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彼には彼の事情(2)



 およそ四年前、王妃は臣下でありこの地の法的に正式な領主と縁戚関係にあったことを利用し、一人の少女をその者に預け、彼は実質領地を任せているガニムに託した。


 その娘こそがフィオーレである。当時はまだ十五歳であったが、既に王太子であるシエロと肉体関係にあった。

 二人は出会った国境地でかなり濃い蜜月を過ごしたらしい。その頃はまだ戦時中で、シエロは陣頭指揮を執っていたのにもかかわらず。


 恋に狂ったのか、何がどうしてそうなったのかガニムには分からないが、シエロは婚約状態にあった遠い国の王女との婚姻を破棄するためか、フィオーレとの結婚式を独断で挙げてしまった。

 それは両親である王と王妃も知らないうちに決行された。後々そちらは白紙にされたが、知らされた婚約者は烈火のごとく怒ったという。当然だ。


 シエロに表立った罰は与えられないが、恐らくフィオーレはただでは済むまいと皆が思った。彼女は腹に子が出来ているかもしれないのだ。後の憂いは早いうちに払った方が良いと思われても仕方がないだろう。


 だがシエロはそれを危惧して事前に王妃に相談し、その王妃は息子可愛さにフィオーレを逃がすことにしたのだ。表向き二人は遠い国の王女に深く頭を下げながら、裏では自分の手の者を使ってここへと送り出した。


 それまでのシエロは王家の歴史を鑑みても傑物になるだろうとまで言われた青年だった。

 実のところ彼の幼少期にはそのような話は聞こえてこなかったが、ある時からそのような噂がガニムのいる領地まで届くようになっていた。


 ――それなのに。なぜこんなことに。


 ガニムは馬車の揺れを感じながら、息子に分からぬように落胆の息を零した。


 長時間親子を揺らし、二人の思いの違う溜め息に溢れていた馬車は別邸へと到着する。


 うんざりとしたガニムとは対照的にダナレイは気分が高揚していた。


 前日泊まった別邸は、母親の趣味である刺繍や手作りの品が多かった。飾られているのも母が手ずから繊細な模様を編み込み、模様を刺繍した左右対称のタペストリーであったり、嫁いだ姉たちが幼い頃に刺したもの、ダナレイの幼少時の拙い手習いなんかが絵画のように飾られていて、家庭的で素朴な雰囲気が感じられる。

 けれど彼の趣味には全く合わずげんなりしていた。


 だが今足を踏み入れたこの別邸はどうだ。


 母の趣味とは一目瞭然。


 調度品は本邸以上に贅を凝らしたものだとダナレイにすら分かるほど素晴らしい物だ。

 草木の絵に金の縁取りがされた模様が入った揃いの壺や花瓶も絶妙な柄の配置で派手だが下品にならない。

 装飾や調度品、そういった美的センスを養うことは彼にとって苦にならないので、他はともかくそちら方面であれば何時間でも話を聞いていられたので、まるで評論家宜しく調度品を飽きることなく眺めていた。


 それにホールの壁を全面に飾る大きな一枚絵。


 このような立派なものは見たことがなかった。本邸にすらないのだから。


 壁一帯がまるで森に入り込んだような、そんな錯覚に陥るように描かれていた。森の中には湖があり、湖面には白鳥が二羽寄り添って描かれている。


 白鳥は(つが)う相手を変えない鳥で、恋人同士や夫婦間では縁起物のモチーフとしてありふれたものだった。


 そこでようやくダナレイは、この別邸は自分たちのためではなく、客人のために使われていることを思い出した。

 そしてそれらは彼女を訪ねる恋人が贈ったもので、恋人自身のセンスが良いのだろうということも察せられ、「お前にはここまで出来ぬだろう」と見たこともない者から見下されたような心持ちになり、何となく面白くない。


 しかしながら見入るのは調度品だけではない。邸内は床や窓もぴかぴかに磨かれ、埃ひとつ落ちていなかった。

 本邸の使用人の質が悪いのか? とダナレイが思うほどに、完璧という言葉がぴったりだ。

 本邸も当然磨かれているが、色褪せたような雰囲気で、こことは雰囲気が違いすぎる。


 別邸勤めの家令や使用人らが玄関ホールにずらりと並び立ち、ダナレイに頭を下げている様子は本邸以上に本邸らしい雰囲気を纏っていて、頭には疑問符ばかりが浮かんでいた。恋人か妾か何か知らないが、そんな女にここまでするのか? と。


 ホール脇には二階へ繋がる階段がある。

 二階から鳥の羽ばたくような軽やかな足音が聞こえてきた。

 駆けているようで、行儀が良くないなと感じたダナレイはそちらの方に視線を向ける。

 階段の方から聞こえてきた音の持ち主はダナレイらに気付いたのか、駆ける音がぱたりと止む。


「――まあ、どちらさま?」


 不思議そうな響きを持った柔らかな声は、思っていた訪問者と違うと言外に匂わせていた。

 階段を見上げれば、そこには少女(・・)がにこやかに微笑んで手摺に手を掛け立っていた。


 第一印象は幼い、だった。到底五歳上には見えない。

 目を瞪るような美しさがあるというわけでもなかったことに、少しだけがっかりしていた。期待が大きすぎたのだろうかと。


 そこいらの女より、彼は自分の方が美しいと自負している。

 だからこんな幼い見かけの女など、と心の中で嘲る。


 けれど、なぜか視線を奪われてしまい困惑する――彼女のぱっちり大きな瞳や小振りな唇、つんとやや上向きな鼻すら可愛らしく思えた。

 軽く駆けたせいで、ほんのり上気して染まる頬と忙しなく上下する肩とたわわな胸にも目が行く。


 そんなダナレイの内心など分かるわけもない彼女は、彼と共に立つガニムに気付くと花が綻ぶように微笑んで階段を降りつつ、小首を傾げた。

「ガニムさんが連れてきたってことは、彼が息子さんですか?」

 足を止めずに語り掛けてくる。彼女が動く度、近付く毎に甘い果実とスパイスの混じった独特の香りが漂い強くなるが、気分はちっとも悪くならなかった。


「……ご機嫌うるわしゅう、フィオーレ嬢。私もそろそろ引退を考えておりまして。(せがれ)を紹介に参りました」

「え……あ、ダナレイと、いいます」

 ぼう、とフィオーレを見つめたままの息子(ダナレイ)をガニムが肘で小突くと、ダナレイは慌てて居ずまいを正す。名乗り終わるとぎゅっと唇を噛んで引き結んだ。

 彼の弛んでいた表情が引き締まる。


「私はフィオーレよ! よろしくね」

 階段を降りきった彼女は、そう言いながらダナレイをふんわり抱き締めた。

 甘い香りと柔らかな身体に包まれて、思わず固まる。

 この国の女性としては小柄で外見からは胸以外分からなかったが、肉付きは良いらしい。

 女性慣れしているダナレイもこの行動には驚いて動けなかった。隣にいるガニムが慌てて引き離すべく、フィオーレに声を掛けた。

「フィオーレ嬢、そこまでで。宜しくありません」


 注意されたフィオーレは、ぱちぱち、と音のしそうなくらい豊かな睫毛を何度か(しばたた)かせると、眉をへにょりと下げて申し訳なさそうに笑う。

「ごめんなさいね、私、義弟がいるから、つい」

 ふふ、と含み笑うと、まだ固まっているダナレイの手を取った。それをそっと両手で(くる)み、ずいっと前に出る。ダナレイを見上げるように上目遣いで見つめるフィオーレの茶色の瞳はきらきらと煌めいて、宝石か何かのように見えた。


「あなたすごく綺麗な顔しているのね、ガニムさんから息子がいるって聞いてたけど、ちょっと想像と違ったのよね」

 ダナレイが返事に困って眉間に皺を寄せると、彼女は握っていた手を離し、その人差し指を彼の眉間に当てた。

「ダメよ、そんな顔しちゃ。せっかくの綺麗な顔が台無しだもの」

 にっこり微笑うその人から目が離せず、ダナレイは戸惑う。彼女のどれも褒められた行為ではないのに、嫌じゃない。

 しかも、胸がどきどきと忙しく動いてうるさく聞こえる。

 彼女の纏う香りも悪くない。きっと上等な香水だろう。領内にこんな香りのするものは売っていない。


 ごくりと喉が鳴るのが分かった。


 ――この(ひと)が欲しい。


 だが本能を刺激され浮かんだ想いをダナレイはすぐに打ち消す。

 彼女には恋人がいるのだから――と。


 ガニムは傍目で見る二人の様子に肩を落とし、盛大な溜め息を吐く。

 頭を下げたままの家令に客室へ行くと告げ、しっかりしろ、とダナレイの背を軽く叩いた。


 こうしてダナレイの心はこの日、永久にフィオーレに囚われてしまったのだった。







 

 

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