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聞こえてきたのは、低く気迫のある男の笑い声だ。


見物人たちは狼狽え、ざわめき揺れる。そして、笑声の主を避けるように人だかりが割れた。

ベンジャミンや子爵家令嬢、三人の青年たちも、笑声がした方向を体を捻り見つめている。


まさか、来られているだなんて。シャーロットは、その先にいる人物を思いながら、ベンジャミンを見た。

子爵家令嬢と三人の青年たちは、不審気な様子をしているが、ベンジャミンだけが驚愕の表情でその先を見つめていた。


「父上」

ベンジャミンの唇がそう動いたのが分かった。



「そうか、そういう結果になったのだね」

人が割れた先に居たのは、金褐色の髪を持つ男だ。

彼が歩み始めれば、見物人から「宰相」「筆頭公爵」と声が上がる。

子爵家令嬢と三人の青年たちも、宰相だと認識するや、ベンジャミンを凝視した。子爵家令嬢は変わらずベンジャミンの腕に纏わり付いているが、三人の青年たちは、思わずといった様子で一歩後ずさった。


「一部始終、見させてもらったよ」

宰相は動揺する周囲には我関せずといった様子でシャーロットたちの方に向かってきている。

「我が息子 ベンジャミンは、シャーロット嬢との婚約を破棄すると」

宰相は、ふふんと笑う。

「この婚約は家同士の取り決め。本来、ベンジャミンの一存で決めれるものではないのだが、まあ良い」


宰相は、シャーロット、ベンジャミン、宰相を頂点にすれば、三角形が描ける位置で立ち止まった。

「ベンジャミン。シャーロット嬢との婚約解消を許可しよう」

「父上!感謝します!」


まさか認めてもらえるとは思っていなかったのだろう。ベンジャミンから感動の声が上がる。

ベンジャミンは、本当に嬉しそうに子爵家令嬢を見た。子爵家令嬢は、ベンジャミンの腕に絡ませていた自身の腕を自分の胸の前に移動させ、瞳を潤ませている。


宰相は目を細めて、ベンジャミンからの感謝を受けた後、首を軽く横に振る。

「いや、感謝の言葉は必要ない。シャーロット嬢との婚約解消を良く決断してくれた。実のところ、私はそれを望んでいたのだ」

その言葉に、子爵家令嬢は優越感たっぷりにシャーロットを見た。

子爵家令嬢は、ベンジャミンと宰相には見えないように、「いい気味だわ」と音もなく口を動かす。

シャーロットは、それに辟易して眉を寄せた。

淑女らしく表情を取り繕いたいのだが、上手く出来ない。


宰相は、ベンジャミンからシャーロットへと、視線を移した。その表情は嬉々として、そして、瞳は爛々と輝いている。獰猛な獅子の目だ。


シャーロットは、ぶるりと一度震える。


ああ、もう逃げられない。



「シャーロット。ベンジャミンとの婚約は解消だ」

「はい。宰相様」


なんて楽しそうな声音だろう。彼は、こうやって、政敵をいつも追い詰めるのだろうか。


「さて。シャーロット」

「はい、宰相様」


シャーロットは扇を強く握りしめ、宰相の続く言葉を待つ。


「私と結婚してもらいたい」


そして、宰相は片膝をつき、乞うようにシャーロットを見上げた。



その瞬間、カフェテラスを静寂が支配した。

皆、息をするのを忘れたかのように動きを止めている。視線だけがシャーロットと宰相へ真っ直ぐ注がれ、痛い程だ。


最初に我に返ったのは、ベンジャミンだ。

「父上!?」と叫ぶように宰相を呼んだ。

「何を仰られているのですか!?」

それでようやく、周囲から煩いほどのざわめきが巻き起こる。

子爵家令嬢は目を溢れんばかりに見開き、三人の青年たちは唖然としている。


宰相は、そんな周囲の喧騒など気にもせず、シャーロットをじっと見つめている。

その瞳の力強い光に、シャーロットは、あの日のようだと思う。

シャーロットがたまたま自邸に戻っていた、半年前のことだ。




半年前、突然現れた宰相は、シャーロットに会うなり、絨毯の上に跪き、まるで神聖なものに触れるように、そっとシャーロットの両手を取った。


「貴女が、息子の婚約者として淑女であろうと努力していたのを私は知っている。

貴女が、公爵家後継としての役目も忘れ、女性に溺れる愚かな息子を愛し、諫めようとしてくれていることも、感謝している」


驚くシャーロットに有無も言わせず、宰相は言葉を紡ぎ続けた。

「どうか、許してほしい。このような気持ちを貴女に持つことになるなんて私自身、想像だにしなかったのだ。

貴女は、息子の婚約者。一生、言うつもりもなかった。だが、もう限界だ。息子の暴挙に貴女を晒し続けることは、もう私には出来ない」


宰相が何を言いたいのか、シャーロットには分からなかった。

だが、その言葉はまるで愛を乞うかのよう。そう思ってしまえば、宰相に取られた手が、徐々に熱くなるのを感じた。


宰相は、シャーロットをじっと見上げている。その瞳の奥に熱く情熱的な光を見出せば、すぐにシャーロットを絡め取っていく。


「私は、貴女を愛してしまった」


その言葉にシャーロットは腰が抜けた。それほど、衝撃的だった。

へなへなと、絨毯の上に腰を落とせば、宰相はすかさず膝を動かしシャーロットに一歩程近づいた。シャーロットの指先に唇を寄せ、上目遣いでシャーロットを見る。


「宰相様…」

囁くほどの小ささで呼べば、彼は、ようやく指先から唇を離した。

「狂おしいほどに、私は貴女を、息子の婚約者を、愛している。どうかシャーロット。愚かな私を許し、そして、受け入れてほしい」

そう言って、宰相は目を伏せた。まつげが揺れている。それが分かるほどの距離に、獅子と呼ばれる男がいる。その男が、自分に愛を乞うている。


ああ、なんてこと。シャーロットは宰相から視線を外し、天井を見上げた。

百花繚乱に彩られた天井画は、シャーロットのお気に入りだ。だが、それを見ても、もはやシャーロットの心は動かなかった。


視線を戻せば、金褐色の髪が視界に飛び込んできた。豊かなその髪に、シャーロットはくらりと眩暈を覚える。


金褐色の髪に、ベンジャミンを想う。

ベンジャミンとの婚約はどうするというのか。いや、宰相が言えば、婚約などすぐに解消されるだろう。

だが、彼はどうなる。宰相は彼をどうするつもりだろうか。


「宰相様。ベンジャミン様は…」

その言葉に宰相はとても悲しそうな表情を浮かべた。

「貴女は、優しすぎる。愚かな息子を見捨てることが出来ないのだね」


宰相の目に、眉を下げた自分が映っている。淑女らしからぬ情けない表情を、シャーロットは彼になら晒してもいいと思った。


「ええ、宰相様。私はベンジャミン様を、ずっと想っておりましたから」


子爵家令嬢が現れてから、その気持ちは薄れていってしまったが。そう思いながら、過去形で伝えたその言葉の意味を、宰相はすぐに正しく理解した。シャーロットを見つめる瞳が、爛々と輝く。

獅子のように強く絶対的な力が、その瞳に戻ってきていた。

思わず後方に体が逃げそうになる。それを感じたのだろう、宰相はシャーロットの手を自身の方へ引き、その背に腕を回した。

「貴女の心が欲しい」

強く抱き締められ、シャーロットは、ほうっと息を吐いた。

身体と心の熱さに溶けてしまいそう。


「宰相様、私に時間をくださいまし」

「時間?」

繰り返された言葉に頷く。

「ベンジャミン様を、元に戻してみせますわ」

その言葉に、宰相はシャーロットを抱く力を強くした。

「私を待たせるなんて酷い人だ」

「申し訳ありません」

言えば、大きく溜息をつかれた。

「半年だ。それ以上は待てないよ」

耳元で囁く声音は、渇望の思いが強く込められていた。


半年後。私は、もう彼から逃げられないだろう。

「ええ、約束します」と承諾しながら、シャーロットは宰相の肩に額を擦り寄せたのだった。




この半年、シャーロットはベンジャミンや子爵家令嬢を諌めた。諭そうとした。間違いをフォローしたりもした。

だが、彼らを変えることは出来なかった。

いや、それよりも悪化してしまった。


もう庇えない。



「アルフレード様」

名前を初めて呼び、自分の手を差し出す。それだけで、その求婚を受け入れる意思が彼には伝わるはずだと思った。


「シャーロット。感謝する」

宰相こと、アルフレードは、そう言うと嬉々としてシャーロットの手を取り、立ち上がった。

シャーロットの横に並べば、自然、ベンジャミンたちと対峙する位置になる。


「ベンジャミン。お前を廃嫡とする。もう、公爵家の一員として名乗ることも許さぬから、そのつもりでいろ」


アルフレードは冷たい視線をベンジャミンへと向け、吐き捨てるように告げた言葉に、ベンジャミンは呆然とした。

どんどん顔色が悪くなっていく。


「お義父様!」


眉を寄せ、険しく恐ろしい顔で、シャーロットとアルフレードのやり取りを見ていた子爵家令嬢は、アルフレードの言葉を聞き、大声を上げた。

カフェテラス全体に響き渡る程の声量に、シャーロットは思わず目を閉じた。

常識外れな。シャーロットがそう思うのと同時に、横で大きな溜息が聞こえた。

そんなシャーロットたちに子爵家令嬢は気付かず、胸の前で手を組み、アルフレードを見つめていた。


「どうして、ベンジャミン様を廃嫡などおっしゃるのです?彼ほど、公爵家の後継にふさわしい方はいらっしゃいません。やさしく、いっしょうけんめいな方です」

そこまで言うと、子爵家令嬢は、ハッと気付いたようにシャーロットを見た。

「シャーロット様が、何かおっしゃったのですね!

シャーロット様。あなたは、ベンジャミン様のおこころが望めないと分かり、言葉たくみに、お義父様をさそったのでしょう?」

なんて嫌らしいのかしら、と子爵家令嬢はシャーロットを蔑むように見た。


シャーロットは、その視線を受け止めながら、愚かな方だと呆れてしまう。

子爵家令嬢は、シャーロットを蔑むつもりだろうが、同時にアルフレードを侮辱している。

チラと横のアルフレードを見れば、子爵家令嬢を見ていた。

その目にぞわりと毛が逆立つ。

冷たい視線の奥まったところで、青い炎が燃えているように思った。


彼は、本気で怒っている。



アルフレードは目を細め、小さく首を傾けた。

「君に、私は許したか?」

その言葉に、子爵家令嬢はその表情を固まらせた。

「お義父様…?」

子爵家令嬢の呼び掛けを、アルフレードは鼻で笑った。

「私は、君に話す許可を与えたか?」


下位の身分の者から先に上位へ話しかける。

この学園の学生間では許されるそれは、アルフレードに対しては、決して適用されない。


やっと己の浅はかな言動に気付いたのだろう。子爵家令嬢の表情がみるみる青白くなる。

「申し訳ございません!」と、慌てて礼を取るが、もう遅い。

アルフレードは、もはや子爵家令嬢を視界に入れることさえしなかった。


「ベンジャミン」と語気を強め、アルフレードは一歩踏み出した。

「お前が道に逸れ、一年。シャーロットにどれだけ諌められようが、その道は戻らなかった」

ベンジャミンが、「父上」とアルフレードを呼んだ。だが、アルフレードは、その呼び掛けに応えない。シャーロットはそれに思わず胸を抑える。


「半年前、お前を廃嫡としようと動こうとした私を止めたのは、シャーロットだ。お前を元に戻してみせると、彼女はそう言ってくれた」


アルフレードの腕にそっと手を添えれば、アルフレードはシャーロットを見て、視線で優しく促してくれた。それに力を得て、シャーロットは口を開いた。


「私の力不足でしたわ」

シャーロットは、ベンジャミンへ視線を向ける。ベンジャミンから信じられないと驚きの目で見られ、ほんの少しだけ、切なさが胸に宿る。


「公爵家後継として、自覚を持って行動していた頃の貴方様のお側にいれるだけで幸せでした。元に戻って頂きたかった」


ベンジャミンへの愛が望めなくても、彼へのシャーロットからの愛が薄れてしまっても、それだけは、シャーロットの責任で、やり遂げたかった。


だが、半年の約束だ。


アルフレードは、決断の早い方だ。その彼が、シャーロットのために、ベンジャミンのために、半年の猶予を与えてくれた。

結果はどうあれ、それだけで、シャーロットは満足すべきなのだ。


シャーロットは、ベンジャミンへ微笑んで見せる。


扇で笑顔を隠さないのは、いつぶりだろう。泣き出しそうな顔をしてなければ良いのだけれど…。そう願いながら、シャーロットに今出来うる限りの笑みを浮かべる。


「ベンジャミン様、ありがとうございました。さようなら」


シャーロットが言い終えるのと同時に、シャーロットはアルフレードから熱い抱擁と、そして口付けを受けた。

アルフレードの背に腕を添わせれば、さらに身体を密着させられ、口付けは、シャーロットを翻弄する。


周りから、歓声と悲鳴、怒声が溢れた。だが、それらはシャーロットの耳に入るだけで、認識出来なかった。ただアルフレードからの愛に溺れた。




「シャーロットは、まさしく悪役令嬢ね」

そう喜色満面なアメリアから言われた。


カフェテラスでの出来事から十日経った午後のことである。

十日前、シャーロット一人で座っていた席に、今はアメリアと座っている。


アメリアに先ほどの言葉の説明を求めれば、彼女曰く、一方的に婚約破棄され二十も年上の男性に嫁ぐというのは、小説の悪役令嬢に、ありふれた結末らしい。


「ならば、私とアルフレード様は、そうなる運命でしたのね」

シャーロットがそう言えば、アメリアは呆れたような表情を浮かべた。

「惚気をご馳走様」

「あら、惚気だなんて言ったつもりはなくてよ」

シャーロットは大げさに驚いて見せてから、「でも、」と続ける。


「悪役令嬢として、最高の終わり方でしたでしょう?」


そう言って、シャーロットは扇で口元を隠し、笑った。

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