第六話 消えた龍血杯事件(答え合わせ)
「衛兵さんが、ヒントをくれました」
布袋の中で選り分けられた破片を、ひとつずつ手に取って見せながら、私は告げる。
「彼は変装術のプロで、一目で正体を見破ることは困難です。もしも同じことが龍血杯にも起きていたらと、そう考えたのです」
他とは見分けがつかない状態の杯というのを想定したとき、真っ先に脳裏を過るのはタルバさんが聞いた物音だ。
ガシャンと音がして、入り口まで戻ると配下の方々が泣いて壺を壊したことを謝った。
そして内部を確認すると、砕けた壺があり、代わりに杯が消え失せていた。
「奇妙な状況だとは思いませんか? ゴドーさんからの聞き取りによれば、これ以前において杯は無事だったとしています」
「なにが言いたいわけ、辺境伯夫人さん?」
タルバさんの力の無い問い掛け。
もはやとぼけるつもりもなさそうなので、一息に結論を吐く。
「龍血杯を、壺が壊れる以前に砕いてしまったのではありませんか? そう、他ならないタルバさん自身が」
「証拠は――」
「二点あります。ひとつは、ゴドーさんの証言」
タルバさんより前に宝物庫を訪れたのは間違いなく自分である、彼はそう宣言した。
ならば、最後とそしてゴドーさんが訪問する前に、タルバさんが宝物庫へ入っていたとしても、嘘にはならない。
「そして、こちらの方が重要な物証でしょうか」
手の中の欠片を、そっと掲げる。
「これは割れた壺と、おそらく龍血杯の欠片です。なので鑑定魔術を用いれば、宝物庫のものと比べてどちらが本物か、すぐに判別がつくでしょう。加えて言えば、指紋や魔力の残滓などが」
「ええ、結構よ。そう、あたし」
タルバさんが立ち上がり。
盛大なため息とともに、罪を認めた。
「杯を割ったのも隠したのも、そしてニセモノを宝物庫に戻したのも、ぜーんぶ! この、タルバ・ヴァーンよ」
§§
今回の一件をややこしくしていたのは時系列だ。
だからこそ、これを順番通りに紐解いてやれば、謎は容易く解体される。
宝物庫に補完されていた龍血杯。
これの無事を最後に確認したのはゴドーさん。
そして紛失に気が付いたのはタルバさん。
「この間に何かがあっても不思議ではない。私はそう考えました。二人のうちどちらかは、お互いが確認する前にもう一度、宝物庫を訪ねるチャンスがあったのではないかと」
「面倒を省いてあげる。報告していない訪問が確かにあるわ。そして丁度そのとき、あたしは割っちゃったの」
タルバさんの自供によれば、組織の出納役として、祭具のチェックを行うため宝物庫へ出入りしていたのだという。
しかし、度重なる激務によって意識が朦朧とし、
「ガシャン! 手を突いた先が悪くてね」
龍血杯は落下。
砕け散ってしまったと。
「そこからタルバさんは、壺のトリックを考えた」
「そのとーりよ。破片をより小さく砕いて壺の中へ。一部は壺を不安定にするため、下へ押し込んで」
「そして三日前、配下の方を伴って来訪。風魔術かなにかでバランスを崩させて壺を破壊。破片を攪拌。一緒くたになった破片を、龍血杯と悟らせないように外へと運び出すことに成功した。合っていますか?」
彼女は手のひらを天井へと向け、両肩をすくめて見せた。
降参ということらしい。
「一般的に、完全に壊れた魔導具は修復が困難とされています。タルバさんも苦心はされたのでしょうが、結果的にレプリカを作ることとなった。バレない勝算があったのではありませんか?」
「……マジでそれも知ってるわけ?」
呆れたような笑みを浮かべた彼女へ、「犯罪王さまから伺いました」と答える。
「小鳥、どういうことだ?」
「知れば簡単なことだったのです閣下。龍血杯の本体は――あの台座と紅玉なのですから」
§§
転移魔術というものがある。
任意の場所から任意の場所へ、瞬間的に物や人を移動させる魔術だ。
しかし大昔から悪用が続いた結果、現代では各地で対策が施され、この辺境伯領では転移門以外での行使が困難となっている。
逆説的に言えば、ポータルさえあれば、そして魔術を文字の形にした魔導陣を刻印した魔導具さえ存在すれば、それは誰にでも扱える技術となる。
「そう、龍血杯の台座はポータルの役目を持っていたのです」
犯罪王さまによれば、無名都市の地下にある古代ドワーフ迷宮。
そのどこかに、紅玉の片割れが安置されている部屋があるのだという。
部屋には地下水が充填される仕組みになっており、砂漠でありながら水分の貯蔵が可能。
これを任意のタイミングで引き出す装置こそ、龍血杯だったのだ。
「龍血が持つ薬効というのもの、おそらく地下水に溶けた鉱山性物質やモンスターの遺体、苔などの微量な成分によるものでしょう」
「超抜級の魔導具か……ならば小鳥、あの茶けた杯は」
「ただの器、ということになりますね」
ゆえにこそ、煙龍会の誰ひとりとして焦ってはいなかったのだ。
次代の犯罪王を決めるために必要な祭具が失われても。
なぜなら本質は、ずっとそこに残されていたのだから。
誰もが黙す、公然の秘密。
それが、この事件をややこしくしていた元凶なのだから。
押し黙る一同。
私は、誰にも気取られないようにため息を吐く。
この状況で決着にしてもいい。
私は謎を解きたいだけで、真実を白日の下に知らしめたいわけではない。罪と罰の秤に誠実であることと、すべてを詳らかにしないことは両立する。
だが――
「シャオリィさん。なにか、気付かれたことはありませんか?」
「オレが? ……いや、別段なにも」
肝心なところであてにならない糸目さんだ。
致し方ない。
縋るような気持ちで、閣下を見遣る。
「では、エドガーさま。いまの説明を聞いて、なにかありますでしょうか」
「……タルバは言い逃れをすることが可能だった。許可書、或いは他の幹部が宝物庫を訪れ、自分と同じトリックを仕掛けたと強弁出来た。だが、破片の調査を思いとどまらせた。この通り、重要なアイテムですらなかったにもかかわらずだ。ならば」
「さすがです」
打てば響くとはこのことだろう。
欲しかった答えが全て返ってくる。
そう、彼女は別の誰かに罪を押しつけることが出来たのだ。
なにせ確定的な物証の調査はこれからだったのだから。
だというのにそれをせず、自分の罪だと受け容れたのは――
「そこまでで結構だとも、黒き姫君よ」
しわがれた、しかし芯の通った声が響く。
犯罪王ゾッド・ヴァーンが、にこやかに告げる。
「もとよりこの場は糾弾のために設えたものではない。無論、裁きの場でも無い。誰が壊したかさえ解れば充分。タルバ、レプリカの作成を贖いとして、罪を不問とする」
「ですが、第一席」
「不問とする。よいかな?」
「……はっ」
言い募ろうとするタルバさんを、犯罪王は封殺。
完全に貫禄の差が出ていた。
だが、これでハッキリした。
全てが明瞭になったと言っていい。
つまり、この事件は家族による庇い合いだったのである。
なにが誰もが目する公然の秘密だ。
こんなもの、ただ黙認していただけじゃないか。
犯罪互助組織〝煙龍会〟。
過酷な砂漠という環境で、奇跡の水を糧としながら助け合い、今日まで生きてきた人々の寄り合い。
それは、家族や血族と呼ぶに差し障りのない固い結束と繋がりだろう。
であるならば。
もしも末端の構成員、宝物庫の許可書を与えられるほど信頼された部下が過ちを犯したとき、幹部はこれを庇おうとするのではないか?
そして他の幹部達もまた、そんな彼女を、タルバさんを見捨てられなかったのなら?
これが、組織ぐるみによる隠蔽であり。
私が謎を解くことで、罪の所在を明らかにして、穏やかに裁くための儀式だったのなら?
「体よく利用されたものだ」
ぼそりと、私にだけ聞こえる声で閣下が呟く。
実際その通りだろうと思う。
部屋の隅では、呼び出された配下の人達が、ずっと青い顔でブルブルと震えていた。
掟を逸脱した者には罰則を。
だが、不慮の事故には救済を。
それが、彼らの。
砂漠に生きる民の心得なのかもしれないと、私は感じるのだった。
§§
「いや、待てくれ。ひょっとしてオレは除け者じゃないのか? 知らなかったのはオレだけか?」
その後、再び開かれた酒宴の席で、シャオリィさんがベロベロに酔っ払いながらそう言って絡んできた。
実際彼は、この一件についてほとんど何も知らなかった。
それはなぜか?
「当然だろう、シャオリィ。お前は知れば隠しておけないし、悩んでしまうに違いなかったからな。犯罪王として、お前に足りていないものはそれだ。もっと俺のように豪胆になれ、がはははは!」
そう言って豪快に笑うのはゴドーさん。
なるほど、犯罪王の後継者は器が大きい。
一方で糸目の彼はやはり渋面を浮かべており、その差はじつに対照的だった。
謎の解決を祝う宴は深夜まで及び。
やがてお開きの時間がやってくる。
「辺境伯殿、そしてクレエアの末裔よ」
自室へ戻って睡眠を取るべく席を立った私たちへ。
犯罪王さんは、こんなことを申し出てきた。
「明後日に控えた儂の後継者を選ぶ祭典へ、おふたがたもどうか、参加されていただきたい。とくにクレエアの。おぬしには、投票権を与えるつもりだ。是が非でも、佳き後継者を選んでくれよ?」
かくして。
私と閣下の小旅行。
無名都市生活は、延長戦に突入する。
そこで起きる惨劇を、知りもせずに――




