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従者兄弟の事情(1)



 リョカが六歳、シュウが十二歳の頃。


 祖父が倒れ、祖母は教会付属の治療院に置き、自分たちは国境地へと連れて行かれた。


 身売りだと思った。


 その時はまるでこの世の全てから見捨てられたような心地になり、ひどく嫌がって泣いて暴れた記憶がリョカにはある。


 いつも冷たかった兄が眉を下げ、その日ずっと彼にごめんなと謝り続け、スキンシップが苦手なはずなのに、小さな子供のように泣き喚くリョカを優しく抱いてあやしてくれていた(気がする)。


 粗末な乗り合い馬車に長いこと揺られて着いた国境地ではこれまでと違った生活(くらし)が彼を待っていた。


 それは大きな城のような屋敷でてっきり下働きをするものだと思っていたのに、肌触りは良いが何だか動きにくい服に着替えさせられた。


 そして厳しい礼儀作法に始まり、主人(あるじ)を優先すること、基本的には滅私で仕えるということ、身分差や血統について、国の歴史や国境地の重要性、読み書き(他国の言葉も含め)と計算、主人の身を守るための行動のあれこれまで教わった。


 言葉遣いや仕草、マナーはかなり難しい。

 五年経っても完全に身に付いていない。六歳上の兄ですらやはりなかなか難しいようだった。

 むしろ自分の方が幼かった分そういったものを取り込みやすかったのかもしれないが、気を抜けばいつだってすぐ元の自分が出てくる。


 色々と拙い中、それでもシュウは彼と一歳違いの国境地領主の後継者であるタキラに、リョカは自身より二つ歳上の次男マキラに付くことになった。


 そして彼ら兄弟の間には妹であるナルシェリアがいた。


 主人であるタキラとマキラと違って、ナルシェリアはリョカたちにとても気安く優しい。そして深窓のお嬢様とも違い、しっかりとした芯のある強さをもっていた。

 少し歳上の彼女にリョカは憧れではなく、はっきりと恋するようになることは仕方なかったかもしれない。


 それだけの年数を国境地(ここ)で過ごし、彼が関わった同年代の異性の誰より可愛らしい、守られるべき姫だった。


 けれども実ることなど決してないことは教育のおかげで理解していたため、自覚した最初から諦めねばならない初恋だった。


 けれども彼女はリョカと同じ場所に住んでいる。恋心は捨てられない。

 それに彼女にもうすぐ縁談が持ち込まれるであろうことも知っていた。

 この気持ちは秘めたままだからこそだろうか、消そうとしても消えず余計に燻り続けている。


 だから、その状況を一変できる情報が彼の元に密やかに伝えられた際、これは千載一遇のチャンスだと思った。

 だからリョカはシュウにも嬉々として伝えた。


 自分たちは仕える側ではなく、本当はタキラやマキラと並ぶ身分、それより遥かに上であることを。


「――で?」

「え」

「その証拠はどこにあんの?」


 シュウの記憶にある兄の怒り以上の冷ややかな声の追及にリョカは目を泳がせた。


「いいか? 俺たちは『拾ってもらった』んだ。領主様方に教育まで施してもらったんだから、ご恩返ししなきゃなんないの、わかる?」

「……う、うん。でも……」

「『でも』じゃない。それよりも、お前(リョカ)がお嬢様に叶わない恋心を抱いてることは知ってる。見てすぐ分かるから」


 リョカは兄に恋心を知られていたことに動揺しつつも頷いて話の先を促す。


「仮に――仮に俺たちが本当は領主様と血縁関係があったとして、仕える立場になるのはおかしくないわけ。生まれがそもそも違うの。習っただろ、分かるか?」


 リョカは俯く。シュウは溜息をひとつ吐いてから話を続ける。


「分家と本家な。もし俺たちが並ぶなら領主様の直系じゃないといけない。領主様は俺たちの親父じゃないし、お子様方と俺たちは兄弟姉妹(きょうだい)でもない。いいか、今から酷なこと言うぞ」


 シュウはリョカの顔を真っ直ぐ見る。下を向いてしまった弟の瞳は昏くなっているだろうと思ってやるせなくなる。

 今まで習ってきたのは、きっとこんな時のための教育だ。

 そしてあの時、司祭が言っていたのはこういう日が来ることを見越してだろう。


 血縁関係があるのは本当。血統的に庶子の血が入ってるのでおそらくある意味分家であるのも本当。


 領主(グレイ)は本来なら伯父だ。

 そして自身の父は伯父の異母弟(おとうと)であることも今のシュウは知っている。

 それをいずれ明かす時が来たとしてどうするかグレイに()かれた時、リョカに隠し通すことに決めたのはシュウだ。


 当時六歳の幼い弟に自分たちの立場を理解させることは難しかった。


 自分たちは身分ある家に生まれてきたわけでも、行儀だの礼儀だのが当たり前で育ってきたわけじゃない。

 親や祖父母に歯向かうことは良くなかったが、町の者同士には基本的に差などない。


 領主や代官にだって、シュウはここにくるまで会ったことなどないくらい、身分というものを知らずに育ってきた。

 そして自分たちに流れる血が、いらない諍いを引き起こす種火になることすら知らなかった。

 それこそ、祖父より先に祖母が死んでいれば一生知ることはなく、苦労はしただろうがそのまま自分たちの普段通りに生きていられただろう。


 だが、祖父の方が先に逝ってしまって今や土の中だ。

 残った祖母がどう出るか。

 祖父が目を光らせていたように抜かりなく祖母の動向を抑えることなどシュウには出来ない。

 明らか揉めていただろう。下手をすると自分たちは命が危うかったかもしれないのだ。それを防いでくれたのが司祭だった。


 司祭は領主と自分たちの間を取り成してくれ、領主は命を守り働く場を用意してくれた。

 その代わり、自分たちの出自については黙する――。


「――もし、お嬢様と俺たちが同等の身分だったとしても領主様はお前にお嬢様を下さらない。許しはもらえない」

「なんで……」


「はぁ……。俺たちに治めてたり、代官から預かってるような領地なんてもんはない。財産や受け継がれるような宝、もしくは差し出せる何か旨味。人との繋がり

 でもいい――でもそんなものは俺にもお前にもひとつも、何にもない。この身体だけ。衣食住全てお世話になっているだけの使用人だ。一応従者だから上級使用人ではあるし、それも孤児(みなしご)の俺たちには破格の待遇だ」

「……うん」

「たまたまじいちゃんが、ここの前領主様に仕えてた縁があったからそういう贔屓してもらってんの。分かるよな? 俺はリョカに何回も言ったよな?」

「……」

「だから誰に何をどう言われたのか知らねえけど、真に受けるな。あと、お嬢様は優しいけど、あれは愛情から来る好意じゃない、施し(・・)だ。俺にもお前にも態度が変わらないだろ? 本当にお前のことを好きなら、きっとこっそり隠れて真っ赤になって見つめてきたり、手紙をくれたりするよ……」


 弟の初恋を粉々に打ち砕くことなんて、本当はしたくない。

 これが侍女見習いの娘たちや、使用人として働く少女たちなら良かったのに、よりによってグレイの娘であるナルシェリアとは。


 シュウは歯を食い縛る。


 これがきちんとした身分のある家の出身である従者ならまだ希望はあった。

 娘を可愛がっているグレイのことだ、遠くになどやりたくないだろう。

 政略とまで行かずとも、手近な場所で小さくても領地持ちであったり商売をしているとか、戦は起きていないので武功は望めないが何かしらの手柄を立てたとか分かりやすい何かを成し遂げているなら。


 多少家が貧しかろうと、ナルシェリアが選んだそれなり(・・・・)体裁を整えることが出来るような男であったなら。


 そのどれもリョカには手が届かない。

 届かないようになっている。


 何もかもがシュウの責任のようで苦しい。リョカに少しの夢も見せてやれないことは何度も苦く飲み込んできたのに、また胸が痛んだ。







 

 

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