第一話 人見知り、異世界に彷徨う 1 人見知りと美少女
……これはいわゆる、密室だ。
と、いってもミステリーが始まるわけじゃない。ただ、僕が人目につかないところで、脅されてるだけなんだ。
「なあ、夏木よ」
この場――武道場の更衣室。この控えの場の中央で椅子に座り、この場を支配してるのは三年の先輩、黒岩謙吾先輩だ。
その先輩はいかつい体格を椅子に乗せ、足を大きく開いて腕を組んでいる。
「俺はな、努力ってのは報われるべきだと思うんだ。お前はどう思う?」
「そう……思います」
僕は消え入りそうな声で、それだけを口にした。僕――夏木士郎は、謙吾先輩に見下ろされる形で、正座させられている。
謙吾先輩は薄笑いを浮かべた。
「そうだよな! お前もそう思うよな? じゃあ、どうだ。二年生でな、懸命に部を引っ張って練習して来た奴が、大会に出れないってのは――ちょっと理不尽というか、可哀そうだとは思わんか?」
……僕は――答えられなかった。
だって、そうだろ。僕だって練習して、頑張ったんだ。それで――結果を出した。それなのに……
それなのに試合に出られないって、その方がよっぽど理不尽だろ。
「ほう……お前はそうは思わないか。まあ、お前は自分が大会に出られれば、それでいい。そういう奴ってことだよな?」
「だけど……」
僕は消え入りそうな声を出した。と、謙吾先輩が大声で怒鳴る。
「だけど、なんだっ!!」
「ヒッ――」
恐い! 僕は思わず縮こまった。
「何ビビッてんだ! 謙吾先輩は、お前の話を聞いてやろうって言ってんだよ!」
そう大声を出したのは、二年の鳥井先輩だ。謙吾先輩の腰ぎんちゃくだ。
けど、鳥井先輩の声を聴いて、謙吾先輩はにんまりと笑みを浮かべる。
と、不意に正座してる僕の傍に、もう一人の二年生、犬山先輩がしゃがんできた。
「お前……まさか、たまたまマグレ当たりした一本で猿川に勝ったこと――実力だなんて思ってないよな?」
犬山先輩が、僕の耳元でそう囁く。
僕は猿川先輩をちらりと見上げた。二年生の猿川先輩は、不機嫌そうな顔でこっちを見ている。
立ったままの鳥井先輩が、声をあげた。
「おい! どうなんだ!? お前、自分に実力があるとか、思ってんのか!」
「まあ、そう大声を出すな、鳥井。――なあ、夏木よ。マグレ当たりでも勝ちは勝ち。部内選考試合で勝った者が、大会にでる……まあ、そりゃ理屈だよ。けどな、俺は三年生で、もう卒業を控えてる。この意味が判るか?」
謙吾先輩は、僕を見下ろした。
「俺はな、ちゃんと努力した奴を評価したい。――し、それに俺の最後の試合なんだ。ベストメンバーで、大会に出たいんだよ。つまりな、まぐれ当たりで勝った奴と団体に出たりしたくないんだ。判ってくれるか?」
謙吾先輩はそう言うと、僕を睨みつけた。
と、すぐ傍にいる犬山先輩が囁く。
「なあ、夏木。『僕は実力不足なので、出場を辞退します』って言えよ。それでも補欠には入れる。一年で補欠なら、大したもんだぞ?」
――僕は、犬山先輩を見た。口は笑みを浮かべているが――眼が笑ってない。
判っていた。いきなり先輩たちに呼ばれて、意味も判らず正座させられた時、きっとこういう話になるだろうって思ったんだ。
「ぼ……僕は……」
「おう、なんだ? 言え、夏木。主将には俺から、ちゃんと伝えといてやる。心配するな」
謙吾先輩はここで、初めて優しそうな笑みを浮かべた。
涙がにじんでくる。
どうしてだ。……僕が勝ったのに。どうして、僕が辞退しなきゃいけないんだ。
僕は思わずうつむく。
「おい、夏木! 謙吾先輩が待ってるだろ!」
鳥井先輩の声が上がる。
僕は……恐いし――逆らえない。剣道をやって強くなったつもりだったけど――結局、弱いままだ。
「僕は……実力不足なので――」
僕は半ベソをかきながら、そう口にしかけた。その時だった。
更衣室のドアが開く音がして、僕らは一斉に振り返った。
「――そこで何の話をしている?」
姿を現したのは――部長で主将、三年生の如月光流先輩だ。
「どうした謙吾? 何の話をしてる。……どうして、夏木は正座をしてるんだ?」
「いや――こいつが、話があるというから聞いてやってただけだ。な、夏木?」
謙吾先輩が、そう言って僕を睨みつける。
僕は涙ぐんだまま――答えなかった。
如月先輩が、口を開く。
「それで? 夏木はなんて言ってるんだ?」
如月先輩は、その端正な面立ちを崩すことなく、謙吾先輩に訊いた。
謙吾先輩が、少し動揺しながら答える。
「いや……夏木が言うには、自分は実力不足だから、大会出場は猿川に譲りたいと――そう言ってだな」
「謙吾、お前はどう思う?」
鋭い眼差しで、如月先輩は謙吾先輩を見つめた。
「ど……どうって――」
「謙吾、お前は一つでも多く勝ちたくないのか?」
「そ、そりゃ勝ちたいさ」
「なら、大会には勝てそうな奴から選ぶべきだ。私はそう思ってるが……お前はどうだ?」
如月先輩の眼差しに、謙吾先輩があからさまに動揺する。
「俺も――そう思う……」
「私の見たところでは……夏木は自分を過少評価して自信がないところが問題だが、実力は確かだ。それは部内の対抗戦ではっきりした。――違うか?」
如月先輩は、謙吾先輩を凝視する。
謙吾先輩は、苦し気な顔になりつつも平静を装って答えた。
「そ、そうだな。……お前の言う通りだ――」
「そうか。見解が同じでよかったよ。――夏木、もう行っていいぞ。そして……今後、つまらないことは口にするな。いいな?」
「は、はい!」
僕は立ち上がって、更衣室の出口に向かった。
「失礼します!」
出る時に、礼をする。――もちろん、如月先輩に向かってだ。
少し如月先輩が……僕を見て微笑んだ気がした。
僕はそこから駆け出す。
如月先輩は全国でもベスト3に入るほどの実力者で成績も優秀、容姿も端麗。
もう、憧れるしかないくらいのスーパー剣士で、おっかない謙吾先輩でも実力は如月先輩には全然敵わない。
よかった……如月先輩は、全て見抜いた上で、僕を助けてくれたんだ。
あのまま如月先輩が来てくれなかったら――僕は自分の意志でもないことを口にするところだった。
僕は人と話すのが苦手で、同学年の男子ともあまり話しをしないし、先輩たちとも普段からあんまり話もしない。
だから二年の先輩も、謙吾先輩も僕のことを『ヘンな奴』という扱いで、まとも相手にされたことがないんだ。
けど、如月先輩は、うまく言葉を返せない僕にも、丁寧に指導してくれた。……そんな先輩なんだ。
「――夏木くん!」
「うあわっ!」
急に呼びかけられて、僕は心臓が止まるかと思うくらいビックリした。
声の主を見ると――同じクラスで同じ剣道部の上条舞菜さんだ。
「か、上条さん……」
「夏木くん、大丈夫だった? なんか変な雰囲気だったから、主将呼びに行ったんだけど――」
あ――。上条さんが、如月先輩を連れてきてくれたのか……
「あ……ありがとう…」
「どうかした? なにかあったの?」
上条さんが、僕を覗き込んでくる。
「い、いや……なんでもないよ」
僕は思わず、顔を横に向けた。
だって――可愛すぎて、正視できないんだ……。
多分、クラスで一番可愛い――と僕は密かに思ってる。
後ろに簡単にまとめたストレートの黒髪。細い顎に小さな唇。それに何より……大きな、澄んだ瞳。
そんな瞳を僕に無造作に向けてきて、心配そうな顔をしてる。
僕はそんな視線に耐えられなくなって、歩き出した。
「ね、本当に大丈夫だったの?」
「う……うん…。如月先輩と――上条さんのおかげで……大丈夫」
それだけ必死の想いで言うと、僕は顔から火が出るほど熱くなった。
けど上条さんは、僕の隣に並んで歩き出すと、物凄く可憐な笑顔をみせた。
「そ? それならよかった」
その笑顔の可愛さに――僕はやっぱり視線を逸らした。
「ね、夏木くん、さっきの部内対抗戦、凄かったね」
上条さんがそう言ったので、僕は思わず視線を戻した。
と、上条さんは試合の光景を思い出すかのように、上を見ている。
「副将の謙吾先輩とも凄くいい戦いをして、最後に小手きめられちゃったけど、凄くいい試合だったよ。それに二年生の二人とも引き分けだし、猿川先輩には綺麗な出ばな面きめたしね」
そう言って、上条さんは笑いかけてくる。
そんなに褒められても……
僕は思わずうつむいた。
「今度の団体戦、出られるんでしょ? 一年生で出られるなんて、凄いよ」
「……上条さんも……出るじゃない」
僕はちょっと目線を合わせて、上条さんに言った。
上条さんが、からからと笑う。
「女子剣道部は人数が少なかっただけ。あたしと紫苑先輩しかいないしね。そりゃあ、出るよ」
「けど……上条さんは……上手だと思って…る」
僕はそう言った。うちの剣道部は女子が少なく、三年生の西園寺紫苑先輩と上条さんは、男子に混ざって練習をしてるのだ。
だから僕は、上条さんが上手なのを知ってる。
「ありがと、褒めてくれて」
上条さんが、またにっこり笑った。やっぱり……可愛いすぎて眼が合わせられない。
と、上条さんが、くす、と声を洩らした。
「……夏木くんて、不思議ね」
「な――なにが……?」
「普段はこんなにおとなしいのに――竹刀持つとさ、人が変わったみたいに凄い気迫じゃない。なんか、そのギャップが不思議だなぁって」
「そ……そうなの…かな――」
竹刀を手にした時だけ――普段の臆病で人が苦手な自分から解放される。
そんな気がしてる。
「ふふ――大会、頑張ろうね」
「う…うん……」
僕は目線を合わせられない――と、思ったけど、やっぱり見たくなって……上条さんの笑顔をそっと見た。
――そして大会の当日が来た。
如月主将と謙吾先輩、それに鳥井・犬山・猿川の二年生組と僕が男子。
女子は三年の紫苑先輩と、一年生の上条さんが、マイクロバスに乗り込んだ。
運転をするのは顧問の長崎天音先生だ。
「みんな、忘れ物ないわね~?」
眼鏡をかけたちょっと美人の天音先生が、皆にそう声をかける。
実はスタイルがよくて、男子生徒たちはコソコソ噂話をしてたりするけど、先生本人はちょっと天然の入った親しみやすい女性だ。
「女子は大丈夫です」
先生にそう答えたのは、三年の西園寺紫苑先輩だ。
ブラウンの髪をショートカットにしている、誰もが認める美人だ。その上、実は実家も凄いお金持ちで、お嬢さんだって聞いてる。
けど、竹刀を握ると、かなり気迫のある剣を使い、実は相当の実力者だ。
一年、二年の男子たちは、みんな紫苑先輩に憧れてる。僕は――
僕はちらっと上条さんを見た。……やっぱり、可愛いなって思う。
と、上条さんがこっちを見て微笑んだ。あわわ! 僕は慌てて眼を逸らす。
「男子も大丈夫です。先生」
「それじゃあ、みんなバスに乗って。出発!」
如月先輩の答えを聴いて、天音先生を先頭にマイクロバスに乗り込んだ。
「先生、運転大丈夫なんですか?」
「何度かレンタルしてるから、大丈夫よ」
如月先輩と天音先生がそんな話をしてる。
バスの中では、学年ごとに固まった感じで座った。
如月先輩と紫苑先輩が隣同士に座り、謙吾先輩と鳥井先輩、犬山先輩と猿川先輩、そして――僕と上条さん、が隣同士だ。
ち……近い。
「夏木くん、窓際座る?」
上条さんが、微笑しながら訊いてくる。
「う、ううん! 上条さんが座るといいよ」
「そう? ありがと」
ふふ、と上条さんが笑った。思わず、その可愛さに見惚れそうになって、慌てて眼を逸らす。
それから先のバスの時間――僕は上条さんが傍にいる、というだけで、ずっと緊張してた。
けど、上条さんはそんなこと気にした様子もなく、話しかけてくる。
「ね、緊張してる? あたし緊張してる。初めての大きな試合だからさぁ」
き、緊張してるけど……別の理由で――
「ぼ…僕も……初めて…だから――」
「中学の時は? 大きな試合出なかったの?」
上条さんが覗き込むようにして訊いてきて、僕は焦って答えた。
「中学の時は……全然…勝てなかった……から――」
「ふ~ん、そうなんだあ。――じゃあ夏木くん、強くなったんだね。努力したんだ」
上条さんがそう言って笑う。
僕は、その笑顔を見てるだけでドキドキしていて、実はもう何を喋ってるのか、自分ではあまり判ってなかった。
車窓から差す陽光が上条さんの笑顔を眩しくしてる。
うわ、どうしよう。……そう思ってると、不意に社内が暗くなった。トンネルに入ったようだった。
「あ、トンネルだ。暗いね」
「……ちょっと長いトンネルみたい」
僕と上条さんは、そんなやりとりをする。
――と、その時、運転席から天音先生の声が上がった。
「え!? なに! どうしたの、一体!?」
明らかに声色がおかしい。如月先輩が、声をあげた。
「どうしたんですか、先生?」
「道が――道が消えたのよ!」
天音先生が悲鳴に近い声を出している。如月先輩はシートベルトを外して席を立ち、運転席に近づこうとした。
と、その時、ガクンと車内が揺れる。
「むっ!」
如月先輩が、傍のシートに捕まる。
僕と上条さんは、不安な顔で互いに顔を見合せる。
すると、天音先生の声が響いてきた。
「道がない! 真っ暗で何も見えないし、ライトに道が照らされてないの!」
天音先生は、ほとんど悲鳴に近い声をあげた。
その時だった。
グアン、と凄い衝撃音がして、バスの天井が僅かながらへしゃげた。
「な、なんだっ!」
謙吾先輩が声をあげる。
「落石か? いや――落盤?」
如月先輩が立った状態でバスの天井を見ている。
が、その見ている天井が恐ろしい金属の軋み音をたてて、へしゃげ始めた。
「みんな、窓から外に出ろ! 車に潰されるぞ!」
「うわぁぁっっ!」
「は、早く!!」
バスの中はパニックになった。
窓際の生徒たちが窓を開けて、真っ暗な外に飛び出していく。
「早く、みんな外に出て!」
天音先生が悲鳴に近い声で叫ぶ。僕は上条さんを見ると、上条さん側の窓が開かない。上条さんが、泣きそうな顔で声をあげた。
「窓が開かないの、夏木くん!」
僕はそれを聞くと、逆側の車窓をとにかく開けた。




