第一話 名探偵令嬢は口説かれる
「オレに投票してもらう。そういうことには出来ないか、レディー」
エドガーさまが所用で席を外されている中。
私の部屋を訪ねてこられたシャオリィさんは、酷く真面目な様子でそう仰った。
この場合の投票というのは、次期犯罪王を決めるための祭祀を指している。
第一席から第四席まで、そして私が投票権を持ち、己が犯罪王にふさわしいと思う人物へと投票を行うのだ。
そして得票率が一番高かった方が、次の犯罪王の席に座る。
「シャオリィさん、私は自分がいま、どれほどイレギュラーな状態にあるか理解しているつもりです」
「だろうな」
彼は表情を幾分か和らげ、皮肉そうに口元をゆがめた。
「本来なら全員が自分へと投票する。そして最後に親父が――当代の犯罪王が、自らの後継者に票を入れる、これはそういう儀式なんだ。出来レースみたいなものと思ってくれてもいい」
「だけれども、今回は違うと」
「ああ、そうだ。君がいるからな、レディー・ラーベ」
自由票が二つに増えたのなら、当然参加者はその確保を念頭に行動しなければならない。
第四席のタルバさんは先の事件があるからこそ打って出ることはない。
けれど逆に言えば、シャオリィさんが自粛する理由もまたないのだ。
「オレは本気だ」
「ちなみに、犯罪王になられたらどんな治政を成されるつもりですか?」
それはクリティカルな問いかけだったはずだ。
けれど彼は、酷く簡単に答えてみせる。
軽すぎるほどに、簡単に。
「誰もが幸福になれる世界。それがオレの夢だよ」
「ですが、世の中には格差や経済というものがあります。絵空事に人はついてきません」
「だとしてもだ」
糸目の彼が、よりいっそう目つきを鋭くして。
真剣に、語る。
「努力していない人間が、不幸のどん底にいる人間が、弱者が、咎人が、なにもしなくても許される世界。理想論は、そうであるべきだとオレは思う」
私たちは弱く愚かだ。
そして、それでも日々、自分が必死に生きているという自負がある。
自認していなくとも、問われたときにそう答えようとするはずだ。
だからこそ、何もしない人間に施しが行われることを、頑張ろうとせず怠惰に暮らす誰かが幸せになることを、心の底で憎悪し、嫌悪する。
無意識に、自分より下の人間が無償で報われてはならないと思ってしまう。
「内心の自由を是正したいとは思わないさ。だが、莫大な利益によってその差を埋めることは出来る。犯罪に手を染めるようなやつは、そもそも頭がおかしいか追い詰められている。前者を管理し、後者にはシノギを与える」
「ですが」
「綺麗事のお為ごかしに見えるって? でもなレディー。オレはこれまでやってきた。及ばないところは多々あったろう。だが、第一席になれば、無理を通せる箇所は無数に増える。現実的に、多くの大馬鹿野郎どもに食い扶持を与えられるんだ」
それは清廉潔白とはほど遠い、けれど確かな熱量に裏打ちされた美辞麗句。
無辜の民との断絶はあまりに深く。
ゆえにこそ、負うた人々に一抹の夢を見せるには十分なカリスマで。
だからこそ。
「残念ながら、私はあなたに投票出来ません」
「なっ」
「理由は明瞭です。統制された犯罪で、割を食うのは誰かという話です」
「…………」
彼は答えなかった。
解っていたからだろう。
シャオリィさんの語る夢は、即ち善良に生きる民草から少しずつ搾取をする、という論旨に他ならない。
罪を犯さず、税を納め、日々の些細な喜びを生きる糧とする人々から、その幸せを奪うこと。
それを正当化する展望へ、辺境伯の妻という立場にいる私が賛同することは不可能だった。
いや、これが悪徳の娘ラーベ・クレエアだったとしても、結論は変わらなかっただろう。
或いは悪意の総決算、最後のクレエアたるリーゼならこう言うのかもしれない。
『どっちつかずの八方美人に、人を治め、煽動する才覚などありませんことよ』
なんて風に。
「シャオリィ・ヴァーン。煙龍会の第二席。あなたは、矛盾しています」
「……ああ、君の言うとおりさ」
彼が肩を落とし、弱々しく呟く。
「オレには迷いがある。途方もない望みを抱えていながら、それを阻む迷い。君が指摘したように、それは矛盾だ」
言いながら、彼はゆっくりと顔を上げる。
糸のように細い目がかすかに開かれ、私を真っ直ぐに捕らえた。
そこで初めて、彼の瞳が青色だったことを知る。
「レディー、君には迷いがない。初めて出逢ったときから、ずっと君は一直線だった。真実へと向かう意志。オレはそれが欲しくて君に近寄って。そして」
そして?
「……本気で、恋をした。オレのものになって欲しい、レディー・ラーベ。オレの理想を、道を、きみの意志で支えて欲しいんだ」
即答はしかねた。
私は両目を閉じ、顔の前で手を合わせかけて、止める。
これは謎解きではない。
向けるべきは真実ではなく、きっと真心だろう。
「……では、その理想を叶えてください」
「なに?」
「叶えたあと、改めて告白してくだされば。ええ、はい、きっとお断りさせていただきます」
彼が、異様に苦み走った表情をしたあと。
頭をかきむしり。
そして、呆れたようにため息を吐く。
「まいったな、フラれる前提で告白しろと?」
「当然です。私はエドガーさまの妻なのですから」
「……解った。解ったさ。ああ、なんだかやる気が湧いてきたよ。なんとかする、夢も理想も、まずは自分の手で勝ちとって見せるとも。だから、その時は改めて」
「はい」
お待ちしていますと私が口にしかけた。
その時だった。
「なら、俺に投票するってのは、ありじゃないか。なあ、ラーベちゃん?」
ねっとりとした声が、部屋の中へと進入してきた――




