50話 とある男の噺
この回は、澪視点ではありません。
――1人の男の噺をしよう。
男は、傭兵として世界を歩いていた。
忌み嫌われる己の髪と、額の傷を隠すために、深編笠を被って――
「……」
金のためなら、なんだってする。
生きるためなら、なんだってする。
ただ、黙々と上からの命令をこなすだけ。剣の腕を頼りに、次々と敵と指定された人間を喰らっていく。血に染められた道を、何も感じることなく歩いていた。
「……」
深い闇に包まれた外を見下ろす。
木陰に隠れる様に呆然と立っている男――彼こそが、今の主であるゼクス・エドネス。
使えている理由は、ただたんに羽振りがいいから。
もちろん、彼の掲げる『天下統一』という身の程知らずの野望に協力するのも面白いと思ったが―――それだけだった。特に、エドネスに思い入れがあるわけではない。
(なのになんで、嘘をついたんだ?)
何故、ゼクスに忠誠を捧げている真似をしたのか。
その答えは、よく分からない。
ただ忠誠をささげているように見せかけた方が、楽だったからだろう。
全てのことを進めるのに――
「あっ」
小さく息がこぼれてしまった。
同じく、木陰に隠れる様に走り寄っていく小さな影を見つけてしまったからだ。この位置からだと目を細めても視認するのは不可能に近い。しかし、既に影の正体が誰なのか知っていた。
理由は、簡単極まりない。主であるゼクスから『今宵、妃と密会する』と伝えられていたからだ。よく目を凝らしてみると、カナコのふわりとした柔らかな金髪が視えた気がする。
いったい何を話すのか――――そこまでは聞かなかった。いや、聞けなかったという方が正しいかもしれない。
「おや、何をなさっているのです?」
耳障りな声が、耳に飛び込んできた。
誰だかは分かっていたが、一応振り返ってみることにする。すると、案の定……開け放たれたドアの近くに、次期宰相が立っていた。偉そうに眼鏡を押し上げ、人を小馬鹿にしたような表情を浮かべている。正直、男は彼が嫌いでしかたがない。ただ、ゼクスから『従え』と命じられているので、特に何も思わないように努めている。
「……」
男が黙っていると、宰相はゆっくり窓辺に近づいてくる。
そして鼻で一蹴すると、もったいぶった歩き方で窓辺から離れた。
「あぁ……君の主は女性と密会中ですか。誰なのか、気になるところですね」
「……」
誰なのか教えてみたら、どうなるだろうか。
いっそのこと、伝えてみたら宰相の腹正しいまでのすまし顔が一変するかもしれない。
そう思ったが、『伝えるな』という命令が下っているので何も言わない。いつものように黙って、首を横に振るった。
「分からないのですね。そうですか……」
やれやれ、使えない。という風に宰相は肩をすくめる。
さっさと出て行ってくれないか、と内心思いながらも、きっとそうはならないのだろうと諦めの境地に至っていた。実際、宰相はなかなか出て行こうとはせず、しつこく『あの女は誰だ?』と検索してくる。
男は、その問いかけをはぐらかし続けて、もう疲れ始めた頃――ようやく、宰相が別の問いを投げかけてきた。
「昼間、少し報告が遅れましたね。何をしていたのですか?」
「……ヴェーダ帝国使節団の親睦を深める茶会に、招かれていました」
嘘ではない。
黒魔術師ミオが主催したささやかな茶会に招かれ、そこで茶を飲んできただけだ。
そこで交わされた内容も、他愛もないものであり、特質する点はない。
それが長引いてしまっただけのこと。
「ほぅ、茶会ですか。……てっきり、ヴェーダの密談かと」
明らかに、宰相は探りを入れ始めている。
男はため息をつきたくなる気持ちを抑え込んで、できるだけ平然と応える。
「過去の密談の内容は、すべて報告済みです。
今回の茶会は、文字通り『親睦を深めるため』であり、ソニア護衛隊長とミール副隊長が会話して終わりました」
「なるほど」
ふむっと納得した表情を浮かべる宰相は、わざと時間をかけるように、ゆっくりとドアの方へと歩き始める。
男が、ホッとしたのもつかの間だった。だが、思い出したかのように歩みを止めると、未だに窓辺に立つ男を振り返った。まるで、なにか悪戯を考え突いたような子供のような意地悪い表情の宰相は、身を震わすような低い声で問いただす。
「しかし、不思議なんですよね。この『ミール』という女性が特に」
「……」
「いままで調べてきた情報に、まったく引っかかってこない。副隊長を任されるほど、有能な人物のはずなのに……何故、私が知らないのでしょうか?」
どことなくピリピリとし始めた室内に、のほほんとした宰相の声が異様に響く。
もちろん、その声色は演技だろう。柔らかな口調に反して、言っている内容には毒の棘が混ざっている。男の額には、汗が浮かび始めていた。きっとこれは、編笠が暑苦しいから、という理由では済まされない。
「その話は、以前もしたと思いますが?」
「私の記憶力を疑っているのですか、ただの傭兵風情が」
宰相の目には、静かな炎が燃え上がっていた。
「『ソニア・ヴェーダ隊長が見つけ出した新人』でしたよね。
しかし、『剣術家』としてと同じくらい『アホの娘』としても知られるソニア・ヴェーダが見つけ出してきたとは……にわかに信じられません」
「と、申しますと?」
「カナコから聞きましたよ、『ミールちゃんは、格闘技の修行一筋だった』と。
格闘技の修練場と剣術の修練場、ヴェーダの場合は離れていますよね。たしか、城1つ分ほど。……どうやって、ソニア・ヴェーダは見出したのですか?」
「私はヴェーダに潜入してから間もないので、詳しいことは存じ上げません」
男は努めて冷静に、言葉を返す。
「事実上の師であったルーシェを頼るふりをし、ヴェーダに潜入する。そこで見つけ出した内部資料及び密会の様子は全て、主であるゼクス様、及び宰相様に報告しています。もちろん、今回の使節団メンバーの略歴は、知りうる限り全て報告しているはずです。
ミール副隊長の略歴も、『ヴェーダ帝国帝都出身、軍所属の新人』と伝えたはずですよ」
「しかし、どうやら報告に漏れがあるようだ」
珍しく額に筋を浮かべた宰相が、詰め寄ってくる。
まるで、逃げ道を塞いでいるかのように。
「ゼクスにもこの話をしたのですが―――何故だかはぐらかされてしまいました。はぐらかされると、無性に知りたくなる性分でして。
1つだけ聞きます。彼女の正体は、誰ですか?」
「……」
男の唇は、固く結ばれる。
男はヴェーダ帝国に潜入した『裏切り者』であり、金のために動いていた。
アーニャから渡された金よりも、ゼクスや宰相から渡された金の方が桁数が1つ分以上違う。彼らに黙って従えば、生活に当分困ることはない。
だから、裏切りだってなんだってする。
しかし―――不思議と、ミオの存在を明らかに出来なかった。
最初は、同情心しか持っていなかった。
黒髪というだけで忌避される感覚は、自分が1番知っている。
石を投げられ、犯罪を押し付けられ、唾を吐かれる日々から解放されたのもつかの間、天女の一言で全てを失う羽目になる少女を―――憐れと思った。
だから、手を差し伸べた。とりあえず、黒髪の受け入れを躊躇わないルーシェの下へと辿り着かせよう。
15,6まで黒髪として生き抜くことが出来たミオなら、恐らくルーシェの元まで辿り着くことが出来る。たぶん、満足した暮らしは出来ないだろうが、少なくとも忌避されることなく、人間らしく生きていける。
だけど、それ以後も―――ミオの顔が頭から離れなくなってしまった。
絶望と困惑が入り混じった表情で、空へと飛ばされていくミオが頭から離れない。
(もう少し、何かで来たのではないか?)
そう思いながらも、仕事に専念する。
だから、ソウレ山への潜入の仕事を任せられた時―――少しだけ嬉しく思えた。
金を貰うこと以外で『嬉しい』という感情が湧き上ってくるのは初めてで、多少困惑したが――気にしないことにする。そこで元気に暮らしているミオを確認することで、ミオのことを忘れられる。
そう思って、山を登った。
だけど、そこで目にしたものとは――――
「存じ上げません。しかし、格闘家としての腕は、私よりも遥かに劣ります」
半分だけ、事実を伝える。
やはり、ミオのことは隠しておきたかった。
ミオの情報を打ったが最後、男は金よりも大切な何かを失ってしまう。そんな風に思えるのだ。
不注意で足を滑らせ、岩棚に落ちてしまった。
そんな男を助けてくれた少女は、1人で危険な谷間を下り、黒魔術を使いこなす程に成長を遂げていた。
顔には『苦労』の二文字が刻まれていたが、それが美しく映えている。どこかへ帰るため、その前段階としてグランエンドへの復讐を企てる濁りなき瞳。いや、復讐というよりも、誰かを乗り越えようとしているようにも見える。
少なくとも、編笠越に眺めていた天女よりも輝いて見えた。
確かに天女は美しい。だけど、それだけだ。ミオには絶賛する様な外見の美しさは無い。しかし、一回り成長したミオは、天女よりも綺麗だと感じる。
それは、生き方であり、悩むところであり、優しさであり、努力しようと思う所でもある。
だから、男はミオを裏切れない。
「そうですか、分かりました」
仕方ない、というように宰相は呟く。
すたすたと軽い足取りで去っていくと思ったが、ドアを閉める瞬間、一口の毒を残していった。
「忘れないでくださいね、傭兵。お前はグランエンドに仕える身だということを」
ドアが閉まる。
重い音を響かせて。
身悶えする様な哀しみが胸の奥から湧き上がるまで、そう時間はかからなかった。




