ナイル河の東岸は生者の町、西岸は死者の町は正しいのか ⑨
では、東岸が本当に生者の町なのか見てみよう。
もちろん現在ではナイル河の両岸に町は存在するのだが、古代エジプトでは主要な町がすべて東岸にあったわけではないのは前述したとおりなのだが、その逆、つまり東岸に墓地群がなかったのかといえば、そんなことはない。
東岸に墓地群があった有名な場所はアマルナではあるが、その他にも墓地群はある。
たとえば、デル・エル・ベルシャ。
ここは中王国時代の貴族たちがこぞって岩窟苦墳墓をつくった場所であり、さらに北にいくとベニハサンにも有名な墓地群が存在する。
アコリス近郊やシェイク・サイードには古王国時代の墓がある。
このことから、ナイル河東岸に墓地群をつくったというだけでアクエンアテンが変人とするのは極論だということがわかる。
そして、東岸に墳墓がある場所には共通した特徴がある。
岩窟墳墓だったこと。
そして、ナイル河から墳墓がつくられた崖は、西岸のそれに比べて圧倒的に近い。
このことから、墳墓をつくる条件のひとつにナイル河が見えること、もう少し気が利いた言い方をすれば、ナイル河ビューがあったのではないか。
そう思って西岸にある有名な墳墓群を眺め直すとおもしろいことが見えてくる。