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失恋と自覚の事情(1)



 アロネたち親子のわだかまりは溶けただろうか――。


 そうな風に考えながら、彼女たちをぼうっと眺めていたイリヤの耳に客人の声が響いて、この場を思い出し背筋が自然と伸びた。


「……さて。それではそろそろ部屋に下がらせていただきますね。ご婦人の部屋にこんなに遅くまでいるのは例え目がなくても良いことではないですから」


 しんみりした空気に風を吹き込んだのは国境地領主家の長男タキラだった。


「シュウとリョカは話足りないのであれば母君の部屋に。私たちのことは気にしないで良いから――って、あっ、すみません。もちろん奥様が良ければ、ですが」


 思わず自邸のように振る舞ってしまったタキラは彼の弟のマキラに脇を肘で突付かれ、イリヤに申し分けなさげな顔を見せた。


「――ええ、そうね、アロネも私のことはいいからゆっくり休んで。……ゲイルも」


 イリヤ自身どこか空虚(うつろ)に響く言葉が口から出たことで、その場は解散となった。



       * * * * *



『愛しいイリヤヘ』


 イリヤの父レアスからの手紙の書き出しはいつも同じ。

 流麗な文字から愛に満ちて優しいレアスの声が聞こえるような気がする。


 エントランスでさらっと流し読みした手紙を、眠れぬイリヤは自室の出窓の側でじっくりと読むことにした。暗い部屋に響くのは時折小さく薪が爆ぜる音、オイルランプの芯の焼ける音、微かな風と叩きつけられる雪。ごくごく静かな音だけ。


『折角のんびりしているところ申し訳ない』


 のんびり。


(のんびりしているのかしら? ……そうね、そうかもしれない)


 イリヤの一家に王都での社交は免除されている。

 夜会も舞踏会も盛大な茶会も行ったことはない。お誘いがあるのか分からない。顔を出したことがないからだ。

 他国であれば年頃の子女のお披露目があるようだが、この国にはない。


 現在のイリヤに領主夫人という肩書きはあっても、ご夫婦でという集まりに誘われたことは当然と言ってしまうと癪に障るが、一度もない。

 まあ夫婦として暮らしたことなどないのだから当たり前といえば当たり前。


 ダナレイは領主であっても身分で言えば下位なので、王都に呼ばれることもなければ、王都から客を迎えることもないという割りと楽な身分でもあった。


 せいぜい代官の元へ赴き、酒肴を嗜む場をそれなり設けられることぐらいだろうか。

 イリヤが領主代理としてあちこち回らさせられた時にはこちらが夫人ということもあり、昼間に婦人会での茶会や会食程度が殆ど。


 王都の高位身分の夫人のことを思えば、何もしなくて良い今は確かにのんびりしていると言えよう。

 何しろ名目上イリヤは「療養中」なのだから。


『商隊にいつも以上に厳ついのがちらほらいるかもしれないが、私の古い友人たちだから労ってやってほしい。雪解けまでの間分の彼らと商隊、そちらの分も食糧や必需品を揃えてある。もちろん私の賢い娘であるイリヤなら、きちんと色々常備しているだろう。だが、雪解けまでは長い。備えあれば憂いなしと言うだろう?』


 夫婦として破綻していても、せめて物資に心を配るのは領主でもある夫の役割のはずだが、ダナレイはそれを放棄している。きっとレアスからの援助物資について把握しているのだろうとは思うが、それでも、だ。


 もしくはイリヤたちが雪に閉ざされた邸で飢えたり凍えたりして死んでも構わないと思っているのか――。


(そこまで恨まれるいわれはないのだけど)


 ふう、と小さく息を零して意識を手紙に戻す。


『さて、もう知っているかもしれないが、イージャたちのことだ。家族の事であるので伝えておくね。少々手を焼いていて、君たちの(ティシア)の心身に良くない』


 ――そこまでか。


 ティシアは降嫁したとはいえ、身分的にも血筋としても(れっき)とした隣国の王族であり、その矜持(悪く言えば気位)は当然高い。


 領地でのびのび育てられたとはいえ、イリヤにもそれなりの教育は施されているし、可能性として遠い国での縁談もあるかもしれなかったために二国分の知識をも与えられてきた。

 それは当然弟のイージャにも当てはまることだったが、彼は後継者教育も為されていたはずなのに、どうも子供の頃から自身の血筋しか見えていなかったフシがある。


 弟の妻となった女性もまた遠い国の王族の血を引いているという看板に惹かれたようだった。

 彼女の生家はレアスが来るまでは王家の代理として真面目に領地を治めていた家だとは聞いているが、もしかするとその辺に傲る気持ちが育っていたのかもしれない。


 そういえば以前イリヤは母のティシアから、弟の妻から王都の華やかな場に出たいとねだられたという話を手紙でだが以前に知らされたことがある。


 弟のイージャはイリヤの三歳下で二十歳、その妻は同い年。

 嫁いだ時はまだそれより幼いので、きっと華やかな場に憧れがあったのだろう。

 まして一応領主家に嫁に来て、その領主家も他国の姫君を妻に迎えた遠いとはいえ自国の王家に連なる血の持ち主。王都にも邸があり、そこで暮らすのだと思っていたのかもしれない。


 そしてその弟とは長く会ってない。結婚式も不参加のまま、気付けばイリヤに甥姪が出来ていたほどに。


 手紙はちょうど弟について書かれている部分だったので苦笑して手紙に頭を戻す。

 けれども次の一文に眉を(ひそ)めた。


イージャ()()に出すことにしたからね。そのつもりで(・・・・・・)


「……何やらかしたのよ、イージャ。……私たち姉弟揃ってホント何やってんだか……」


 出窓に頭を寄せると、ひんやりとした冷たさを感じる。窓の向こうは鎧戸で見えない。隙間風もそこまでは入ってこない。

 手元にある灯りの揺れる炎で、窓に映り込んだ自分の姿が見えるだけだ。


 もう妻も子供もいるイージャを外に、ということは彼を後継から外すということだろう。

 

 そのつもりで、というのはイリヤを生家に戻らせるということだ。


「……あのクズとやっと縁が切れるのね」


 そう、王命での結婚とはいえ、ティシアとこの国の王族との溝は深い。だからそもそも聞く必要のない命令だった。

 ティシアの手前、突っぱねることも出来たはずが、どういうことか王に文句を言いに行ったはずのレアスはそれを受けていた。


 けれども結婚は神に誓うという神聖な契約。最悪離縁出来なくとも別居で、家に戻ってくれば良い。レアスはそう言っていたが、実際のところそれは難しかった。


 ダナレイがイリヤを疎んで遠ざけたせいであちこち引っ張り回され落ち着かなかったのも大きいが、イリヤ自身の負けず嫌いな性格によるところが大きい。


 別にダナレイの領地に必要とされているわけではない。イリヤがいなくても代官たちがしっかりしているので元々上手く回っていた。


 ただ、領地にイリヤが来たから皆意見を述べたり面倒事を都合良く押し付けただけ。それをイリヤは解決することで自分は働いている、誰かに必要とされていることを実感したかっただけ。


 結婚しておよそ八年。

 この八年は重い。

 それでも得られたものもあった。


 イリヤにとってはかなり癪だが、ダナレイと結婚したから出会えた人々。


 その中で初めての恋も経験した。

 そこで知り得たもの。


 恋愛感情こそ持てなかったが、誠実に支え合おうと約束していたイリヤの元婚約者(カイユ)、決して考えなしではなかったはずのこの国の(シエロ)、ゲイルに消えない心の傷を付けた小国の女(アシュ)、王と張り合ってでも手に入れようともがくダナレイ。


 彼らは皆、自身の恋心のために約束を破り、他人を踏みにじり、傷付けることで恋を叶えようと動いた。


 駆け落ち、暴走、監禁、破滅。


 イリヤには到底理解できないはずだった彼らの短慮さ、周囲の見えなさを理解(わか)ってしまった。


 イリヤは自嘲する。

「なんて愚かで滑稽な恋心(もの)なの――」






 

 

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