↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Out-of-Page Märchen  作者: 桜桃
第1章 - 案内人編 -

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/50

第1章 案内人編 - 第4話「役割」

空気は、すっかり変わっていた。

さっきまで冗談のような話をしていた、柔らかい空気ではない。

心なしか、世界までもが咲《さく》の答えを待っているかのように、停止しているようにも思えた。


咲《さく》は、フールを見る。

彼は、じっとこちらを見ているままだ。


相変わらず、表情は変わらない。

瞬きもしない。


いつもの、大きな赤い目。

白塗りの顔。

変わらない笑み。

人形のような、感情の読めない表情。


しかし。


いつもの目の雰囲気と、ほんの少しだけ違う。


欲と呼ぶにはまだ遠く。

無心と呼ぶには、熱がある。

この世界の空みたいな、曖昧な目。


何かを期待しているようにも見える。

しかし、本人がそれを自覚しているのかは、分からない。


「フール……?」

「…選んデ」


フールは、動かない。

急かしてはいない。


なのに。


少しだけ、圧がある気がした。


露骨《ろこつ》ではない。

初対面の相手だったら、気づかない。


しかし。


彼と過ごした一日という時間が、彼の変化に気づくための材料になっていた。


咲《さく》は、すぐには答えられなかった。


“ここが、不思議の国だから”。


そう言えば、嘘になる。

歪んだ木々も、狂った時計も、誰もいないお茶会も。

それらに惹かれているわけではない。


では。


“フールがいるから”。


そう言いそうになったが、言葉を飲み込んだ。


彼は、優しい。

少なくとも、自分を置いていかない。

眠っている間も、夢の入り口で不思議の国を追い払ってくれた。

その事実は、確かに胸を温かくしていた。


しかし。


ここで、“フールがいるから”と答えたら。

何かが、決定的に変わってしまう気がした。


それは、きっと甘い。

安心できる。

彼は自分を見てくれる。

置いていかない。

離れないと言ってくれる。


でも。


その甘さは、足を止めるものでもある。


フールは、案内人だ。

次の物語へ、進ませる人。

そうであってほしいと、思った。


「……ここが、好きだからじゃない」


咲《さく》がそう言うと、フールの瞳孔が、ほんのわずかに揺れた。


「不思議の国は、綺麗だけど怖い」


口にしてから、その言葉が、彼にとって少しだけ残酷だったかもしれないと思う。


でも、フールは否定しなかった。


「ここにいると、楽だと思う。戻ることも、考えなくてよくなる気がする」


フールは、ただ聞いている。

瞬きもせず。

口角だけを上げたまま。


「でも、それはたぶん……私が選んだ安心じゃない」


咲《さく》は、胸元に手を当てた。

顔のないジョーカーが、そこにある。


「私がここにいる理由は、この国じゃない」


フールの手が、ほんの少しだけ動いた。

伸ばしかけたようにも見えた。

けれど、その指先は途中で止まる。

咲《さく》は、まっすぐに彼を見た。


「フールが、導いてくれるから」


その瞬間。


止まっていたような空気が、かすかに揺れた。

遠くで、壊れた時計の針が鳴る。

右へ進んだのか、左へ戻ったのかは分からない。

ただ、この世界が、再び動き出したような気がした。


「……そっカ」


フールの声は、ひどく小さかった。


「フールが案内人だから。私をここに留めるんじゃなくて、次に進ませてくれるって思ったから」


フールは何も言わなかった。

笑っている。

いつもと同じ、歯を見せない笑み。


けれど。


さっきまで瞳の奥にあった曖昧な熱が、ゆっくりと薄れていくのが分かった。

消えたわけではない。

ただ、奥へ沈んだ。


代わりに、別のものが浮かんでくる。


役割。

ルール。

彼が、彼であるための形。


フールは、ようやく一歩下がった。

その距離に、咲《さく》は少しだけ胸が痛んだ。


けれど。


同時に、息がしやすくなった。


「…マイハ、フール」


静かに、彼は言う。


「不思議の国ノ、案内人ダ」


その声には、さっきまでの迷いがなかった。


彼はゆっくりと片足を引く。

初めて会った時と同じ、演者のような一礼。


けれど。


今は、舞台の上の道化師ではなく。

道を示し、導く、案内人に見えた。


「だかラ、キミを送ル」


霧《きり》の奥で、見えない扉が開く音がした。

咲《さく》は、そちらを見る。

まだ何も見えない。

でも、確かに次のページがある。


フールは、くるりと背を向ける。

その背中には、少しだけ寂しさが滲んでいた。


「…行こウ」


短い言葉。

けれどそれは、咲《さく》を引き止めるためのものではなく―――


送り出すための、言葉だった。




【第1章 案内人編 - 第4話「役割」- 完 -】

→第1章 案内人編 - 最終話「その先へ」へ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。