故郷
列車が動き出してから、ふと思った。
私は故郷へ帰っているのだ。
その考えはあまりに大げさで、少し恥ずかしくなった。
離れてから、まだ四か月しか経っていない。四か月では、一つの場所が故郷になるには足りない。せいぜい、家に置いてきた歯ブラシが少し場違いに見えるくらいだ。
それでも、私はそう思った。
私は故郷へ帰っている。
まるで何年も離れていたかのように。
まるで車窓の外に大きな秋が広がっているかのように。
まるで中年になった後の黄昏に、埃にまみれて、歳月に古びた場所へ戻る人間であるかのように。
けれど窓ガラスに映る顔は若かった。
まだ少し学生らしさが残っていた。
それが気に入らなかった。
人は故郷を語るとき、たいてい少し優しくなる。煙、川、古い家、少年時代に歩いた道。「故郷」と言うだけで、都合の悪いものは自動的に後ろへ退き、懐かしんでもよい部分だけが残るみたいに。
けれど私が故郷と言うとき、思い出すのは優しさではない。
あそこは過去だった。
ここは現在だった。
私は恋しがっているのではない。
ただ、そこを故郷と呼ぶ必要があった。自分がそこを離れたことを証明するために。
それはずいぶんずるい言い方だと思う。
古い服をたたんで箱の底へしまい、自分に言い聞かせるみたいだ。
ほら、もうそれを着ていた人間ではない、と。
でも、箱はまだある。
服もまだある。
私はずっと、あそこから離れたかった。
そう言うと重すぎる。実際、子どもの頃からいつもそう思っていたわけではない。人は幼いとき、逃げる方向すら分からない。ただ、痛い場所から離れたいだけだ。
食べるためではなく、食べずに済むために食べる。
将来つらい仕事をしなくて済むように、前もってつらい勉強を受け入れる。
もう戻らなくて済むように、そこを出る。
離れることに本当に意味があったのだと証明するために、休みにまた列車に乗る。
人生はときどき、そういうふうにできている。
目的と行動が互いを裏切りながら、それでも味方であるふりをする。
大学の最初の学期が終わった。
すべては手順通りだった。
手順通りに入学し、手順通りに学生証を受け取り、手順通りに教室を探し、手順通りに新しい同級生と知り合った。学食で手順通りに「今度一緒に食べよう」と言い、手順通りに、その後一度も一緒に食べなかった。
新しい先生。
新しい授業。
新しい建物。
新しい人々。
迷うことさえ新しかった。
けれどしばらくすると、新しい生活は思っていたほど新しくないことに気づいた。
自己紹介。
名前、学部、趣味、出身地。
私は自己紹介が嫌いだ。
それは平等に見えて、実際にはとても軽い審判だった。人は一人ずつ立ち、三十秒で自分の来歴を差し出す。自然に話す人もいれば、きれいに話す人もいる。真っ白な名刺を差し出すように話す人もいる。
「出身は……」
この三文字のあとで、世界は層を分け始める。
大都市から来た人がいる。有名な高校から来た人がいる。名前を聞いただけで、大切に育てられたことが分かるような場所から来た人もいる。彼らが過去を語るとき、その口調はなめらかで、広い道を説明しているみたいだった。そこには部活があり、大会があり、旅行があった。
少し口数が少なくなり、来た場所をただの地名に圧縮する人もいる。
私はたぶん、その中間だった。
勝者ではない。
敗者でもない。
あるいは、あまりきれいではない勝者だった。
たしかに私は生き延びた。
あそこを出て、大学の教室に座り、過去を短く話すようになった。誰かに聞かれると笑って、「特に何もないところです」と言うようになった。
でも私は知っている。
特に何もないわけではない。
ただ、話せないだけだ。
過去の生活は戦争に似ていた。
旗や号令のある戦争ではない。毎日の食卓、教室、廊下、電話、沈黙の中で起きる戦争だった。
私はそこで多くのことを覚えた。
ドアを開ける前に、部屋の音を聞くこと。
誰かの顔色が変わる前に、先に目を伏せること。
傷ついた気持ちは早く片づけること。机を汚さないように。
そういう勝利は優雅ではない。
拍手も、花も、運命のように自然に降りてくる光もない。
泥の中から這い出て、服は破れ、指から血を流しながら、それでも新しい同級生の前ではこう言わなければならない。
「みなさん、こんにちは。性格はわりと穏やかなほうです」
みんな、美しい過去が好きだ。
順調で、温かく、明るく、支えられて育った人が好きだ。そういう人は、痛みにさえ構図がある。映画の雨の夜にともる灯りみたいに。
私の過去は野蛮すぎた。
共有に向かない。
好かれることにも向かない。
だから私は、故郷がもっと嫌いだった。
貧しいからではない。
醜いからでもない。
もしあんな過去がなければ、自分はもっと簡単に理解されただろうと、故郷が教えてくるからだ。
列車は進んだ。
車内は最初、とても静かだった。みんなイヤホンをし、スマホを見下ろし、話すときも声を落としていた。まるで誰にも故郷などないみたいに。
けれどいくつかの駅を過ぎると、音が少しずつ変わり始めた。
まず、男の人が電話をして、語尾に少し訛りが出た。次に、女の人が子どもをあやし、話す速度が速くなった。さらに後ろの席で、二人の老人が話し始めた。聞き慣れた抑揚が水のように広がってきた。
土地の言葉が濃くなっていった。
最初、少し苛立った。
その音は市場を思い出させた。夕方、階下で怒鳴り合う人たちを思い出させた。親戚の集まりで避けられない質問を思い出させた。自分の体から一生懸命洗い落とそうとしてきたものを、たくさん思い出させた。
でも聞いているうちに分かった。
隠していたのは、私だけではないのだ。
彼らもたぶん、隠してきた。
都市では語尾を抑え、会社では話す速度を落とし、知らない人の前では言葉を平らにする。そして列車が駅に近づくころ、やっと上着を脱ぐように、声を解き放つ。
みんな同じだった。
誰もが、どこかから来ている。
そして誰もが、来た場所が大きすぎることを少し恐れている。
古人は、異郷にあって一人異客となる、と言った。
私はあまり信じていない。
故郷にいたときも、自分はただ間借りしているように感じていた。
異郷にいても、だからといって自分がより客人らしくなるわけではなかった。
孤独はたぶん、場所の問題ではない。
ホームでも、都市でも、訛りでも、帰ることや離れることでもない。
孤独とは、心の中にある荒れ地だ。
それをどこへ持っていっても、そこには風が吹く。
大学の最初の学期、私はまじめに生活しようともした。
授業に出て、課題を出し、サークルの勧誘に行き、新しい友人と食事をし、寮で未来の話をした。
それでも、自分だけがいつも半拍遅れている気がした。
誰かが「地元の名物って何?」と聞いたとき、長いこと考えて、冬の夜の屋台を思い出した。電球が切れかけていて、麺のスープに薄い油が浮いていた。
あの麺は、別においしくなかった。
それなのに、突然食べたくなった。
それが悔しかった。
人はどうして、逃げ出したかったものを懐かしむのだろう。
車内の灯りが少し揺れた。
荷物をまとめる人が出始めた。ビニール袋の音、座席にぶつかるキャリーケースの車輪、通路で泣く子ども。女の人が電話の向こうに言った。
「もうすぐ着くよ」
その声には、土地の言葉が完全に戻っていた。扉がようやく開いたみたいだった。
もうすぐ着く。
その言葉で、胸の底が沈んだ。
窓の外を見た。
空はもう暗くなっていた。遠くの地平線は低く、田畑と家々が一枚につながって、何度も折られた紙のように見えた。近づけば近づくほど、景色は見慣れたものになり、同時に本物ではないようにも見えた。
私は突然気づいた。
故郷は、私に好かれる必要がない。
私に認められる必要さえない。
自己紹介のとき、それを軽く言うことはできる。
誰かに聞かれて「特に何も」と言うこともできる。
でも、故郷はそれで消えない。
ただ私の背後へ退くだけだ。
黙った証人のように。
列車が橋を渡った。
窓の外が、ふいに光った。
最初、花火だと思った。
光は遠い空の端から立ち上がった。色が不自然なほど鮮やかで、誰かが巨大な祭りを間違った場所で始めてしまったみたいだった。車内で人々が顔を上げた。イヤホンを外す人、窓に顔を近づける人がいた。
そのあと、音が届いた。
低く、重い音だった。地の底で誰かが扉を閉めたような音。
遠くの空が裂けた。
ミサイルと爆発。
車内が静まり返った。
土地の言葉が止まった。
ビニール袋の音が止まった。
子どもも泣きやんだ。
誰も何を言えばいいのか分からなかった。
列車はまだ前へ進んでいた。
たぶん列車は、目的地が変わってしまったことを知らない。
あるいは知っていても、止まることができない。
私はその光を見つめながら、ふと思った。
私は一生、あそこから離れたがっていた。
けれど、いつかあそこが先に私から離れていくなんて、考えたことがなかった。
その瞬間、故郷まであと二十三分だった。
けれど私はもう、二度と帰れなかった。




