#19 結月と莉華子
「おい、入るぞ」
縹の一言の後、障子がすっと横に滑った。
縹はおろか、誰も障子には手を触れていない。が、颯太にはもうわかっている。これは式神――縹の仕業だ。
開いた障子の先は、布団くらいしか物のない和室だった。おそらく波流の部屋ではなく、休むために用意された部屋なのだろう。布団の中には、寝入っている波流がいた。そのそばに、風呂上がりのようなラフな格好の少女がちょこんと座っている。
「あっ、莉華子ちゃん、遊璃君!」
肩まで伸びた髪の毛を拭いていた少女が、颯太たちを振り仰いだ。少女のあどけない顔が、嬉々とした笑みに満ちる。
泥だらけって靴だけじゃなかったのか、と縹以外の全員が思ったことだろう。まだ湿った髪を揺らして立ち上がりかけた少女は、その視線を縹の持ち物にずらし、きょとんとした。
「……これなぁに?……人間?」
「蓮見颯太です……人です……。よろしく……」
このパターン、どうにかならないのか。颯太は内心涙を拭きつつ挨拶した。だが、少女のほうはこの状況がいたくお気に召したらしい。
「ええーっ、おもしろーい!」
瞳を爛々と輝かせた少女の顔が、颯太の魂のほうに近づく。そして穴が開くほど見つめた後、これでもかと撫で回した。
「こら、こいつで遊ぶな。こんな格好でも一応客人だ」
「一応ってひどい」
縹が颯太の身体を部屋の脇に下ろす。魂を掴んでいた手も離され、颯太は部屋の中にふわりと放たれた。
少女はえへへと笑いながら、浮いている颯太を見上げた。
「そっかぁ、ごめんね。私、平杏寿。中学二年生だよ。颯太君は何年生?」
「高校二年生だ」
「あ、じゃあ結月ちゃんと同じなんだ!」
その言葉に、縹が反応した。そっと近寄ってきて、小声で尋ねる。
「おい、杏寿。その……あいつはどこに行った?」
「あいつって?」
「あいつだよ。さっきまでここに一緒にいただろう」
縹はなにやら濁しつつ内密に話をしたがっていたが、杏寿には通用しなかったようだ。縹が聞きたいことに気づいた杏寿は、あっけらかんと答えた。
「ああ、結月ちゃん?結月ちゃんなら水枕を取替えに行ったよ!もう戻ってくると思うな」
「ちょっ……ああ、もう……」
縹が杏寿の口を慌てて塞いだ。が、時でに遅しだ。
「――結月がどうかしまして?」
腕組みをしてにこやかな笑みを引き攣らせている莉華子が、背後に立っていた。
「ひっ」
「颯太、今の悲鳴はなんですの?わたくしの顔がそんなに怖いのかしら」
「い、いや……ハクリョクがあるなーって。び、美人だから」
「あら、颯太は正直者ですわね」
縹に肩をガシッと掴まれ盾にされた颯太は、縹と無言の小競り合いを繰り広げながらも、我が身可愛さに保身を図った。助けを求めて、視線を部屋の片隅へと彷徨わせる。そこには、我関せずといった様子で本を読み始めた遊璃の姿があった。
(マイペース過ぎるだろ……!)
遊璃は援軍にならない。そう踏んだところで、縁側からパタパタと軽い足音が近づいてきた。この部屋に真っ直ぐ向かっているようだ。
助かった――颯太が息を吐いたと同時に、結月が水枕を手に現れた。
「杏寿!新しいものを持ってきたの。これを波流に…………って、莉華子っ!?」
「ゆっ、結月っ!」
結月と莉華子は、互いの姿を見つけると目を見開いた。驚きも束の間、臨戦態勢に突入する。
「具合が悪いというから見舞いに来てみれば、とんだ無駄足でしたわ。もう屋敷の中をうろちょろとしてますのね」
「自分の屋敷でどう過ごそうが私の自由でしょ。それに、そっちが勝手に来たんじゃない!」
「あら、結月が初陣で無様を晒したと聞きましたの。今頃どんな間抜け面してるのかしらと思って、わざわざ見に来て差し上げましたのよ?」
全然助からなかった――颯太はゲンナリした。
どうやら莉華子は、倉間家ではなく結月と相性が悪いらしい。
しかもそれは結月も同じようだった。出会い頭にこれでは、どう見ても二人は犬猿の仲だ。ハブ対マングースだ。莉華子の高笑いが響く中、言い返そうとした結月と颯太の目が合った。
「……蓮見君!?どうしてここにいるの?っていうか……また身体から出ちゃったの?」
「うん、ごめん。ちょっとしたアクシデントで……」
「颯太はわたくしの車と接触しかけて、このような珍妙な姿になりましたの。あの時は悪かったですわね」
「いや、あれは俺が悪かったんだ。宝……り、莉華子のせいじゃないよ」
慣れない呼び方に悪戦苦闘していると、やり取りを聞いていた結月の片眉がぴくりと上がった。
「……『颯太』?『莉華子』?なに二人して親しげに呼び合ってるのよ。蓮見君!?」
「ええっっ!?」
突然詰め寄られ、颯太は後ずさることも出来ない。結月の剣幕に圧された縹が早々に颯太を離したせいで、今度は結月に捕まえられた。襟首を掴まれ、結月の綺麗な顔のど真ん前に吊るされる。
「なにのほほんと莉華子と仲良くなってるのよ?」
「いや、別に仲良くなってるとか言うわけじゃ」
「なってるわよ。駄目よ!莉華子は敵なのよ」
「て、敵……!?」
「莉華子は昔から何かにつけて私に張り合ってくるの。学校の成績もそう、かけっこの順位もそう……」
かけっこっていつの話だよ、と颯太は突っ込みたくなったが、結月の勢いはまだ続いている。
「能力の使い方だってそう。私が六歳の時に力の具現に成功したからって、自分はもっと早い歳でやろうとして失敗して大泣きするし」
「そんな昔のことは時効ですわ!それより、結界の張り方はわたくしの方が上手いですわ。結月はいつまで経っても初心者以下ですし」
「へーえ、一人で出来ずに波流に教わりに来てたのは誰よ?」
「あら、未だに波流から教わってる誰かさんには言われたくないわね」
俄然ヒートアップしてきたところで、結月がキッと颯太を見据えた。
「とにかく、ぜんっぜんウマが合わないの!」
そうですよね見たらわかります充分に――颯太は首をガクガクと揺らされながら頷く。その様子を、莉華子は余裕綽々に見やった。
「颯太は倉間の関係者かもしれませんけれど、わたくしがどう呼ぼうと結月には関係ないですわ」
「むむ……ッ」
好戦的な莉華子の態度に、結月の握力が強まった。自ら締め上げている颯太に向かって、結月は何かの宣言のように言い放つ。
「蓮見君!私のことは結月でいいわ。その代わり、私も颯太って呼ぶからね!」
そんなことより首が絞まりそうだ。
颯太は声にならない声を上げながら了解の意を示すと、結月の手を叩いた。
「――賑やかなのはよろしいが、時と場所を考えてそのくらいになさいな」
微かに霞む視界の端に、ふわりと白いものが揺れた。ようやく結月から解放され、げほげほと咳き込みながら、颯太は声のした方を見やる。そこには、昨日見た女が佇んでいて、颯太を眺め微笑んでいた。見えた白色は小袖のものだったらしい。
「私は柑子。静流様の式神。早速で悪いが蓮見颯太、私についてきて欲しい」
突然の依頼に、颯太は目を瞬かせた。結月と波流の見舞いに来ただけで、倉間家当主の式神に呼ばれる覚えがない。驚きながらも、颯太は柑子に手を引かれて縁側に出た。
「あの……いったい」
颯太と柑子、二人きりになったところで、ようやく柑子は言葉を付け加えた。
「お前は、知ることが許された。――静流様がお待ちよ」




