55話 建国の儀
『建国の儀』
それは、ひたすら華やかに祝杯を挙げる儀式だ。
人々は宴に酔いしれ朝まで踊り狂う。全ては、グランエンド国王を崇め奉るためだ。
夏の水不足解消のための『雨乞いの儀式』が元だと聞いたが、時が経つにつれて変質してしまったらしい。今では、雨乞いの雰囲気はどこにもない。
「ぼんやりしていますね、ミオ」
参列者席に腰かけるエリザベートが、私の耳元で囁く。
私は、その問いに首を横に振るった。ぼんやりしている余裕なんてない。ただ、あまりにも今の状況が辛くてたまらないだけだ。身体中を常に電気が這いずりまわっているような緊張感を紛らわせたくて、別のことを考えることで現実逃避を試みている。
とはいえ、その現実逃避は上手くいきそうにない。
ふと気を抜くと、これからのことを考えてしまう。
「……現実逃避する余裕なんて、ないですよ」
私は、『建国の儀』のために集められた民衆を一瞥する。
帝都の人口の半数が儀式を祝うために、中庭に集合していた。中庭に入りきらない残りの半数は、中央公園に集っているだろう。
「どの人も、とっても嬉しそうですわね」
ほほほと、折れそうな笑みを浮かべるのはアーニャだった。
アーニャの言うとおり、誰もが期待に目を輝かせ頬を赤らめている。間もなく登場するであろう天女―――香奈子の姿を一目見ようと待ちわびているようだ。
「えぇ、本当に嬉しそう」
これから起こることを知っている癖に、エリザベートは奥ゆかしい微笑を浮かべている。
だから優雅な言葉も仕草も何もかもが、皮肉としか思えなかった。
「さて――ミール殿は、ナナシ殿と一緒に移動してくださいでござる」
ソニアが作戦通りに、わざと大きな声で私達を誘導する。
私は出来るだけ余裕の顔で、ソニアに向き合った。
「なぜですか、ソニア殿!?」
声は、しっかり出ているのだろうか。
怒りの声は、出せているだろうか。皆の眼が私とソニア、ナナシに集まる様に、なっているだろうか。不安ばかりが募っていく。
「私はエリザベート陛下の守護を―――」
「いいえ、ミール。ナナシと一緒に下がりなさい」
エリザベートは羽扇で口元を貞淑に隠しながら、言い放つ。
「率直に言えば、貴方よりソニアの方が信用できます」
「なっ、私が―――信用ならないと!?」
怒りのあまり我を失い、エリザベートにつかみかかろうとする―――ように、みえているだろうか。勢いよく飛び出した私を、ナナシが羽交い絞めする。
「ナナシさんっ、貴方、なにを!!」
「……」
「そのまま、その非礼な者を連れて下がりなさい。
―――すみませんね、アーニャ様。見苦しいところを」
最後の言葉まで、しっかり参列者席に響く。
他の国――香奈子が築いた逆ハー陣営は、一連のやり取りがどのように目に映っただろうか。それだけが不安で、引きずられている間にも顔が青ざめる。
「……肩の力を抜け」
そんな私の耳に、ナナシの声が聞こえてきた。
深編笠越しのくぐもった囁き声だったけど、私を案じている色が滲み出ているように感じた。私は少しだけ目を細めた。
ナナシは、結局――敵なのか味方なのか、私には分からない。
今まで訪ねる機会を、ことごとく自分で無駄にしてしまったから。
だけど、ゼクスと再会したとき―――ゼクス・エドネスは、私がヴェーダ帝国にいると知らなかった。だから、私のことは報告していなかったのだと推測される。私のことを上司に報告しなかった、その意味が未だに解らない。
でも―――ナナシは、信用できる。
それは、根拠が全くない直感、フィーリングと言った類のものだけれども、『信用できる』と思えるのだ。
「ありがとう」
小さく声を返す。
少し遠くに見える壇上に、煌々とした少女が歩み出た。
言わずと知れた香奈子だ。
しんなりと白い肌が剥き出た桃色のドレスは、香奈子の可愛さを普段以上に引き立てている。彼の隣に立つアルフレッド王子なんて、民衆には目もくれず香奈子だけを視界に収めていた。まったく、それで国の主を務めようと考えているなんて―――呆れてしまう。
(もっとも、他の人たちにも言えることだけど)
参列者たちは全員、香奈子しか見ていない。
緊張で震えながらも、それでも笑顔でいようと努力する香奈子は健気で気高い王女のようだった。男たちは皆、鼻を垂らしている。
「……」
深編笠を被ったナナシを除いては、だけど。
ナナシは興味なさ気に一瞥した後、集められた民衆をじっと眺めていた。
「みなさん、これより『建国の儀式』を開催します」
可憐な声が、透き通った青空に響きわたる。
それと共に、香奈子は白魚のような指を空に向ける。そして、空に絵を描くように文字をなぞり始めた。
「『恵み溢れる女神さま――いつもあなたと共に――』」
香奈子は『白魔術』の詠唱を開始する。
周囲に燐光とは比べ物にならない暖かそうな黄色い球が浮かび始めた。
香奈子の幾重にも編み上げられた金髪が、そよ風に揺らぐ。
「『グランエンドを―――末永く、見守りたまえ―――』」
金の球は、花火のように儚げに四散する。
ぱしゃんっと音を立てて、雨あられと参列者に注がれる。
誰もが天女に惹かれているのだろう。照らされた参列者たちの横顔は、愛おしく歪んでいる。
「『糧に困ることがないよう―――住まいに困ることがないよう―――我らをお守りください』」
その声、一言一言に白魔術の花火が打ち上がった。
夏祭りの花火と異なり、金色一色の花火は惚れ惚れするほど美しい。しかし、小鳥のような声とともに上がる火花は、香奈子を心から祝福しているように見て取れる。
そして―――最後の花火が打ち上がると、静寂が辺りを包み込んだ。
だけど、それを誰も疑問に思わない。先程の、天女が放った白魔術の花火が美しく愛おしすぎたから。その音が、心の中で打ち上がり続けているのだろう。
「……」
そんな中庭で、ナナシはポンッと私の背中を押す。
私はコクリっと頷き返すと、魔力を最大限に注ぎ込んだ。先程から感じていた痛みが、一気に加速する。腹の奥から吐き気のようなものが込み上げ、目の前にはちかちかと銀砂が遊び始めた。視界が揺れる。地面が近づいた気がする。だけど、私を倒れないように隣にいる誰かが、そっと支えてくれた。
「『―――動け』」
しかし、香奈子たちは誰一人として異変に気がつかない。
花火の余韻で、いまだに頭が香奈子一色なのだろう。それが、命取りになるとは知らずに。
「『襲え』」
私は引き金を引くことに、躊躇わなかった。
躊躇った瞬間、気がつかれてしまうかもしれない。気がつかれていないうちに、少しでもことを進めたく思った。
「―――」
兵士たちも所詮は男。
香奈子に夢中で、警備を怠っている。ゆらりと近づく屍の群れに、悲鳴を上げることもなく地面に伏していく。彼らの手にした剣が、兵士たちの鮮血で視る見る間に染まっていった。
「素晴らしい―――素晴らしい白魔術だ!カナコ!」
アルフレッドが、照れる香奈子を賛美する。
そして、流れるように腰に手を当てると、香奈子の唇を奪う。
「ひゃぅ」
香奈子はアルフレッドを突き放し、ぷっくりとした唇に両手をあてる。
香奈子は恥ずかしがってはいるが、それ以上に相当嬉しいのだろう。耳まで赤くなった顔に浮かぶは、喜び以外の何物でもない。
「やめてください、アルフレッドさん!みなさんが、みて―――きゃぁぁぁ!!」
そこで初めて、異変に気がついた。
『民衆』は、ゆらりと動きながら兵士たちに剣を突き立てていたのだ。
香奈子が悲鳴を上げるのも、無理がないだろう。
空気を貫く香奈子の悲鳴と、飛び散る鮮血で、ようやく参列者は我に返った。僅かに残った兵士たちも同僚の死体に驚き、迫りくる『民衆』に恐怖を覚えた。
槍やレイピアといった武器を構えるが、完全に腰が引けてしまっている。これだと、あっという間に―――腹に穴を開けることが出来るだろう。
「み、みなさん!やめてくださいっ、どうしたのですか!?」
香奈子の悲痛の叫びに、耳を傾ける人は誰一人としていなかった。
今まで虜にしてきた男であっても、剣を無慈悲に振るい続けている。
「これは―――いったい!」
普段は冷静沈着なブルースの顔が、青ざめている。
当然の反応だろう。いままで暴徒を起こす気配がなかった民衆たちが、暴れまわっているのだ。
(首都の半数の人間が、一斉蜂起したんだから、たまったものではないだろうな)
自分が操る『民衆』に目を向けながら、勝利を確信する。
もちろん、これだけで勝てるとは思ってはいない。だけど――戦いというモノは、始める前に積み重ねた事柄で勝利するモノだ。
「さぁ、早くしましょう」
エリザベートが、すらりとした剣を引き抜く。
不敵な笑みを浮かべたエリザベートに怯えるふりをしながらも、内心は私も笑っていた。
『長篠の戦い』しかり、『日本海海戦』しかり、事前に準備を整えたから不可能を可能に変え、勝利することが出来た。ただ、地の利が良くて勝てたわけではない。
武田の騎馬隊に勝つため、事前に大量の銃器を揃えたから勝てた。日本海海戦だって、イギリスの後ろ盾を得ていたから、疲弊したバルチック艦隊を倒すことが出来たのだ。
今回、食糧を備蓄しただけのグランエンドに対し、ヴェーダ帝国の準備の方が準備を整えている。もちろん、初期軍備の違いはある。だけど、それを埋めるための努力を重ねたのだ。
(この勝負、勝てる)
『建国の儀』当日。
整えられた舞台が、幕を開く。
演目は、『最期の日』。最後まで、私は私の役割を演じようではないか。
※誤字訂正




