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妾の事情(2)



 哀れと思ったのか、ミーナがある程度のまとまった金の入った革袋をシャルたちに渡しに来た。

「本来なら奥さま、もしくは家令から渡すべき物ですが……現在あなた方のことまで手が回りません。少ないですがこれを持ってお行きなさい。実家に知らせを出すならこちらから出しましょう、希望があるなら紹介状も出しますが……」

 

 今、領主館は慌ただしく揺れている。妾たちの行く末を案じるものは誰もいないし、出て行っても気付かれもしないだろう。そこにミーナが来てくれたことにシャルはほっと息を吐いた。

「ごめんなさいね、ミーナ。長らく迷惑をかけて」

 シャルが革袋を受け取って、そのままミーナの手を自分の手で包む。彼女の目が驚きに見開かれると、シャルは苦笑いした。

「私たちは恥を知らないわけではないの。もうどうでもいいから言ってしまうけれど、旦那さまの意に添うようにしてきただけなの――私たちみんなあの方(・・・)の代理だったのよずっと。これまで名前で呼ばれていないのもそういうことよ」

「……そ、うでしたか……あの方の……」

 ミーナの細眉がきゅっと寄せられる。

「……それでね、最後だけど図々しいお願いを聞いてもらえないかしら?」

 申し訳なさそうに見えるかしら、とシャルは精一杯哀しげな顔をして見せた。

 


「……それであなたたちを私が連れて行くと?」

 イリヤは腕を組んで衣装箱に腰掛け、トントンと肘の辺りを指で叩いている。顔は険しい。


 シャルたち元妾の五人はイリヤの前に並んで跪き頭をひたすら下げていた。

 室内は数人の使用人とアロネが荷物を整理し運び出すためにばたばたと立ち働いている。アロネ以外はシャルたちを胡散臭そうに横目でちらりと見るだけで作業に戻る。

 

「こう見えて、使用人志望ではありましたので。家も身分は下位でございます。お役に立てればと」

「あいつは?」

「……え、と?」

 シャルがあいつ? と小首を傾げると、イリヤは忌々しそうに吐き捨てた。

「……あいつよ、あなたたちの飼い主(ダナレイ)よ。あれの許可はあるの? ――ああ、暇を出すとか言ってたけど、あいつホントに出したのね! クズだわ! クズよねアロネ?」

 童話のお姫さまのような可憐なイリヤからポンポン飛び出す悪口にシャルたちがぽかんとしていると、荷物を抱えて右往左往していたアロネが立ち止まり、困ったように微笑んだものの……。

「そうですね」

 

 ――そうなんだ認めるんだ(ダナレイ)をクズって!? いやそうなんだけど!

 シャルたちは二人の言葉のやり取りに内心ツッコミつつ、長年付いた付き人ではないのにそうであるかのような気安さに驚いていた。

 

「それとも見張れとでも言われた?」

「いいえ!」

 シャルは否定する。

「私たちは実家に戻れません。旦那さまに捨てられはしましたが修道院というわけにもまいりません。ミーナからは紹介状を頂けるとは言われましたが、私たちがまともに働ける場は与えられないと思っています」

 これまでは領主館から出ることはなかったが、妾として申請が認められたのだ。ダナレイの立場では王都の社交界に出ることはないけれども、自分たちの名は口さがない者らの間で広がっているはずだと彼女たちは確信していた。

 

 ダナレイはイリヤを妻にしてすぐ五人も妾にしたが、それを取り下げようと躍起になった。こんな刺激的な醜聞を酒の肴やお茶請けにしないはずがないということも良く知っている。どこまで話が面白可笑しく広がっているかによって、彼女たちの仕事の幅は狭くなり酷いものになっていく。


 シャルはダナレイのあの怒りを思い出して、彼のいる領地や別邸では紹介状があっても絶対に雇われないことは想像に難くないことを悟っている。しかも別邸にはあの女が来るのだ、鉢合わせればどんな無理難題を吹っ掛けられるだろう、と身震いした。


 まともな仕事口はもう目の前のイリヤの元しかないのではないか、彼は妻とかち合いたくないのだから会うことはないのでは――と彼女たちは考え、恥とは知りつつも今後をましにするためもう一度彼女に願い出たのだ。

 

 どうしようかしらね、とイリヤの溜息混じりに小さな呟きが零れた。それをアロネが拾い上げる。

「よろしいんじゃないですか奥さま。人手はないよりあった方が良いですし。私よりもよっぽどお嬢さん方の方がマナーとかお知りでしょうし」

「私がマナーの必要な場所に行けると思ってる? 何人も引き連れては行けないわよ」

「ですが、領主さまはきっと私くらいしかお供に付けませんよ? このお嬢さん方でしたら連れて行けと仰るかもしれません……その、ああいう方なので」

「まあ最低のゴミでクズよねえ。元妾たちが側にいるのは嫌がらせになるとでも思いそう」

 

「……多分、私たちにも良い罰だと思われそうです」

 シャルの後ろからおずおずと声が挙がる。シャルもそれに頷いた。

「私どもは主である旦那さまに逆らいました。旦那さ――領主さまは私どもを気に掛けて下さっていたわけではありません。これまで名すら呼んで下さいませんでしたもの」

 口々に女たちが言い募るのを黙って聞いていたイリヤは腕組みを解いて立ち上がった。

「……あーもー。わかった、使用人として付いてきなさい」

 

 こうしてシャルたちは使用人としてイリヤに仕えることになった。

 ミーナを介し付き人を通してダナレイに伝えられたが、案の定反対はなかった。

 それに安心している反面、気落ちしていることに彼女たちは気付いたが、互いの顔を見合わせ力なく微笑む。それぞれ思うところはある。

 

 シャルはダナレイに盲目の愛は抱けなかったが、彼女たちの誰かは彼に恋して愛した者もいるだろう。それを改めて聞いたことはないけれど、皆もうダナレイとは違うところで生きて行かねばならない。

 最後の別れは酷いものになったし、シャルに至っては殴られもしている。そういう本性を持つ最低の男だったと分かって良かったけれど、これまで誰かの面影を重ねてはいても大事に優しくしてくれたことも確かだ。それぞれの実家へ少なくない額の支援をしてくれたこともあった。

 

 そういう想い出や感傷に浸りつつ、シャルたちはイリヤが主と心を新たにする。

 

 彼女たちは使用人として雇われた他の女たちからいつも妬まれ陰口も叩かれてきた。それはそうだ。手や足をあかぎれにすることもなく、肌や髪の手入れができる生活をしていたのだから。それにどっぷり浸かってきて何が悪い、領主さまに望まれ差し出してきたからこそそれを享受している。

 

 けれども、今の生活を終わらせたくないからとダナレイ以外の妾になることも、不特定多数の男に抱かれることもしたくない。仮に相手がクズでゴミより優しい男であっても。


 彼女にとってそれこそ本音であり偽らざる本心だったが、長い時間の中で確実に育まれていたそれを明確な名前のついたものにしたくはなかった。

 シャル以外の者は濁していたものが溢れ出ないよう、気持ちが乾かないよう大事に奥へ。本当は愛されたかった。本当はお前になんて抱かれたくなかった――と。

 

 各々それらを心に閉じ込めてそっと蓋をしたのだった。






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