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煉獄のバラッド -九曜伝-  作者: 宮崎
運命は夜明けを待つ
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#08 来訪者たち

「脳波に特に異常はないようですね。CTスキャンも問題ありませんでしたし」


 机の上に置かれた検査結果を眺めながら、医師は事務的にそう告げた。書き終わったカルテを隣に立つ看護師にひょいと手渡す。


「念のため、しばらくは激しい運動は避けてください。じゃ、退院していいですよ」

「ありがとうございました」


 色々な検査に引きずり回され、時計の針はもう三時を回っていた。それだけ時間をかけたにも関わらず、検査結果の告知はごくごくあっさりとしたもので、颯太は拍子抜けする。今目の前にいる医師が、検査前、後頭部の強打は危ないなどと力説していた人物と同一だとはとても思えない。


(でもまあ、こんなもんか)


 颯太は気疲れした身体を椅子から剥がすと、ぺこりと頭を下げた。診察室を出たところで退院の手続きをしにいく母と別れ、病室へと戻る。


「あ、颯太君。学校のお友達が来てたよ」


 点滴のボトルを吊るした可動式のロッドを手に、織部が颯太の後ろから病室に入ってきた。こちらも何かの検査が終わった後らしい。


「昼過ぎくらいに見かけたから、もういないかもしれないけど。談話室にいるって言ってたよ」

「そうですか、ありがとうございます。……誰だろ、秀樹かな」

「いやぁ、颯太君もすみにおけないね。あんな可愛い子がお友達にいるなんて」

「……可愛い?」


 絶対に秀樹じゃないな――颯太は怪訝な顔で思わず聞き返した。

 そんな颯太を、織部はニコニコと微笑ましそうな顔で見ている。また何か変な誤解をしている気がしてならない。颯太はとにかく急いで病室を出た。


 病院に見舞いに来てもらうほど、クラスで仲良くしている女子はいない、というのが颯太の認識だった。といっても、距離を置いているわけではない。むしろ付き合いとしてはいたって普通で、特別に親しくしている女子がいないというだけだ。したがって、颯太には誰が来ているのか皆目見当もつかなかった。


 ただ、盲点と言うべきか否か。

 見舞いに来ること自体は、別に仲の良い人物でなくとも構わないのだ。颯太は談話室に足を踏み入れ、その姿を目にしたとき、なるほどと心の中で手を打った。


「……わざわざ来てくれたんだ」


 談話室の隅、日当たりのいい一角に、倉間結月が座っていた。読書をしていたらしい。ぴんと伸ばした姿勢を崩すことなく、自分を眺めている颯太を見上げる。


「検査結果はどうだったの?」

「異常なし。もう退院するんだ」

「そう。よかったわね」


 手にした書物を閉じて、結月が立ち上がる。遠目にはただのハードカバーの本に見えたそれは、近づいてよく見ればまったくの別物で、なにやら古めかしく年代を感じる和綴じの本だった。題目は達筆な行書体で表紙に直に書かれており、颯太にはまったく読めない。


 結月はそれを小脇に抱え、颯太に向き直り――少しふらついた。


「ちょっ……大丈夫か?」


 颯太は慌てて駆け寄った。が、颯太より一足先に結月を支える腕が伸びる。


「だから、先に帰るようにと言ったのに」

「……一応、この目で確認しなきゃと思ったのよ」


 波流の腕にもたれかかった結月が、身を起こしながら呟いた。よろよろと身体にあまり力が入らない様子で、動きが弱々しい。思わず覗き込んで顔色を窺えば、どことなく精彩を欠いた瞳がこちらを見つめ返した。


「どうしたんだよ。具合が悪いのか?」

「急に眩暈がしただけ。平気よ、心配しないで」

「でも、顔色が良くないみたいだ。先生に診てもらうとか……」

「蓮見君、結月の言うとおり心配しなくていい。結月は昨日の一戦で、一度力を使い切っただけだから」


 結月を椅子に座らせた波流が、颯太にその前の席に座るよう促した。


「力を使い切った?」

「そう。結月が使っていた力は、無限ではなく有限のもの。最後に無茶をしたから、その代償が身体に来ているというわけ」

「でも、妖魔を倒した後、元気そうでしたけど」

「あの時はアドレナリンが出まくってテンションがハイになってたんだわと思うわ……。屋敷に戻って退室のお許しをいただいてから、一気に疲れが来たのよ」


 結月は背凭れに身体を預けながら、ため息をついた。「どっかのバカ息子と話をしたせいもあるけど……」とぶつぶつ呟いている。

 それだけでこんなにも体力を消耗するものなのか、と訝しんだところで、颯太は更なる可能性に気づいた。結月が制服を着用しているということからして、それは確信に変わる。


「まさか、あの後学校に行ったとかいわないよな」

「行ったわよ」

「一睡もせずに!?」

「当たり前でしょ。寝てる時間なんてなかったんだもの」

「だからって、あんなことの後で普通に登校するなんて……」

「別に病気になったわけでもないんだし、簡単に休むわけにはいかないわ」


 結月の状態は、確かに、病気の症状が出ているというわけではない。ただ、体調不良の一種ではあるだろう。妖魔退治の事後養生のため欠席します、なんて本当のことを言えるわけはないが、休みの理由くらいなんとでも付けられるはずだ。

 それでも休んでいないということは、これはもう結月の性格によるものだ、と颯太は推測した。


「あれ、でも昼過ぎにはここにいたんだよな?同じ病室の人から聞いたよ」

「まあ、ね。早退したのよ」

「やっぱり体調が……」

「違うわよ。あなたの様子を確かめるためよ。ちょうど午後の授業が自習続きになったから抜けることにしたの。無事かどうか、一刻も早く確認しておきたかったもの」


 結月がそこまでして気にかけてくれた、ということに、颯太は呆れから一転、少しくすぐったさを感じた。不意打ちのような言葉に浮つく内心を悟られないよう、平静を装って「ふ、ふーん」と呟く。やはり、これだけ可愛い子に心配してもらえるというのは素直に嬉しい。

 

「く、倉間さん、ちゃんと良くなるんですよね?」

「体力が回復すればなんということはないよ」


 波流はその言葉通り、わけもないようにあっさりと言い切った。その歯切れのよさに会話の流れも止まる。

 幸いにも、波流は颯太から滲み出る挙動不審さには特に触れず、「飲み物を買ってくる」と告げると立ち上がった。先輩にそんなことはさせられなかったが、逆に病人にそんなことはさせられないと言われてしまえば、颯太はおとなしく結月と待つほかない。


 自動販売機に向かう後ろ姿を見送りながら、颯太はふと気づいた。ここへきてまだ僅かな時間しか経っていないというのに、波流はすでに談話室内の若い女性の視線を一身に集めている。さすがだ、完璧すぎて感嘆してしまう。


「まったく、やんなっちゃうわよね」

「なにが?」


 視線を戻すと、結月が頬杖をついて膨れっ面をしていた。少し間抜けな――というと目の前の美少女には失礼だが、愛嬌のある小動物のような顔をしている。


「波流よ。あんな平然として」

「ああ……。あれだけモテてたら大変そうだな」

「え?……そうじゃなくて」


 深く頷いていた颯太の目を見据え、結月がぐっとその身を乗り出した。


「波流だって、昨日は初めての討伐補佐だったのよ。なのにさらっとこなしちゃうし」

「うん……?」

「私はこんな有様なのに、波流は身体の調子もぜんぜん悪くないの」

「へ、へえ」

「おまけにもうなにか別のことを始めてるみたい。私に内緒で」

「あー……あのさ」


 勢いに気圧されながら、颯太はなんとか口を開いた。


 正直、二人の事情を断片的に聞かされたところで、颯太に言えることなど何もない。昨夜のことは、颯太には理解できていないことだらけなのだ。だいたい、それを聞こうとしたところで「質問は一つ」などという妙な制約を設けられ――うっかり口走った自分のせいでもあるのだが――有耶無耶に濁されたというのに。

 それとも、聞き役に徹していろということなのだろうか。それはつらい。勘弁して欲しい。


「結月、また蓮見君を困らせている」

「えっ?……ああ!ごめんなさい」


 三つの缶を手に戻ってきた波流が、そのうちの一つを結月の前に置いた。小さな缶には、ぽかぽかあったまるジンジャーフレーバーティ、と記載されている。ジンジャーって生姜だよな、紅茶に生姜って美味いのかな、などと頭の片隅で考えていると、颯太の目の前にはカロリーオフの炭酸飲料が置かれた。いずれも、リクエスト通りだ。


「ありがとうございます」

「気にしないで。それより、無事に身体に戻れていたようで何よりだった」


 波流がコーヒー缶のタブを開け、口をつける。すでに隣でごくごくと紅茶を飲んでいた結月が、大きく頷いた。


「本当にね。あの時急にあなたが消えたんだもの、びっくりしたのよ」

「消えた?」

「朝日が出てきて、それに照らされたあなたがすうっと消えたの。幽霊みたいだったから」


 自分が目覚める直前のこと。言われてみれば、はっきりとは覚えていなかった。

 波流が時間を気にして、結月の髪に陽が差して。そこまでは颯太の記憶も鮮明にあるのだが、その先は頭からすっかり抜け落ちている。記憶にない自分の様子を後から聞かされるというのは、なんだか不思議と落ち着かない、もぞもぞとした気持ちになるものらしい。


「で、波流?あなたは何か知ってる風だったわね?」


 結月が話の矛先を波流に向けた。

 確かに、あの時の波流は『推測が合っているなら』と口にした。何かを知っている、または何かに気づいているからこそそう言い、その通りの事態になったのではないか。


 結月に加え颯太の視線までもが向かう中、波流はなんら気を惑わされることなく、コーヒーを飲みきると空き缶を机の上に置いた。カツン、と小さく乾いた音がする。


「単なる思いつきだから」

「嘘」

「嘘じゃない」

「そう?気づいていないと思うけど、波流は嘘を言うとき、ちょっとしたクセがあるのよ?今、それをばっちり見たわ」

「…………どんな」

「それは教えない」


 結月は勝ち誇ったように胸を張った。スレンダーな身体に僅かに認められる凸部分が強調される。なるほど……と颯太は結月のサイズに思いを馳せた。健全な男子高校生としては当然の反応といえるだろう。

 とはいえ、それを目の前の二人に知られてはならなかった。結月はもちろんだが、波流にも知れるとなにか恐ろしい目に遭わされそうな気がする。


 邪な気持ちを誤魔化すため、「さすが幼馴染だね」などと無難なことを呟きお茶を濁したが、波流はそんな颯太の妄想にも気づいてはいなかったらしい。それよりも、結月の言葉に豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしている。気を取り直して元の表情に戻るために、少しの時間を要した。


「……結月の気のせい」

「ふーん。じゃあ聞くけど、この本はなんなの?こんな古い文献、倉間の屋敷の書斎にはなかったはずよ。大方、蔵まで行ってひっぱり出してきたんでしょ」


 結月が机の上に置いていた例の古い書物を手に取った。先ほど結月がふらついたときに床に落としたが、すぐに波流が拾って机の上に置き直していたものだ。


 波流はチラリと本に視線をやったものの、無言で結月に向き直る。あくまでも白を切るつもりらしい。


「否定しないのね。屋敷に戻ってから登校までの短い間にそんなことをしたって事は、ただの読書のためにこれを選んだわけじゃないってこと。波流は何を調べようとしてるの?」

「本当に、今言えることは何もない。――そろそろ日が沈む。行くよ」


 波流が会話を切り上げる。それは、言う気がない、という意思表示だった。

 颯太がいる今この場で言うつもりがないということなのか、それとも、今はまだ言う確証がないということなのか。どちらにせよ、颯太にとって謎は謎のまま、今日も夜を迎えることになるらしい。


「蓮見君。君の()()のことなんだけれど、もう少し様子を見たほうがいいように思う。念のため、連絡先を交換しておきたい」


 波流は鞄から小さな手帳を取り出すと、ページにサラサラと何かを書きつけ、無造作に破いた。


「何かあったらここに連絡して」


 渡された紙の切れ端には、男子にしては流麗な文字で波流の名前と電話番号が書かれている。颯太はそれを受け取ると、差し出された手帳に同じく自分の名前と電話番号を書いた。住所も、と告げられ、波流の念の入れように驚きながらも付け加える。


 結月はそんな二人のやり取りを眺め、含みのある視線を波流に向けた。


「それも『単なる思いつき』?」

「そうだよ」


 波流は涼しげな顔で手帳を鞄に仕舞うと、まだ椅子に座る結月に立つよう促した。納得がいかない風ながらも、結月はそれに従う。帰宅には同意したらしい。


 談話室を出るとき、「じゃあ、また」と結月が短く告げた。それにあわせて波流が軽く頭を下げる。


(何かあったら、か……)


 ――何かがあるのは嫌だけど、二人と交流するのは嫌じゃない。


 颯太は手に残されたメモを握り締め、遠くなっていく二つの背中を見送る。ぼんやりとしていた颯太の背後から、呆然とした声かかかったのはこのすぐあとのことだった。


「ちょっと……颯太。今の、なに……?」


 名前を呼ばれて振り返ると、花束を手に小刻みに震えている秀樹がいた。男子高校生が持つにはいささか不似合いなそれは、おそらく見舞いの品だろう。次に、颯太の視線は秀樹の後ろへと向いた。そこには、颯太のクラスの学級委員長・副委員長が言葉にならない様子で立ち尽くしている。


「あ、あれ、倉間さんと南雲先輩だろ……!?なんでここにいるんだよぉぉ!?」


 感激と興奮が入り混じった声が院内に響いた。向こうから鬼の形相の看護師長が近づいてくるのが見えて、颯太はくらくらとする頭を抱える。もしかしなくとも、登校したら大変な騒ぎになっていそうだ。


 もっとも、そんな悩みなど吹き飛ばすような出来事が今宵も待ち構えていたわけだが、この時の颯太はそんなことを知る由もなく、ある種平和な愚痴を心の中に零していたのだった。

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