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ハリボテ

東京、湾岸エリア。

夜空を突き刺すようにそびえ立つ超高層タワーマンション。その45階にあるスカイラウンジは、今夜も「選ばれた住人」たちの嬌声で満たされていた。

「誠二さん、次のお酒まだかしら? 私、喉が渇いちゃった」

中央のソファで扇の要のように座る女、柏木礼子が、艶やかな爪を立てた指で空のグラスを指し示した。39歳。IT企業経営者の妻であり、このマンションの「女王」を自称する女だ。

「あ、すみません! すぐに持ってきます、礼子さん!」

私の夫、誠二が、まるで訓練された大型犬のように勢いよく立ち上がる。

彼は汗をかきながらバーカウンターへ走り、礼子の好むヴィンテージのシャンパンを恭しく運んできた。あろうことか、彼は礼子の足元に片膝をつき、跪くような姿勢でグラスを差し出したのだ。

「どうぞ。礼子さんのために特別に冷やしておきました」

「ふふ、気が利くわね。誠二さんって、本当に使い勝手がいいわ」

周囲の取り巻きたちがクスクスと笑う。それは「ハイスペックな男性」への敬意ではなく、明らかに「便利な下僕」を眺める嘲笑だった。

私は少し離れたカウンター席で、その光景を冷ややかに眺めていた。

手元のグラスには、私が自室から持ち込んだ最高級の豆で淹れたコーヒー。

私の名前は綾香、32歳。

このマンションの低層階に住む「地権者」だ。

地権者——。

このタワーが建つ前、代々この土地を持っていた一族の末裔。再開発の際、土地と引き換えに複数の住戸を無償で提供され、管理費も修繕積立金も免除されている、この箱庭における「真の特権階級」。

しかし、礼子たち「分譲組」にとって、低層階の地権者は「たまたま居座っていただけの邪魔な既得権益者」でしかない。

「あら、綾香さんもいたの?」

礼子がわざとらしく声を張り上げた。

「そんな端っこで寂しそうに。誠二さんはあんなに社交的なのに、地権者さんってやっぱり内向的というか……掃除婦みたいに地味よねぇ」

誠二がこちらを見て、困ったような、それでいてどこか優越感の混じった顔で笑った。

「礼子さん、すみません。こいつ、地権者なんていう運だけの幸運でここに住んでるから、都会の付き合いに慣れてなくて。僕がしっかり教えておきますから」

誠二。

あなたは大きな勘違いをしている。

あなたが今、得意げに踏み締めているその床も、跪いているその空間も、元を辿ればすべて「私の一族の土地」なの。そして、あなたが今日着ているその高価なスーツも、礼子さんに貢いでいる手土産の代金も、すべては「私の資産」から出ている。

「誠二、そろそろ戻りましょう。明日も早いでしょ」

私が静かに告げると、誠二は露骨に嫌な顔をした。

「おい、空気読めよ。礼子さんとのお付き合いは、このマンションで生きていくための生命線なんだぞ。お前みたいな低層階の引きこもりには分からないだろうけどさ」

彼は私に背を向け、礼子の機嫌を取るようにまた新しいシャンパンを注いだ。

その時、彼のポケットからスマホが滑り落ちる。

画面が点灯し、通知が躍った。

『誠二さん、明日のホテル楽しみ♡ タワマンの夜景、早く見たいなw』

相手は職場の派遣社員。24歳の、世間知らずそうな女の子。

誠二は慌ててスマホを拾い上げたが、私はすべてを見ていた。

(不倫……。しかも私の地権者枠で借りているこのマンションを、自分の手柄にして女を誘っているのね)

誠二。

あなたは私を「替えの利く、つまらない女」だと思っているみたいだけど。


頭が悪すぎ。


あなたは明日、その不倫相手との密会の最中に、自分の人生から「タワマン」も「キャリア」も、そして「住む場所」さえも消去されることになる。

私はコーヒーを飲み干し、一足先にラウンジを後にした。

背後で、誠二の卑屈な笑い声と、礼子の高慢な笑い声が重なって響いていた。

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