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1回目『余計な提案』

 

【5/12 (水) 07:15】


 翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日は、昨日までの平穏が嘘のように白々しかった。


 ダイニングテーブルを挟んで向かい合う。

 アイカに変わった様子はない。

 並んだトーストとコーヒー。


 いつもと変わらない光景のはずなのに、空気だけが鉛のように重く感じた。


「……アイカ。昨日のこと、だけど」


 僕はたまらず切り出す。

 昨夜の宣告が悪い夢であってほしいという、惨めな期待が捨てきれなかった。


 だが、アイカは淡々とトーストにバターを塗り、小さく一口かじる。


「昨日の話はもう終わったでしょ。仕事、遅れちゃうから」


 普段通りの彼女だが、言外にこの話については触れたくないという意思を感じる。

 結局、彼女はそのままいつも通りに身支度を整え、「行ってきます」とだけ残して玄関のドアを閉めた。



 ・ ・ ・



【14:00】


 日中、仕事をしていてもいつもより身が入らない。


(きっと、勢いで言っただけで彼女はそんなことはしない…)


 そう自分に言い聞かせて気持ちを切り替える。


 午後五時を回った頃、スマートフォンが震えた。


『今日は同僚と夜ご飯食べてくるね。これが一回目』


 短い一文。


 同僚。

 男なのか、女なのか。


 何人で、どこへ行くのか。

 アイカは今、どんな顔をしてそのメッセージを打ったのか。


 それ以降、僕の返信に既読をつけることさえなかった。



 ・ ・ ・



【19:00】


 帰宅したあとのリビングは、驚くほど静かだった。


 いつもなら二人で「今日何があったか」をとりとめもなく話す時間。

 だが今は、空調管理システムの静かな動作音さえ耳障りに響く。


 僕は何度もスマホの画面を点灯させた。


 既読はない。


「同僚って誰?」「男?」「どこにいるの?」「何時に帰る?」


 打ちかけては消した無様なメッセージの残骸が、入力欄で点滅している。


(落ち着け。本当にただの食事かもしれない。僕を不安にさせるための嘘かもしれない……)


 そう自分に言い聞かせるが、思考は勝手に最悪のケースを追いかける。

 もし、僕が他の女と会っていた時のように、彼女も誰かに甘い言葉を囁かれていたら。

 僕が知らない彼女の顔を、誰かに見せていたら。


 時計の針が八時を少し回ったとき、玄関の鍵が開く音がした。


「ただいま」


 拍子抜けするほど、いつも通りの声だった。

 あまりに日常的なトーン。

 リビングに入ってきたアイカは、仕事帰りの疲れを少しだけ顔に覗かせながら、何事もなかったかのようにカバンを置いた。


「……あ、おかえり。早かったんだね」


 僕は立ち上がり、彼女の様子を窺う(うかが)


 お酒の匂いはしない。

 メイクも、朝出かけた時と変わらないように見える。崩れも、直した形跡もない。


 本当に、ただ食事をしてきただけ。


 アイカは、そのまま脱衣所へ向かう。

 心臓のバクバクが、ようやく収まっていくのを感じた。


 よかった。


 やはり彼女は、僕を懲らしめるために少し脅かしただけなんだ。


 安堵が全身に広がり、僕は深いため息をつきながらソファへ沈み込む。

 そのまま手持ち無沙汰にリビングのTVディスプレイを起動した。


 薄い液晶画面の端に、AIからの「本日のログに基づくご提案」がポップアップする。


『本日ご利用の「フォレスト・テラス」はいかがでしたか?

 ――現在、こちらの店舗で**「二名用ラウンジ席」**を利用された方への限定アンケートを実施中です。』


 心臓が冷たくなる。


 そこは駅前の喧騒から離れた、隠れ家のような店だ。

 薄暗い照明と、隣の席が気にならない半個室。


 はたして、同僚との事務的な食事に、そんな場所を選ぶだろうか。


『本日の親密な会話の続きに。リラックス効果の高いティーサロンはこちら』


 微かにシャワーの音が聞こえる中、僕はそのレコメンド(AIからのおすすめ)を見つめたまま動けなかった。


 お酒も飲まずに、早く帰ってきた。


 けれど、AIが淡々と記録した「二名用ラウンジ席」という文字列が、僕の不安をいいようもなく煽っていた。


Next chapter... [4/28] 8:30 <tomorrow!>


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