そんなこと聞いてませんわ!
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カーテンの隙間から差し込む朝日が少しまぶしいくらいのすがすがしい朝、いつもより早く目覚めた私はある程度の身支度をしてソファーに腰掛けていた。
「おはようございます、お嬢様。…あら、本日はお早いのですね。」
「ええ、おはよう。…えーと、」
「加那ですわ。」
「おはよう、加那。」
「はい、おはようございます。」
いつも決まった時間に起こしにくる双子メイドに起こされ、眠気眼をこすりながらゆっくり準備を始めるのが普段の私なのだが、今日の私はいつもより早く目覚め、朝からやる気に満ち溢れていた。
実は今日はマナー講師が派遣されると事前に連絡されていた日なのである。
春麗会の招待状を受け取った後私は花那にマナー講師を派遣してもらうように頼み込んだ。
この体、花京院菫としての知識や癖がある程度身についているものの、私が中に入ったことで不完全なものになってしまっている。これでは花京院の一員として胸を張って公衆の面前に立つことはできない。
ついに今日から貴族としてのマナーをビシバシ叩き込まれるのだ。朝日が差し込むベッドから起き上がり頬を軽くたたいて気合を入れた。
(花京院菫としてふさわしい行動をとれるかは私にかかってる…とにかく気合い入れて頑張らなきゃ…!)
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今日のお世話担当だった加那に案内され通されたのは応接室だった。
「こちらで講師の方がお待ちです。」
「わかったわ、ありがとう。」
応接室の扉を開けるとそこにはソファーに腰掛ける女性。見た目はとても若々しく、上品ながらも清楚な雰囲気を漂わせていた。ふとこちらに気づくと立ち上がり微笑みかけてきたので菫としての記憶を辿りたどたどしくも礼をし挨拶する。
「花京院菫です、この度はよろしくお願いいたします。」
「お初にお目にかかります。本日からお嬢様のマナー講師として務めさせていただく上冷泉江里菜と申します。これからよろしくお願いいたします、菫お嬢様。」
ん…?上冷泉…?少し引っかかる部分があり菫の記憶を探ってみる。するととある大企業の名前がふと思い浮かんだ。
「もしかして、あの冷泉グループの方でいらっしゃいますの…?」
「あら、ご存じでしたかしら?ええ、そうよ。冷泉グループの現代表取締役の妹にあたりますわ。」
(嘘…!?冷泉グループって言ったら七鳳会まではいかなくとも結構な大企業。そんなところの方がわざわざ?てっきりこう、ご年配のtheマナー講師!みたいな方が来ると思っていたのだけれど…。)
苗字を聞いて引っかかるのも当たり前だ。ここまで大企業ならいくら幼い菫でも聞いたことがあるし、何より私も知っている。漫画に登場する花京院菫の取り巻き3人、そのうちの一人が冷泉グループ取締役の娘なのである。
彼女は冷静沈着な性格ながらもはっきりと自分の意見を発するタイプで、作中でも度々登場していたため記憶に残っていたのだ。
(意見をはっきり言うタイプだから主人公に対するあたりが強めの子だったんだよなあ)
主人公とのバチバチ対決…ああ懐かしきかな…あの展開おもしろかったな…あ、でもあの時バリバリ菫その場にいなかったっけ???つまりいつか私もあのThe女の戦争!みたいな場面にいなきゃいけないってこと??
漫画ではドキドキハラハラした場面も実際に体験するであろうと思うと胃がキリキリしてくる。
話が脱線してしまったので戻すと、今目の前にいる女性は現取締役の妹、ということはつまりその取り巻きの一人の叔母にあたる存在ということである。
「私のことは気軽に江里菜先生、とでも呼んでくださいね。…ふふっ、なんでわざわざ冷泉の人間がって顔してるわね?実はあなたのお母さんとは学生時代の親友なの。親友の頼みなら断れないわ、かわいい娘さんに対してならなおさらね。」
動揺していたのが顔に出ていたらしく少しおかしそうに笑う江里菜先生。口調を崩しそう言うと私の方に近付き、目線に合わせてしゃがみ両手を優しく握ってくれた。
「それに、確かに専門のマナー講師に作法は教えてもらえるかもしれないけれど実際に開かれるパーティーやお茶会でどんなことを気を付けなければならないか細かいところは教えてもらえないでしょう?現役の私ならそのような部分も教えてさしあげられますから。」
「これから一緒に頑張りましょうね、菫お嬢様。」
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上冷泉江里菜、改め江里菜先生は簡単に言ってしまえばスパルタ講師だった。
最初に一般的な食事作法を叩き込まれたかと思えば、フランス料理でのマナー、イタリア料理、中華などなど会食などで使用されるであろう食事マナーを一通りを目まぐるしいスピードで教わり、さらには立ち振る舞い、礼儀作法、会話での注意点、今は少ないがパーティーや、中等部から卒業学年で必ず学園で行われるプロム用にダンスの踊り方、エスコートのされ方まで…。覚えてはできるまで実践、これを何度も繰り返す、連日猛特訓する日々が続いた。
そして特訓を始めて1か月後…
「うん、上出来だわ。これならどこのパーティーに出しても恥ずかしくない。花京院を胸を張って名乗れるでしょう。」
「…!ありがとうございます!」
「もともと急ピッチで進めるよう頼まれていたけど、呑み込みが早いおかげで思っていたよりもスムーズに進められたわ。頑張ったわね。」
にっこりと微笑まれ頭を撫でられる。特訓は正直つらかったけどこうして褒められるのはとても嬉しいし、胸がポカポカする。春麗会まではあと約一か月ある。ここまで時間に余裕があれば前世の記憶を思い返したり作戦を立てたり他のことを進められる時間が確保できる…
「一週間後のお披露目パーティーには間に合ってよかったわ!」
「え?」
いま江里菜先生なんて????一週間後にお披露目パーティー…?
そんなもの知らないと目をぱちくりさせていると江里菜先生がぎょっとした表情に変わった。
「まさか、知らなかったの?そんな、両親から聞かされてない?」
「はい、そんなことは一度も。今初めて知りました…。その、お父様もお母様もここしばらく本邸にはいらっしゃらなくて。」
私が目覚めてから約二か月が経とうとしているもののいまだに私は両親と顔を合わせたことがない。菫としての記憶で両親の顔は解るものの実際にこの目で見たことはいまだないのが現状だ。
(私が転生したと思われる日も出張してるみたいでいなかったし…確か加那の話によると私が倒れたことは連絡されたみたいだけど、容体の確認だけされて帰ってくることがなかったしな)
少し気まずそうにしていると江里菜先生が呆れたようにため息をついた。
「あ、あの!お父様とお母様がお仕事で忙しいのは理解しておりますわ、お披露目パーティーの件も忙しくて連絡しそびれてしまったのだと思いますし、私は気にしてな…」
「菫お嬢様。」
「...はい。」
途中で遮られたかと思うと少し切なそうな顔でこう続けた。
「まだ初等部にも入られていない年齢の子にここまで気を使わせてしまうのは親として失格ですわ、ずっと一人で寂しかったでしょう。」
そういわれて私は少し俯いてしまった。中身はいい年をした大人なのに、花京院菫としての正直な気持ちはたまにしか会えない両親に対して寂しさを感じていた。菫の精神に引っ張られるかのように。
それを見た江里菜先生は私の頭に手を置いてこう続ける。
「…貴女の両親は職業柄二人とも色んな所に回らなければならないから会えることは少ないかもしれない。でもね、二人とも貴女のことが大好きなの。そこだけは勘違いしないであげてね?今回だって娘のお願いなんて珍しいんだ~!って張り切って私に頼み込んできたのよ?その時の二人の張り切りようといったら…ふふっ、貴女にも見せてあげたかったわ。まったくもう、ほんとに揃って娘がかわいくて仕方ない親バカなんだから。」
その言葉を聞いて少し寂しさが和らいだ気がした。そういえば、漫画の中でも花京院菫は取り巻きたちに指示は出すものの家の権力を振りかざすようなことはしていなかった。
(菫が誰にも頼らず、基本的に一人で何かを解決するようになったのは幼少期に両親に甘えることができなかったのも原因だったりするのかな…そう考えるとやっぱり少しかわいそうな子なのかもしれない。)
漫画での出来事を思い返し少しボーっとしているとコンコン、と部屋の扉がノックされる。
「どうぞ」
入室を許可すると入ってきたのは双子のどちらか。
「失礼いたします、菫お嬢様、お客様がいらっしゃいましたので応接室の方にお通しております。」
「私に?どなたが?」
「久城郁人様でございます。どうやらお披露目パーティーの件でお伝えしたいことがあることのことで。」
その名前を聞いてぎょっとした。久城郁人!?久城郁人って言ったら作中の二番人気、あの外面紳士、でも内面腹黒のあの!?
「あら、噂をすればって感じかしら?そういえば、菫さんは何も聞かされていなかったのよね。お披露目パーティーの会場は久城財閥経営のホテルグランデ、久城家との合同開催よ。」
うっっっっそでしょ!聞いてないそんなの!さっき内心ほっこりして両親愛してくれてるならいいやとかちょっと思ってたけど前言撤回よ!春麗会だけでも気が重いのにその前にこんなさらに気が重くなるような一大イベント。
何で言ってくれなかったのか…。報連相大事…。
こんな感じで内心大慌てな私だが動かない表情筋のおかげで一見冷静に受け入れているように見えるのか、江里菜先生はそのまま続ける。
「久城家と合同開催となると恐らくかなりの人が来るでしょうね。デビュー戦としては少しきついかもしれないけど、教わったことがしっかりできれば大丈夫よ。」
ひぇぇぇぇぇ…。人が…いっぱい…。でもそれもそうか、七鳳会のお世継ぎが二人もいれば来る価値あるよね。
「それにしてもなんで久城家と合同開催を?」
「あら、それも知らなかったのね?久城家と花京院家の両親同士が仲良いのが一番の理由だとは思うけれど、あなた達幼馴染でしょう?それなら一緒にやろうという話になったんじゃなかったかしら。一時期は子供同士を婚約させる話も出ていたそうなんだけど、さすがに親同士の一意見だけで決めるのは軽率すぎるって止められたらしいわ。ほんと、あの人たちらしいわね…。」
え???花京院菫と久城郁人が幼馴染?漫画の中ではそんなシーンなかったし、そんな親しいような素振りもなかった。まさか私が転生したことで設定にずれが生じている…?いや、でも今江里菜先生はまるで前にも会っているかのような言い方だった。そうなると作中ではわざと二人とも避けるような理由があった…?
途中までしか読めずに転生してしまった私には真相がわからず最終話まで読めなかったことが悔やまれる。
「とりあえず、お待たせするのも申し訳ないから向かわなくてはいけないわね。江里菜先生はもうお帰りになりますか?よろしければお見送りを、」
「私の方は大丈夫ですわ、講師としてここにきていますから。お気になさらず。」
「わかりました、それではお先に失礼させていただきますわ。」
「ええ、また会う機会まで楽しみにしているわ。パーティー頑張ってね。」
江里菜先生に礼をしてから部屋を離れ応接室に向かう。理解できていないこともあるけれど悩んでる暇はない、とりあえず応接室に向かう。
(人気ナンバー2がいると思うと少し緊張するわね…)
いざ応接室の扉の前に立つと少し緊張と焦りで開けるのを躊躇してしまう。
でもずっとここにいるわけにもいかない、意を決してそっと私は扉を開いたのだった。
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