手を出そうとするの。呆れてものが言えない」

 王太子は、ある提案をした。それに、両親は感心した。兄弟のいない自分たちには、気がつかないことだと。食事をしながら、その後、それについて検討を重ねた。たかが、子育てではあったが、これは国家行事でもあった。このことについて、ふと、他の家庭ではどうなのだろかと思った。特に平民たちは。

 二番目の王子は、当時、母の愛情に飢えていた。最初の王子の兄は、王太子だと言う理由で大切に扱われ、妹の王女は、王家に久しぶりに生まれた女の子という理由で大事にされ、末っ子の王子は、ただ幼いと言う理由で次兄から見れば甘やかされていた。そして、彼には、母の愛情を得る理由がなかった。叱られることが唯一彼に母の歓心を買う手段だった。それは、母もわかってはいた。ただ、できの良い長男に比べ、兄らしい気遣いを見せないことが気がかりだった。一人っ子同士の両親にとって、兄弟仲良く力を合わせて、王国のために働いて欲しかった。


 次の日、王太子の提案によるある行事の準備のため、宰相以下閣僚たちが呼び出された。王太子とその行事の中心人物である“第二王子”もいっしょだった。彼は、両親が、自分に示した関心がうれしかった。はしゃいでいた。

「こうなの、お行儀が、今ひとつというかしら、ともかく、きちんとできるか心配だわ」

 母の心配と言う言葉が、彼の傷だらけの心を癒した。重臣の一人が

「そのようなご心配はご無用で御座います。同じ年頃の子たちに比べ、殿下は一段とお行儀がよろしゅう御座います」

 重臣の鄭重さが、彼の失われかけた誇りを呼び戻した。そして、父の国王が

「色々、面倒を掛けるが、よしなに頼む」といって、席を立った。王妃、王太子以下重臣が、国王に向かって礼をした。そこは、謁見の間だった。座っていたのは、国王・王妃・王太子の三人だけだった。そこで、彼に正式に、“第二王子”という地位が与えられる予定だった。彼には、そのあたりがよく理解できなかったが、わかったのは、王太子に次ぐ地位だということだった。彼は、生まれながらの王子だった。兄が、公爵という地位も持っているのは知っていた。どうやら、爵位と同じようなものらしい。国王一家への重臣たちの慇懃な対応が、彼に王家の一員であるという自覚を植え付けた。この国家行事の狙いはそこにあった。

 それからの日々は、“第二王子”は、ほぼ、母を独占できた。一番邪魔な兄はそこにいなかった。そのかわり、重臣たちがいた。でも、気にならなかった。それは、むしろ彼の自尊心をくすぐった。年長者に向かって横柄な態度がとれた。ただちに、母が注意する。

「そこが、あなたのいけないところです。この方たちは、父上の大事な家臣です。あなたの家来では、ありません。どうして、そんな言葉遣いをするの、王太子だって、この方たちにもっと敬意を払った態度で接してます」

 母の毅然とした態度に、彼は恥ずかしくなったが、母に対する子供ぽい愛情とは別な愛情をいだき始めさせた。もう、末っ子のランセルのように甘えればいいのではないと、この母の息子らしい振る舞いをしようと心に誓った。

 これが、同じ兄弟でも、両親に対する気持ちの持ちようの違いを生んだ。振り返って見て、新国王となった王太子は感慨深げだった。次弟は、母親っ子だった。王太子の教育を夫の国王に任せると、彼女は“第二王子”の教育に心血を注いだ。王太子へは時々、母らしい気遣いを見せればよかった。後の二人も同様だった。

 そして今、母は“第一王女”にその心血を注ぎ始めていた。年の順番というわけである。“第三王子”は、“第二王子”と手本があった。“第二王子”もそのことを理解していて、兄らしい気遣いを見せ始め、“第一王女”にも自分の女性版というわけでこれまた、兄らしい対応ができた。ただ、苦手なのは、兄に対する時だけだった。子供っぽい振る舞いをたくさん見られていたから。

 兄の国王は、それは仕方がないことだと考えていた。大人になる速度が違った。そして、王国が求めているものも。王位を継承しない王子の生き方には、お手本があった。王太子は、父の国王を見習い、“第二王子”は、“第四王子”を手本にすればよかった。“第四王子”は、“第二王子”の行事の後、“第四王子”の行事を執り行い、新たに、国家と王家に対する忠誠を誓った。彼は、当時の国王ジュルジス二世の4才違いの叔父だった。彼は、その時、自分が“第五王子”に降格するかもしれないといって笑った。彼は、まだ、新国王の執務室に現れない。

 母は、“第一王女”の振る舞いに頭を悩ませていた。彼女は、兄の“第二王子”と同じ教育を母に欲求した。それは、“武”の分野だった。剣術を習い、馬術をこなした。彼女が、軍略まで手を染めようとした時、母は初めて止めた。母は自分の失敗を娘に繰り返して欲しくなかった。ただ、娘は聞かなかった。王妃と王位継承者とは、違うと。同じ名前を持つ女王が、ある意味でこの王国の建立者だった。結局、長兄が、説得に乗り出した。

「軍事用語ぐらいで我慢しなさい。君が軍を率いて、行軍することはまずあり得ない」

 王女は諦めなかった。執拗に兄に迫った

「まずとおっしゃるには、あるかもしれないということでしょ」

「そうなったら、この王国もお終いだな。君は、戦を避けられるためにどんなことをすればいいのかでも考えていなさい。戦わずして勝てる方法が見つかったら、わたしに進言でもしてくれ給え。その方のが有り難い」

 これで、大手を振って軍略の勉強をできると“第一王女”は、喜んだ。しばしば、夕食の席でその成果が披露され、父を喜ばせた。父は、娘に甘かった。息子たちには手本があったが、娘には、精々妻を見習って欲しいぐらいの方針しか出せなかった。母は厳しく娘を(しつけ)た。それが、しばしば娘の反発を誘った。母は娘にこう諭した。

「あなたは、王国の娘たちの手本とならなくてなりません。誰が見ても恥ずかしくないように。このままでは、悪い手本になるばかりです。ホントにお行儀が悪いこと。もう少し、優雅に振る舞えないの」

 娘は恥じ入った。


 “第四王子”が、新国王の執務室にやっと現れた。彼は、部下を連れてきた。新しい国王に武官らしい敬礼をした。国王も敬礼を返した。彼は文官でもあり武官でもあった。彼はこの王国に仕えていた。臣下と共に。

 “第四王子”は、先王の信頼が厚かった。かれは、“国軍”の近代化を手がけていた。新国王は、彼に椅子を勧めた

(わし)を年寄り扱いせんでくれ。立っていた方が楽なんじゃ。まだ、昼食はすんでおらんじゃろ?」

 机の上を見ながら、陸軍元帥はいった。

「いえ、もうすみましたよ。元帥」

 “第四王子”は、大叔父として扱われるより、元帥という武官として扱われることを好んだ。今日も武官の制服で現れた。それに用件も同様だった。机の上の昼食を片づけさせながら、もう一度椅子を勧めた。

「どうかお掛け下さい。こちらの方が話しやすい。さもなくば、カルチェラ伯のように、あなたに国王として命じますよ」

「それはかなわん。もう、国王として慣れたじゃろうか?陛下」

「まだ、慣れてませんよ、これからです。さっさと座ってください。迅速こそ、武官に求められている必須条件じゃないですか」

 再び、これはかなわんといってやっと椅子に腰掛けた。

 軍の、特に陸軍の近代化の先鞭として、まず、貴族たちの私兵を禁止することから始まった。これは、国王の祖父であり、“第四王子”の兄であるジュルジ1世の時代から始まったことだった。それはほぼ完成しつつあった。かれらは、先祖伝来の重い甲冑を、“領主館”に飾り、王家の紋章のついた新しい甲冑を身につけた。大部分が革でできたそれは、最初、評判が悪かった。しかし、実際の戦役での活躍で一気に評判を高めた。今では、“軽騎兵”と呼ばれる彼らは、重い甲冑にしがみつく貴族たちの兵を、一掃した。彼らの軽便さは、その機動力にあった。貴族たちの私兵は、次々に王国軍の軍門に下り、王国軍に吸収されていった。

 次に手がけたのは、王国民に「兵役義務」を課すことだった。これも国内に浸透しつつある。最後の抵抗の砦がつい最近落とされた。平民たちにも兵役義務を課すことへの抵抗は、貴族・平民の両方にもあった。

 曰く、平民には、戦は無理さ。彼らは、畑でも耕してればいいんだ、鍬は持てても、剣は無理さ。

 曰く、貴族には、俺たちを守る義務がある。それが、あいつらがえばりくさっても許される理由じゃないか。

 一方、歓迎する動きもあった。それは、歩兵の必要性を説く用兵家たちだった。彼らは、次々と平民たちを歩兵として国軍に導入していった。この動きは、貴族たちの抵抗を少なくした。それまでも、従卒として平民の兵はいることはいた。そして、平民たちも職業として兵士を選ぶ機会に恵まれたことに気がつき始めた。

 兵役義務の浸透で、国軍の強化の他に思いがけない産物が生まれた。国という意識である。それまで、大部分の平民たちは自分たちの土地に縛り付けられ、他の土地のことなど知る機会などなかった。せいぜい、旅商人たちの話をおもしろがって聞く程度だった。だが、今、彼らは自分たちの土地を離れ、国土の広さに目を見張った。繁栄する王都を目にし、国王の存在を知った。貴族たちの“領主館”に比べ、その壮大さはどうだろう。貴族たちの上に、その君主として君臨する国王の存在は、平民たちを励ました。貴族たちの横暴に平民たちは、国王に助けを求めた。国王は、貴族たちを叱り諫めた。平民たちの国王への信頼が集まった。

 そして、“軍”もその岐路に立っていた。あらゆる面で、再び、階級制度が、足枷になった。平民たちの不満は、自分たちがいつまでも兵卒扱いなのが気にいらなかった。そこで、新たな階級制度がうまれた。将兵階級制度である。これは、平民たちの溜飲を下げた。平民が貴族に上官として振る舞うことを許された。それは、むしろ奨励された。平民の上官は貴族の部下たちを厳しく訓練した。上意下達の徹底振りは、国軍を強固なものにしていった。貴族たちの不平も自分たちが上官になるにつけ薄まった。そこは、身分よりいかに優秀な軍人であるか問われる新たな社会だった。実力がものをいった。優秀な軍人は尊敬され、そうでないものには侮蔑の言葉を浴びせられた。止めるものは誰もいなかった。せいぜい、酒場の娼婦たちが慰めの言葉をかける程度だった。彼女たちさえ、優秀な軍人たちに奪われていった。彼らは、すごすごと、土地に帰り、畑仕事にせいを出した。優秀な兵士になれなくても、優秀な農民になればいいのだと言い聞かせて。

 軍の近代化は、ありとあらゆる面で、国民たちを変えていった。思いがけない副産物も生まれた。その大部分が文盲であった平民たちは、文字の読み書きを兵役期間中に上官から習うことによって、新たな目を開いていった。この国に法律があり、文字に書かれたその書物は、国王ですら従う心強い彼らの味方だった。


 新国王は、この軍の近代化の功労者と向き合った。幾つか、先代の時世とは違う変更点を示唆した。

「ほう、謁見の間を?こりゃ、式部卿が大変じゃなぁ」

「大変なのは、彼ではなくて、爵位持ちですよ。年一回は、謁見にきて欲しい。あと、陸軍の方も、最低年一回は、閲兵をしたいですね、それも、近衛でなく」

「陛下、それはなかなかよろしいじゃないかな。将兵たちにも励みになる」

 国王は、そこで、新たな提案をした。元帥は、うなり声を挙げた。国王は、元帥と同行してきた武官に目をやった。記憶によると彼の肩章は、佐官だった。しかもまだ若い。国王は、武官らしく無表情な彼に声をかけた。

「君の階級は?」

「中佐であります」

「こいつは、なかなかの策略家でのう。まったく困ったやつなんじゃ。陛下にお目通りするなら、自分を連れて行けと。うるそうてかなわん」

「なにが、うるさいんです?」

「平民たちにも馬をやれというてきかんのじゃ」

「士官なれば与えてもかまわないと思いますよ。数が足らないのですか?」

「足らんこともないが、貴族たちがいやがるんじゃ」

「平民の馬丁だっていますよ。彼らは、調教のために馬に乗る。いい加減、貴族たちも目を覚まして欲しいですね。国を造るのは、自分たちだけじゃないことを」

 無表情だった中佐の顔に驚きの表情が表れた。元帥が、同感とばかりうなり声をあげた。国王は、かまわず続けた。

「大体、平民の数の方が多いんですよ。彼らだって、兵役義務を果たし、国税も国庫に納めている。今日、国務郷にどちらの数が多いか調査を命じました。彼も知りたいでしょうから」と、ここで言葉をとぎると、すかさず元帥が言葉を挟んだ。

「国務郷とは、聞かぬお役じゃな。どなたがつかれんじゃろ。伺ってもかわんじゃろ」と元帥は、すでに見当をついてる答えの質問をした。

「宰相のカルチェラ伯ですよ。後、宰相は、当分の置きません。父上が引き受けてくだされば別でしょうが、そんなお気持ちは、全くなさそうですし。しばらくはのんびり船旅をお楽しみなさればいいと思います」

 これは、元帥にとって新しい情報だった。先王は病気療養中だった。仮病は知っていた。

「大丈夫かな。だが、船旅ができるほどご快復なされたなら一安心じゃ。ことろで、カルチェラ殿は、宰相は辞任したのか、それとも解任かな」

「辞任です。また、見事な進退伺いであらためて感服いたしました。筆もたつからな、彼は。あ、ご覧なりたいなら、お見せしましょうか」

「そりゃ、ぜひ」

 ここで、中佐が言葉を挟んだ。

「閣下、よろしんですか。こちらは」

「そなたは、性急すぎるんじゃ。だから、ついてくるなと申したんじゃ」

「しかし、陛下は迅速こそ武官に求められる必須条件だっておしゃったじゃないですか」

 国王は、元帥に平気でものをいうこの武官が気に入った。元帥は、うなり声をあげた。彼は、うなり声だけで自分の感情を表現できた。器用なものだと国王は思い可笑しくなり、つい笑い声をあげた。

「だからこのこざかしいやつを連れてくるじゃなかったんじゃ」とぼやく元帥に国王は自分の笑いの原因を告げた。元帥も笑い出した。若い中佐も笑うべきかどうかも迷いながら、笑いをこらえた。

「君、笑いたかたかったら、笑いたまえ。その方が自然だ。さて、君の指摘道理、話題を戻そう。どこが問題なるの」

 中佐は赤くなってうつむいた。目の前にいる彼の国王は、彼の同僚、上官部下を問わずあらゆる人々の注目の的だった。ただ、武官連中の評判は今ひとつ芳しくなかった。彼が耳にしたのは悪い噂ばっかりだった。曰く、彼は、剣も手にしたこともない腰抜けだ。それは、嘘なのは知っていた。国王一家は、王妃や王女すら剣を嗜むのを知っていた。曰く、彼は、母親の傀儡で、実際文字も書けない愚か者だ。それも大方、嘘なのをしていた。王太后の影響力がどの程度なのかわかないが…。曰く、女の尻ばかり追いかけている、好色なやつ。

 それも、嘘だった。国王は、王太子時代に結婚して、多くの若い貴族の令嬢たちの嘆きを誘った。むしろ、逆だろう。お駆け回されているのはこちらの方だと気づいた。王家は容貌に恵まれていた。父親よりも、母親譲りのその整った顔立ちの彼が、すでに王者らしい風格を漂わせている。さらに、中佐はこの国王がまだ十代なのにさらに驚いた。それが自分をまるで子供のように扱う。

「ほれ、迅速が、必須条件じゃろ、ほら」元帥が促した。国王が先に口を開いた。

「問題は、馬じゃなくて“重騎兵”なんだろう。でも、どうかな、高齢になってその訓練は、きついんじゃないのか?」

 国王に先を越された中佐は、その洞察力に驚いた。思わず、普段の彼らしくなく口ごもった。

「あの、陛下。あの、それがまだ若いんです。その」と、ここで中佐は、国王がどの程度、軍の各種階級制度に精通しているのかと推竣した。

「下士官で入隊しているんじゃ」と元帥が、助太刀した。

「ああ、大学入学許可証を持ってということですか」

 中佐は、感嘆した。それもそうだ。その規則を決める時、王太子だった国王も同席していたのだから。彼は、12才から、国政に参画していた。先王は、重要な決定を下す時必ず、その後継者を同席させ意見を求めたという。自分の同年齢の時期は何していただろう。悪い噂に惑わされた自分が愚かだった。中佐は、咳き込むように説明し始めた。

「ご推察の通りです、陛下。ただ、彼は、大学に戻るまで重騎兵の訓練を希望しております」

 ここで、国王が手を挙げ、中佐を止めた。

「ちょっと待て、短い期間、訓練をしても使い物にならない。いちいち希望を聞いてどうする。ようは、適性ということがある。そいつには、わがままいうなといってやれ。あれは、一生、定年退職まで武人として過ごす連中のものだといってやれ。それとも、希望者を募るぼど、数が足らないのか」

 中佐は、国王の技量について、二通りの見解があるのを思い出した。評判が悪かったのは、武官に多かった。彼らは、王太子が文弱だといっていた。これは、むしろ海軍にいる“第二王子”の評判に相半していた。“第二王子”は、他のものたちと同列に扱われるのを好み、上官には部下として接し、決して王子の特権を振りかさず、いわゆる人望があった。それは陸海両軍を通じてのことだった。

 一方、文官たちは“第二王子”は、黙殺された。彼らは、温厚な国王と怜悧な王太子で、王国の安泰を説いていた。譲位における騒ぎでも、冷静だった。呼び名が代わるくらいだと。だが、すでに、変更があった。

「ご推察の通りです。少し数が足らない。ただ、大学の方にも事情がありまして、入学許可を出したものの席がないというんです。それが本人の耳に入りまして、それならいっそこのまま残りたい、大学の方は両親の希望で受けただけだと」

 ここで再び、国王が手を挙げた。中佐は黙った。

「個々の、事情をいちいちきいても切りがない。君の気持ちもわからんではないが、ここは、今後の指針となるべきことを決めことを決めよう。そうだな」と、少し中断し、中佐には思いがけないことを元帥聞いた。

「元帥、軍学校は設立何年なりますか。席は足りてますか」

 元帥は、うなった後、8年じゃなと答え再び沈黙した。中佐は、自分の怜悧さが粉々に砕かれるのを感じていた。自分が目にしているこの自分より年若い人物を感慨深くみつめた。軍学校まで持ち出されるとは。彼には腹案があった。だだ、怜悧な彼は、それを“計画”と呼んだ。ふと、気がついて慌てて元帥が言及しなかったことを言い添えた。

「陛下、軍学校は席が足りています。むしろ、人数を増やすべきだと思います。教官も増えましたし、場所もあります」

 ここでまた、国王が彼を止めた。

「やはり、君は性急だな。さぞや軍学校にもいろんな計画をお持ちなんでしょうな、元帥閣下」

 問われた元帥はうなって同意を示し、“計画”の立案者である中佐は、再び赤くなってうつむいた。これはかつてないことだった。中佐は、“計画”についても、話すべきどうか、躊躇した。これもかつてないことだった。彼は、上目遣いに国王の様子を窺った。その視線を年若い国王の鋭い眼光が捉えた。思わず目を伏せた。もう一度、様子を窺うと、国王は、紙を取り出し、駕ペンを手にしているところだった。何となく安堵の息をついた。

「ちょっと、頭の中を整理しよう。まずは、平民が重騎兵といいかどうかだ。無論いいに決まっている。但し、適性があるかどうかだ」

 国王は再び、適性と口にしたなと、元帥と国王の両方から性急と指摘された中佐は、成り行きを見守った。自分の“計画”もこの人物次第だと痛感していた。国王は、宙を睨んだまましばし動かなかった。やっと、口を開いた。

「元帥、軍学校は、相変わらず、貴族たちだけですか?」

 元帥はうなった。承認のしるしだった。中佐は、この“計画”について話すのは今だと思ったが、やはり、躊躇した。そしてこの“計画”の根本から覆される国王の発言を耳にした。

「軍学校は当分、貴族のみの入学としよう。士官に昇級する平民たちの訓練は別なところでするんだな。無論貴族の士官昇級予定者も同様に扱う。その方が、訓練しやすいだろう。違うか?」

 元帥はうなり、中佐は、慌てて、思い切って尋ねた。

「陛下は、貴族嫌いと窺いましたが、違うんですか?」

「べつに、好きも嫌いもない。彼らはただいるだけだ。違うか?」

「しかし、なぜ、軍学校の入学を貴族に限定なさるんです。先ほど、適性とおしゃりましたけど、適性のある平民にもその機会を」

 手を挙げて国王が遮った。

「まず、適性があるかどうかどうやって見抜くのだ。その答えが出るまでは、だめだな。むしろ、貴族だけだと吹聴してくれ」

 元帥はうなった。中佐は、元帥が賛成なのか反対なのか判断できなかった。でも“計画”には、賛同してくれた。溜まらず。中佐は、説得しようと口を開こうとした。だが、国王が先を制した。

「君は、政治がわかっていないな」

 かっとなった中佐は、思わずこういった、どうせ自分は武官ですから。国王が笑い出した。

「だから、わかってないというんだ。その調子じゃ、将官は無理だな。佐官止まりだ」

 今度はキッとなって国王に反駁した。彼には、自信があった。元帥はうなっただけだった。ちくしょう、元帥は、自分には、大将の器があるといったのに。

「どういう意味でしょうか?」

「教えてやろう。君は軍政という言葉を知らないのか。今度は、自分は無学だというなよ。意味については、自分で調べろ。だいたい、自分を武官と呼ぶくせに。官のくせに。政治と無縁いうのか?国政に携わっているという自覚がなさ過ぎる。だから、元帥閣下は、君を軍略家と呼ばずに策略家と呼ぶんだ。政治は、文官だけのもじゃない」

 中佐は、返す言葉がなかった。国王は彼に構わず、続けた。

「ともかく、軍学校は、貴族どもだけだと入りたがる平民にいってやれ。貴族には軍学校、平民には重騎兵それで、あいこだ。さっき話していた大学に戻りたがらない平民には、重騎兵をやらせてやれ。後、何人か出れば十分だ」

「自分は、反対です。閣下なんかおしゃって下さい」

 突然、国王が、怖い顔をした。

「誰も、君の意見なぞ、聞いておらん。政治もわからぬ奴と、話したくもない」

 国王の政治好きは、有名だった。こんな話は中佐は、聞きたくもなかった。失望した。彼の“計画”は、頓挫した。

「しょうがない、説明してやろう。軍学校の平民への開放は、時期尚早だといっているんだ。今、なだめるべきは、平民じゃない。貴族だ。まぁ、彼らがぐずりたかったら、ぐずらせておけ。国税を上げてやる。まぁ困るのは、平民だから、すぐにはやらん。ただ、遅れたら、利息は払って貰う」

 中佐は混乱してきた。国王が、貴族嫌いなのかどうなのか彼には、見当もつかなかった。いや、待てよ。時期尚早とおしゃったな。少し光明が指してきた。思い切って尋ねた。

「時期尚早と、おしゃいましたが、いつ頃がよろしいでしょうか」

「貴族しか入れないということが定着し、平民たちが、騒ぎ出してからでも遅くない」

「陛下、もう騒ぎ出しています」

「その平民どもはどの程度できるんだ。武術》の基本ぐらいできるんだろうな。できないものには、無理だ。基本だけで2年はかかる」

 やっと、元帥が口を開いた

「陛下、武術の基本と、仰せられたがどの程度できればいいとお考えじゃ」

「問題は、馬術でしょうね。その方が分かり易い。」

 ここで、元帥が、うなった。中佐もうなりたくなった。馬術か。彼は、馬術が得意ではなかった。国王は続けた

「馬にも乗れない士官なんていりませんよ。歩兵を預かっても、騎馬で移動できなくては不便でしょう。全部の士官に支給するのは無理でも、せめて、佐官ぐらいには、支給できたらいいのだけど。無理ですか」

「あの、陛下、支給とおっしゃいましたが」

「馬は、自分持ちか?」

「いえ、えーと、どっちでしたか、閣下」

「こんなことも知らんのか。困った奴じゃ。(わし)も知らん」

「調査不足だな。この件は、きちんと調べるように。できれは、支給が望ましい。ただ、自分の馬の場合は飼い葉料とかの名目で、給金に上乗せすればいい。軍の装備は、頭から足まで、支給品で賄うように。余はそうするつもりじゃ。除隊するときは、返して貰う。たとえ、裸足(はだし)できても、靴は渡さぬ。」

「あの、陛下、靴は除隊する時に、給金代わりに渡しておりますが」

「だったら、帳簿には、給金から払ったことにして、その旨、記載するように」

「帳簿とおっしゃいますが」

 国王の顔がまた、怖くなった。中佐は、また、しくじったことを悟った。元帥はうなり続けている。国王の声が大きくなった。

「軍では、帳簿もつけてないのか。まあ、そんなことはないな、君が見たこともないだけだ。やはり、佐官止まりだな。勉強不足だぞ。軍費が、いくら掛かるのかわからぬ者に、軍を動かす資格はない。君は、軍学校で、何を学んだのか。その若さだと軍学校出だろう」

 彼より年少の国王に、中佐は、顔を上げられなかった。意気込んできたのにこの有様だった。国王は更に追い打ちをかけた

「靴は、まさか、新品を渡しているんじゃないだろうな?この件も調査するように。売るのは、そうだな、これは靴の価格を調べてからにしよう。木靴が良いというものにそう手配するように。さて」


 相変わらず、元帥は、若い国王の一言一言に合わせるようにうなり続けている。国王が言葉を句切ったのを見て取った中佐は、起死回生の機会とばかり、暴挙に出た。これは、後で、彼自身が、そう回顧している。彼は、平民の軍学校への入学をどうしても諦められなかった。馬術を入学の条件にしては、平民の足は遠のくばかりだった。彼自身は、馬術は軍学校で学んだ。多少は乗れたが。どの程度を基本ができているというのかが疑問だ。

「あのう、陛下、軍学校をもう一つ、設立されたら如何でしょう。平民軍学校を創るというのは」

 中佐には、最良の発想に思えた。我ながらと感じいっていた彼に、国王は、大打撃を与えた。

「それなら、もうある。下士官上がりの訓練用にな。無論、そこで馬に乗れないものには、馬術を教えるように。余は馬にも乗れないものを士官とは、認めぬ。これは、肝に銘じておくように。よいな。念を押しておく」

 国王は、宣戦布告を読むようにこう宣言した。中佐の負けだった。立場からいえば、当然の結果だった。中佐が誓願をし、国王が、却下した。それだけだった。

 しかし、中佐は、自分の敗北を認めなかった。その時は、敗北すら感じていなかった。ねばり強さが真骨頂の彼は、今度は、愚挙に出た。

「しかし、陛下、なぜ、馬にこだわるのですか。自分には、理解できませんね」

 ここで元帥が、彼の苦手を暴露した。

「こやつは、馬が苦手なんじゃ」

「ふうん、なるほど」いたずらっぽい顔の国王が、そこにはいた。中佐は、馬鹿にされたと鼻白んだ。確かに乗馬の名手の元帥からみれば、彼の乗馬は、たいしたことない。多分、国王自身も、幼少の頃から稽古をし、かなり上手いはずだ。彼に比べれば。そんなことで、平民に道を閉ざす理由を知りたかった。

「君ね、下士官たちにきいてごらん。それも兵卒から上がって、定年にはなんと下士官に上がれそうな、それも平民出身のものに。きっと一度ぐらい馬に乗って行軍したいというさ。違うか。君は歩兵の大切さをわたしにこんこんと言い聞かせようとするだろうけど、無駄だな。わたしが、いっているのは、意識のというか、士気の問題だぞ、これは。いつかは、昇級して、騎乗で行軍したいと思わせなきゃ、駄目じゃないか」

 しかし、ここでも中佐は、引かなかった。火に油を注ぐ結果なった。

「しかし、馬術を入学条件になされては、平民には、事実上、入学は、無理です」

「しつこいな、君も。平民だって乗馬はするさ。馬丁の息子あたりがいるだろう。調教までするんだ。かなり、上手だよ。じゃないとできないからな。わたしが、言っているのは、士気の問題だ。軍の階級制度はなんのためにあるんだ。皆、上に上がれば、良いからだろう、いろんな面で」

「陛下、このわからんちんには、(わし)からこんこんと言い聞かせるつもりじゃ、士気の大切さをな」

「お願いしますよ、閣下。さて、大学をどうするかだ。席が足らぬのか。後で国務卿に聞いてみよう」

 ここで、元帥が、中佐にしてみれば、話題を逸らすために、国王にしてみれが自分の思考を邪魔するために、口を挟んだ。それは、国王が手にした駕ペンを初めて使う時だった。絶妙な時に、巧妙な話をし始めた。

「陛下。カルチェラ伯は、2年が限度といっておるじゃ。そういう約束で引き受けたんじゃろか」

 国王の手が止まった。困惑した表情を浮かべて国王が顔を上げた。

「そんなこと申しておらんぞ。彼のことだから、実際は1年でしょう。これは困ったな、結構当てにしているのに」

「結構どころか、だいぶ、当てにしていなさるんじゃろ。え。陛下」

「からかっているんですか。そうやって邪魔するのはやめてくだい。大叔父上」

「なんの邪魔かな。陛下」

「ふん、ご存じなはずでしょ。大丈夫ですよ、そのわからんちんを不敬罪で逮捕させたりしませんから」

「おや、物騒なことを仰せられる」とややおどけ気味のヘンダース元帥閣下である。

 ここで初めて、中佐は、自分の話しているのが、国王なのだと改めて気づいた。彼は、いわゆる身分制度を当時はよく理解できていなかった。王制制度に疑問を持つほどではなかったが、貴族と平民の軋轢には、ほとほと嫌気がさしていた。身分による差別は、軍の中にも歴然と存在してた。軍学校に平民に開放することで、何かしら、そこに活路が見いだせるのではないかと思っていた。それが、開明的だという噂の国王自身が、その差別を増長するようでは、困ると考えていた。だから、この“計画”に賛同し、積極的に動いてくれるものと信じていた。げんに、王家の一員であるヘンダース元帥が、彼の説得に応じ、必ずや新国王の新しい政策に取り入れるだろうと保証してくれた。しかし、相手は国王だった。彼は、身分制度に守られていた。

 中佐の”計画”の行方には、国王という厚い壁が立ちはだかっていた。

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