60話 私は違う
お前が裏切り者か?
ナナシは、囁くように尋ねてくる。
尋ねてくるということは、ナナシは裏切り者ではないということだろう。
つまり、『裏切り者』はエリザベート、軍師、ソニアの内の誰かまで絞られたということだ。
一体この中の誰が、『裏切り者』なのか―――いや、それを考えるのはまた後だ。
今現在、早急に取り込まなくてはならぬ議題は―――
(ナナシの誤解を、どうやって解こう!?)
酸欠で軋み始めた脳内が、高速で回転する。
素直に『違う』と言ったとしても、信じて貰えるわけがない。もし、私が『裏切り者』だったとしても、同じことを言うはずだからだ。
では、どうやって『違う』と証明する?
「早く応えろ」
首にかかる力が、倍増する。
酸素を求めるように開けられていた口は、苦しさのあまり閉じてしまった。
鶏の首を絞めるみたいにされた状態では、声なんか出せるわけがない。歯を食いしばりながら、必死に意志を伝える方法を考える。
「っく……」
絞る様に、声を出そうと試みる。
しかし、悲しきかな……死にかけの鶏のような声しか出ない。
『私』という主語は愚か、単語一つ紡ぐことさえできなかった。もう、声は無理だ。他に、意志を伝えられる方法は――― 意志を伝える、方法、は―――
「……」
その時だ。
ふっと、急に気道が確保される。
怒涛の勢いで開かれた道に、空気が一気に押し寄せた。
突如訪れた解放感に、よろめきながら咳をこんでしまう。床に両ひざをつけて、倒れ込むように伏せた。
(なんで、解放したのだろう?)
咳が飛び出る口を掌で抑え込みながら、背に感じた男を振り返る。
そこにいたのは、やはりナナシだった。私を放した腕をさすりながら、じっとこちらを見下ろしてくる。
「これで、応えられるだろ」
どうやら、こちらが話せないのを考慮してくれたようだ。
代わりに、無骨な剣を喉元に突き付けてくる。なんというか……最近、いや、異世界に来てから、剣を突きつけられることが多くなった。元の世界では、剣はもちろん、殺傷器具を向けられたことなんてなかったのに。
「……」
私は、普段のナナシのように黙り込む。
主導権は、ナナシにある。だから、それを取り返さなくてはならない。だからこそ、最初の一言が肝心なのだ。その一言が、この後の会話の流れを全てが変えてしまう。
ありきたりの『違う』は、意味がない。私の無実を証明できる言葉を、投げかけなくては―――
「ナナシさんは、なんで私が『裏切り者』だと考えたのですか?」
ナナシが考えたことを、崩していこう。
崩していけば、きっと誤解が解けるはずだ。
そう思い、ナナシの相貌を見上げる。
「お前が一番、怪しいからだ」
……。
そりゃそうだ。
自分自身が、納得してしまう。うん、私が容疑者の中で1番怪しい。
しかし、ハッと我に返り、これを論破する切口を思索する。
私は裏切っていないのだから、なんとかしなくては。
「怪しい?私が最初に、グランエンド経由で来からですか?」
「いや……」
ナナシは、珍しく言葉を濁す。
濁されたら、切れないではないか。少し苦い思いを噛みしめながら、なんとか喰らいついて行こうとする。
「ナナシさんは、なんで私を怪しいと?」
「……」
ナナシは、黙り込んでしまう。
石のように固く、口を閉ざしてしまった。
「私は、香奈子――天女に復讐がしたい」
本音を吐露する。
本当は話したくないが、仕方があるまい。
どうせ、皆も分かっていることだろうが、あえて取り上げる。その想いが根底にあるので、『裏切る』なんてことは考えられないのだ。そこを伝えなくては、ならない。
「いつも見下ろしてくる天女を、見返してやりたいんです。
確かに、彼女の言い分には一理あります。でも――彼女のせいで、私はこんなところにいる。もし、なにをしたのか知ったとしても―――『ごめん』の一言で許してくれるなんて思っている薄情な女に、現実を教えてやりたい」
私自身、現実が分かっているとは思えない。
私の知らないことだって、たくさんあるはずだ。でも、香奈子よりは分かっていると思う。
「だから、黒魔術も極めようとした。ヴェーダ帝国に計画に、手を貸した。そうして、私はここにいる」
だから、裏切るわけがないだろう。
私は、まっすぐにナナシを見上げ続けている。ナナシは仮面を被ったような無表情を、一向に崩さない。よろめいたり、感心したり、それでも違うと思うような……そんな『意志』が、ナナシからは何も伝わってこなかった。
僅かな変化も見逃すまいと、見上げ続けるが……全く持って微動だにしない。
「私は、裏切り者ではありません。裏切るわけ、ないじゃないですか!」
これで伝わらなかったら、もうダメだ。
もう、何も思いつかない。
歯を食いしばって、睨むように、いや祈る様に見上げていた。
なんでもいい、反応を見せてくれれば……それで十分に思えてしまうほどの時間が流れる。
「……そうか」
ちゃんっ、と軽い音を立て剣を収める。
ナナシの無表情は、相変わらず崩れない。しかし、その瞳には安堵の色が一瞬、ほんの一瞬、横切ったように見えた。私を縛っていた緊張の糸が切れ、安堵に包まれたから――ナナシの瞳にも同じ色を見てしまったのかもしれない。
「お前は、どう思う?」
剣を収めたナナシが、問いかけてきた。
「どう思う、とは?」
膝をはたきながら、私は立ち上がる。
「この騒ぎについて、だ。誰が、内通者だと考える?」
「私は―――」
誰だろう?
一息ついて、思い返してみる。
誰もが疑わしく見えるし、でも違うような気もする。
色々と画策してそうな軍師が1番、次点に王位継承権のあるソニアが続く。だけれども……
「分からない」
思い返してみれば、あの時―――誰の顔にも驚きの色が奔っていた。
それは、『バレた!』と焦る色とは違う、もっと別の電気と似た衝撃が走ったような色だった。
「なんというか、違う気がする。もっと、根本的なところが……」
ふと、脳裏にとある一節が横切った。
以前、蜜色の光が差し込む図書室で―――香奈子が生徒会室から戻ってくるまで読んだ書物だった。ずっと閉じ込められていた封印が解かれたように、弾かれて蘇る。
「もしかして、『反間の計』?」
たがいに疑心を抱かせ、内部の指揮系統を崩す。
そうやって、時間稼ぎをしようとしているのではないだろうか?
誰も裏切っていなどいないのだ。でも、裏切り者がいると信じてしまっているため、動くことがままならない。
ただただ、文字通りの『籠城戦』でグランエンドが疲弊するのをまつしかなくなる。他国の内乱が収まらないことだけを、頼みの綱にして―――
さぁっと冷たいモノが、背筋を流れた。このことをを、すぐにエリザベートまで伝えに行かなければならない。
「待て、印鑑の件はどうする?」
急いで外に飛び出そうとする私を、ナナシが止める。
確かに、ナナシの言う通りだ。
私は急く足を止めて、考え込む。
そうだ、印鑑だ。印鑑のせいで、こちらはまんまと『反間』させられているのだ。
上官しか持ち得ぬ印鑑の存在が記されていたからこそ、ここまで問題が発展している。
「印鑑は、『肌身離さず持ち歩いていなければならない』んですよね?」
その問いに、ナナシはコクリと頷いた。
もし誰かにこっそり使われたのだとした場合、上官のすぐ近くにいる人物が『裏切り者』になっている可能性が浮上してくる。なら、それは誰なのだろうか?
「もうし」
その時だ。
か細い声が、天幕の外からは聞こえてくる。
私は疑念を抱きながらも、ゆっくりと天幕の入り口に近づいた。
来訪者が来る場合は、兵士による検閲を受けてから入ることとなっている。しかし、誰か来た騒ぎが起きたようには思えなかった。それだけ、私が考えてこんでいたのだろうか?
「どちら様でしょう?」
問いながら、私は手で合図を出す。
ナナシは、本来――来訪者たる手続きをしていない。だから、見つかると面倒なことになるだろう。
ナナシは静かに呪文を呟くと、空気に解けるように消えて行ってしまった。……とはいっても、いまだに右目は幽霊と視神経を同調させている。ナナシがいる空間は残っているので、まだ部屋の中にいるようだ。
「私でございます。アーニャにございますわ」
アーニャが、何故私を訪ねるのだろう?
そっと重たい扉をあけ放つと、そこにはたしかにアーニャが佇んでいる。
月明かりに照らされた彼女は、触れれば折れてしまいそうだ。しかし―――
「アーニャ様、これはいったい?」
私は腰の短剣に、手が伸びてしまう。
そう、何故なら―――見張りの兵士たちが消えていたのだ。
いや、正確には消えてなどいない。まるで眠るように、倒れこんでいる。
しかし、その兵士たちに『魂』が感じられないのだ。死体の様にあんぐりと口を開け、泥のぬかるみに顔を突っ込んでいる。
これは、明らかに『異様』だ。
しかし――
「彼らは、死んでしまいましたわ。私の魔術で」
と、アーニャは平然と言葉を紡ぐ。
しかも、場違いなくらい優しげな笑みを浮かべて―――
ついに、60話まで来ました!
更新が3日に1度になってしまいましたが、最後まで付き合ってくださると嬉しいです。




