3-6 問われる覚悟
「だけどねシロ坊、右腕の封印を解くのは、あくまで最後の手段だよ。ギリギリまで取っておいておくれ」
「え~~~! どうしてさ? それじゃ、いつもと変わらないじゃん!」
「確かにグリゴリは使わせたがってるけどね、アタシは反対さ。被験者を起こす時に、きっと困った事になるからね」
「困った事?」
「被験者を起こす方法に、ちょっと問題があってね。これを飲ませるんだけど……」
そう言うと、ベルトチカ老師は懐からひょうたん型の水筒を取り出した。実際にひょうたんを加工したもので、頭頂部の口にねじ込まれている栓には紐が通されており、中央のくびれに巻き付けられた手持ち用の紐と繋がっている。
タプタプと聞こえる音から察するに、水筒の半分以上は入っているだろう。
「何それ」
「なんだと思う?」
「目覚まし薬とか?」
「その効果も確かにあるけどね…」
「違うの?」
「今、色々な事で困った状況にあるわけだけど、一番困っているのは、被験者の目覚めない理由が分からないって事なんだよ」
「眠り薬が効きすぎたせい……じゃなかったっけ?」
「それはあくまでグリゴリの仮説。本当のところは分かってないんだよ。眠り薬のせいかもしれないけど、体調不良かもしれないし、毒を盛られたのかもしれない」
「毒!? 毒を盛られたの!?」
「あくまで仮説さ。仲間を疑いたくはないけど、絶対無いとは言えないからね。ただ、生きているのは間違いないよ。もし死んだら、その瞬間、"守護者"も消えてしまうからね」
「そうなんだ」
シロガネは改めて"イマジネ・ボレアス"を見る。あの緑の怪獣が健在である限り、被験者は生きているのだ。ベルトチカ老師が思ったほど焦ってないのもそれが理由なのだろう。
「さてシロ坊、ここで問題だよ。深い眠り、瀕死、毒、泥酔、その他諸々、あらゆる状況に対応するには、どんな薬が必要だろう」
そんな物は一つしかない。体力を全快し、あらゆる異常状態を正常に戻してしまう。「睡眠に勝る回復薬無し」という格言を根底から否定した究極の回復薬と言えば……
「もしかして"御神酒"?」
「正解♪ ご褒美に頭を撫でてやろうかね♪」
「やめてよ。もう子供じゃないったらっ」
口では拒みながらも好意を拒みきれず、大人しく頭を撫でられながらシロガネは考える。
たった一口でどんな怪我でも治してしまう奇跡の回復薬が、一般では小指サイズのアンプルでバラ売りされるものが、水筒にたっぷりと? 金銭感覚の分からないシロガネだが、とてつもない価値だと言うことは理解できる。
それを惜しげもなく使う……。きっと被験者は、とても重要な人に違いない。
「この水筒は特別製さ。ドラゴンに踏まれたって壊れやしないよ。持ってお行き」
「これをヒケンシャさんにかければいいんだね」
「それでも効果があるとは思うけれど、より確実に効くよう、飲ませてほしいんだよ」
「飲ませるのか……。うん、分かった」
「さてシロ坊、ここで問題だよ」
「え? また?」
「第二問。"守護者"を倒したとして、その後どうやって被験者に"御神酒"飲ませるんだい?」
「そりゃあ……左腕で被験者の頭の方を抱き起こすでしょ? それから右腕で水筒を持って被験者の口に、こう……」
「死神腕で水筒を持つのかい? "御神酒"が台無しになりそうだね」
「そりゃ、ちょっとくらいはダメにするかもしれないけど、10秒くらいは力を止められるから…」
「そうだね、それで正解だと思うよ。じゃあ、続いて第三問。ここからが本題だよ」
「まだあるの?」
「シロ坊が"守護者"を倒すために右腕の死神を解放した場合、どうやって被験者に飲ませれば良いんだろうねぇ」
「あ……」
シロガネは言葉に詰まってしまった。
死神を解放すれば、右腕は凄まじい勢いで命を吸い始める。そんな右腕で被験者に触れれば、僕が被験者を殺してしまうのだ。右手に水筒を持てば"御神酒"が台無しになる。
では再び死神を封印しては? それも無理だ。解放するのはカンタンでも、封印し直すには十分以上かかってしまう。魔道士達に代わりを頼むにしても、一分以内に実験場の中央まで近づくのは不可能。つまりシロガネは、左腕だけで被験者に飲ませないといけないのだ。どうすればいい?
「ええっと、ヒケンシャさんの口に水筒をねじ込む……?」
「それだと水筒をひっくり返すわけだから、かなりの量の"御神酒"がこぼれてしまうだろうね。全部こぼす前に飲ませられるといいのだけど」
「う………」
正直、シロガネにはちゃんと飲ませられる自信は無かった。
「ばあちゃん、何か良い方法はある?」
「あるにはあるけど……あまりお薦めは出来ないねぇ」
「教えてよ。なんでもやるよ。ヒケンシャさんを助けるためだもの」
「分かったよ。シロ坊に教えてあげる。その方法はね…」
「その方法は?」
「口移しだよ」
「はっ?」
「く・ち・う・つ・し♪」
「ええええええええっ!?」
つまりこう言うことだ。最初に"御神酒"を口に含む。次に左腕で上半身を抱き起こす。そして被験者の唇にブチュ~~っと……
理屈では分かる。それが一番確実なのだと。だけど……命を救うためとはいえ、誰とも知らぬ年寄りに口移ししなければならないなんて、思春期ボーイにはあまりにも辛すぎた。
「分かってくれたかい? アタシが封印を解くことに反対する理由」
「……うん」
「だからね、死神腕の封印を解く時は、覚悟の上でしておくれ」
「……はい」
「時にシロ坊、ファーストキスはしたのかい?」
「えっ…いやっ…その……ヒミツ…」