第15話 交易国家の真骨頂――「骨の髄までむしり取れ」。大戦を黄金の山に変える冷徹なる事業
聖歴一〇五六年、十月二十六日。午後
ロアーヌ帝国駐在大使ローン伯爵との極秘会談を終えたアルベルトは、あらかじめ余裕を持たせて設定していた予定通り、ホルステン宮の大会議室に再び重臣たちを招集していた。
顔を揃えたのは、外務卿ラーセン侯、内務卿アメルン伯、軍務卿レーベン伯をはじめとする、リューベック王国の官僚機構の中枢を担う面々である。昨日までの悲壮感は消え失せていたが、代わりに彼らの顔には「この十五歳の若き主君が、大帝国を相手に何を仕出かしたのか」という強い緊張が走っていた。
上座に腰を下ろしたアルベルトは、居並ぶ大人たちを静かに見回し、氷のように冷たく、しかし確かな自信に満ちた声で口を開いた。
「結論から言おう。先ほど、ローン大使との交渉が終わった」
重臣たちが息を呑む中、アルベルトは淡々と事実を告げる。
「帝国が西のフラリンの属国群を平定するための莫大な『兵站(補給)』を、我がリューベックの海軍と輸送網で担う。その大枠の条件で、大使から完全な合意を引き出した」
瞬間、大会議室は水を打ったように静まり返った。言葉の意味が脳内で咀嚼されるまでの沈黙の後、徐々にどよめきが広がり始める。
「まさか……本当にあの大帝国に首輪を……!」
「我が国が、帝国の兵站を握るというのか……!」
昨日までの絶望が嘘のような吉報に、重臣たちの目が驚愕と興奮に見開かれる。だが同時に、このあまりにも鮮やかな成果をたった数時間で挙げた十五歳の主君に対する畏怖が、彼らの背筋を這い上がった。
その反応を無表情に見届けた後、アルベルトは右手を軽く掲げて場を鎮めた。
「これより我が国は、国を挙げて『戦時経済体制』へと移行する」
その声は冷徹な鉄槌のように議場を打ち据えた。
「外務卿ラーセン侯。貴卿は直ちに帝国大使との間で詳細な交渉に入り、条文を取りまとめろ。帝国軍の輸送費用、食糧の買い取り価格、関税特権の全面的付与。全ての項目において、我が国の利益を最大化しろ。向こうは今、国家百年の大計の前に目が眩んでいる。多少法外なふっかけであっても呑むはずだ」
「御意!」
外務卿ラーセン侯が即座に深々と頭を下げた。その顔には鬼気迫る覚悟が漲っている。外交のプロとして、これ以上ない巨大なビジネスチャンスが目の前に転がり込んできたのだ。
「次に内務卿アメルン伯」
アルベルトは視線を内務卿へと移す。
「国内の商人ギルドを統制下へ置け。帝国へ売りつける食糧・武器・被服といった兵站物資の買い占めを始める。商人たちには、特需による莫大な利益を約束してやれ。我が国は『交易国家』だ、彼らが喜んで荷車を出す仕組みを作れ」
「畏まりました。帝国の金で、我が国の市場をかつてなく潤してみせましょう」
「ああ。ただし――」
アルベルトの目が剣呑に細められた。
「この特需に乗じて便乗値上げや売り惜しみをする愚か者がいれば、即座にギルドの特権を剥奪し、王都リュベルでの商取引を永久に禁じると意図的にリークしておけ」
「……御意。その噂が裏で回れば、皆、喜んで適正価格で荷車を出すでしょう」
アメルン伯は額に汗を滲ませながらも、主君の老獪な差配に深く頷いた。
「最後に軍務卿レーベン伯」
最も険しい表情で、アルベルトは軍の最高司令官を見据える。
「海軍艦隊の即時動員準備と並行して、最大輸送能力を有する大型貨物船を中心とする『臨時輸送艦隊』を編成せよ。そして、護衛の軍艦をもってフラリン属国群の沿岸警備部隊を海の藻屑に変え、西の制海権を完全に掌握しろ。海から運ばれる大量の兵站物資は、確実に帝国の口(前線)へと運ばれねばならない」
「承知致しました。我がリューベック海軍の力、西の小童どもに存分に見せつけてご覧にいれましょう」
軍務卿レーベン伯の瞳の奥に、戦場に立つ将軍の獰猛な光が宿る。
優秀な官僚機構が持つ冷徹な職務遂行能力が発揮される瞬間であった。
重臣たちは皆、若き主君が「戦時経済体制」と呼ぶものが何を意味するかを正確に理解している。
これは単なる『軍事物資の提供』ではない。大帝国の侵略戦争を利用した、莫大な富を稼ぎ出す『巨大事業』である。大帝国が血を流す戦場は、リューベックにとっては黄金の山となるのだ。
「……これで私からの指示は以上だ」
アルベルトはそこで言葉を区切り、議場を見渡す。
「私が作ったのは、あくまで大枠までだ。ここから先は貴卿らの手腕に掛かっている。遠慮は一切いらん。帝国から骨の髄までむしり取れ」
最後の言葉は極めて低い声量であったにも関わらず、鋼の刃のような鋭さと重圧を持って場を支配した。
「「「御意!!」」」
重臣一同は一斉に立ち上がり、完璧なタイミングで深々と頭を下げた。
アルベルトが頷き、静かに着席すると、彼らは武者震いのような熱を帯びた足取りで大会議室を後にしていく。廊下の外からは、各省庁へと散っていく足音が慌ただしく響いていた。
大会議室には再び静寂が訪れたが、その空気は重苦しいものではなかった。
重臣たちが出て行った扉の方をしばらく眺めていたアルベルトの唇には、氷のような、しかし確かな野心の笑みが浮かんでいた。
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