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久方ぶりの事情(1)



 声を掛けてきた少年はナイナという。

 時たま村に下りているエドとキャスとは顔見知りだった。


「あ、お使い様も一緒なんだ、めずらしー」

 イリヤの髪の色から『山神さまの使い』と呼ばれることは周知されている。本人に訂正する気はない。そのおかげでこの村では丁寧に扱われているのでそのままにしていた。


 彼はイリヤを珍しそうに見た後、くあ、と欠伸した。

「おう、眠そうだな――あれ、ナイナ、その人は?」

 エドが――イリヤもアロネも当然気付いていたが、少年の後ろには言い方は悪いがずいぶんと汚ならしい、物乞いのような男がいた。臭いも酷い。

 長い髪は無造作にひとつに括られているが、虱が湧いているのだろう、人前でも気にせず頭をバリバリと掻いていた。顔は髭もじゃだし薄汚れて真っ黒で、人相は分からない。身体付きは大きいが痩せているように見える。

 彼の着ているものも持ち物ももうあちこちボロボロだった。

 分かるのは辛うじてその髪と髭の色からこの国の者であろうということだけだ。

 その男はエドらにぺこ、と軽く頭を下げた。


「あ、この人は旅人さん。歴史があるものに興味があるんだって。村長のとこに毎日行ってて、俺は付き添いなんだ」

 そう男を紹介したナイナはなぜかふふんと胸を張る。

 エドとキャスは護衛であるので、見知らぬ者の存在に警戒しているらしく、先程まで軽口を叩いていたのとは違い、ピリリとした緊張感を持っていた。

 イリヤとアロネは仕事柄仕方ない、と黙っていた。


「我々も村長のところへ行こうかと……」

「あ、じゃあ一緒に行く? 大荷物だしさあ、俺も手伝うよ」

「……私も持ちましょうか?」

 ナイナはともかく男の申し出に、エドは真顔になる。

 見るからに不審者なのだから仕方ないが、拒絶を感じ取った男は苦笑いした。

 イリヤは男が悪い者には見えなかったし、せっかく持ってくれるって言うんだから、

「持ってもらったら?」

 と、一番荷物が重いエドにそう言った。

「……いや、でも、しかしですね」

「奥さまがおっしゃってるから」

 渋るエドにキャスが肘打ちした。怪しさ満点だが、悪い男なら村の少年が連れて歩かないだろうと思ったからだ。


 山の――村の浮かれた空気に誘われ良くないものが入り込んだとしても、この村では異物をすんなりと受け入れることはない。

 自分たちが許されているのは、イリヤのおかげであって、本来こんなに早く馴染めるものではないことをキャスは良く知っていた。村という独特な集団は、田舎の町や集落とはまた違う。


 村には信仰が生きている。国や民にも根付いているが、敬虔な信徒であるとか国作りの神話であるとか、神の代理がなどそういう意味の「生きる」ではない。


 事実(・・)生きているのだ、神というものが。だから村人に受け入れられたということは悪いものではないということで――と、生まれ育った場所を思い出したキャスは苦い顔をして心の中で頭を振った。

「……とにかく、確かに重いから。ナイナ、私のかごをひとつ持ってくれる?」


 そう言われたナイナと男がエドたちの荷を受け取り、かごから香る甘い匂いによだれが出そうだ、などと言葉を交わしていた。

 キャスの手が空いたので、イリヤとアロネのかごを持とうとするとイリヤが渋る。

「私が届けたいのよ」

「でも、奥さま」

「キャス、イリヤさまの思うように――」


「――イリヤ?」


 男ははた、とイリヤを見て名を呼んだ。

 懐かしい名によくよく彼女を見れば、見知った髪色と面影に驚き、受け取ったかごを落としそうになって慌てて抱え直した。


「無礼な!」

「私を知ってるの?」

「奥さま!」

 エドが顔を顰め、声を掛けるのを窘めた。


「……イリヤ、レアス様の娘の、俺は――いや、私は、ゲイルだ。覚えているか?」

「……」

 訝しげな表情のイリヤにゲイルは焦って言い募る。

「その、マイルやカイユは元気か? 父と母も、その――」

「……は? ……う、ウソでしょ?」

 まるでそこだけ時間が止まったかのように、二人は目を見開いたままお互いを見つめる。

 アロネ、ナイナ、エドとキャスも――何が起きたのか、この汚い旅人と知り合いなのか、と交互に見ている。


 イリヤは言葉が出ず、餌をねだる魚のように口をパクパクと開け閉めしていた。


 あれからどのくらい経っていると思っているのか、しかも死んだはずだ。カイユ――元婚約者が、マイルが、おじさまとおばさま(ゲイルの両親)がどれだけ心を痛めたか。そのせいでカイユは向いていない後継にならざるを得ず、しかも結婚から逃げてイリヤがどんな目に――。


 イリヤの胸に、あの頃のときめきよりもまず訪れたのは驚き、次いで怒りだった。

「ゲイルさま、あなた、生きてらしたのね……この国にいらっしゃったなんて。だったら、なぜ。なぜ領地にすぐ戻ってきて下さらなかったの……!」


 イリヤには珍しく怒りを抑えているようにアロネたちには見えたが、本人はキレている状態だ。

 あまりに腹立たしすぎて、表情が消えたせいで感情が周りにいる者には分からない。

 そしてどうやら本当に知り合いだったようで、外野は固唾を飲んで見守るだけになっていた。


 ゲイルといえば、また頭をガシガシと掻くとへらりと笑った。弱ったな、と言いたげに眉も下がっている――髪でよく見えないが、恐らくそう――。


「……いやぁ」

「事情があったんだよ!」

 ゲイルが口を開くと同時にナイナが勢いよく割って入る。顔を青褪めさせるほどの怒りが削がれたイリヤは目を(しばたた)かせた。同時に、昂った感情のせいで瞳に溜まっていたものがほろっと溢れ頬に流れた。


「何度も家に戻ろうとしたのに、入れてくれなかったって。身ぐるみ剥がされて、金もなくて、食うに困りながら、やっと戻ってこれたんだ。な、ゲイルさん」

 まるで自分が経験したかのように語り、屈託なく笑顔を向けるナイナに、すごく懐かれたなあとゲイルは可笑しくなりながら頷いた。


「まあ、皆さん。とりあえず、行こうか。歩きながら話そう」


 ナイナが先導し、その後をゲイルとイリヤが続く。

 更にアロネたちが話の聞こえる距離で追う。


 ゲイルのこの十年以上の苦労話が進むに連れ、イリヤの形の良い眉はどんどん顰められ、縦皺が眉間に寄せられる。


「――そう、国境検問所で足止めされてたのね。あの子(ナイナ)も言ってたけれど、責めちゃってごめんなさいね」

「ああ、謝らないでいい。俺のうっかりが悪いんだから……検問所では『ゲイル(なにがし)などとっくに死んでる』って言われてな。だいぶ小突き回されたよ」

「そこまでされたなら目を付けられてたんじゃないの? よく国境越えできたわね」

「まあ、何年もかかったし、大きい声じゃ言えないが密入国だからなあ。なんとかこっちに戻れたが、ダナレイの領地は家とは反対だ。しかもいつの間にか更に領端の山村にたどり着いてたっていう……でもまさかイリヤがここにいるとは」

「ね、びっくりだわ」

「元気そうで良かったよ。奥さまって呼ばれてるってことは結婚したんだな、おめでとう。あんなちっちゃなお転婆娘がなあ……マイルかカイユのどっちかと結婚するのかと思ってたよ」


 その言葉に引きつった笑いを返して、溜め息と共に言葉を吐く。

「残念だけど、相手はここの領主。ダナレイよ」

「――は?」

「その話は後ね」


 立ち止まったゲイルを置いて、イリヤはナイナが入っていった村長の家に足を踏み入れていた。エドとキャスは何とも言えない顔でちらりと彼を一瞥し、主を追うように入っていった。


「……大丈夫ですか?」

 アロネはぼうっと立っているゲイルが放っておけなくて声を掛けた。

「……あ、いや、イリヤはダナレイの妻になったとか」

「はい。イリヤさまは確かに領主さまの妻でございます」

 ゲイルは目をしぱしぱと目瞬(まばた)きを繰り返し、ふう、と息を吐いた。

「あなたはイリヤがあんなに怒っているのはなぜか知っているか?」

「……そう、ですね。何となく、こうかな? と思えることはありますけど、私が言うべきことではありませんし……それよりも、そちらのかごも村への贈り物なので、申し訳ないのですがぼんやりしてらっしゃらないで届けて頂きたいの」


 ふんわり微笑みながらも、ちくりと刺す。イリヤを怒らせたゲイルにちょっと怒っているのだ。


 そのちくちくに気付いたゲイルは、眉を上げ、目を丸くして彼女を見つめた。



 





 

 

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